日曜日の夜、暇だったのでYouTubeを立ち上げてアルファロメオの動画を検索していると、一つの見慣れない動画に目がいった、
カングーロより3年遅れてトリノ・ショーで発表されるベルトーネから独立したフランコ・スカリオーネが手がけた世界一美しい車と称されるTipo33.2Stradaleは、
その美しさ故に究極のアルファロメオとして新しいアルファ乗りにも認知されている場合が多いが、カングーロはその流麗な容姿の笑に認識されていない事が多い。
そう思うと、自身、GALLAERY ABARTH MUSEUMの小坂士朗オーナーに直接聞くことが出来たカングーロのレストアの話と、ネット上に拡散されているカングーロの話から、個人的推察によりカングーロの真実を突き詰めてみたくなった。
まずはカングーロは1964年のトリノショーでお披露目された。(一説にはパリショーとあるが、トリノショーで間違いないと思われる。)

ジュリアTZのチューブラーフレームに
TZ1

TZ2

ジュリアTIスーパーのメカニカル・コンポーネント、そして若きベルトーネのチーフデザイナー、ジュジャーロ(ジウジアーロ)デザインのFRP製の美しいクーペボディを纏っていた。
ジュジャーロはこのデザインを大変気に入っており、出来たばかりのデザインをヌッチオ・ベルトーネに見せにいったところ、「2度とこのデザインを私の前に出すな!」と言われたという逸話が残っている。
話が逸れたが、カングーロは私のGT1300Juniorと同じ105系ジュリアなのである。
一部の表記ではAlfaRomeo Giulia Canguroとされている場合もある。
カフェ・ド・ジュリアの出場資格もあるのである(笑)
残念ながら市販化される事はなく、プロトタイプのままで終わってしまう。
プロトタイプということは、世界で1台だけの車なのである。
この後、カングーロに悲劇が訪れる。
自動車ジャーナリストが試乗中にクラッシュし大破してしまう。
プロトタイプカー同士の事故であったという記述も見つけたが、相手の車が何だったのか?どのような事故だったのか?などの記載は無かったので真実のほどはわからない・・・。
この事故車両はベルトーネ社で管理されるが、一部では倉庫内、一部では裏庭の敷地と意見が分かれるが、これは正解とも思える画像を見つける事が出来た。
小坂オーナーも、「カングーロはベルトーネの社屋裏の裏庭に放置されてた」と語っていたので、これは裏庭が正解という事になるだろう。
倉庫でも裏庭でどっちでもいいじゃんという意見もあると思うが、これをレストアするとなったら明らかに倉庫保管の方が良いわけで、屋外保管だったカングーロはFRPボディはパカパカでクラックが入り、鉄パーツは錆びてしまっていた事は間違いないだろう。
そして、この後のカングーロの運命だが、アメリカ人のコレクターに買われて一度アメリカに渡ったという説と、ドイツ人コレクターが購入してドイツにてレストアに着手した事があるという説がある。
勝手な個人的推察によると、これはどちらも違うのでは無いかと思う。
前述の小坂オーナーのコメントによると、明らかに裏庭でのカングーロを自身の目で見ている言い方である。
アメリカ人、ドイツ人、どちらにせよレストア途中で頓挫した個体を再びベルトーネに戻すであろうか?
そう考えると、小坂オーナーがファーストオーナーであると言うのが自然ではあるまいか?
ある有名なアバルトコレクターがベルトーネを訪れてこのカングーロは発見した際、「このカングーロを復元できるとしたら、日本の小坂だけだろう。(小坂オーナーは世界的なアバルトコレクターとしても有名」と言ったという逸話も残っている。
そして、遂にカングーロは小坂オーナーによってレストアが開始される。
小坂オーナーのこのレストアを金持ちの道楽とみる方もいらっしゃると思うが、私が直接聞いた話では、このレストアの為に、世界でも希少なアルファロメオ・スパイダー(スイマセン、モデル名を忘れてしまいましたが、思い出しました。)
世界に2台だけのPrototipo、Alfaromeo Giulietta Spider by Bertone

