2012年5月28日付のエントリに続いて、新たにコレクションに加えた“お目にかかることは無理”という車のミニチュアカーをご紹介したいと思います。
その車種はロールス・ロイスのシルバーレイスで1957(昭和32)年のモデル。さすがに55年の昔の車ということでクラシックカーの部類に入りますが、ロールス・ロイスの場合は名家で代々受け継がれているようなケースも珍しくありませんから、55年前のモデルでも絶対にお目にかかれない、というわけではないでしょう。
ただ、今回のモデルはその存在が余りにも特殊なもの。皇族、中でも天皇皇后両陛下が公式の場でお乗りになられる「御料車」と呼ばれるものだからです。
ご存じの通り、現在の御料車はトヨタ・センチュリー・ロイヤル。その前は日産プリンス・ロイヤルが使われていましたが、今回モデル化されたのはさらにその前の時代に使われていた御料車です。
そもそも、日本で天皇陛下の専用車たる御料車が誕生したのは1912(明治45/大正元)年のこと。御料車について詳細が記されている貴重な文献である、小林彰太郎氏の著書である「天皇の御料車」によると、大倉喜七氏を団長とする調査団が欧州に派遣され、自動車への造詣が深かった大倉氏の尽力によって、イギリスのダイムラーを購入したのだそうです。その後、1921(大正10)年になると、1920年式のロールス・ロイス・シルバーゴーストが導入されました。この車についてはロールス・ロイス社に記録が残されており、購入された2台はフーパー社製のリムジンボディが架装され、シャシーナンバー21UEと38UEだったそうです。これらは3号・4号御料車となり、デイムラーと併用されるかたちになっていたと思われます。
イギリス車が続けて採用されたのは、自動車としての完成度も評価されたのでしょうが、そのほかにも日本の皇室とイギリス王室の良好な関係、さらに日英同盟など政治的なつながりが強かったという背景もあったように推察されます。そして時代が流れ、1931(昭和6)年から5年にわたって合計7台の導入となった三代目の御料車が、メルセデス・ベンツ770でした。9年後には日独伊三国同盟が締結されますが、イギリス車からドイツ車に御料車が変わったのも時代背景なのかもしれません。
“グローサー”の呼び名でも知られる最高級リムジン、中でも初期型は僅かに117台の生産台数という稀少な存在だったそうです。この車は排気量7,665ccの直列8気筒エンジンを搭載、2台は日本に輸入されてから陸軍の手で防弾装甲仕様に改造されたとのこと。装甲によって4トンを超える自重となり、新車装着されていたコンチネンタル製のタイヤが摩耗すると、代替のタイヤは横浜ゴムに発注されて4トンを超える重さへの耐久性と耐パンクが高いレベルで要求された特注タイヤを24本納入したとのことです。
770リムジンは戦前から戦中、そして戦後と時代の変遷の中を走ってきました。特に戦後は全国巡幸に用いられ、7台のうち2台はリアコンパートメントを幌型に改造、沿道の国民から乗られている姿が良く見えるようにされました。
770リムジンの1台は、1970年代になってメルセデス・ベンツ社に譲渡され、いまもシュトゥットガルトにある同社の博物館で大切に保存・展示されています。
その770リムジンは、全国巡幸をこなしたこともあって老朽化が進みました。そこで後継車として選定されたのは、再びイギリス製のロールス・ロイスでした。戦後の一時期はキャデラックも非公式な場への外出用に使われていたそうですが、1957(昭和32)年に今回モデル化されたロールス・ロイスを導入。まずはシルバーレイスが採用され、その後にファンタムVも追加されるかたちで御料車として活躍しました。
その後、日産プリンス・ロイヤル、そしてトヨタ・センチュリー・ロイヤルと国産御料車の時代に入るわけですが、これはやはり日本が目ざましい戦後復興を遂げ、特に自動車産業が国を代表する基幹産業に位置づけられたことの証でもあるように思います。
なお、私の記憶する限りでは、日本の御料車のミニチュアカーはメルセデス・ベンツ770と、日産プリンス・ロイヤルについては商品化されたことがあります。前者はミニチャンプス、後者はダイヤペットがリリースしていました。また面白いところでは、実は日産プリンス・ロイヤルについてはトミカとしての商品企画もあったらしいのです。商品化に向けた試作木型までは作られたようですが、残念ながら販売は実現しませんでした。
MiniCar|TRUE SCALE 1950 ロールス・ロイス シルバーレイス 御料車
Posted at 2012/07/10 01:46:19 | |
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ミニチュアカー | 日記