2016年12月24日
無駄な所作は運転を汚くする。黒澤元治氏は「ドライビング・メカニズム」の中でこう述べている。
私の運転は、「速く走らせているのに操作がゆっくり ですね」とよくいわれるのだが、これは何もしていない時間があるためだろう。操作が少ない 、つまり余分なことをしていない。それは、私だけでなく、ドライビングを極めた人々はみんな同じである。
黒澤元治著、「ドライビング・メカニズム」、2000年、p119
https://www.amazon.co.jp/dp/432665242X
F1レーサーのジェンソン・バトンのドライビング動画を見ても、所作はゆっくりに見えるが、実にスムースに操作をしているのが分かる。ステアリング操作も急ではなく、じわじわと切っており(初めの入力はじんわりとだが、指数関数的に入力を急増させ、目的の舵角で一定を維持するイメージ)、なんとも美運転である。
VIDEO
とんでもないスピードかつマシンの限界ギリギリで走ってはいますが、よく観察するとその操作は非常に丁寧でムダな操作がほとんど無いことがわかると思います。
スッとスムーズにハンドルを切り始め、コーナーの中ではピタッとハンドルが安定し、コーナーの脱出ではまた非常にスムーズにゆっくりハンドルを戻していきます。
【プロレーサー山口礼】「教えましょう、モテ運転」 第5弾 レーシングドライバーの運転
https://ancar.jp/channel/articles-898
① ハンドルを優しく持って
② なるべく”そっと”
③ なるべく”ゆっくり”
④ なるべく”少ない
ポイントは2つ
「ムダなハンドル操作をしない」
「いつ切り始めたか分からないような、スムーズで丁寧なハンドル操作」
【プロレーサー山口礼】「教えましょう、モテ運転」 第4弾 モテ運転がしたければハンドルを切るな
https://ancar.jp/channel/articles-868
Posted at 2016/12/30 10:45:03 | |
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2016年12月24日
禅ドライビングの着想は私が最初かと思っていたら、こんな本を見つけた。
Zen Driving: Be a Buddha Behind the Wheel of Your Automobile
https://www.amazon.co.jp/Zen-Driving-Buddha-Behind-Automobile-ebook/dp/B005723JX6/ref=sr_1_1?ie=UTF8&qid=1482572528&sr=8-1&keywords=9780307801692
よくよく調べると、zen drivingという言葉自体を使った例は探せば出てくる感じのようだ。
wikiHow to Practice Zen Driving
http://m.wikihow.com/Practice-Zen-Driving
http://www.slidewaysonline.com/?q=node/27
http://rockrivertimes.com/2016/12/20/the-art-of-zen-driving/
https://www.goal-setting-guide.com/zen-driving-ways-avoid-road-rage/
Posted at 2016/12/24 18:43:10 | |
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2016年12月24日
運転には流派があるように思う。片手ステアてっぺん持ち、くわえ煙草運転、スマホながら運転などだ。こんなのマナーが悪いだけだとも言えるかもしれないが、本人はむしろ運転に慣れている証として得意にすらなっているのではないかしら。
初心忘るべからず
油断大敵である。始めの謙虚な気持ちを忘れ、おごれる者は人間のサガではあるが、非常に危険である。
私の流派はタイヤもったいない運転派である。タイヤを大事に使うことで(意識することでタイヤとの積極的な対話を試みる)、結果的にグリップに余力を持たせ安全運転を目指すものだ。以下、気を付けていることを列挙していこうと思う。
第1条
① 舵角は最小限
② 全ての所作は丁寧に
③ 急な所作すべからず(車体不安定になり危険)
④ ブレーキは優しく早く踏力一定
⑤ 全所作の初動の入力は気持ち早めのタイミングでゆとりを持って行う
⑥ 平常心を保って運転する(いわゆる"禅ドライビング"である)
禅ドライビング(zen driving)については私が勝手に提唱しているもので、まだまだ修行中の身ではあるのだが、少しづつ思考を深めていきたいと思う。そして、古武術の所作を取り入れたドライブ理論を構築できればとも妄想している。
Posted at 2016/12/24 17:50:05 | |
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2016年12月24日
「ゆっくり早く」は有名な脳外科の言葉だが、こと ブレーキに関しては「優しく、かつ早く」がより正確な表現であろう。なぜ早くか。それは減速するまでのタイムラグがあるから、急いで目的の踏力にまで達成する必要があるからだ。
Posted at 2016/12/24 17:27:17 | |
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2016年12月06日
速読術で脳を活性化させた方が早い気もするが・・・。自分の行ってる運転動作を言語化させ、コツとまで呼べないまでも、何かをつかもうと努力してみるべきか?
