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2017年10月14日 イイね!

五箇伝とは

御刀を語る上で、絶対に覚えておかなければならない事の一つに『五箇伝』というものがあります。

本日はこの『五箇伝』についてご説明します。

五箇伝(ごかでん)

五箇伝とは、明治以降に作られた御刀研究のための分類です。
江戸以前の作刀には地域ごとに作風があり、その地域に広まりひとつの伝法として成り立ってきました。その後、伝法を習得した者が他国へ移住したりして別の地域へ伝わり、その地域の特性を加えながらそれぞれが発展していきました。

なぜ、五箇伝が決められたのが明治以降なのかと言うと、明治以降に大名家などが所有する御刀が競売にかけられ、これまで一般の目に触れなかった様々な御刀が日の目を見、御刀の研究が飛躍的に進むこととなりました。

その結果、日本刀の特徴ある作風を五つのグループに分類したのです。

それらはそれぞれ山城伝(やましろでん/京都)、大和伝(やまとでん/奈良)、備前伝(びぜんでん/岡山)、相州伝(そうしゅうでん/神奈川)、美濃伝(みのでん/岐阜)と呼ばれます。

先祖代々研ぎ師であり日本刀鑑定家でもある本阿弥家(ほんあみけ)はこれを「掟」と呼びました。
本阿弥家については、説明すると長くなるので興味がある方はこちらをご覧ください。

各伝法を歴史を説明しますと次のようになります。

【山城伝】
山城伝は、平安中期に京都の三条に住した公家・宗近(むねちか)を祖とし、京都を中心に栄えた伝法です。朝廷に仕える貴族や天皇の需要に応えて優雅な太刀を製作し、鎌倉末期まで栄えました。鎌倉後期に繁盛する相州伝は、この山城伝と備前伝の鍛冶がその基礎を築いたとされますが、武士の気風にあった相州伝が主流となるとあまり振るわず、室町時代には衰退してしまいます。

【大和伝】
大和伝は五箇伝で最も古い流派と言えます。
平安京へ遷都されるまでは奈良が都であり、政権の庇護のもと刀剣の製作にあたりました。
しかし、この時代のものは上古刀と呼ばれる直刀などがその中心であり、現在皆さんがイメージする御刀(反りがあって、鎬造りのもの)とは少し形の違うものが多いです。
古墳時代には副葬品として古墳に納められたり、奈良時代の物が正倉院に納められています。
奈良時代初頭に天国(あまくに)が銘を切ったという御刀を作成したとも古文献には見られますが、現存していないので分かりません。
平安京へ遷都されると、大和国の鍛冶は置き去りにされ、注文主がいなくなって衰退していきました。
しかし、平安後期になって、実質的に政権を握っていた藤原家の仏教重視の製作によって奈良の寺院はその力を盛り返し、僧兵を抱えて時の政権を悩ますほどの勢力となりました。
これらの寺院のお抱え鍛冶として門前に住し、僧兵の武器を作成したのが大和鍛冶の特徴です。そして大和鍛冶の多くは抱え主である寺院の名をその流派の名としています。
しかし、大和鍛冶は抱え主である寺社と運命を共にしましたので、度重なる内戦などによって、あるいは実戦に使用されたためその現存作は少なくなっています。

【備前伝】
備前伝は現代まで続く一大刀剣製作地域の伝法です。
備前国は、各時代の政治の中心地から離れた所にあり、その盛衰に影響されずに繁栄しました。
また砂鉄や水、木炭といった御刀の製作に不可欠な材料が豊富にあり、銘鑑に記載されている刀工数は古刀期だけで1,200人以上あり、これは相州の16倍、山城の12倍、美濃の5倍にあたります。
そして備前の刀工達はその時代時代の流行をうまく取り入れ、全国の需要に応えて大いに繁盛しました。

【相州伝】
相州伝の発生は鎌倉中期になってからのことで、幕府が全国から著名な刀工を鎌倉へ招いたことに始まります。
鎌倉中期の元寇によりそれまでの御刀の欠点が明らかになり、刀工達はその欠点の改善に取りかかりました。特に鎌倉幕府お膝元の鎌倉鍛冶は新たな鍛錬法の研究に取り組みました。
鎌倉へ下向した、山城国の粟田口國綱の子である新藤五國光は、同じく鎌倉へ下向した備前三郎國宗にも学び(國宗の子で國綱の養子となったとも)、山城伝、備前伝の双方を習得しました。また國光は「長谷部」と称したことから、大和国との関連があるとも言われ、山城伝や大和伝を強化した焼きの強い鍛錬法に取り組みました。そして新藤五國光が取り組んだ強い地刃は、弟子である行光に受け継がれ、その子といわれる日本刀剣史上もっとも著名な刀工の一人、正宗によって完成します。
ただ、相州伝は強く鍛えた鋼を高温で熱し、急速に冷却するという、技術的に非情に難しい鍛錬法であるため、そのために必要な経験による技術を伝えることは非常に困難であり、室町時代の中頃には衰退してしまいます。

【美濃伝】
美濃伝は五箇伝中で最も新しい伝法です。
南北朝期に正宗十哲の1人である志津三郎兼氏が美濃国の志津へ、金重が美濃国の関へ移住して相州伝をもたらし、もともと大和伝系であった美濃国で大和伝に相州伝が加味された新たな作風が生まれました。そして南北朝時代、戦国時代といった争乱の時代に急速に繁栄しました。
特に戦国時代にこれほど繁栄したのは、美濃国が東国や北陸などへの中継地であり、美濃国および周囲の国々に名だたる武将が群雄割拠していたため、必然的にこれらの武器需要に答える拠点となったからだと考えられます。
室町時代になると美濃伝の刀工、作刀数は増大し、関の地に刀工が集中しました。直江志津の鍛冶も応永頃には振るわなくなり、また度重なる河川の氾濫により関などへと移住せざるを得ませんでした。そして戦国時代になると、関七流と呼ばれる7つの分派が生まれ、それらの分派の7人の頭による合議制によって作刀が行われ、個人の刀工が勝手に作刀することはできませんでした。
これにより戦国時代の膨大な刀剣需要に答え、美濃と言えば関というくらいに繁盛しました。

以上が五箇伝の全容となります。
現存している名刀は、ほぼいずれかの伝法によって作られているものなのです。
Posted at 2017/10/14 09:54:02 | コメント(1) | 御刀 | 日記

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