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ズグロンのブログ一覧

2021年12月22日 イイね!

12月21日、12回目のお墓参り

昨日で、大切な方のすべての月のお庭をみれたことになりました。
それは、とってもとっても嬉しいことで、、、





童話「森は生きている」みたいに全ての月にそれぞれの精がいるみたいに毎月姿を変えて、一年中お花を咲かせるお庭であることが確定しました。←凄い!(*^^)/~♡




難しい本ばかり読んで気難しいと言われていた人が、こんなにお花を咲かせることにこだわり、ずっと大切にしていたことも、
素敵な一面を知ることができて、本当にとっても嬉しいのです。




このお墓参り12回の間に、緊急事態宣言や、地震で新幹線運休等、いろんなことがありましたが、無事にやり遂げました。
後は、初めてお墓参りをしてから一年後の来年1月に、一年をやり直ししたよ!とお墓に報告したら、私はきちんと自分の気持ちを整理しなくてはいけません。
今年は、あんなことも、こんなこともしちゃうよ!と楽しい話をたくさんできたらいいな(. ❛ ᴗ ❛.)

22日が病院で再検査になってしまったおば様と一緒にお墓参りをしながら、たくさん楽しい話をしました。
いつもランチをしていた岩沼リゾートホテルが閉鎖してしまったので、お墓やおば様の自宅からは少し遠くなりますが、今回はウエスティンホテル仙台で和食ランチをしました。←おば様が食欲はめちゃくちゃある!というので(笑)
検査まで待たされていることが、ずっとストレスだったらしく、毎日山歩きをしていて、山を掃除するボランティアにまで参加していたというおば様の話は、本当に素敵でした。

この岩沼リゾートホテル、ずっと泊まってみたかったのですが、先月やっとコテージにたくさん泊まれました!
コテージは軽井沢プリンスホテルのコテージに似ていてとても快適でした。なくなってしまって凄く残念です。

おば様は、検査の前日にお兄さん←大切な方
とお話したかったみたいで、お墓参りが今日だったらいいのにと思っていたから、今日来てくれて本当に良かった!と、とても喜んでくれました。
私達、やっぱり以心伝心なんだわ( ˘ ˘)♡

TELでいつにしようか、おば様とずっと相談していたのですが、雪予報に振り回されてなかなか決まらなくて、早朝5時に目が覚めて、な、なんか今日行きたい!となって、始発のはやぶさに乗り、まだおば様は寝てると思って仙台に着いてからTELしたのですが、本当に今日にしてよかった。だって凄くキラキラした快晴で、車ではエアコンもいらないくらい暖かかったんです。おば様も驚いてホッカイロをべりべリ剥がしてました(笑)

それからズグロンにはもう一つの楽しみが(*^^*)
実は仙台駅の朝早くからやってるお蕎麦屋さんの、ここの鮭おにぎりが大大大好きなんです♡



ふっくら柔らかいお米、ラップに包まれているというのに海苔もご飯もベチャベチャしていなくて、絶妙に素晴らしい塩加減。初めて食べたときは、な、な、なんだこれは!と驚き、お蕎麦食べてるおじさんたちに、ねぇ!ねぇ!みんなおにぎり食べたことある?!と思わず話しかけたくなりました。

で、昨日はもう我慢できずに、お蕎麦屋のおば様に、このおにぎりがどれだけ美味しいかを語りました!そしたら「えーーー、凄く嬉しい!毎日一生懸命握ってるから!うわー嬉しい」と喜んでくれました。
勇気をだして語って良かった(*^_^*)

ズグロンはおにぎりが大大大好き。
だけどデパ地下のいわゆる高級?おにぎりをあまり美味しいと思ったことがありません。
たまに、このようにとても美味しいおにぎりに出会うと、本当に感動してしまいます。

夕方には東京に戻り、直ぐにつかれて夕食を食べずに爆睡し3時に起きてしまった今、そのおにぎりが食べたくてたまらないズグロンでした。
Posted at 2021/12/22 04:03:39 | コメント(0) | トラックバック(0)
2021年12月18日 イイね!

