
こんばんは~。
今日も

のお話しを。

これ、TT250に乗るまでに様々なオフロードバイクに跨ってきました。
まずは。
YAMAHA
MR50
1977
これは兄が大学生の頃に通学で使ったバイクです。
やがて、兄もトヨタ カムリを手に入れて
これが僕のモノに
その当時はリミッターなど存在せず、ホントに廻せば廻すほどスピードも出て、楽しめた一台でした。
そして、やがて暫くすると、衝撃的なオフロードバイクが出現しました。
それが、これ。
1982年にはデザインやカラーリングが変更され、新開発の水冷2スト単気筒エンジンを採用し、16馬力へ。ヘッドライトが角型へなる。
いやあ。これはホントに今見ても古さを感じさせないデザインですね。
今回の
と同じように、これは絶対に乗りたいと言う気持ちがあり、給料を二か月間我慢して無駄遣いせずに
購入しました。
これもいろんな場所へツーリングに行きました。
広島にフェリーで行ったりして、ビデオ撮影したのを今も鮮明に覚えています。
あの頃はしまなみ海道はまだなくて、船旅でしたが、逆にその方が今は趣きがあって良かったですね。
そして、お次はこれ。
1984年4月に発売された。空冷ハスラーシリーズの生産終了後、後続モデルという形で発売された。姉妹車としてRA125も同時発売し、暴力的な加速とピーキーなエンジンが話題を呼んだ。
キャブレターには高度自動補正機能(AAR)が搭載されており、高地でもパワーダウンする事無く走行ができる。
これはホントに凄かった。軽い2ストサウンドとは裏腹に油断すればすぐにウイリー状態になる
モンスターでした。
・・・・・・・・・・・でしたが、その数日後、タクシーのどてっぱらに突っ込んでお釈迦。
でも、ほんとにすごかったマシンでしたね。
で、暫くはオンロードバイクに浮気しましたが、やはり、いろんな道を走れるバイクの方が
性に合っていると思い、これを。


80年代に入ってRZ250を主とした250cc強化路線を突っ走ったヤマハが4スト・オフでも刺客を送り込んだ。それがXT250Tだった。
とにかく、大柄な車体でしたが、サスがソフトで、乗り心地は凄くよかったのを覚えています。
しかし、その当時はまだ2ストのバイクも存在してて、同じ、ヤマハのこれに乗りかえしました。
それがこれ。
DT200R(37F)/1984年
乾燥重量99kgの軽量コンパクトボディに、排気可変バルブYPVS、吸気ガス向上システムYEIS採用の30PS水冷2スト単気筒エンジンを搭載。YSP特別仕様車もあった。
そうですね~。例えるとしたら125ccの車体に200ccのエンジンを載せた感じでした。
でも、やはりコンパクトゆえになんとなく物足りなさを感じるのは否めませんでした。
で、これに。
これ、レッドバロンで購入しました。
最初は足つき性の悪さに買ったのをすこし後悔してましたが、やがてそれも長所に変化して
今までに至っています。
ちなみに
ヤマハ DT200R (1988年)
これも欲しかったんですが、やはり、
このオーストラリア仕様と言うのに魅かれてこちらにしました。
後しばらくで
こいつともお別れなんですが、もしこれが無ければ、
オイル漏れ。
ずーっと、乗りたかったです。でも
時の流れは残酷なもので、こうなってしまいました。
その時に頭の中をよぎったのはこの曲。
TEENAGE BLUE / THE MODS
https://www.youtube.com/watch?v=hyaPlYB0GYw
これを思い出しました。
歌詞は書けませんが、正に今の状況に当てはまると思います。
最後に一言。
たかがバイク。 されどバイク。
ありがとう。
そして


これから宜しく。
明日もこれのネタです。
おやすみなさい。
Posted at 2018/09/10 21:26:22 | |
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