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昨日の続きじゃないケド…
スパでのクラッシュ、ポイントリーダーのアロンソの立場からすれば、
殴りかかってもいいレベル。
しかし、
『グロージャンに怒ってはいない。彼は意図的にやったわけではないからね。』
う~ん、寛大というか、大人の対応ではあるが…
絶対的な自信があんのか、あえてライバル達に余裕を見せてんのか?
そんな甘い世界じゃないというのは、アロンソ自身が一番よく知っているはずだ。
それを考えると大した人間になったな、マユゲ…
武士道精神を学び、悟りの境地に至ったか(笑
話は逸れたが(笑)、
普通ならこうなる。
掴みかかる寸前、マーシャルが仲裁に入るwww
以下の記事はグローやんに贈る、
あやおに読んで貰え(爆
時代が時代ならマジでヤバかったぜ?!
昨日のブログタイトルはそういうことだ ;:゙;`(;゚;ж;゚; ) ブフォォ !!!
F1名キャラクター
【ジェームス・ハント】
今日のF1ドライバーは皆、レースに前日の晩は早く寝るが、1970年代のドライバーは違った。彼らはレースも遊びも全力投球だった。中でもプレイボーイとして知られているのがハントだ。背が高く、髪はブロンド、教養もある彼は女性たちに大人気で、何よりもパーティーを愛する男だった。彼はしばしば正装行事にジーンズとTシャツといういでたちで現れ、批判を浴びた。ある時などは、"Sex - チャンピオンたちの朝食"というフレーズが書かれたTシャツを着てきたこともあった。ひとたびコースに出れば、誰も手が付けられない。グランプリ中はあまりにテンションを上げすぎて、よくレース前に気持ち悪くなっていた。クラッシュでレースを終えようものなら、自分のせいだなどとはみじんも考えず、
不運な事故の相手はハントの左フックから逃げまどうことになった。彼の気性の荒さは、同僚たちだけに向けられたものではない。カナダではマーシャルにパンチを食らわし、マクラーレンのチーム代表、テディ・メイヤーには、ピットストップのミスでタイトルを逃したと詰め寄った。また、常にタバコをくわえていたが、吸っていたのはタバコだけではない。
【エディ・アーバイン】
遠慮を知らないアイルランド人のアーバインは彼の時代のハントだった――パーティーは少なくともレース後まで我慢していたが。究極のプレイボーイを気取る彼の周りには常に女性が群がっていた。彼のコメントを取るのは、覚悟が必要だ。1996年、何も知らないジャーナリストが彼に、なぜチームメイトのミハエル・シューマッハのヘルメットは変わった形をしているのかと尋ねた。アーバインは、「ああ、ヤツはドイツ人だから、頭の形が変なのさ」と答えた。デビュー戦、1993年の鈴鹿でアーバインは周回遅れにもかかわらず、ラップリーダーのアイルトン・セナを抜き返して、彼の不評を買った。あやうく接触しかけたと非難するセナに対し、アーバインは何食わぬ顔で「1マイルのためならミスぐらい気にしない」と反論。口論は
セナがパンチを放つまで続いた。最後にアーバインは捨て台詞を吐いた。「訴えてやるからな!」
【マレー・ウォーカー】
イギリスのF1コメンテーターである彼は、ランキング入りした他の人物たちのように扇動家でもなければプレイボーイでもない。だが、F1で最も愛されたキャラクターの1人だ。真の伝説であるウォーカーには、どんな間違いでも許してしまうほどのファンが多くいる。彼のマレー語録――"なんとユニークなウィリアムズでしょう。前にいるものと同じマシンです"や"スタートウオッチをストップします"などは興奮のあまり飛び出した迷言だ。彼の人気はすさまじく、F1の放映が『BBC』から『ITV』に変わった際には主要紙が"マレーを救え"というキャンペーンを立ち上げ、彼の続投を後押しした。1948年にコメンテーターを始め、2001年にマイクを置くまで、彼はその特徴的で熱狂的な、そして時に感情的なコメンタリースタイルで人々を魅了した。以下は1996年にデイモン・ヒルがワールドチャンピオンシップに勝利した瞬間の彼の一言だ。「胸がいっぱいで、これ以上はしゃべれません」