信頼する人を失うということ

ブルーノが亡くなった病院を紹介した、近所のバードクリニックの〇〇先生を、私は11年間ずっと信頼して、ずっと恩を感じていました。

初めてももっぴを診てもらった日から、本当に本当に何度も我が家のインコ達はこの先生に助けられました。

ももっぴの事故は夜だったので、救急病院しかやっていなくて、そのバードクリニックは行けませんでしたので、
〇〇先生はももっぴの死を知りませんでしたが、
後に迎えた、ブルーノ、黄色ちゃん、かぼちゃんを健康診断で連れて行ったときに
「ももっぴちゃんは?」と聞かれて、初めて伝えました。


事故にあわせたことを、先生は感情をだして叱ってくれました。


それは、震えるほどにうれしいことでした。
初めて、本当に初めて、私の苦しみより、ももっぴに寄り添ってくれた人だと思えたからです。

「ももっぴの最後は、先生に診てほしかったです、、」と、泣きながら精一杯、それだけなんとか声をだして伝えました。

ももっぴを気にかけ、ももっぴのために怒ってくれた人。ももっぴのたった一人の味方でした。

ありがとうございます、、ありがとうございます、、と、心で何度も言いました。

今まで、私のために何でもするよと言ってくれる人はたくさんいましたが、
私は自分のことで何かしてくれる人を求めたことはありませんでした。
私がいつもずっとずっと心から求めていたのは、私が大切なものを一緒に守ってくれる人でした。

守れる能力もないのに無防備に愛するものをつくってしまい、本当はいつもずっと不安でたまらなく怖かったのです。

先生は、初めて会ったときからずっと、私が愛するものを守ってくれる人でした。

ですがブルーノは、私の信頼が原因で亡くなりました。
あの病院に行ったときから、違和感と不安しかなかったくせに、先生が信じている人なんだからと、私は信頼を優先したんです。

知らない遠い場所で知らない人のもとで亡くなったブルーノの亡骸は、いったい何をされたらこんなに苦しんだような亡骸になるの!という状態でした。

〇〇先生にそれを言うと「そうかな?普通だと思うよ」と優しく私に言いました。

私は、納得がいかないあの先生をかばう言葉をたくさん聞きながら、


たくさんの怒りや言葉を飲み込んでいました。

先生は悔しくないんですか?あんなに一生懸命治療してくれて、あんなに元気で退院させたブルーノが、一日もたたないでこんな姿になっていることを。

私は先生をずっとずっと信頼して、だから不安に感じながらも家に帰り、先生を信じようって我慢したんですよ。そうじゃなかったら、当たり前に直ぐに連れて帰るほど酷い病院だったんですよ。

どうして、ちゃんと引き継ぎがされていなかったのですか?
あの先生は、先生がお話しているような先生ではなかったです。

本当にたくさんたくさん言いたいことを飲み込んだんです。

先生は今までずっと助けてくれた恩人だから、って。


 あんなに鳥を愛していた先生が、こんな筋の通らない話を押し通そうとするくらい、ブルーノより大切におもう後輩なんだ。
そして、当たり前だけど、私の言うことより、後輩を信じている。何を言っても私を信じることはないんだ。
と思ったからです。

ブルーノをこんなかたちで亡くした悲しみのなかで、
信頼していた人が味方じゃないという現実。

息ができないくらいの苦しさでした。

恩に縛られ、ブルーノのために怒ることすら出来なかった私。
私の信頼のせいで犠牲になったブルーノ。

事故で死んだももっぴですら、私の手の中で、今までにないくらいの美しい羽と穏やかな表情で時を止めて安らかに眠ったのに。


あの日私はブルーノと一緒に、唯一と言っていいくらい、素直に泣いたり頼ったりしていた場所、そしてずっと信頼し続けていた人を失いました。

自分の脳から心、肉体ヘと本当に壊れていくのが、はっきりわかるくらいの痛みでした。


だから一年後に、
みん友さんのインコのためになにか参考に、、、と、

またあの文鳥のアメブロを読み返したとき、その人が、私とやり取りをしたあとに、ブルーノのために、あの先生を感情的に怒っているブログを書いていてくれたのを見つけたときは、居ても立っても居られないくらい、その人に会いたくて。


