
最近、私のミニチュアカーコレクションは1/43スケールが主流になってきました。それこそ子供の頃から“手のひらサイズ”の
トミカは、現在に至るまで数えきれないほど購入し集めてきていますが、やはり作り込みの精密さを重視するコレクションアイテムとしては、国際基準とも言える1/43スケールがディテールの再現具合と収納に要するスペースのバランスから見ても、ベストという感じです。
こちらでも度々ご紹介しているように、最近では警察車両を中心としたコレクションを続けていますが、ここに来て1/43スケールとしては恐らく日本車では初めてのリリースであろう車種をコレクションに加えました。
それが、
トミーテックからリリースされた
トミカリミテッド ヴィンテージNEO 43の「日産・パラメディック」。救急車のミニチュア自体は
トミカなどでも人気のカテゴリーなので珍しくはないですが、こと1/43スケールで内外装を忠実に再現しているコレクションモデルとなると、少なくとも私の記憶では日本の救急車については初の商品化ではないかと思います。
救急車が日本に初めて登場したのは1933(昭和8)年の3月、横浜市の神奈川県警察部山下消防署に配備されました。これはアメリカ製のキャデラックで、今で言えばステーションワゴンでした。以来、警察と消防が別々の現在のような組織となって以降も、救急車は市民の生命を守る存在として全国で活躍を続けています。特に1991年の法律制定に伴う救急救命士の発足は大きな転換点となり、それまで搬送中の患者に対する医療行為は禁じられていましたが、この制度によって乗務している救急救命士が医師の指示を受けながら救急救命措置を施せるようになりました。
これに合わせて救急車にも変革の波が訪れます。
それまでは、あくまでも患者を迅速に医療機関へ搬送することだけを目的としていたため、極端な言い方をすればストレッチャーに寝ている患者を運ぶことだけを考えていたのが救急車だったのです。しかし、今度は搬送中の車内で救急救命措置を行うわけですから、相応の資器材を搭載する必要がありますし、それらを活用して措置を行うための余裕あるキャビンスペースも求められます。
しかし、救急救命士制度の発足に対して救急車の進化は当初間に合わず、例えば
東京消防庁ではアメリカのフォード車を導入するといった事例も見られました。しかし各自動車メーカーも迅速な対応を見せ、1992年にはトヨタ自動車が初の高規格救急車を発売。少し遅れて日産自動車も初代パラメディックを発売しましたが、トヨタのハイメディックはハイエースをベースとしていたのに対して、日産のパラメディックは小型トラックのアトラスをベースに仕立てられていました。
前者は患者を安定した状態で搬送するために乗り心地などを優先した結果であり、後者は多くの資器材を積載しつつ措置のために広いスペースを確保することを優先した結果だったと思われます。
全国の消防組織が次々と救急救命士を養成して高規格救急車の導入を進めましたが、1BOXベースとトラックベースはそれぞれに一長一短がありました。そこで自動車メーカーは更なる開発を進めた結果、乗用ミニバンをベースとしながらもホイールベースの延長やボディの拡幅でスペース効率も高めた、高規格救急車専用モデルをリリースするに至ったのです。
トヨタ、日産ともに高級ミニバンをベースとしつつも、患者収容スペースを大幅に広くとったモデルを用意して、全国的に幅広く受け入れられる高規格救急車の姿が出来上がりました。
さて、今回モデル化された日産パラメディックですが、Bピラー以降が拡幅&嵩上げされた独特のボディスタイル、広々とした患者収容スペースに用意されている医療器材など、細部まで良く出来ているという印象です。さすがにフェンダーの左先端に備わる補助ミラーは別パーツとなっていますが、それ以外はドアミラーを含め完成品として仕上げられており、例えば救急車らしいところであるリアセクションの半すりガラスなどもリアリティの高いものとなっています。
ちなみに実車のボディサイズを見ると、全長5,640mm×全幅1,900mm×全高2,480mm。ここでちょっと面白い比較をしてみると、前述の横浜市に配備された日本初の救急車、そのスリーサイズは全長5.3m×全幅1.9m×全高2.3mと、意外にも現代の高規格救急車に近いものだったのです。もっとも、日本初の救急車はボンネットの長いボディスタイルゆえに、患者収容スペースの前後長という点では高規格救急車が圧倒的に優れているのも事実ですが。
なお、救急車の歴史についてもう少し説明すると、横浜市に配備される一年前の1932(昭和7)年に
日本赤十字社が大阪に「救急自動車」を配備しています。これは、当時の大都市で交通量の増加が著しく事故が増えていたことに対応するために、路上救護所を
日本赤十字社が設けており、ここに配備されていたのです。
もちろん患者を医療機関に搬送する役目も担っていたのですが、あわせて機材の運搬などにも利用されていたそうで、現在の認識でいうところの救急車とは純粋に言えない部分もあったようです。この車両を「日本初の救急車」と解釈することも出来ますが、私個人の感覚としては行政に配備された前述の横浜市の車両を「日本初の救急車」と表現する方がしっくり来るように思っています。
MiniCar|トミカリミテッド ヴィンテージNEO 日産パラメディック高規格救急車
Posted at 2012/05/28 23:47:15 | |
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