やっと梅雨明けしたものの、蒸し暑いだけで、夏の青空はなかなか続きません。
新型コロナウィルスの感染に対するお国の方針もようわかりません。
ブレーキを踏めと言っているのかアクセルを踏めと言っているのか…。
それにしても感染したら悪、感染者は罪人、みたいな風潮は何とか
ならないものでしょうか…。
かかってしまったら、世間様に「私が悪うございました、
申し訳ありません」、って謝らないとアカンの…?
感染者が発生した店舗は営業停止にしよう、っておかしないか?
いくらなんでも食中毒のケースと横並びで語るのは違うと思いますが…。
とりあえず、まだ感染していないことに感謝しつつ、書き進めます。
二輪街道一直線、のみん友さんのブログに影響を受けてオートバイの話です。
ムダに長いだけです。ゴメンなさい。

浮谷東次郎大先生「がむしゃら1500キロ」
日本の自動車レース黎明期に活躍された伝説の名レーサーです。
中学生が50ccのオートバイで、東京から大阪まで往復するというお話です。
60年以上前の国道1号線は未舗装のところもたくさんあったようです。
頻発するクライドラーの故障も克服しながらの難行苦行でした。
この本と、片岡義男「朝になったらタッチミー」に刺激を受けて、
オートバイで北海道をひとっ走りしてみたい、そんな気持ちになりました。
1982年、夏のことです。

1982年8月17日、火曜日、敦賀の弥次喜多食堂にて。
オートバイはスズキGT185。
高校時代の同級生から自賠責保険込み6万円で譲ってもらいました。
少し頑張ったら400ccのオートバイも買えたと思うのですが、
非力なオートバイを心意気でカバーしたいという気持ちがあったようです。
その頃は、高速道路を使って楽をするのは邪道と考えていました。
ひたすら下道を走ることにしました。
また関西圏のライダーは、舞鶴からフェリーで北海道上陸という
パターンが多かったと思います。
僕はそれも潔しとはしませんでした。
要は小さいオートバイで下道を走って北海道まで行って帰って来た、
という自己満足をしたかったということです。
遠い昔のチッチャなチッチャな自慢話です。
笑い飛ばしてください。
初日は柏崎まで走ったところで大休止。
バス停で仮眠を取り、翌日未明にスタート。

大阪を出て2日目、青森まで182km地点。
とにかく、お尻が痛くて痛くてたまりませんでした。
夕方、青森のフェリー乗り場、つまり青函連絡船乗り場に到着。
大阪からちょうど1000kmです。
以下、貧弱な写真ばかりで、これぞ北海道!といった風景を
お伝えできなくて残念です。
想像を膨らませて「脳内補完」なさってください。
北海道上陸後、ほとんどズッと雨にたたられました。
函館から一気にえりも岬まで。
自宅を出て、初日の3日間は1日500kmのペースで走りました。
頭の中はまさに「朝になったらタッチミー」でした。

バス停や、

駅の待合室で寝ました。
宿泊費をケチったわけですが、現在では考えられません。
当時でもヒンシュクを買っていたかも知れません。
摩周湖。
北海道で1番好きなところです。
日本で1番です。

一昨年、R32で行った時の写真です。
摩周湖、美幌峠、利尻岳。
僕の北海道ベスト3です。

屈斜路湖です。

黒板五郎ちゃんのお家です。
ドラマ「北の国から」の余韻がまだ強く残っていた頃です。

松山千春御大のご自宅前で。

※最近ではこんなことになっているようです。ネットより拝借。
御大、人気絶頂でした。
たくさんの観光バスが停車していました。
この写真に写っているような「ギャル」が
ウジャウジャいらっしゃいました。
それにしても、とにかく天気が悪かった。
行程の殆どが雨、雨、雨。
持っていたのは安物のビニールガッパ。
まさかコイツを着っぱなしになるとは思いもしませんでした。
冴えないカッコで恥ずかしかったわ〜。

開陽台へ向かう道です。

中標津町の町道「北19号。ネットから拝借しました。
上の写真と同じ道だと思うのですが。
8月26日、北海道での最終日、函館のフェリー乗り場です。
※青森の休憩所かも知れません…。
向かって右、脚の短い男がワタシです。
左側のシュッとした人は、現地で知り合った僕の友人と
しばらく一緒に走っていたんだそうです。
8月27日、金曜日、早朝に青森を出発。
8月28日、土曜日、午前5時半、大きな休憩は取らずに
実質走りっぱなしで自宅にたどり着きました。
12日間の北海道ツーリングでした。
メモには全走行距離、4500キロと書いてありました…。
結構がんばったな、と思ったのですが、それはありえない。
4500キロから、青森までの往復2000キロを差し引くと
残り2500キロとなります。
メモは勘違いだったようです。

※ネットより拝借。
その距離だとほぼ北海道一周分に相当します。
…そんなには走ってないわ。
実際は道東から道央をウロウロして1500キロくらい
だったんだろうと思います。
というわけで、ショボいツーリングの自慢話でした。
ここまでお読みいただきましてありがとうございました!
ひとまず、以上、です。(^_^)
行程概略
1982年8月17日(火)〜28(土)
大阪青森間往復2,000キロ、道内推定1,500キロ、合計3,500キロ。
8/17(火) 1日目
05:30 自宅(距離計8,443km)
08:30 敦賀「弥次喜多食堂」(8,579km)
18:30 柏崎(8,955km)
512km
8/18(水) 2日目
08:45 柏崎 17:30 青森 20:50 青森 函館泊
8/19(木) 3日目
05:30 函館 16:00 襟裳岬ユースホステル
8/20(金) 4日目
07:00 襟裳岬ユースホステル 釧路〜18:00 美留和
8/21(土) 5日目
07:00 美留和
美幌峠 屈斜路湖 摩周湖 開陽台
上武佐(10,586km) バス停泊 近くの温泉に入った。500円。
8/22(日) 6日目

バス停の写真はこの日に撮った。
終日雨で、この1枚以外に撮る余裕はなかったと
アルバムに書いてる。
06:00上武佐〜11:00斜里
13:00川湯温泉 民宿泊(4,500円)
8/23(月) 7日目
北海道に来て、初めて晴れ、と言える日。
川湯〜美幌峠〜屈斜路湖〜開陽台〜計根別
8/24(火) 8日目
計根別〜阿寒湖〜足寄〜富良野〜勇駒別
あまりの天気の悪さに気持ちが萎えて帰ることにしたようだ。
8/25(水) 9日目
勇駒別〜札幌
※札幌に泊まった記録も記憶もないため推測。
勇駒別に2泊した可能性も。
8/26(木) 10日目
札幌〜函館〜青森
※勇駒別〜函館かも知れない。
8/27(金) 11日目
04:55青森
8/28(土) 12日目
05:30大阪(11,944km)
手帳に殴り書きの読みづらいメモと、写真のネガを見て
行程を検証、整理しました。

1982年、夏の北海道でした。
この時から40年近く経ちますが、精神年齢は成長しないままです…汗。