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2011年06月15日 イイね!

はじめての“Nゲージ”

はじめての“Nゲージ”子供のころから自他ともに認める“乗り物好き”の自分ではありますが、頑なに手を出さずに今まで来ているものがふたつあります。そのひとつは本格的なラジコン、そしてもうひとつが鉄道模型の“Nゲージです。”

これまでには何度となく、「そろそろ手を出してみようか」と思ったこともありました。しかし、その誘惑を断ち切って現在に至っています。その理由は明快で、いずれも一度手を出してしまうと、凝り性の身ゆえに歯止めがかからなくなってしまうのは明白だからです。
特に“Nゲージ”は危ない。こうした模型モノに対してはリアリティを追求したくなる性分ゆえ、走らせるための車輛を購入するにしても実際の編成を再現したくなってしまいます。そうなると最近こそ短い編成のものも増えてきていますが、新幹線や特急列車について往年の最盛期を再現しようとすると、10両以上の編成を構築したくなるわけです。すると車輛の購入費用はもちろん、それを走らせるために必要となるレイアウトを組むためのレールなどにも、相当な出費が必要になるのです。
さらに自分の性格からすれば、単にレールを繋いで走らせるだけでは飽き足らず、駅舎などのストラクチャー類を買うようになり、最後は情景全体を含めた“ジオラマ”を構築したくなるのは間違いありません。そうなると、購入費用はもちろん、製作のための時間や場所の確保という問題が次々に生じることになります。

ゆえにこれまで手を出さずにきた“Nゲージ”。
しかしこの度、人生で初めて本格的な“Nゲージ”の車輛を購入する運びとなりました。

その車輛というのが、写真のものです。これは愛知県豊橋市で活躍している、豊橋鉄道株式会社の車輛。豊橋市内線を走っている「780形(モ783)」という路面電車です。

高度経済成長期にモータリゼーション社会が発展したことに伴い、全国で姿を消して行った路面電車。近年、環境に優しいことや市街地の渋滞緩和に有効であることなどを理由に見直されている存在ですが、未だに残っている路面電車のうちのひとつです。
この車輛は、同じ愛知県名古屋鉄道で使われていたものを譲り受けたもので、1997年頃に製造されたもの。戦後まもなく作られた“老体”も現役で走っていることが珍しくない路面電車のなかでは、比較的新しいものと言えるでしょう。ただし、やはりそこは時代を感じさせる部分もあるわけで、最新型の超低床タイプではなく、昔ながらの“鉄道”らしい佇まいとなっています。

780形」は全部で7両が現役で活躍していますが、その全てが車体全面に広告をまとうラッピングカラー車。そして783はお隣の新城市に工場を構える横浜ゴム株式会社の“ADVAN仕様”とされています。

モータースポーツでもお馴染みの“ADVANカラー”ですが、さすがにこの路面電車はレーシングマシンやラリーカーとは異なるデザイン。ただ、イメージーカラーである赤と黒でペイントされ、電車ならではの乗降扉部分や窓枠部分に赤色を巧く配して、精悍な雰囲気を醸しだしています。さらに自動車と決定的に異なるのは、車体にタイヤのイラストが配されている点。もちろんこの路面電車はゴムタイヤで走っているわけではありませんが、自動車よりも圧倒的に広い“広告スペース”を上手に活用しているのです。
 

N scale Train|HASEGAWA 豊橋鉄道市内線 モ783 “ADVAN号”
 
Posted at 2011/06/22 00:24:46 | コメント(1) | トラックバック(0) | 航空・鉄道・海運 | 日記
2011年06月14日 イイね!

