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2012年06月20日 イイね!

さすがに実車は見たことがありません (2)

さすがに実車は見たことがありません (2)2012年5月28日付のエントリに続いて、新たにコレクションに加えた“お目にかかることは無理”という車のミニチュアカーをご紹介したいと思います。

その車種はロールス・ロイスのシルバーレイスで1957(昭和32)年のモデル。さすがに55年の昔の車ということでクラシックカーの部類に入りますが、ロールス・ロイスの場合は名家で代々受け継がれているようなケースも珍しくありませんから、55年前のモデルでも絶対にお目にかかれない、というわけではないでしょう。
ただ、今回のモデルはその存在が余りにも特殊なもの。皇族、中でも天皇皇后両陛下が公式の場でお乗りになられる「御料車」と呼ばれるものだからです。

ご存じの通り、現在の御料車はトヨタ・センチュリー・ロイヤル。その前は日産プリンス・ロイヤルが使われていましたが、今回モデル化されたのはさらにその前の時代に使われていた御料車です。
そもそも、日本で天皇陛下の専用車たる御料車が誕生したのは1912(明治45/大正元)年のこと。御料車について詳細が記されている貴重な文献である、小林彰太郎氏の著書である「天皇の御料車」によると、大倉喜七氏を団長とする調査団が欧州に派遣され、自動車への造詣が深かった大倉氏の尽力によって、イギリスのダイムラーを購入したのだそうです。その後、1921(大正10)年になると、1920年式のロールス・ロイス・シルバーゴーストが導入されました。この車についてはロールス・ロイス社に記録が残されており、購入された2台はフーパー社製のリムジンボディが架装され、シャシーナンバー21UEと38UEだったそうです。これらは3号・4号御料車となり、デイムラーと併用されるかたちになっていたと思われます。

イギリス車が続けて採用されたのは、自動車としての完成度も評価されたのでしょうが、そのほかにも日本の皇室とイギリス王室の良好な関係、さらに日英同盟など政治的なつながりが強かったという背景もあったように推察されます。そして時代が流れ、1931(昭和6)年から5年にわたって合計7台の導入となった三代目の御料車が、メルセデス・ベンツ770でした。9年後には日独伊三国同盟が締結されますが、イギリス車からドイツ車に御料車が変わったのも時代背景なのかもしれません。
“グローサー”の呼び名でも知られる最高級リムジン、中でも初期型は僅かに117台の生産台数という稀少な存在だったそうです。この車は排気量7,665ccの直列8気筒エンジンを搭載、2台は日本に輸入されてから陸軍の手で防弾装甲仕様に改造されたとのこと。装甲によって4トンを超える自重となり、新車装着されていたコンチネンタル製のタイヤが摩耗すると、代替のタイヤは横浜ゴムに発注されて4トンを超える重さへの耐久性と耐パンクが高いレベルで要求された特注タイヤを24本納入したとのことです。
770リムジンは戦前から戦中、そして戦後と時代の変遷の中を走ってきました。特に戦後は全国巡幸に用いられ、7台のうち2台はリアコンパートメントを幌型に改造、沿道の国民から乗られている姿が良く見えるようにされました。

770リムジンの1台は、1970年代になってメルセデス・ベンツ社に譲渡され、いまもシュトゥットガルトにある同社の博物館で大切に保存・展示されています。
その770リムジンは、全国巡幸をこなしたこともあって老朽化が進みました。そこで後継車として選定されたのは、再びイギリス製のロールス・ロイスでした。戦後の一時期はキャデラックも非公式な場への外出用に使われていたそうですが、1957(昭和32)年に今回モデル化されたロールス・ロイスを導入。まずはシルバーレイスが採用され、その後にファンタムVも追加されるかたちで御料車として活躍しました。

その後、日産プリンス・ロイヤル、そしてトヨタ・センチュリー・ロイヤルと国産御料車の時代に入るわけですが、これはやはり日本が目ざましい戦後復興を遂げ、特に自動車産業が国を代表する基幹産業に位置づけられたことの証でもあるように思います。
なお、私の記憶する限りでは、日本の御料車のミニチュアカーはメルセデス・ベンツ770と、日産プリンス・ロイヤルについては商品化されたことがあります。前者はミニチャンプス、後者はダイヤペットがリリースしていました。また面白いところでは、実は日産プリンス・ロイヤルについてはトミカとしての商品企画もあったらしいのです。商品化に向けた試作木型までは作られたようですが、残念ながら販売は実現しませんでした。
 
MiniCar|TRUE SCALE 1950 ロールス・ロイス シルバーレイス 御料車
 
Posted at 2012/07/10 01:46:19 | コメント(0) | トラックバック(0) | ミニチュアカー | 日記
2012年06月19日 イイね!

