
神戸製鋼に始まった一連の騒動を受けて、MFI vol135. で歯車屋、久保愛三氏が書いている記事が面白いです。
1960年代以降の日本の輸出のメインインカムは
機械が担っている。
人間が生きていくために機械は必要で、そしてその駆動には必要悪としての歯車は不可欠。経済的困窮、材料の品質低下、作業者のレベル低下の中でも、最低限、原動機と人間が必要とする仕事をする機械部分の間のトルク・回転特性を適合させる機能だけは必要である。
現在の政治家やマスコミ、社会の指導的立場にある人の中には、一旦出来た機械技術は永続的であると誤解している人が多いようだが、人に依存した技術は維持の努力をし、正しく伝承されなければ、人と同じ寿命しか持ち得ない。
アカウンタビリティ、エビデンスばかりを重視する風潮の中では、カタログの数値やコストパフォーマンスによって会議体の選択は決まっていってしまいがちで、「コストは嵩むが高品質」なものはそもそも競争のチャンスを与えられないことが多い。
氏は一例として風力発電を挙げています。公共事業など税金で建設されることが多いため、カタログ上での強度をクリアし、もっともコストのかからない、似非コストパフォーマンスの材料が使用されている結果、20年もつことを前提に建設されながら、数年で故障することが多く、日本の風力発電設備の24%(!!) は現在故障して動かないのだそうです。
今回、法律違反でやり玉に挙げられているメーカーの製品は材料としてかなり優秀な部類。それより品質の劣る材料を作っているメーカーでも、改竄を行わなければJIS規格に合格した鋼材になる。コストはかかるのに、品質を競争力として評価してもらえない。
当然、どこもコストカットに汲々とする憂き目に。
二言目には「エビデンスは?」と誰かが言いだして何もできないことが多い業界に私もいるので、この辺りの無力感はよくわかります。
国力、国益を庇護するために戦略的に情報を報道するくらいのこと、日本のマスのコミュニケーションなら出来ないのでしょうか。
公平かもしれませんが、「そういうの良くないと思いますっ」って煽るだけじゃ、小学校のクラスの学級委員の正義感だと思うんですけどね。幼稚だと思うのは、私が汚れているからなのか?
Posted at 2018/01/05 22:36:14 | |
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