回線繋がった!
今日は第23夜、広島県から。北海道まで2000kmを切る。カウントダウンが迫ってきた。
本日も良い(良過ぎる)陽気だ。日焼けが進む。
一昨日、お風呂で改めて体を見回すと日焼けがひどい!服やサンダルの跡がくっきり。運転席に居ると特に右側ばかり焼ける。非常に黒い。家着いた頃には“たいめいけんのあの人”並になってるかもしれん・・・
それと虫刺されもそこかしこ。数え切れないほど腫れている。虫除けは持ってるものの、それをする前に寝落ちするのもしばしばだった。多分そこでやられている。痒すぎ!
さて、ここ竹原市は「安芸の小京都」と呼ばれ、屋敷や寺院等の古き良き街並みを見ることが出来る。
この「小京都」というワード、「全国京都会議」なるものがあり・・・
①「京都に似た自然景観や町並み」
②「京都との歴史的なつながり」
③「伝統的な産業や芸能がある」
のいずれかが該当すれば名乗ることができるらしい。前に「アド街」でやっていた。
駐車場は道の駅のを使うと良い。何と
竹原市観光協会公認!徒歩ですぐ“町並み保存地区”へアクセス可。周辺には道の駅臨時駐車場や有料ではあるがコインPも完備している。
このアニメ作品の舞台にもなっている。
でもこの作品は見てなかったので私も詳しくは知らなかった。今度見てみようかな。
でも作品にこの写真屋さんが登場したのは知っている。前に「アド街」でやっていた。←2回目
写真の「写」の字がいかにも歴史を感じる。

「アド街」は毎週録画して欠かさず見てたりする。とても面白い番組。「おまっとさんでした!」はもう聞けないけど・・・ ご冥福をお祈りします。
「弥生」、「昭和」、「原始」の次は「江戸・明治時代」へとやってきた。気分はド○えもん。
「ニッカウヰスキー」の創業者、竹鶴政孝の生家。連続テレビ小説で話題になったのは記憶に新しい。

北海道余市町にも縁が深いので、道の駅では広島なのに余市町のお土産が売っている。
ちなみに私はアルコールは嗜まない。考えてみればお酒ってちゃんと飲んだことないなぁ。
“初代郵便局跡”
ポストは当時のものを模してある。オブジェではなく、投函すればちゃんと届く。

ポストの色は黒。事業開始当初は「郵便箱」を「垂便箱」(たれべんばこ)と勘違いし、箱に「用を足す」人が多発したこと、当時の街灯のない夜道では目立たないのが理由で現在の赤になったとか。今では考えられないエピソード。
曲がり角の度にワクワクしてくる。
そう感じるのは「この先はどうなっているのか?」と人間の心理としてあるらしい。
一角に置いてあったカート。歴史ある町だけに尚更目立っていた。個人の所有物?
町並み保存地区の高台に位置する“西方寺”
その隣に建っているのは“普明閣”。
宝暦8年(1758)建築。京都の清水寺を意識して造られてあるそう。
そこからは竹原の町を見下ろすせる。何とものどかな時間が流れている。
道の駅に戻り、休憩していると1枚のポスターが目に止まった。それは“大久野島”の観光案内だった。
ドキュメント番組で「毒ガス製造をしていた島」と耳にしたことがあり、興味深かったので行ってみることにした。
道の駅から約10km、フェリー乗り場へと移動。
午後0:46 竹原市 忠海港
港に到着。船の往復チケット購入、大人往復620円。
カーフェリーでクルマで上陸だけは可能だが、島内は自動車走行禁止である。
午後1:30 忠海港 出港
遊覧船とカーフェリーが交互に出ている。遊覧船はすぐに定員に達するので早めに並んでおくのが無難。
海風が心地良い。
島が近づいてきたようだ。
12分で大久野島に着岸。徒歩で島を周る(レンタサイクルも有)。
1時間ほどで島を一周できる。
ウサギ達の楽園でもある。別名は“ウサギ島”。
かつて小学校で飼われたいた8羽のウサギが野生化、繁殖し現在は700羽ほどが生息している。
餌を貰えると思い、人が来ると近づいてくる。すまん、餌持ってないのよ・・・
そんなこの島も昔は毒ガス工場や要塞として使われていた。
戦争の「負の遺産」が随所に見られる。
実際に使われた毒ガス製造の器具。
当時、製造に従事していた人の心中はどのようなものだったのだろう?