誰もが認める“世界一”

誰もが認める“世界一”誰もが“世界一のクルマ”と認める存在といえば、ロールス-ロイスをおいて他には無いでしょう。
1906年に設立され、翌年に「シルバー・ゴースト」の愛称をつけられた40/50HPタイプは、その高い信頼性と動力性能、そして圧倒的な静粛&快適性能の高さから高い支持を集め、同社を世界のトップブランドに躍進させました。
貴族社会であり、階級制度が根付いているイギリスの自動車メーカー。その中でロールス-ロイスの顧客とは富裕層であり、さらにいえば上級車種についてはいわゆる“成り金”は相手にされず、王侯貴族など家柄や家業など素性の良さすら求められたと言います。

そんなロールス-ロイスのトップレンジに君臨しているのが「ファントム」。1925年に誕生、戦争をはさんで1950年にファントムIVとして復活、1990年にファントムVIが生産を中止するまで世界各国の上級顧客へとデリバリーされていきました。
このブランドネームはロールス-ロイスがBMW傘下になった現在も受け継がれていますが、個人的な印象としては現代のファントムは、より庶民化したように感じられます。東京都内では比較的見かける機会も多い現行のファントムに対して、1990年以前のファントムはまず目にすることもなく、並行輸入や中古車を新興企業のオーナーや結婚式場などで運用しているのを何度か見かけた程度です。
それもそのはず、全生産台数を見るとファントムIVは僅かに18台、ファントムVで516台、ファントムVIが374台と、3つのシリーズを合計しても世界中にデリバリーされた台数は1,000台に届いていないのですから。日本市場はファントムVIが正規ルートで19台の輸入実績があるそうですが、これではそうそうお目にかかれないのも当たり前という感じです。

今回は、そんな稀少で高貴なロールス-ロイス・ファントムのミニチュアカーを、コレクションに加えてみました。
全長6,045mm×全幅2,010mm×全高1,750mm、ホイールベースは3,650mmという堂々としたディメンション。V型8気筒・OHVで排気量6,230ccのガソリンエンジンが生み出すパワーとトルクは「必要にして充分」とされ、詳細な数値が公にされていなかったことは余りにも有名な話です。
ボディワークを担当したのは、名門コーチ・ビルダーであるマリナー・パーク・ウォード。職人が顧客の求めにも応じてハンドメイドで生み出すボディは、単に自動車という耐久消費財の枠をはるかに超えて、工芸品の領域に達しているといえるでしょう。もちろんそのデザインの秀逸さを前提として、細部の丁寧な造り込みには目を見張るものがあります。

まさしく高級車の中の高級車であるロールス-ロイス。もちろんそこには顧客から寄せられる絶対的な信頼があるからこそ、高いブランド価値が生まれているのです。この点、どんなに体裁を見繕って高級を自称したところで、“高額ブランド”こそ誕生するでしょうが、一朝一夕には“本当の高級ブランド”というものは生まれないということは、日本の自動車メーカーによって図らずも実証された感もあったりします。

新たに就任したアメリカ大統領に祝賀電報を送り、その文面で「これで閣下もロールス-ロイスをご購入になられる資格を得られました」と記した、とか。ファントムの購入を希望する新興成長企業のオーナーなどに対して、「貴殿には●●(同社の格下車種)の方が宜しいかと存じます」と、事実上の販売拒否をしてみたり、とか。事実は否かは確かめる術もありませんが、そんな伝説も残っている気高い自動車メーカーが、往年のロールス-ロイスでした。

ただし、顧客に対する徹底した手厚いサービスも、ロールス-ロイスらしい伝説を残しており、故障したオーナーの元へヘリコプターで駆けつけて修理した、などというストーリーはつとに有名です。
この話はオーバーにも思えますが、例えば、ロールス-ロイスならではの顧客サービスのひとつに“専属運転手教習所”がありました。これは、ロールス-ロイスのオーナーとなる人物が雇っている運転手に、ロールス-ロイスの運転技法にはじまり、運転手としての礼儀作法やマナー、、ロールス-ロイスの整備や維持についての技術などを教えるもので、ファントムを注文したオーナーは納車前に運転手をこの教習所に送り込むのが通例となっていたと言います。

こうした逸話を前時代的と言ってしまえばそれまでのことですが、やはりロールス-ロイスという自動車メーカーの偉大さに、改めて敬服せずにはいられない伝説の数々だと思います。


MiniCar|TRUE SCALE ロールスロイス ファントムVI 1966
Posted at 2011/06/19 19:45:04 | コメント(1) | トラックバック(0) | ミニチュアカー | 日記
2011年06月13日 イイね!