私がブルーノのために出来なかったことを、この人はすべてしてくれたんだなって。

私のなかでずっと可哀想な可哀想なブルーノが、やっと報われたと思えたんです。
そして、今回もまた、本当にどうしたらいいんだろう、、と思うくらい、その人に感謝しました。だってあれは、本当にブルーノのために書かれたブログなんです。




ずっと重いブログが続きましたが、悲しい話はこれで話し納めです(笑)
傷は傷として残りますし、それが消えることは一生ありませんが、
来年はもう幸せなことしか書きたくないんです。

こうやって向き合い、書いていくなかで、どれほど気持ちが整理できたことか。
そのことにより、大切なものにもたくさん気づけました。

緊急入院の前、無理矢理、なんとしても!とバカみたいに鈴○を走らせようとしていた、ももっぴブルーノ号でしたが、あの体では絶対に無理だったでしょう(笑)
師匠になってほしかった人も、それに気づいたから
「死に急ぐように鈴○を走ろうとしているように感じますよ、せっかくならあなたには、楽しく走ってほしい」と、公道レッスンをしながら言っていたのかもしれません。


もうすぐクリスマスとお正月ですね。
みんなが楽しく幸せでありますように。
そして私も←ちゃっかり(๑¯◡¯๑)


それにしても、ますますアメブロの女性に執着してしまって、私って本当にストーカー体質確定なんじゃ?と不安にも思うズグロンでした。
Posted at 2021/12/19 05:25:35 | コメント(0) | トラックバック(0) | 命日 | ペット
2021年12月17日 イイね!

病気に〜そして闇から幸せな来年へ

2019年5月、ブルーノの死は私が海外の大きな仕事をかかえているときでした。
本当は立っているのもやっとなくらい傷ついていましたが、なんとか封印を繰り返し仕事を。
肉体も精神もボロボロでした。
私はこの仕事が終わったら、仕事を引退しようと決意しました。

ブルーノのことで号泣した翌日にお腹がすごくはって、それから日に日にお腹が出て行くのを感じますが、ストレスでもその経験があったので、また仕事が終われば嘘みたいにへこむだろうと思っていました。

そして仕事が無事に終わったとこで、今度はプライベートで活動してきたことにトラブルが。
シンガポール等に行き来しなくては行けなくなる、、とまた戦闘モードに。
お腹の痛みより、封印したのに、ときどき襲ってくるブルーノの出来事の方が私を苦しめていました。

そして最終的に無理をしすぎて、ありえないくらいに病状を悪化させて緊急入院、手術となりました。
それは世界仰天ニュース?にでてくるような、大きくなるのを病院がないから何年も放置するしかなかった人みたいなレベルだったんです。
医療が充実している日本では本当にあり得ないことで、救急病院の先生達にもみたことがないと言われましたし、こんなに我慢できるものなのか?!と、たくさんの医師に驚かれました。多分ドクターT(院長先生)も初めてだったかと。
そりゃ、あれだけ大きくなるまで痛かったですよ、苦しかったですよ、だけど心の方がずっとずっと痛かったし苦しかったんです。

昔ドクターTが私に「この病気はあなたみたいにバリバリ仕事している人に何故か多いんですよ」と話してくれたことがあります。その頃、かなり多忙だった宇○田ヒカルさんなんかも同じ時期に同じ病気で手術していて話題になっていましたが、

もしかしたら女性がものすごい戦闘モードになってホルモンバランスを崩したときにおきる病気なのかもしれません。

だって私、一回目のときは出産後の育児にハマり、ベッドで寝ない+平均睡眠時間3時間で、過労で倒れて入院したりとかしてたときでしたから(笑)
若い人に多くて、国によりますが無自覚な人を含めると8人〜13人に一人がなっていると言われていました。自然に治ったり、再発したり、巨大化したり、破裂したり、捻転を起こし壊死したり、癌化してしまうこともあります。←私は自然治癒、再発、巨大化、破裂を経験。10月に急にありえなく巨大化したので、救急病院では、かなり進行してしまった癌を疑われていました。
もちろん私も、病院に行く前から、それは可能性のなかにいれていましたけどね。