メンテナンス&取材 のち 台風

メンテナンス&取材 のち 台風前日あたりから日本列島に接近してきた台風4号。19日のうちには日本への上陸がほぼ確実な状態となっており、前夜からニュースや天気予報では暴風雨への厳重な警戒を呼びかけてきていました。

そんな中ではありましたが、当方はお昼すぎから外出。

まずは首都高速道路の湾岸線を東へと向かい、キヤノン・東日本修理センターを訪れます。こちらは私が使っているカメラ機材のメンテナンスでしばしばお世話になっているサポート窓口ですが、今回はコンパクトデジタルカメラの「PowerShot S5 IS」についてメンテナンスを依頼しており、修理が完了したとの連絡を受けて引き取りに赴きました。

この製品は2007年6月に発売されたもので、私が購入したのは同年8月のこと。つまり、既に丸5年近く使ってきているわけですが、この間にメンテナンスを受けたことは全くありませんでした。最近になってオートフォーカスの動作などに難が生じたことから、5年目にして初めてのメンテナンス依頼。
実際、使用年数からすれば代替も検討するところ。一眼レフと同じ外部ストロボを使えるのは便利なので、これを条件にすると「PowerShot SX40 HS」という製品が現行ラインナップでは候補になります。

しかし、決定的に「PowerShot S5 IS」が勝っているポイントと私が思うのは、単三乾電池を使えるという点。もちろん普段は充電式の単三電池を使っていますが、いざという場面ではコンビニエンスストアなどでも簡単に入手出来るので、専用電池を使う「PowerShot SX40 HS」への代替は見送って、メンテナンスに出した次第です。

無事に修理が終わったカメラを受け取った後は、湾岸線から環状2号、6号向島線と首都高速道路をリレーして常磐道へ。
そのまま北上して守谷サービスエリアで時間調整を行った後、谷和原ICの近くでインタビュー取材。夕食を兼ねての取材となりましたが、世界的なモータースポーツシーンで活躍を続けてこられたベテラン選手らしい、貴重な体験談やモータースポーツ文化にまつわるお話しをお聞かせいただいて、充実した内容となりました。

インタビューを終えたのは23時すぎのこと。
既に8年ぶりとなる6月の上陸を果たし、関東も雨が強まってきていました。事実、常磐自動車道は雨が容赦なくフロントウィンドゥに叩きつけてきますが、そこはウェット性能にも優れた「ADVAN dB(デシベル)」にも支えられながら、慎重なドライビングで都内まで移動。

首都圏では強風の影響でレインボーブリッジなどが通行止めになっていましたが、当方の帰宅ルートは幸いに影響無く。
無事に豪雨の中ではありましたが、今日のミッションを全てコンプリートして深夜の帰宅となったのでした。 
 
Posted at 2012/07/06 20:11:22 | コメント(0) | トラックバック(0) | 取材・業務雑記 | 日記
2012年06月18日 イイね!

最近、すっかりご無沙汰なもの

最近、すっかりご無沙汰なもの毎年6月の3週目といえば、モータースポーツの世界では「ル・マン24時間レース」が開催されることで、世界中の注目がフランスの名門コースへと集まります。1923(大正12)年に第1回が開催され、現在まで戦争による一時的な中断はあったものの歴史を積み重ねてきて、いまでは「世界三大レース」のひとつに数えられるまでに至っています。
舞台となるのはご存じ、フランス中部のサルテ・サーキット。周辺の一般公道を中心とした全長約13kmのコースが戦いの舞台であり、ここでその名の通り24時間、丸一昼夜にわたって栄光のチェッカード・フラッグを目指した戦いが繰り広げられます。

私自身は、2004年に一度だけ、現地を取材で訪れました。
24時間耐久レースそのものについては、主催者/プロモーターという立場で十勝24時間レースに立ち上げから4年間関わり、その後も同レースには参加者側やメディアなど、色々な立場で毎年携わってきましたから、少なからず“慣れ”もありました。
しかし、実際に現場を訪れてみると、やはり歴史の重みというか、文化としての24時間レースを目の当たりにして驚きの連続だったことが正直な思いです。

ある方に言われたのですが、24時間耐久レースと公道を使ったレースというのは、絶対に開催する地元の一般市民や行政、政財界の理解と支援なしに実現しないものです。そのふたつの要素をともに有している「ル・マン24時間レース」、来年は90周年を迎えようという歴史を築いてきたのは主催者や地元の多大なる努力によるものであることは間違いありません。