宿泊予約の変更

宿泊予約の変更一年を通じてモータースポーツ競技会の取材をしている身ですが、宿泊の予約手配というのはとても重要な業務のひとつになっています。
今どきの宿泊予約は全てがインターネット経由。ホテルの公式ウェブサイトからであったり、大手旅行ポータルサイト経由であったりと、パターンはいくつかありますが基本的には電話やファックスでの予約というのは皆無になっています。

今シーズンの分もほとんどは昨年から今年の初めにかけて予約を済ませていました。しかし東日本大震災の影響でモータースポーツカレンダーに大幅な変更が生じたこともあり、震災以降に出張スケジュールの見直しを図り、改めて手配の変更を行って現在に至っています。

そして、さらに6月に入って、震災の影響ではありませんが全日本ラリー選手権の第6戦について開催地の変更が発表になりました。
その大会とは9月最初の週末に北海道で開催されるもの。当初は昨年と同様に倶知安町で開催される予定でしたが、主催者から洞爺湖町に開催拠点を移して、名称を仮称ですが「ARK ラリー洞爺」と改めて行われる旨が発表されました。

●2011年 JAF全日本ラリー選手権 第6戦 プレビュー
ARK Autoclub of Sports  2011年6月8日

開催拠点は北海道でも有数の温泉地として知られる洞爺湖温泉。「2008北海道洞爺湖サミット」の開催で世界にその名を知られることになった、北海道を代表する観光地を舞台に熱戦が繰り広げられることになります。

この発表を受けて、出張に向けて宿泊地の新たな手配が早急に必要となりました。そこで早速、インターネットの旅行ポータルサイトで宿を検索。温泉地ということで宿泊施設の数は多いですが、いわゆるビジネスユースを主としたビジネスホテルはほぼ皆無、温泉ホテルのビジネスシングルプランを探す必要が生じたのです。
幸いに開催地変更の発表からそれほど間を置かずに探せたので、料金的にも施設的にも満足出来るプランを見つけて、急いで予約。お世話になっている関係各位の分もあわせて予約することが叶い、これで安心して取材当日を迎えることが出来るというものです。

「ARK ラリー洞爺」の開催日程は9月2日(金)から4日(日)。まだ競技の詳細などは明らかにされていませんが、おそらくは土曜か日曜、もしくはその両日に一般観戦が可能なギャラリーステージも設定されることになると思います。
競技の拠点となるのは温泉街にある洞爺湖文化センター。この一帯は前述の通り北海道を代表する観光地であり、洞爺湖や昭和新山、有珠山などのスポットにも恵まれているので、初秋の北海道観光とラリー観戦を組み合わせた楽しみ方が可能となっています。
さらにこの時期は、洞爺湖温泉では恒例となっている「洞爺湖ロングラン花火大会」も催されますので、夜には大輪の花火が洞爺湖の湖面を照らす美しい風景を堪能することが出来ます。

洞爺湖温泉は、道央自動車道の虻田洞爺湖インターチェンジが近くにあり、北海道の空の玄関口である千歳空港からは高速道路を利用して約2時間、海の玄関口のひとつである苫小牧港からは約1時間40分というアクセスの良さ。ちょっと足を伸ばせばニセコ方面や支笏湖方面を観光することも出来ますし、室蘭市では地球岬を観光したり、“やきとり”に舌鼓を打ったりという楽しみ方もあります。

さらに時間の余裕がある場合は、道南観光を絡めて函館市を観光してみるのも良いでしょう。函館と洞爺湖の間は、高速道路を利用して2時間30分から3時間程度の所要時間となります。

