2000年10月28日
13時54分撮影
浅間火山サーキット跡地
6年前の今日も、土曜日だったんだね。
彼にとって最後のラリーになってしまった、あの日。
そして、完走できなかった、あの日。
■メルマガ Licence B 2000年12月01日掲載
「追悼・佐藤博史---私たちのラリーゴール」
2000年11月19日、私たちの気の遠くなるほど長かったラリーは、
ようやくゴールを迎えた。
ゴールして駐車場に車を入れると、サービステントはまだ設置された
ままで、サービス隊の高野君がそこに残っていた。
エントラントは各々ゴール会場へと向うのだが、私は大きな安堵感と
共に、そこに留まった。
サービステントに再び灯が点り、ワインのコルクが抜かれた。
チームの他の面々も次々ラリーを終えてくると、自然とそこで酒盛り
が始まり、組長鳥羽さんがSS見物から戻ってくれば、宴は最高潮に
盛り上がる。
誰も居なくなった駐車場にたったひとつ残ったテントは、自主表彰式
と称し、やけに盛り上がっていた。
三週間前の10月28日、
私たちのラリーは、それは悪い夢のようだった。。。
今年から私は、群馬の鳥羽さんのM'sファクトリーで、お世話に
なっている。
三週間前のラリーも、ここからスタートして行った。
・・・ファクトリーの仲間と共に。
そして私のナビゲーターに、パタリロ殿下こと佐藤博史を乗せて。
組長の鳥羽さんは、かつて全日本戦で活躍していた人だ。このラリー
では、若手の車を借りてのエントリーで、久々のエントラントだった。
そして鳥羽さんが殿下と再会したのも、数年ぶりのことだった。
その昔、ラリー会場で鳥羽さんが殿下を殴ったという事件があり、
当時かなり話題になったことがある。
要は、いつもの調子で酔っぱらった殿下が、わがまま勝手に他者を
中傷し、それが硬派な鳥羽さんの勘にさわって、思わず手が出た、
ということらしい。
そんな過去があったので、私が殿下をパートナーとして鳥羽さんの
前に現れることに、いささかの不安を感じ、前もって二人にはわざ
わざ確認をした程だった。
「あの時は思わずあんなことになったけど、すぐに和解したんだよ。」
ラリーのスタート前、数年ぶりに顔を合わせた二人は、少し照れくさ
そうに、けれども爽やかな表情で、男の約束を交わしていた。
「ゴールしたら飲もうなっ!」
「おおっ!」
ラリーは、浅間火山サーキット跡でのSSから始まった。そして第1
ステージのレッキへと出かけて行く。
レッキと言っても、ラリー区間になっていて、ちゃんとCPもある。
中上級のラリーでは近頃やらないラリー区間の処理に、あたふた
しながら、殿下はいつものようにジタバタパタパタと走り回る。
パタリロのゴキブリ走法。
彼にとって、パニック状態もラリーの楽しみのひとつで、いつも車の
中でじっとしていることなど無かった。
こうして、ラリー中と言えども周囲のエントラントやオフィシャルに
アピールするのが、殿下流なのだ。
そして私は、それをいつも黙って見つめている。
更に、殿下がわがままを言えば、はいはいと聞いている。
ムカつくことを言われても、心の中で拳を握る。
殿下の命令には逆らわない。だって、殿下だもん。
なんたって殿下は、子供みたいな人だから。パタリロだから。
レッキを終え、再び浅間火山サーキット跡地へ戻る。
あとはそこでSSをまた1本走って、第1ステージを終了する。
・・・筈だった、私たちも。
しかし殿下は、突然めまいを訴え、「変なんだよ、変なんだよ」と
繰り返し、ナビシートに崩れ落ちた。
それでも尚、殿下は車をスタートさせることを望んだ。
すぐに会場の整理に当たっていた朗君と、看護婦のゴマちゃんが
駆け付けてくれて、そんな殿下をなだめる。
「俺はいいから、走って来いっ!」
なだめられた殿下は、そう言い放った。
けどいくら殿下の命令だって、ラリーは一人じゃ出来ないんだよ。
それは無理ってもんだ。
既に体の半分が感覚を失った殿下は、そこで覚悟をしたようだった。
そして最後に言った。
「りかちゃん、ごめんね。」って。
いつもは、りかちゃんなんて呼ばないのに、、、
人に謝ることなんか、絶対に無い人なのに。。。
病院で、すっかり弱くなってしまった殿下に対面した。
わがままぶりは相変わらずだけど、でも、しおらしいのは、らしくない。
”まだ私たちのラリーはゴールしてないんだから、早く良くなって
一緒に走ろうね”って言ったのに、、、
あの人は結局最後まで人の言うことなんか聞いちゃくれなかった。
あの日から10日の後、パタリロ殿下は帰らぬ人となった。
享年43歳。子供のまま逝ってしまった。
そして、私たちのラリーを終える前に。。。
あの日、浅間火山サーキット跡地に置かれたままの私の車。
異変は、自然と周囲へと伝わっていった。
鳥羽さんにも、守司さんにも、田島さんにも、サービスの面々にも、、、
ファクトリーの皆に心配をかけた。
「やっぱり、心配で、競技に集中することなんか出来ないよ。」
ぽつっと言われた言葉に、涙が出てきそうになった。
競技者として、ラリー仲間として、男達のことも、、、そんなみんな
のこと、殿下のこと、自分のこと、いろんなことが悲しかった。
結局この日、M'sファクトリー・チームは、誰一人としてラリーを
まっとうすることなく、完走することすら出来なかった。
3週間後のラリー、私は本来参加する予定など無かったのだけれど、
結局参加することにした。
守司さんも、田島さんも参加する。鳥羽さんは車の都合がつかず競技
参加することは出来なかったけれども、チームの監督として参加する。
そして、再びファクトリーの面々が顔を揃えることになった。
ラリーをスタートする前に、守司さんは言った。
「今日は弔い合戦だから。。。」
結局守司さんの競技は、後半のSSで榛名山に弔われてしまったが・・・
それぞれの結果はともかく、皆それぞれの思いを胸に走った。
鳥羽さんも、皆の走りをその目で確認して、監督業とシェフ業に
専念した。
こうして、ラリーをまっとうした。
私たちのラリーが、ゴールを迎えた。
長く苦しかったラリーを、これで終えることが出来たと言う気持ちは、
誰しもが一緒だった。
大きな安堵感と共に、皆の気持ちがひとつになった。
私たち、ラリーの仲間だから、やっぱし走ることしか無い。
そして、いつもゴールを目指して、ひた走る。
一生懸命。
ただやみくもに。
大好きなラリーをまっとうする。
ラリーの楽しさを教えてくれた。
そして仲間の絆を教えてくれた。
ラリーに熱い人。。。
殿下に乾杯!
テントで酌み交わした酒の味は、ずうっと忘れられないだろう。