
何回も受けに行って落ちました。
学生の頃です。
当時、片岡義男の小説にかぶれてました。
大きなオートバイに乗りたかったのです。
まず中型の免許を取りました。
ちょっとこだわって、お金も勿体なかったので、教習所ではなく直接試験場へ行きました。
忘れてしまいましたが(イヤなことは忘れましょう)、確か4回目でやっと合格したように思います。
3回かな、でも5回は行ってないような。
その免許でスズキのGT185という中途半端な排気量のオートバイにしばらく乗っていました。
高校時分の同級生から安い金額で譲ってもらいました。
これで、信州と北海道へ行きました。
北海道はフェリーを使わず、地道を往復したのが小さな自慢です。青森から地道ぶっ通しで帰って来たのも小さな自慢です。
大型に乗るための限定解除審査、これは完全に忘れてしまいましたが、都合7回は行ったように思います。
※当時の古いメモを見ましたところ、
1982年の10月から翌年9月にかけて都合18回も行ったようです…。
2020.06.04記入
当時のことをご存じで、かつ私のように合格出来なかった方ならご賛同いただけると思いますが、落とすための審査、でした。
とにかく、受からない。落とされる…。
だいたい、公道を制限速度で普通に走らせるのに、400CCのオートバイと750CCのオートバイで大きな技術の差があるのか、と思いました。
取り回しが出来て、走り出せばおんなじやないか。
取らせたくないだけやろ、と思ってました。
それは今でも変わりません。
サーキットでのコーナリングがどうとかこうとかなら別でしょうが、公道をツーリング目的でゆっくり走らせるのに、400も750も差はないと考えます。
一般道の制限速度は60キロ、高速は100キロです。
750を乗らせないのなら400もダメ、です。
と言うより、自制心のない人には原付でも免許を与えてはダメでしょう。
結局、気持ちが続かず、大型の免許はもらえないままで、オートバイも降りました。

本当は、コオやミーヨのように高原のターンパイクを大排気量のオートバイで走り抜けたい
と思ってました。
ずっと時代が下って、教習所で規定の講習を受ければ免許が取れるようになりました。
日本で大型のオートバイが売れないことに業を煮やした欧米のメーカーの圧力によって制度が変わったと聞きます。
まさにその事実こそが、絶対的な必然性でもって審査を行っていたのではないことの何よりの証拠です。
あの意味の無い理不尽な限定解除審査はなんだったんでしょうか…茶番です…
まあ、そもそも750CCもの排気量のオートバイが必要ですか、ということなんですけどね…
今となってはもうそんなことはどうでもいいのですが、免許が「取れなかった」ことは私にとってよかったと思っています。
乗っていいよ、と言われても今は恐ろしくて、乗れません。※ラッタッターでも無理です。
トラックや、バスや、右側通行の自転車や、信号無視の歩行者が混在している一般道を剥き出しの身体で走るなんて怖過ぎます。
真夏にヘルメットを被って交通渋滞を縫って走るなんて拷問です。
ヘルメットをかぶって走るオートバイよりもオープンカーの方が風を感じることが出来るというのはロードスターを手に入れて初めてわかりました。
スミマセン、二輪を否定するものではありません。運動神経の鈍い私には向いていなかったんだな、というお話です。
2015.10.29 動画貼り付け
2020.05.05再度貼り付け
映画「彼のオートバイ、彼女の島」で
偉大なる大根役者、高柳良一君のセリフ、
「ひとっ走りどうだ。彼女の島へ」心に残ってます。
※ラッタッター → ホンダの名車、ロードパル。原動機付き自転車。
テレビコマーシャルでイタリアの名女優ソフィアローレンが
この単車にまたがり「ラッタッター」という掛け声とともに
エンジンを始動していた。(9/2追記)


Posted at 2014/08/31 06:05:42 | |
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