病院にはももっぴとブルーノを連れてきていたので、何も怖くはありませんでした。


実は鈴○を走らせたかった車は、ももっぴとブルーノ仕様車で、ずっと鈴○においたままにしていたのも、封印してばかりいたからかもしれません。

ブルーノの死から5日後だった、富○のエスタイも、本当は凄く凄く苦しかった。
行くの本当に悩みました。
でも、観に行くことは最後の仕事の参考になることで、何度も何度も封印して笑うたびにお腹が不思議と腫れていきました。
まるで我慢した涙の塊みたいでした。
体のほうがずっと正直ですね。


人類の歴史の中で本当に強い人間などいない。
いるのは弱さに甘んじている人間と、強くなろうと努力している人間だけだ。


本田宗一郎の有名な名言ですが、私の頭にはいつもこれがありました。
その強くなる努力は人それぞれ全く違いますが、

私のここ数年やってきた悲しみを封印する行為が、どれだけ危ういものだったのかと、この数日ずっと思い知らされています。

強くなる努力がそれだけだったのなら、なんて脆くて愚かだったんだろうと。

今年私に起きたことは、12月に入手した占い雑誌も含めて、全てが本当に本当に運命的でした。
大切な方が「見守っているから、大丈夫、大丈夫」
と、まるで私を導いているみたいです。

今、脱力感が、本当に凄いんです。
毎月、お墓参りのたびに気づきがありましたが、
私は今年、一番泣いて、一番導かれ、一番成長したように思えているんです。




今年のうちに闇に光を当てられてよかった。
本当に本当によかった!

解毒じゃなくて解闇?

なんか来年、本当に幸せになれる気しかしないんですけど、、、
と思ってしまう、

たくさん泣きながら徹夜しちゃったズグロンでした。
Posted at 2021/12/17 05:52:40 | コメント(0) | トラックバック(0) | 命日 | ペット
2021年12月17日 イイね!

来年のために〜もう一つの封印していた悲しみ

深すぎる、そして怖いくらいに今の自分と重なりすぎている、、と思った占い雑誌に、

心の闇と向きあって
不安の本当の原因は心の闇にあります。
そこに光を当てて直視することを、どうか恐れないでと書いてあったんです。

今年はとことん封印していた悲しみと向きあう運命になりましたが、
もう一つ封印していたブルーノのこととも向きあう覚悟を決めて、昨夜はそれをずっとしていました。


ブルーノは、2019年5月26日に埼玉の病院で亡くなりました。
かぼちゃんとケンカして嘴を噛まれ、ペットシッターから連絡をうけて、直ぐにいつもの近所のバードクリニックに連れていき瀕死の重症で入院しました。

お見舞いに行くたびに奇跡的に元気になって、毎日〇〇先生への感謝と奇跡を感じていました。
入院6日目のときに、〇〇先生が二日間留守になるから、二日間だけ私が信頼する後輩の病院に転院して欲しいと言われて病院に迎えに行くと、本当に本当に元気になったブルーノの姿がありました。私が来て家に帰るれと思ったのかケージでぴょんぴょん飛び跳ねるくらい喜び、〇〇先生、ありがとう、本当にありがとう!という気持ちでいっぱいになり涙がとまりませんでした。

自宅近くには、他にもインコが入院できる病院があるのですが、先生がそこまで信頼する先生ならと、片道2時間かけてブルーノを連れていきました。


ブルーノの嘴はまだ自分でエサも水も飲めません。
だから先生が管で直接餌を入れてあげなくてはいけませんでした。病院についてもまだ自宅に帰れると、ずっとずっと私が帰るまで元気にうかれていたブルーノの姿は一生忘れられません。

病院で長く待たされて、そのときも、あれ?とは思いましたが、診察にはいると、、
ブルーノの病状は何も知らないの?という違和感。
ケージが用意されて、そこには殻付きの餌が。

そしてブルーノは全くみないで、
いきなり俺は入院とかはさせない主義で、うちの病院では本当は受け入れてないから、、と始まり、
俺ってこう言う奴だから、みたいな話をし始めます。

あの、でも〇〇先生が、先生にはちゃんと引き継いでお願いしてあるからと言われたんですけど、、と言うと

だから、今回は受け入れますよ、だけど普通はやらないことだから、、と

なに?これ?と不安に思いながらもずっと気になっていたケージに入っている殻付きの餌をみながら、
あの、ブルーノは、自分で水も飲めないので、殻をむくなんて出来ないんですけど、これはあえて殻付きなんですか?と聞くと、

