
金曜日投稿のブログで少しだけ触れた
カーグラの創刊号。
あまりに面白いので書かずにはいられない。^_^;
もう少し書かせて下さい。
ご紹介くださったみん友さん、重ねて御礼申し上げます。
ありがとうございました。m(__)m
創刊号が発売された1962年は今から55年前。
昭和で言えば37年です。
東京オリンピックの2年前。
新幹線もまだ開通してません。
日本の高度成長期まっただ中で、更に急角度で発展していく頃だったはずです。
とは言え、自家用車の普及はまだまだだ、と僕は思っていました。
ところが、この雑誌に一貫しているのは、自動車がもの凄く身近なものであり、
それをどう楽しむか、という視点なのです。
要は、今のクルマ雑誌と全く変わらないのです。
そこに大変驚きました。
小林彰太郎御大の筆なるベンツSLの試乗インプレッション。

以前から読みたいと思っていた記事です。
僕は長いことガルウィングの車だと勝手に思っていました。
実際に試乗されたのは脱着可能なハードトップを載せたロードスターでした。

加速性能を細かく計測されています。
この辺りのレポートは今の雑誌と全く変わらないスタイルです。

このクルマも、当時の庶民が手に入れるにはかなりハードルが高かったことだろうと
思います。
僕はいまだに、自動車が高級な贅沢品であるという考えが抜けず、自分ごときが
持っているのは身のほど知らずで、いつまでも続けられるものではないよなあ、
とヒヤヒヤしてます。
カーグラの中身に話を戻します。
いずれにしても、今はまだ自動車を手に入れるのは大変だけど、これからみんなが
乗るようになるから、そこへ向かって頑張ろうね、というスタンスでありませんでした。
これは僕の完全な認識誤りで、そもそもこの雑誌が、自動車を持っている人たちを対象に
作られているので、そういう内容になっているのは当たり前と言えば当たり前。
ただ実際にこの雑誌を購入していた人の殆どは、まだ自家用車を持っていない人で
あったのではなかろうかと想像します。
ベンツのSL。ガルウィングです。

向かって右が石原裕次郎御大、左側が小林旭御大です。
ナンバープレートは剥き出し。

この方は中村勘三郎さん、先般亡くなった中村勘三郎さんのお父様ですね。
それにしても歌舞伎の人は何でこんな高級車に乗れるんだろう。
これまでの人生で、歌舞伎を観に行った、という人に会ったのは1人だけです。
結局、高級外車に手が届く人なんてごくごく限られているのに、それを特集している
現在のカーグラとスタンスは全く同じなんだなあ、と思いました。
これは決してカーグラをくさしているわけではありません。
むしろ反対で、55年の長きに亘って、庶民に夢を与えて続けて来て
くれたのだと、心の底から感服した次第です。
(ちょっとヨイショしてます。する必要もないんだけど。)
法定速度と指定速度

この頃既に、スピード超過に対する注意喚起の記事が書かれています。
白バイやパトカーに停められて罰金を払う事はみなさんの悩みのタネであったようです。

高速道路の走り方のレクチャー。
基本は変らずなんだと。

先達の大先生が書かれた記事です。
現代にもそのまま通用する中身だと思います。
これもそうなんですけど、とにかく自動車がありふれた日用品のような書き方をされて
いるように感じました。
投稿規定

すでに読者からの記事を募集している。
読者参加型というスタイル自体は、大昔からあったんだろうと思います。
新旧並べてみました。
自分が想像していたほど、創刊号のサイズは小さくありませんでした。
表紙以外はモノクロの写真ばかりでしたが、実に読み応えのある内容でした。
現代でも、雑誌を作るということは大変な作業であろうことは簡単に想像出来ます。
デジタルカメラもパソコンもない時代にこれだけの雑誌を作り上げたみなさんの
ご苦労はいかばかりであったかと想像すると恐怖すら感じます。
カーグラに限らず、他の様々な雑誌も多くの方々のご苦労のもと、同じように作られて
いたのでしょう。
それはともかく、カーグラ創刊号、クルマそのものも、そしてドライバーも、作り手も
読み手も、みなが共に成長して行こうという熱き志がビンビン伝わってまいりました。
憂鬱な週始まり、月曜日が半分終わりました。
以上!です。(^-^)