サーキットの周辺には多くの方がキャンプをしており、テントやキャンピングカーが並ぶ駐車場の一角にあった“緑色の小山”は今も忘れられません。この“小山”はレースウィークを通じてどんどん高くなっていることが遠目に解ったのですが、その正体は何なのかと調べてみたらビールの空き瓶だったのです。観客はおのおののスタイルで楽しみながら、レースを盛大なお祭りとして捉え、そこを走るレーシングマシンは山車、ドライバーは担ぎ手、といった位置づけになっているような気がしました。
そう、日本でいう三社祭やだんじり祭のような感じで、市民生活の一部なっていることを強く実感して、翻って日本国内のレースやラリーが如何に小さい器の中で行われているのかを痛感させられました。

元々、24時間レースは自動車メーカーが耐久性をアピールし、実験する場として活用したことが、盛り上がりをみせるキッカケのひとつになりました。そして今年はハイブリッド・カーが直接対決を果たしたように、ハイブリッドや電気自動車といった次世代自動車にとっての壮大な実験とアピールの場に、これからの24時間レースはなっていくのかもしれません。

それを思ったとき、日本で15年の長きに渡って歴史を重ねてきた十勝24時間レースが、2008年を最後に開催が休止されたままでいることが残念でなりません。
同レースにはハイブリッドカーも出場して総合優勝を飾っていますし、海外のチームが遠征してきたこともありますし。着実に基礎を固めて次のステージに向かうタイミングで休止してしまったわけですが、アジア唯一の24時間レースとして再び歴史を刻むことは出来ないものなのでしょうか……。
 
Posted at 2012/07/06 18:17:15 | コメント(0) | トラックバック(0) | モータースポーツ | 日記
2012年06月17日 イイね!

フェリー業界でも進む世代交代

フェリー業界でも進む世代交代ここをご覧いただいている皆さんは、カーフェリーを最後に利用されたのはいつのことでしょうか。
私の場合は年に2~3回の北海道取材も自走で往復していますので、本州と北海道を結ぶ航路を必ず利用しています。しかし、実際のところはカーフェリーでの旅というのはあまり一般的ではなく、生まれてから一度も乗船したことが無い、という方も珍しくないかもしれません。

国内には、知らない人にとっては以外と思えるほど多くの航路が存在しています。そのうち、瀬戸内や小笠原といった離島と本土を結ぶものを別にしても、北海道や四国、九州と本州を結ぶ長距離航路は比較的多く、主にトラック輸送を支える大動脈として機能しています。
もちろん乗用車やバイクなどで乗船する一般旅客向けの営業も行っており、近年では豪華さや速さなど、各フェリー会社は独自性もアピールしながら顧客の獲得合戦を繰り広げています。

近年、特に高速道路の休日特別割引は、フェリー会社の多くに大きな打撃を与えたことがニュースでは伝えられました。その結果として瀬戸内方面では廃業を余儀なくされたケースも出ているのですが、逆に橋やトンネルを使って自動車での往来が出来ない北海道については、青森や仙台といった定期航路の発着港までの高速道路料金が安くすんだこともあって、割引を活かしての顧客取り込みも行われていました。

ただ、それでも国内カーフェリー業界は安泰とは言えない状況にあります。
総務省統計局が発表しているデータによると、2009(平成19)年度の長・中距離航路フェリー旅客輸送実績は4,288,000人。1995(平成7)年は7,119,000人でしたから、実に40%ほどの減少が見られるのです。

そんな中、昨年から今年にかけては国内定期航路への新造船就航が話題になっています。

昨年は東日本大震災の影響で就航開始が遅れたものの、太平洋フェリーが名古屋-仙台-苫小牧航路に三代目となる「いしかり」をデビューさせています。これまでも豪華さと快適さを特徴としてきた太平洋フェリーですが、さらに機能やサービスに磨きをかけて上級個室などはシティホテルに全く見劣りしないクオリティで仕立てられています。

対して日本海航路で本州と北海道をつなぐ新日本海フェリー。こちらは、これまでは太平洋フェリーに対して豪華さでは譲る印象が強く、速さと機能性を強く訴求していました。
しかし、6月から7月にかけて敦賀-苫小牧航路に新造船の「すずらん」と「すいせん」を投入します。これらは一般旅客の需要に応えてプライバシー性を高めた個室を大幅に増強。さらに日本のカーフェリーでは初となる露天風呂を設けるなど、船旅の魅力を大幅にアップさせる充実したハードウェアが特徴となっています。