あ!と言って、看護師さんにあわ玉だして!と

そしたら、さっきからずっと変な態度に気になっていた、いかにも女をだして毎日生きてます!みたいな看護師さんが、、え〜〜〜っあわ玉ないよ~だって〜家においてきちゃたじゃ〜ん、と、いわゆるねっとりした甘えたような声で先生を見つめながら、
私達一緒に暮らしるんです〜みたいな会話ばかりするんです。

な、なに、この女、と思いながらも、

ブルーノは餌を自分で食べれないので、先生が管でペーストを与えていて、もう病院からつれてきて4時間もたっているので、心配なのですが、すぐに与えなくて大丈夫でしょうか?ときくと、

あ、はいはい、何ccだ?といいながら、
はい!じゃあ、ちゃんとやりますので、と診察がおわってしまい、どうか、よろしくお願いいたします、と私は帰ることに。

一度も、ブルーノを診てくれなかった。
不安しかない。なに?この違和感、なに?この嫌な予感。と思いながらも、私は何もできないのだから病院を頼るしかない。

帰り道、連れて帰ろうか、、と、ずっと考えながら車を走らせていました。
だけど、もう夜。
一日だけ、一日だけあずけよう。〇〇先生には悪いけど、明日朝イチでいい病院を探して直ぐに迎えにいこう。と、思いました。
それに、あのいつも助けてくれる〇〇先生が、私が信頼して任せられるのはこの先生しかいない!って
紹介してくれたんだもん、信じよう。大丈夫。と自分に言い聞かせました。それでも不安で寝れませんでしたが。

その翌日です。非通知の電話がなり、ブルーノの死の知らせでした。
どうして!あんなに元気だったのに!と泣き叫びました。
しかも、電話はあずかった先生からではなく、その病院の別の人からでした。だから、原因はわからないと。

埼玉の病院から、いつもの病院に運ばれてきたブルーノを迎えにいって、亡骸をみたとき、カダカダ震えました。その姿はあまりにも苦しんで亡くなったとしか思えない姿だったからです。

泣きながら、〇〇先生に、その後輩の先生に感じた違和感を話しましたが、そんなやつじゃないと、〇〇先生は後輩をかばうだけでした。

酷いです、酷いです、と、心で思いましたが、
今までたくさん救ってくれた〇〇先生に、それ以上は何も言えませんでした。

ブルーノが眠る箱を抱きしめ、病院をでて、車で一人で泣き叫びました。

このことは、自分を思ってくれる友達には話せませんでした。もちろん家族にも。
病院に何をするかわからないと思ったからです。

人間は感情で生きてますから、私の感情が友人を刺激して、どんな感情につながっていくのかを、よくわかっていましたから。
誰にも、そんなことは絶対にさせたくないから。それはずっとずっとこれからも。



前にセンチメンタルというブログに書いた、アメブロの人が、ブルーノが生きるために、長文のメッセージをやり取りしてくれていましたので、数日後にその人にメッセージで事実を伝えました。

たくさん、悲しんでくれました。
たくさん、怒ってくれました。
どれだけ救われたか。

見ず知らずの私のために費やしてくれた時間。
動かしてくれた感情。
寄り添い続けてくれた気持。
ずっとずっと恩を感じています。

その人のブログを読んでいると、
インコと一線を引きながら、とても冷静に正しく愛していることがよくわかります。
なんていうか、私みたいに一体化してしまっていないんです。インコを尊重しているというか。
きっとそれが彼女が、たくさんの後悔から導き出した愛し方なんだと思います。


凄くお近づきになりたいけど、私のことなんか好きになってもらえないな、、と思えるし、
私が彼女に与えられるものって何もないんだなーといつも思ってます。

彼女なら、あの日、ブルーノを絶対にあの病院にあずけたりしない。
そして彼女なら、ブルーノは絶対に死ななかったんですから。

おば様からもらった命日占いでは、ブルーノと私は天の川の関係で、
「私がこんなでなければ、故人は死なずに済んだのではないか」と悲しみに飲み込まれると書いてあり、当たりすぎる命日占いにも、本当に驚きました。

Posted at 2021/12/17 05:15:58 | コメント(1) | トラックバック(0) | 命日 | ペット
2021年12月14日 イイね!