ラリーはひたすらに競技を観戦するというスタイルも良いですが、もっと肩の力を抜いて周辺の観光を主にした上で、その行き先で開催されている“大きなお祭りのひとつ”という捉え方で楽しんでいただければと思います。クローズドな民間企業が運営しているサーキットコースで開催されるレースとは異なり、地元により密着したかたちで開催されるラリー競技会は、春夏秋冬の四季にそれぞれ開催される地域のお祭りのひとつ、という位置づけになることが将来的にも必要なことだと思いますので。

夏休みの繁忙期を過ぎた時期の開催なので、航空運賃やフェリー料金も落ち着いているでしょうから、ぜひこの9月は北海道にラリー観戦を交えた観光に出かけて見ませんか?
 
Posted at 2011/06/19 17:15:34 | コメント(0) | トラックバック(1) | 取材・業務雑記 | 日記
2011年06月12日 イイね!

全日本ラリー選手権 第4戦・3 (福島 → 東京)

全日本ラリー選手権 第4戦・3 (福島 → 東京)がんばろう!福島 MSCCラリー2011」は日曜日になってDAY2に突入。5.0秒差のトップ争いがどうなるが面白い展開ですが、私は前日とは打って変わってこの日は林道のSS(スペシャルステージ)を撮影するのは見送り。朝のサービス風景を撮影して各車がステージへと向かうのを見送った後は、「鹿角平観光牧場」に設けられたラリーパークへと足を運んでみました。

行ってみるとそこは雄大な緑の牧場で、その中を突っ切っている道がリエゾン区間になっていました。ここをラリーカーが走ってくる光景は日本ではあまり見られない雰囲気で、競技区間ではないので各車ゆっくりした走行ではあるものの、まるでヨーロッパのラリーを思わせる絶好のロケーション。ファンが待ち構える中にやってきたラリーカーは一旦停止して、簡単なインタビューを受けて残るステージへと向かっていきます。

なかなか撮影環境もよく、面白いアイディアでもありました。しかし余りにギャラリーが少ない。それというのも、ほとんどこのラリーパークの存在を宣伝していないのですから当たり前といえばそれまでです。ラリーパークでの見学は無料。駐車料金も何もかからずに、選手とラリーカーを素晴らしいロケーションの中で間近に見られただけに、主催者のプロモーション不足は残念でなりません。出来ればコアなラリーファンではなく、地元の皆さんに多く足を運んでいただければと思っていたのですが、それは実現していませんでした・・・。

さて、競技の方はステージ内で事故が発生してSSが1本キャンセルになるなどのハプニングもありました。結果、序盤2つのSSで2番手の奴田原文雄選手が追い上げて、トップの新井敏弘選手との差を2.5秒にまで縮めてきました。しかし後半で新井敏弘選手がスパートをかけて逃げきり、14年ぶりに出場した全日本戦を堂々の優勝でフィニッシュしました。

競技終了後は結果の発表が大幅に遅れたために、表彰式などが終わって「ルネサンス棚倉」をあとにしたのが17時近く。既に残念ながら東北自動車道では激しい渋滞が始まっていましたが、お土産の調達という重要なミッションが残されていたので常磐道方面は使わずに、白河市へと移動。
無事に地元の銘菓を調達した後は、渋滞を嫌って国道4号でしばし南下。スムーズに走りきって宇都宮インターチェンジから東北自動車道。さすがにこの先は渋滞も無くスイスイと走り、22時には無事に帰宅するに至ったのでした。
 
Posted at 2011/06/18 16:40:51 | コメント(0) | トラックバック(0) | モータースポーツ | 日記
2011年06月11日 イイね!