従事者には後遺症として肺炎や呼吸器系の癌になる人がたくさんいたという。
“毒ガス貯蔵庫”があちらこちらに存在。

大久野島で製造された毒ガス総量は6,616t。戦後はGHQや政府が焼却や島内埋没、海洋投棄で処理をした。イペリットガス、ルイサイトガスなど非常に毒性の強いものだった。島の地下の土壌では今でも高濃度の砒素が残留しているそうである。
もちろん除毒作業はされているが、むやみやたらに遺構の壁などに触れないほうがいいかも知れない。
島で最大の規模、“長浦貯蔵庫跡”

直径4m、高さ11mの巨大なタンクが6つ置かれていた。タンクひとつは85tの容量だった。
内部壁面が黒く変色しているのは、火炎放射器で毒ガスを焼却処分した跡。
“北部砲台跡”
ガス工場のできる前、島は「芸予要塞」の一角だったため砲台跡も残る。24cm砲と12cm砲がそれぞれ4つ置かれた。
ガス製造が始まるとガスタンクを保管していた。台座部分が現存。
要塞時代に使われた“火薬庫跡”
壁面に黄色い部分があるが「MAG1」とある。朝鮮戦争時、米軍が使用し描いたもの。「MAG」は「MAGAZINE」の略、弾倉という意味。

また、屋根はトタンの簡素な造りに。万が一、爆発事故が起きても爆風を逃がすことができるようになっている。
“発電所跡”
工場稼動に必要な電気をディーゼル発電していた。
窓ガラスは全て割れ、異様な雰囲気。

以前は中を見学できたようが、現在は崩落の危険があるため柵がある。よく見ると内部に落書きが見えた。
発電所入り口は堡塁にトンネルが掘られている。
壁には「MAG2」の文字。さっきと同じく米軍が書いたもので、発電所の後は火薬庫として使ったそう。
“要塞時代の桟橋”はガス工場稼動後はほとんど使われなくなった。
ガス生産は陸軍が秘密で行っていたので、本州本土から丸見えのこの桟橋は都合が悪かった。発電所を堡塁で囲ったのも目隠しのため。

大久野島は「地図から消された島」としても有名。
午後4:29 忠海行きフェリー
さて、自分もその本土に戻るとしよう。
大久野島か・・・ 歴史の知識がまたひとつ。ここは是非行くべきだと思った。

クルマは臨時駐車場に停めている。警備員さんに「5時に閉めるからそれまでに戻って」と言われていた。忠海着が16:42、クルマまで歩いて10分くらいだからけっこうギリギリ・・・
午後16:42 竹原市 忠海港
実はこのひとつ前の遊覧船に乗るつもりが定員オーバーで乗れなかったのだ。少し焦ったかな(笑)

その臨時駐車場というのはジャムで有名な「アオハタ」本社の社員駐車場である。
本社が休みの日は観光客用に開放しているみたいだ。偶然この日は日曜日。ツイている!
午後5:26 国道2号線
岡山方面へ。夕食は久々に回転寿司にした。やっぱりパンより米。日本の誇りだ。
岡山県玉野市を寝床に決め、道の駅に走った。
前回と同じ駅、駐車位置も全く同じ。まさにリベンジ。
それでは、おやすみなさい・・・
《本日の移動》
広島県竹原市 道の駅たけはら → 岡山県玉野市 道の駅みやま公園
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