「香春岳は異様な山である。けっして高い山ではないが、そのあたえる印象が異様なのだ。福岡市から・・・」
という書き出しで始まる、五木寛之氏の小説「青春の門」。若い人は名前くらいは知ってるかと。
小さい頃から読書好きだったし、映画やテレビ化されていたんでもちろんボクも知っていました。
数年前にふとしたことから初めて訪れたこの福岡県の田川市ってところ。
普通に仕事していたら、長崎市民はなかなか行くところじゃありません。
それが一度行ってから何故か?気になってしまい・・・。
しかし、なかなか機会もなく、遠いしそれから行けず・・・昨日は意を決し他にも理由をつけて行って来ましたよ(^_^)。
これが向かいの岡から見た香春岳。手前から一の岳、二の岳、三の岳と呼ばれているようです。
この辺り(ここから東にかけて)は石灰岩が採れるらしく、一の岳は山頂から削られ確かに異様な感じがします。
青春の門が書かれたのは50年くらい前、当時よりもっと山は削られ低くなっているんでしょうね。
今も採掘が行われているのか?山肌に白いものが見られます。
そして、ここ田川市一帯は「筑豊」と呼ばれエネルギーが石油に代わるまで日本の成長を支えていた石炭の産地だったようです。
香春岳の写真は炭鉱跡地につくられた「石炭記念公園」から撮影したものです。
主たる動力源が電気になる以前は蒸気が主流。ボイラーで石炭を焚いた時の排煙用に高い煙突が当時のままで2本残っています。
高さは40mちょっとだったかな?近づくととても高い。
そして地底から石炭を運び上げ、人を降ろしたり上げたりの竪坑櫓も残っています。
これもまたかなりの大きさですね。
広い公園には炭鉱で働いていた夫婦の像がありました。
過酷な仕事でも夫婦で助け合い生活していたんでしょうね。
そして、昔の盆踊りとかで歌われた「炭坑節」の発祥はここらしい。
歌詞に「三池炭鉱の♪」って出てくるんで大牟田かと思っていましたが!?
いずれにせよあの高い煙突からの煙がお月さままで届いてってのは歌としては納得してしまいます。
記念公園の中には「石炭歴史博物館」があり炭鉱関連の資料が展示されています。
当時の従業員が生活していた住宅があったり。
石炭を運搬していたSLとかも。
軍艦島もそうだったけど炭鉱事業が華やかかりし頃は最先端の設備が導入されていたようです。
仕事がたくさんあるところには人もたくさん集まるし、お金もたくさん動く。
当時のこの町には娯楽の映画館が数多くあったそうです。
そして、高価なお菓子もよく食べられてて・・・ちなみにお菓子の「ひよこ」は東京じゃなくこの隣の市が発祥のようですよ。
軍艦島と同じで炭鉱がなくなった後は、人も減りここも急速にしていったようです。
繁栄と衰退というのは昔からこの世の常なんでしょうかね?
永遠っていうものはありえず、終わりはいつかやってくる筈。
それをどうやって引き伸ばすのか?別のことを考えるか?
昔はそんなことまったく考えなかったけれど、年齢を重ねるにつれ思い感じるようになりました。
日本がどうやって今を築いてきたのか?こういう施設は大事にしていってもらいたいものです。
おっと、この町を訪れたもう一つの理由・・・昼ビール飲んだら眠くなったんで次の機会に(^o^)。
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Posted at
2016/08/28 13:30:50