全日本ラリー選手権 第4戦・2

全日本ラリー選手権 第4戦・2全日本ラリー選手権の第4戦、「がんばろう!福島 MSCCラリー2011」の戦いがスタートした土曜日。DAY1では7本のSS(スペシャルステージ)が設けられており、さらにSS4終了後にはサービスパークとなっているルネサンス棚倉においてセレモニアルスタートが催されます。

取材する側からすると、サーキットレースとラリーでは大きな違いがあります。
ともに競技のタイムスケジュールに沿って撮影や取材の段取りを考えるのは同じですが、あくまでもサーキットレースはサーキットという施設の中だけでの話。レース自体も距離や時間の長さに違いはあるにせよ、スタートからゴールまで、耐久レースではピット作業も挟みますが、だいたい世界中どこのコースに行っても取材のパターンというのは同じような感じになります。
決勝レースについてだいたいの流れを示すと、ピットまわりでコースインしていく選手や車輛を抑え、スターティンググリッド~1コーナー~主要コーナーとコースサイドをまわり、ピットインのタイミングで作業シーン、そしてフィニッシュから暫定表彰式となるわけです。もっともスプリントレースの場合はピットインがありませんが、広い敷地のコースではコースサイドからある程度のところで急いでフィニッシュ、暫定表彰へと移るので、少々忙しくなります。

これに対してラリーの場合は、取材の自由度がある面で大きかったり狭かったりと、全くサーキットレースとは感覚が異なります。
タイムスケジュール(アイテナリー)に沿って取材の段取りを考えますが、そのバリエーションはとても多く、個々の取材者が好きなようにパターンを構築することが可能。しかし一方ではメディアポイントがあるステージへの進入にはリミットの時間が定められているので、これを厳守することを大前提としてのスケジューリングも求められます。さらにサービスパークや各ステージ間の移動距離も、北海道などでは片道50kmを優に超える場合もありますので、こうした点も考慮して取材内容を決めなければなりません。

ということで、DAYのこの日は、朝一番のSS1からステージ内での撮影を行うことにしました。ラリーの場合は1本のSSで1回しか撮影チャンスがありませんし、リタイアなどで車輛がやって来ない場合もありますので、どうしてもSS1というのは撮影しておきたくなるポイントです。
残念ながらこの日は朝から雨模様、SS1に向かう途中では雨足も結構な勢いとなって、またまたフルウェットセッティングを施しての撮影を覚悟したのですが・・・。幸いに競技が始まるころには雨足も勢いを弱め、路面がウェットゆえに長靴こそ必須でしたが、雨合羽は無くても問題ないコンディションとなりました。

SS1からいきなりドタバタ劇で幕を明けたラリーでしたが、DAY1ではこの同じ道を3回再走することになっているので、SS3も同じポイントから撮影。当初はSS3を撮影したら山を下りてサービスパークへ戻ろうかとも考えていたのですが、SS1が中途半端な状態になってしまったので、ステージ内で別のメディアポイントへと場所を変えてSS6も撮影していくことにしました。
つまり、この日は朝の7時くらいから夕方の4時すぎまで、ずっと山の中にこもっていたわけです。食料や飲み物はそれ相応に買いだしてきているので困ることは無かったのですが、全ての携帯電話が圏外だったために、競技の展開や途中経過は全くわからず・・・。いろいろな状況はオフィシャル無線で情報を得られたのですが、細かい順位やタイム差などは不明だったため、山を下りたら“浦島太郎”のようになってしまっていました。

この日はSS1でブッチ切りの速さを見せた奴田原文雄選手が大きなリードを構築して幕開け。しかし、SS2からは14年ぶりの全日本戦出場となった新井敏弘選手がじわじわと挽回。SS6で逆転を果たして奴田原文雄選手に5.0秒差をつけてDAY1をトップで走り終えました。
トップ争いは完全に両者の一騎討ち状態、DAY2に残る約13kmで勝負が決する面白い展開となってきました。
 
Posted at 2011/06/18 16:21:58 | コメント(0) | トラックバック(0) | モータースポーツ | 日記

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各種取材やウェブサイトを中心とした制作業務を行なっています。 主なテリトリーは自動車/モータースポーツ、飛行機などの交通関係。 自動車は乗用車からトラッ...
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