運転に慣れてしまうと、無意識化の動作へと移行する。さて、正しい動作とは?美意識に基づいて、それを確立し、意識化して身につける・・・。やってみるか。
人馬一体、心身一体、身体の拡張、メディア、サイボーグ・・・。ネットワーク。人間は外の世界とつながっている。空気がなければ生きられないが、空気は普段意識されない。人間は生かされている。さて、身体を魂の乗り物であるメディアとしてとらえたとき、車はメディアの拡張となる。モビルスーツと変わらないのだ。人馬一体とはすなわちパシフィックリム的な拡張した身体がもたらす、肥大化した意識。もはやメガネは顔の一部です。
<心身一体>
しかも,人間の行為は,精神と肉体,こころとからだが統合し,一体となってなされる。科学的
な極限概念としての精神や肉体が,そのどちらか一方のみの論理ではたらくことはあり得ない。「こ
ころ」と「からだ」は,複雑に絡み合いながら有意味に「ひとつのはたらき」として現象する。心
身合一的にはたらく人間の身体を,日本人は「身」(み)と表現してきた。「身をもってわかる」とは,
からだを通してこころの底からわかることである。そのはたらきは,解剖学的な肉体の境界をはる
かに超える。使い慣れた「杖」は,杖の先まで私の感覚が伸びているし,「車」の運転に慣れると
私の感覚は車の先端や車幅まで拡張し,狭い車庫入れも簡単にできる。「身体が覚えている」。
現象学的身体運動論考 (その 1):「生きる力」 と 「身体運動」
日下裕弘 - 茨城大学教育学部紀要. 教育科学, 2014 -
http://ir.lib.ibaraki.ac.jp/bitstream/10109/8825/1/201400025.pdf
東京工業大学 吉川 厚氏
経験と勘を言語化することが実践につながる
2016年09月26日
http://www.recruit-ms.co.jp/issue/interview/0000000512/
『知識の効用』
http://www.hes-ltd.co.jp/contents/topic/201411.html
暗黙知の継承をどう進めるか
http://www.tokugikon.jp/gikonshi/268/268tokusyu2-4.pdf#search='%E3%82%B3%E3%83%84%E3%81%A8%E5%8B%98%E3%81%AE%E8%A8%80%E8%AA%9E%E5%8C%96'
アクセル:動き出しを感じたら、じわっと踏む。
ブレーキ:踏み始めはじわっと力を入れていき
https://www.youtube.com/watch?v=GLlnF6gOu5I
一瞬じわっ とためて
スッ と立ち上げて
じわっ と一定キープ
気持ち的にはクルマの荷重移動ができてからスッ くらいがちょうどいい。
基本操作はブレーキもハンドルもアクセルも同じ。
タイプ1 じわっ と始めてすー 、じわっ と止める
タイプ2 ぴたーーーーっ とキープ
これをやるには事前にどう動かすか狙わないといけない。
適当に動かして後から調整ではダメ。
やりがちなのが
・ブレーキを早く踏みすぎて途中で抜く
・ブレーキが足りなくて途中で足す
・コーナリング中にハンドルがゆらゆら
まずは「意地でも微調整しない」練習を安全な場所でやるべし。
http://kanae.2ch.net/test/read.cgi/car/1425473856/
「運動技能は,たとえば言語などに較べると,ほと ん ど研 究 も さ れず,理 解 も さ れ て いな い が,実 に 魅 惑 的 な人 間 行 動 の 一側 面 で あ る。 大変 な ス ピー ドで移動 してい る野 球 のボ ール が ど う して打 て るの か。 ど う して高 速 の 車 を運 転 して 狭 い 空 間 を走 れ る の か」(ノ ー マン,1984)
http://150.86.125.91/dspace/bitstream/123456789/3349/1/KJ471400285.pdf
われわれは“できる”を目指して、自己の四肢の動き方の像を実感をもってとらえるとともに、
空間距離や間合い、リズム、テンポなどを体験的に把握する35。そこでは、“できる”“できな
い”に関わっての自己の動きかたが体験から遊離しないでとらえられ、やがてはコツとして運
動感覚的意味核が取り上げられるが、それは「コツの図式」として把握され処理される。この
「コツの図式」として把握されるコツは、最初のうちはきわめて漠然としたものである。とい
うより、これは体験直下の体験のまさに e 付近に現れる運動感覚の意味核なのである。つまり、
この「コツの図式」でとらえられているコツはまだ意味核の域を出ていないので、他者に提示
できるものではない。それが次第に下流(体験線で言えばE方向、『パターン』A/B構造で
言えばB方向)へと移るようになると(いわゆる「反省」)、その「コツの図式」は客観化、知
識化の程度を増し、明確化されるようになる。すなわち、反省というプロセスのなかで、コツ
はようやく“形ある(意味ある)”内容としてまとまりをもち、コツとして自覚されるように
なって、ある程度提示(言語表現)できるようになる。
コツの言語表現の構造に関する発生運動学的研究
https://tsukuba.repo.nii.ac.jp/?action=pages_view_main&active_action=repository_view_main_item_detail&item_id=29175&item_no=1&page_id=13&block_id=83
Posted at 2016/12/06 22:25:01 | |
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