ここにきて、みんカラを想う

去年のクリスマスや年末年始
私は大切な方が亡くなったことを知らないまま過ごしたわけですが、
クリスマスは、2020年の苦しかった出来事や、大学受験も無事おわっていたことから、母親としての自分を振り返りたくて、小さなパーティにすら出席しませんでした。
そして年末年始も華やかな装いをしてカウントダウンパーティ等に出席することもなく、いつもの貧乏くさい地味な格好でホテルで食事するくらいでした。
1月に知らせをうけたときは、それが少しだけ救いになりました。


そして今年は供養の年、12月のお墓参りの後におば様を東京に連れてきて、クリスマスをしながら、大切な方の話をしたり、人生や今年を振り返りながら一緒に過ごす予定でした。おば様も夢みたい!と楽しみにしてくれていたのですが、おば様が病院の検査で念のため再検査が必要になり、ちょうどその日程が再検査、結果待ちになってしまいました。

おば様にとって、この3年間は、ご主人をなくし、お嬢さんが病気になり、いっぱいいっぱいで、だから大切な方(お兄さん)のところにもずっと行けなくなっていたら、大切な方が亡くなってしまうという、辛い3年でした。
そして、妹であるおば様をずっと心配して頼ろうとしなかった大切な方。

だから、私はこのおば様を絶対に幸せにしてあげたかったんです。
でも、その気持ちはとても傲慢で、幸せにしてもらっていたのはずっと私の方でしたけどね。

「クリスマスは一緒にできなくなったけど、私は元気だし、○○○ちゃんがいるから頑張れる」なんて言ってくれますが、、やはりとても心配です。


この頃ずっと考えていました。
辛いことがあったって、今までたくさん頑張ってこれて、なんだかんだ強くいられたのに、何故、今年、こんなにも自分は弱いのだろうかと。

そしてそれは、どんなときも、これを頑張ったら、これを乗り越えたらと、、実際に行くか行かないかは別にしても、絶対的な理解者のそばにいつでも行けると思えていたことが、本当にずっと大きな支えで、それが今までの私の強さだったからなんだなと思ったのです。
私、本当に大切なもの、失っちゃったんだね。



術後の記録からスタートさせたみんカラ。

術前に、あ~遺書ってみんなに残せないものなんだなー、友達とかみんなにもたくさんいろいろ言いたかったのに、、とか後悔したりしてて、、

こうやって秘密にいろんな気持ちをみんなに残せるみんカラって素敵だなと思ったりしました。
いつも生意気なことばかり言っていたけど、本当は友人達に凄く感謝してることとか、
母親としてずっと自信がなかったこと、
母親ばかりやっていたわけじゃなく、ときめいたりしながら、いろいろちゃっかり人生楽しんでいたこととかも子供とかに残せる。

あれだけSNSを禁止されていたのに、よくぞここまで長文プライベートを書きながらバレずにきたものです(๑¯◡¯๑)
実は遺書に、

これはみんなへ、

みんカラ、ズグロン。

と暗号みたいに書きくわえたんですよ(๑¯◡¯๑)


あ、遺書って別に死ぬわけじゃなくて、ただ銀河鉄道の夜の蠍の影響で、この手の準備を若い頃からしてる変な奴なだけですが。

みんカラのブログを術後〜スタートして、それで直に自粛生活になったので、なんか、
みんカラ=自粛中の活動
みたいな感覚なんですよね。



来年、ちょうど一年のお墓参りを終えたら、
SNSの世界を飛び出して、現実の世界をしっかり生きたいと思うズグロンです。
Posted at 2021/12/14 08:25:44 | コメント(0) | トラックバック(0)

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「@あん君 久しぶりにみんカラしたら、あん君様海外なんですね!
どこなんだろう、、行ったことがある国だったら近況が聞けるかもしれないと、海外がご無沙汰の私は期待してしまいます。旅行より仕事での海外の方がめちゃくちゃ興味深いです。どうか体を大切に、くれぐれもご無理なさらないで下さい。」
何シテル?   06/26 20:11
ズグロンです。よろしくお願いします。 2014年10月に七年飼っていたセキセイインコを亡くしてしまいペットロスになりました。 それから、立ち直るために飼...
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