
東洋哲学としてのそれは傍に置いて、
仏教は無常の一言のみだと私は解しています。
万物はすべからく変化していく。
そこに優劣も善悪もなく、ただ粛々と無常の理があるのみです。
桜の花弁が開くのも無常故
柿が摘まれることなく腐り落ちるのもまた無常故
思い女が振り向いてくれるのも変化なら
心変わりして去っていくのも等しい変化です
ある変化を快とし、別の変化を哀しむのは無常の理を知らない身勝手な振る舞い。これを無知といいます。
万物は須し。
ただ老いるのです。
私が心を動かされたエピソードに、かの鈴木大拙翁がアメリカから一時帰国した時、学習院時代の生徒たちが師を囲んだ会で、あるひとが大拙に問うたという逸話があります。
「禅の話などアメリカ人に分かりますか」
大拙、間髪を入れず「君たちに分かるのかね」
そんな達磨の後継たる苛烈な生を思ったのかはわかりませんが、ネーミングの由来には翁の大著が深く関わっているであろうこんな車を見に行きました。
Kangoo ZEN

諸元は言わずもがな。
「余計なもののないシンプルな構成」をZENと名付けたのでしょうか。違うと思うよ、フランス人。
エンジンはH5Ft:TCe115(?)かな。
インジェクタ:6噴口ソレノイド(サイド)
シングルスクロールターボ
吸排気にバルタイ
タイミングチェーン
可変容量オイルポンプ
クランクオフセット
いわゆる過給ダウンサイジングエンジンですね。
率直な感想は、イイ!
まずは走り出してすぐに感じる剛性感があります。
そしてルノーお馴染みのリアタイヤの存在感。
ヨーモーメントが発生している時にリアが横方向に摩擦を発生しているのはどんな車も同じわけで。それをフィーリングとして強く感じるのは、リア内輪の仕事量が一般的なFWD比で大きいからなのかな? と思ったり。
ボルグワーナー製(たぶん)シングルスクロールターボは流石に発進はトルクが薄い。出足は1.2LNAで1430kgを引っ張るんだから当然です。たぶんATだとパワー不足を感じそう。でもMTではトロいとは思いません。というか、MEG3RSより10kg重いのに、ずっと軽く感じる。
うーん...思いつくのは振動?
上家が高くて足が柔らかいぶんの固有振動の差をそう感じるのでしょうか。
格好いい!
F4Rと同じくエキマニも短い。イマドキです。
サイド噴射の直噴ですが、強いタンブル流に乗せることでノッキング対策をしているとのこと。EGRはないんでしたか...。
吸排気のVVTはミラーサイクルはやっていないはず。
....じゃあなにしてんだろ?
この辺は勉強が足りません。
過給が乗る2000rpmを超えるあたり、ターボのかかった領域でつないでいくと、ターボラグを伴ってぐいぐいと加速していきます。
踏み込んでも怖くない。
...やはり足回りとシャシーなんでしょうか。
日本でのラインナップも欧州の商用車からほとんど仕様変更はないそうです。過走行や重く荷物を積み込むことも想定して作り込んでいるのでしょうか。きちんとロールして、きちんと内側が突っ張って、きちんと戻ります。
荷重移動のタイミングとカーブを抜けて踏み込んでいく時の姿勢の戻りが、ステアリングととても気持ちよく同期していて、なんだかモーグル競技を連想する。
....くだくだと述べても、既に偉大な先人達に語り尽くされた感がありますね。
KANGOOは車音痴の私がルノーで唯一知っていた車種です。かつての私のイメージは日本で言うプロボックスやハイエースのフランス版。
ところがいざ乗ってみると、私の知るいわゆるミニバン風な車種の中では群を抜いて運転が楽しい車です。
峠をかっ飛ぶなんてお話も聞きましたw
そしてこの見た目。

(顔はMEG2 と同じ系統の世代が一番好き)
色はオレンジがいいな〜。それか紫。買えないけど。
荷室は広く、沢山の方がさまざまにデザインしておられる様子は、移動する秘密基地の趣です。
C4ピカソに乗った時には、その提案するライフスタイルの朗らかさに目の覚める思いでしたが、kangoo のそれはより能動的にオーナーがコミットしているところになんとも味わいがあります。
こちらに椅子とテーブルにティーセットを積んでハッチバックを屋根代わりにすれば、あちらは草花を並べた露店に早変わり。果ては裸電球でライトアップの素敵仕様までw
実力もしっかり秘めながら、イージーゴーイングでもあり、秘密基地でもあり。
乗っている時だけでなく、行く先々で飼い主の生活に寄り添う相棒に色づけられていく。
何者でもなく、何者でもありうる様。
禅の公案に「祖師西来意」というのがあります。
「達磨大師は何故、天竺から中華へ渡られたのか」という問いです。「禅とはなにか」という根元的な問いかけに当たります。
「無門関」に曰く
僧、趙州に問う
「如何なるか是れ祖師西来意」
趙州曰く
「庭前の柏樹子」
一人の僧が趙州和尚に問うた
「達磨は何故、西より来たったのか」
趙州和尚は答えた
「あの庭の柏の樹だ」
禅に文字通り生命をかける禅僧でありながら、この問いを問いとして安易に答えを出さず持ち続ける生き様は、安易な理解を拒んで峻烈です。
万の解釈ができて、
どれも正解で、どれも間違い。
なるほど、確かにKangoo ZEN のありようは禅である
......かも?
Posted at 2018/03/19 21:11:48 | |
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Renault | 日記