を売却している。
すると、世界中のアルファロメオコレクターから「あんな希少な車を売って、お前は気が狂ったのか?」「金に困っているのか?」というような揶揄を受けたそうで、それが非常に悔しかったと仰っていた。
だけど相手はある意味ライバル、カングーロのレストア資金にするとは伝えなかったそうです。
また、先述に書いた通り、カングーロは屋外保管の状態によりチューブラーフレームの状態が良くなかったのだろう。
自身が所有していた同じTZのチューブラーフレームを持つ
AlfaRomeo Giulia 1600 Sport Pininfarina Coupe

を解体してフレームを取り出して使用したらしい・・・。
もちろんお金があるからできることとは言え、なんという情熱、まさに真のエンスージアストとは小坂オーナーのことだと思う。
フロントカウルも何度も何度もやり直しをしたらしいですし、私がお話を聞いたのは既にレストア後期に差し掛かっていた頃、風防(フロントガラス)の作成で苦労されていました。
画像を見ていただければ分かる通り、カングーロのガラス類はとにかくガラス職人泣かせ。
サイドガラスなんて、ルーフ近くになってからカーブを描いてルーフにまで回り込んでいます。
でも、放置車両状態の画像を見てみると、サイドガラスは生きてそうなのでオリジナルををのまま使ったのかもしれません。
とある写真の撮影機材、環境がわかっていて●×のカメラでレンズは38mm、角度●●度××m前方から撮っている。
で、新しい風防ができる度に同じ機材、環境で写真を撮らせて送らせていたそうです。
その数、私がお話を聞いた時点で40枚超え!
以前にも書きましたが、その話を私達が聞いている時変な空気が流れました。
『それってただの意地悪みたいなものじゃないの?』的な・・・
その後の小坂オーナーの言葉に我々は心を奪われてしまうのです。
「40枚もOK出さないなんて酷い!と思うだろ?でも、風防1枚と言え、似てるものでもOK出したら、それは本物のカングーロじゃなく、偽物になっちゃうんだよ。だから、俺も心を鬼にしてNG出してるんだよ。」
コピー品を作っているのでは無い、本物を作っているんだ!
この情熱、心意気にカングーロという車と共に、小坂士朗という人間の持つ魅力に引き込まれた瞬間でもありました。
もちろん、失敗した風防にもお金は払っていたそうです。
やがて、カングーロが完成したという情報が入ってきました。
もちろん、お話を聞いてから何度となくカングーロの画像はチェックしていたので、どんな車かはわかっています。
そして、その姿を目にできたのが・・・

コンコルソ・デ・エレガンツァ・ヴィラ・デステ2005で優勝した画像でした。
ま、当然といえば当然ですが・・・。
その後もこの手のコンクールを総ナメしたらしいです。
ただ一つ残念なことにドライバー側(左側)に付いていたサイドミラーだけは再現する事が出来なかったそうです。
しかし、このレストアした個体をジュジャーロ氏に見てもらえる機会があり、「あの頃と何も変わっていない」という賛辞をいただいたらしいです。
どうでしょうか?
かなり個人的推察を入れた文章ですので、この文章はそのまま他人様に話さない方が良いと思います(笑)
でも、カングーロ、興味を持っていただけましたか?
しかし、世界で1台だけの車をジャーナリストが試乗中にクラッシュさせてしまう辺り、ランボルギーニ・イオタと共通した部分もある気がしますが、イオタは完全消失(その後、イオタは7台だけランボルギーニ自身がレプリカを作っています。)、そしてカングーロは小坂オーナーと出会うことで復活できたところが大きな違いのような気がします。
さてさて、まだGALLERY ABRTHは閉館中ではありますが、いつか死ぬまでにカングーロの実写をこの目で見たいものです・・・。