また、津軽海峡フェリーでは来年4月に、函館と青森県の大間を結ぶ航路に新造船を投入することを決定しています。この航路は片道1時間40分で現在は一日二往復していますが、一時は廃止も検討されていました。最終的には大間周辺の住民が通院や買い物などで函館までフェリーを利用しているケースも多いことから、青森側が支援を強化するかたちで存続が決まり、老朽化した船も新しいものに代替される運びとなりました。
なお、この船そのものこそが行政による支援であり、船は大間町から津軽海峡フェリーに無償貸与されて航路の存続が図られたということです。

時間だけで言えば飛行機や新幹線などに全く及ぶことの無い船の旅ですが、だからこそ感じられる非日常の世界は船旅ならではの醍醐味。船と寝台特急で往復する北海道旅行などは、それこそ時間をたっぷり使った贅沢の極み、と言えるのではないでしょうか。
 
Posted at 2012/07/06 17:37:29 | コメント(0) | トラックバック(0) | 航空・鉄道・海運 | 日記
2012年06月16日 イイね!

15年ぶりの再会

15年ぶりの再会雨の降る週末の土曜日でしたが、午前中から社用車1号機(日産フーガ 350XV)にて外出。
この日はたまたまレース関係者の方にお誘いいただき、歴史的に貴重なクルマを見せていただける機会に恵まれました。

その詳細については残念ですが写真も含めてインターネット上で公開することはできませんが、市販車や競技車両が多くの人の目を惹いていた中で、私にとって驚きだったのは15年ぶりに“ある車”との再会を期せずして果たすことになった事実。
その車とは市販車を改造したオープンカーなのですが、なにより完全な電気自動車であることが最大の特徴です。大相撲やプロ野球などの優勝パレードに登場するような、セダンのルーフを切り取ったオープンカーということで、使い方がとても限定される上に、最高速度の要求数値も小さく、走行距離も限られることから、試験的にコンバートEVとして電気自動車に仕立てられた一台だったのでしょう。

いまでは「i-MiEV」や「リーフ」といった本格的な電気自動車が一般市販され、誰でもオーナーになれる時代が到来しています。
しかし、今から僅かに15年前のことではありますが、私がこのオープンカーのコンバートEVに触れた当時は、まだまだ電気自動車は近くて遠い存在という印象でした。確かに研究開発は進められていましたが、まさかこんなに早く、誰もが買えるようになるとは思ってもいなかったのが本当のところです。

さて、このコンバートEVは、私が初めて自らステアリングを握った電気自動車だったことから、特に再会が嬉しいものでした。当時勤めていたサーキット場で開催された地域振興イベント、そこでは未来の自動車もテーマとしたエリアが設けられ、地元販売会社やメーカー各社の協力を得て、電気自動車の展示や試乗会を行ったのです。

そこに津軽海峡を渡ってやって来ていた電気自動車の1台が、この日再会した車そのものでした。
キャリアカーで運ばれてきた車を屋根つきのガレージに収納するためなどに運転したのですが、パレード用のオープンカーということで、ミッションは1速オートマチック状態。もちろん2ペダル、独特の発進時の大きなトルクもしっかり感じられましたが、現代の電気自動車と比べれば制御も大雑把な感じで、取り敢えず動く、という程度だったようにも思えます。

しかし、音もなく(厳密にはモーター音はありますが)、やや大柄なボディが不足無くスーッと加速したことには驚きましたし、将来の可能性も確かに五感へと伝わってきました。一方でラゲッジスペースを埋めた大量の電池と、取り扱い要項にあった航続距離に関する注意事項を読んで、果たしてこれが実用的になるには何年かかるのやら? とも思ったものです。

あれから15年、電気自動車は決して特別な存在ではなくなりつつあります。
もちろん性能的にはまだまだ進化させるべき余地が残っていますし、インフラ面の整備や充電規格統一の問題など、クリアすべき事項も多々残っています。
しかし、今ではハイブリッドカーが全く街中で違和感無く見られるようになったのと同じく、あと10年もすれば電気自動車もそんなに珍しい存在ではなくなっているのかもしれません。

私が初めて体験した電気自動車が、今もこうして世に残っていることを知って、嬉しくなった一日でありました。


※写真と本文は関係ありません。
 
Posted at 2012/07/06 15:42:01 | コメント(0) | トラックバック(0) | 取材・業務雑記 | 日記

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