
今年の夏の挨拶の出張で福島県の白河市に行きました。
仕事の合間の昼休みに時間が空いたので、白川市にある、『小峰城』に行きました。
小峰城は、南北朝時代の興国元年/暦応3年(1340年)に結城親朝が小峰ヶ岡に築城して小峰城と名づけたのが始まりとされます。
現存ではありませんが数少ない木造復元天守の1つです。
現在は東日本大震災により、三重櫓の崩壊には至らなかったものの数箇所の石垣・曲輪が崩壊、または積み重ねがゆるむ被害があって、曲輪上にあった白河バラ園や公園・石碑等も崩壊し、震災以後は本丸への立ち入り禁止となっています。
その小峰城近くに『白河集古苑』と言うところがあり、小さいながらも資料館になっていて、歴史的な資料が展示してあります。
去年、立ち寄ったときには御刀が3口ほど展示してあり、『名物 横須賀江』が展示してあるので今回も鑑賞しようと思い、行きました。
すると、、こんな素敵な企画展が・・・
主に阿部家の名品の展示です。
阿倍家は、江戸時代になって松平家の次の当主で、代々名君を輩出し、二代正次、三代重次、七代正右、八代正倫、九代正精、十一代正弘らが幕府老中となっています。
それほど大がかりではありませんがこんな感じです。↓
前回は3口でしたが、今回は6口と拵もあります。
展示の仕方もキチンと鑑賞に適した照明で素敵な物でした
しかも、今回は何と・・・・・・
撮影可能 d(*⌒▽⌒*)b
でも、知らなかったからデジカメを持っていませんでした・・・_| ̄|○ ガクッ
気を取り直してスマホで撮影の映りの悪い写真ですが、雰囲気だけでも伝わるよう御刀をご紹介します。
『 脇差 銘 奥白川住固山宗俊作 安政七年二月日(こやまむねとし)』江戸時代 長さ:45.9㎝ 反り:1.0㎝



地鐵は小板目詰んで無地風。鎬地は柾かかる感じです。
刃文は匂い出来の互の目小丁子交じり乱れる。小沸もついて足も入ります。
帽子は乱れ込んで小丸に返る、と思います。
『 脇差 銘 (表)島田住義助鍛之(よしすけこれをきたえる)(裏)出雲守藤原吉武焼之(よしたけこれをやく)』江戸時代 長さ:40.8㎝ 反り:1.5㎝



島田義助は駿河国の嶋田派で室町時代から江戸時代まで代々「義助」の名を継ぐ。読みは確実なところがわからず、「ぎすけ」と読んでも良いらしいです。
出雲守吉武は越前三代国次の三男で名を川手吉左衛門といい、堀川国武の子で「法哲入道吉武」と呼ばれた初代吉武の養子だそうです。
この御刀は、この二人の合作です。現代なら『ダブルネーム』ってやつですね(笑)
地鐵は小板目やや流れて地沸つき地景も見えます(単眼鏡でないとみえませんが)
刃文は沸出来の直刃、荒沸ついて金線がすこし入ってます。
帽子は直ぐに小丸に返って先が少し掃掛けてます。
『 脇差 銘 平安城三条住吉則作(よしのり)』室町時代 長さ:47.7㎝ 反り:1.6㎝


地鐵は小板目詰んで地沸つき地景入る(単眼鏡でないとみえませんが)
刃文は沸出来で匂口が深い中直刃。
帽子は直ぐに小丸に返る。
この脇差は、パッと見たときにすごくきれいな脇差だと感じました。
もちろん、丸く止めた樋や梵字も見事ですが、一枚目の全体写真で見てもらうと自分の言っている事がわかってもらえるのではないかと、勝手に思いました(笑)
『 刀 銘 靏 円龍子義秀鍛之(つる えんりゅうしよしひでこれをきたえる)』江戸時代 長さ:70.2㎝ 反り:1.1㎝



地鐵は板目肌やや流れて柾かかる。添樋のある腰樋があります。
刃文はすこし沸出来に思います。すぐに焼きだして焼が高く、小乱れや小丁子交えて物打ち辺りは特に乱れる。
帽子は・・・鋒が長いんでよくわかりません(笑)たぶん乱れ込んで小丸かと思うんですが、鋒が長くてなが~い小丸になってるんで、これも何か言い方があるんでしょうか。
大鋒で迫力はあると思いますが、自分にはただそれだけしか感じることが出来ず、あまり好みではないように感じました。
『 太刀 銘 備洲長船盛景(びしゅうおさふねもりかげ)』南北朝時代 長さ:72.1㎝ 反り:1.6㎝





地鐵は小板目詰んで鎬地は板目流れ、地沸がついて映りも立ってます。。
刃文は互の目乱れ、小丁子も交じると思います。
帽子は乱れ込んで掃掛けと思いますが、返りは浅くて最初、焼詰かと思いました。
この長船は、藩主の阿部正允が拝領し、後でご紹介する金梨子菊紋桐色巻太刀拵の刀身で、備前刀らしいうっすら曇ったような平地に映りが立ち、良い御刀と感じました。
この日、ひとつ面白い事が・・・
自分が隣の御刀を鑑賞していた時、他の見学者のおばさんがなんでこれだけ反対向いてるの?って言ってました(笑)
自分も今なら笑ってしまうような事なんですが、興味のない人ならそうですよね。
自分が知ったかぶって、太刀だからですよって教えましたが、何で太刀だと反対なの?と聞かれたので説明しておきました(笑)
『 刀 無銘 伝行光(ゆきみつ)』鎌倉時代 長さ:67.7㎝ 反り:1.7㎝




地鐵は板目肌、地沸がついて地景入る。。
刃文は互の目乱れ、小丁子も交じると思います。
帽子は湾れ込んで先掃掛ける。
この御刀の解説には、元来は76㎝の太刀を大磨上したとありました。相州伝の御刀らしく美しい作りです。
自分の地元は横浜の外れ、鎌倉に近いところなので相州物の御刀は郷土刀と思っています
さて、最後のご紹介はこの展示唯一の国宝です。
『 刀 無銘 名物横須賀江(よこすかごう)』南北朝時代 長さ:74.5㎝ 反り:2.3㎝





地鐵は小板目詰み、わずかに杢目交じる。地沸もつく。
刃文は広直刃調で小丁子に足が入り金線も入る。
帽子は小丸に掃掛ける。
ちなみに自分には金線と金筋の違いは大きめの沸の筋状が金筋、細目で小さな沸(匂いにちかいかも)が線状に付いたものが金線かな?と思います。
この御刀は越中の刀工、郷(江)義弘の作とされる。義弘作とされる刀はすべて大磨上で在銘がなく、所持者や地名などをとり「〇〇江」と称されるそうです。
この「横須賀江」は阿部家の祖、忠吉が一時養子となった大須賀家が領していた横須賀(現・静岡県掛川)からきているようです。
この御刀は八代将軍徳川吉宗の『刀剣名物帳』にも取り上げられている名刀だそうです。
武士が御刀を腰に差していた時代には、俗に「郷とお化けは見たことがない」などと言われていた貴重な御刀ですが、今年はこの「横須賀江」と関鍛冶伝承館で見た「江(郷義弘)」と泉屋博古館の「籠手切郷」と、立て続けに3口も見ました。
郷義弘についてはいずれ、なぜこのように言われているかをご説明します(笑)
それではこの辺で・・・

Posted at 2017/10/16 16:47:07 | |
御刀 | 日記