
雨後ち曇り。午前中は雨で、午後からは時折り薄日も差す。
終日、肌寒い。
今日は町内の
一斉清掃と、初の防災訓練が予定されていた。
清掃は年に2回くらいだろうか。もっとあるようにも思えるけど、それだけ月日の経つのが早いのか。
いつもは午前8時からなのだが、今回は防災訓練も先にするので、なんと7時15分の集合。
そんなに早く出るのは、私一人ならともかく、認知症の母がいると、食事とかどうする。ただでさえ、モタモタして時間を取られるのに。いったい、何時に起きればいいんだ。
ところが、天気予報は雨。どの天気情報会社を見ても雨。
それでも、予報が外れる事もあり、一応は準備だけしておかないと。
いっそ、1回で早く済んで欲しい。
予報では、かなり降るみたいなので、ガレージ(カーポート)の奥のネットだけ部分に、雨避けのシートを巻き上げてあるのを下ろして、雨に備える。
その後、23日に日付が変わる頃から降りだした。
午前3時過ぎだったか、階下の音で目が覚め、慌てて降りていく。既に母はオシッコを済ませたところで、案の定、
便器の前に大量のオシッコをこぼして、スリッパで踏んでいた。
その時点でも、雨がよく降ってたので、もうこれは防災訓練などは中止だろう。
目覚ましもかけずに寝てしまい、次に起きたのは7時だった。
ちょうどスピーカーで何かを言ってる。雨の中、窓を開けて、そば耳を立てないと、何を言ってるかなんてわからない。
「防災訓練は中止です」 やれやれ。
私がトイレへ行くと、母も起きて来てトイレへ。そこできばって、ウンチしたようだ。
母は「もうちょっとしようと思うのに、詰まって出えへん」とか言ってた。昨日はしてないので、便が堅くなって出にくいのか。
しばらくそうしていて、もう出ないみたいなので、ウォシュレットでお尻を入念に洗わせる。貯湯式なので、それが無くなるまで。
ところが、私が用意した厚く取ったペーパーで拭かせると、なんとベットリとウンチが付く。あれだけシャワーで洗ってるのに、どういう事だ。ちゃんと当たってないのか。
お尻を自分で動かせたり、ノズルを前後させるモードにしたりで、再度、お尻を洗わせるが、紙で拭くと、やっぱりベットリとウンチが付く。
もう一度、計3回ウォシュレットをして、なんとか付かなくなる。
こうして朝、ウンチしたら、もう一日はしないだろうと安堵して、寝てしまった。
外は雨で薄暗く、水やりの必要もないという安心からか、
次に目が覚めたら、なんと正午前だった。
こんなに寝たのは久々だ。今年は初めてだし、それ以前にも記憶が無い。
昼過ぎになって、朝食?の支度。
雨は昼には上がったけど、気温は低めで、窓を開けてると、半袖のTシャツ1枚では寒いくらい。
急に秋になった感じだ。
昨日のディサービスと、先週だったか、2度に渡って、ディサービスで
外出した時の母の写真をもらって来た。
随分と前のもので、2枚は1月の初詣の時の、もう2枚は4月の花見の時の。
最初の画像が1月で、その写真に映る母は、一人で立っていて、まるで普通の健常な人が、旅行か散策に来た時の写真のように思える。
もっとも、この1月の頃に比べると、
今は随分と認知症が進行したように思える。
何年も前から、あまり進行しないように思えて、直前の記憶が無く、屁理屈だけが達者で、口では太刀打ち出来ないような状態がずっと続いていた。それが今年は違ったように思う。
そもそも、母の認知症がいつ頃から始まったのか、記録も無いのだけど、2005年の年末に、私が車で出勤途中に家のすぐ近くで、人生初めての人身事故を起こして、その時に既に母は認知症だった。事故の事を母に話すと「エッ!どこで」と驚くけど、すぐにその記憶は無くなっていたのだ。
事故の内容については、
こちらの整備手帳で簡単に解説してる。
当時は相手の爺さんの見舞いに病院へ通うのと前後して、前には父が、後には母が入院して、病院通いが日課になるほどだった。
もう一枚の写真は以下の花見。(いずれもプリントされた写真をスキャナで取り込んでる)
母は太った左側。
こうした写真を見ると、ディサービスでは外へ連れ出してもらったりして、楽しく、充実してるようにも思えてしまう。
一方で、家では私に怒鳴られてばかり。そう思うと、ディサービスに行ってる間のほうが、
家でいるより幸せではないかと。
なんか、この写真を見て、
私も反省してしまう。
もっとも、毎日、腹の立つ事ばかりをしてくれるわけだから。
そして、ディサービスのように、常時、相手をしたり、見張ってるわけにもいかないから。
ともかく、
ささいな事でも腹が立つのだ。
食事中は、何度注意しても、その尻から、皿や椀を手元から前方へ押し出しておいて、その中身を遠くから取って食べようとして、次々と手前にこぼす。
トイレでは、私が厚く用意した紙を手渡しても、なかなかそれで拭こうとしない。また拭いた紙を捨てようとしない。
いずれも、警察が拡声器で犯人に、繰り返し呼びかけるがごとく、大声で「それで拭け」「拭かんかい」「拭け言うてるやろ」とか、「捨てろ」「早く捨てろ」「そこに捨てろ言うてるやろ」「捨てんかい」と叫び続けなければならない。
気の長い人間でないと、なかなか対応出来ない。
男性による介護は、完全主義というのか、こうでなければならないとか、こうしないといけないとか、義務感にさい悩まれ、ストレスが高じて、やがて被介護者を殺害するケースも多いとか。
そうした事を十分に注意しないといけないとも感じる。
夕食の支度が遅くなってしまった事もあり、簡単にする(いつも簡単だけど)
ディサービスの日には、ご飯を炊かない(炊飯土鍋で3合炊いて、2日に分けて食べる。2日目にその土鍋を洗う時は、大きなフライパンは同時に洗わなくて済むよう、使わないようにする。ご飯を炊いた日はフライパンを使って、肉などを焼く。が、ディサービスの日は母は昼食を食べて来て、食欲が無い。それで、ディサービスの日はご飯は炊かず、フライパンも使わない)ようにする為、調整日として、1日はご飯を炊かず、炊いたご飯も食べない。
それで、生協の冷凍物のオムライスにする。レンジでチンするだけ。
野菜豆は袋から出すだけ。大豆と人参、ゴボウ、シイタケ、コンニャクなどが炊いてある。
汁物だけ作る。マイタケ、エノキ、豆腐、ほうれん草。卵は無し。オムライスなので使わないし、生協が週に1度6個入りを持ってくるから、1日は卵無しとなる。
画像のオムライスの端が切れてるのは、そこを父の仏壇に供えたから。
母はこのオムライスは早々と食べた。大豆も食べた。
汁物のほうれん草やマイタケは、なかなか食べない。うるさく言って、なんとか全部食べさせた。
私は小さなカップの納豆を、それだけで食べた。
それでも、ちょっと物足らず、バナナを食べた。
母も少し食べ足らないような感じだった。しかし、今日は朝食が遅く、昼食となってしまったので、日頃、家では昼食は抜きだから、その事を思えば、食べる量は少なくてもいいのでは。