【フラビオ・ブリアトーレ】
クラッシュゲートでFIAにモータースポーツからの永久追放処分を言い渡されたブリアトーレにはこれまでにさまざまなスキャンダルが取りざたされている。法廷で処分が覆されたとはいえ、彼が論争と無縁だったことはない。若い頃から彼はイタリアでさまざまな詐欺行為で訴えられ、懲役4年半の有罪判決を言い渡されている。しかし、国外に出ることで収監を逃れた。プライベートでは何人もの美女と熱愛を報じられ、スーパーモデル、ハイディ・クルムとの間には娘がいる。2008年、当時58歳だったブリアトーレは28歳のワンダーブラ・モデル、エリザベッタ・グレゴラッチと結婚し、先ごろ第1子が誕生した。
【マイク・ホーソーン】
イギリス初のワールドチャンピオンは、人生の楽しみ方を知っていた。彼のイメージといえば完ぺきなイギリス紳士で、レースをする際に蝶ネクタイを好んだことから、フランスのライバルたちからは"パピヨン(フランス語でチョウ)"というニックネームを付けられた。そんな彼が地元のパブで一杯飲んだ後に好んだいたずらが、木の板で自転車に乗った人をたたき落とすというものだった。スターリング・モス卿がこんな思い出を語っている。ある日、パブ近くの木の下に立っていた彼は、雨が降ってきたのだと思った。しかし、上を見上げると、ホーソーンが木の上で用を足しているところだったという。ホーソーンは1958年にドライバーズタイトルを獲得して引退したが、間もなく自宅近くで交通事故のために亡くなった。
【キミ・ライコネン】
世界ラリー選手権(WRC)に転向した元F1チャンピオンのライコネンは、大の酒好きで知られ、サーキットでの無愛想な態度と違い、酔ってさまざまな騒ぎを起こしている。2005年には、ロンドンのクラブで自らストリップショーを披露したとして話題になった。この報道の数日後にマクラーレンの新車発表が行われ、マーティン・ウィットマーシュは苦虫をかみつぶしたような顔だった。2007年の3月には、ライバルたちが開幕戦に向けて緊張感を高めている頃、フィンランドでスノーモービルのレースに出場していた。正体を隠そうとしたのか、彼は偽名で参加していたのだが――ジェームス・ハント――という名前は変装向きとは思えない。
【ゲルハルト・ベルガー】
乱暴な性格ではないが、度の過ぎたユーモアといたずら好きで知られるベルガー。そんな彼と完ぺきなプロフェッショナリズムを追求するアイルトン・セナとのコンビは秀逸だった。「彼は僕にプロフェッショナルであることを教えてくれた。代わりに僕は笑い方を教えてやったと思いたいね」とベルガーは言う。確かに、突拍子もないベルガーのいたずらに対処するセナには笑うスキルが必要だったろう。一度などは彼のパスポート写真が男性の裸の下半身の写真にすり替えられており、書類を差し出したアルゼンチンの入国管理局でセナは非常に気まずい思いをすることになったのだった。
【マイク・ヘイルウッド】
ジェームス・ハント曰く、彼はプレイボーイとしてのすべての作法をマイク・ヘイルウッドから学んだという。ヘイルウッドはパーティーとアルコール、美女に目がなかった。ある時、ブランズハッチでのレースに遅れてきたヘイルウッドは昨夜の飲み過ぎで二日酔いだった。遅刻の言い訳は、"仲間が誰も車の駐車場所を覚えていなかった"とのこと。また彼は、ロックスターばりにホテルの窓から部屋の物を投げ捨てるのも得意だった。しかし、たいていの場合、罪は無邪気な顔をしたヘイルウッドではなく、彼の仲間たちに着せられるのであった。
【スターリング・モス卿】
モス卿の初期のキャリアを"クランペット(イギリスのホットケーキ風のおやつ。俗語でセクシーな女性を意味する)"抜きには語れない。もちろん、紅茶といただく方のことではない。「私が美人とデートしていたら、新聞の一面を飾ったが、レースで勝っても3面記事にしかならなかったよ」と彼は冗談を言う。彼は、危険性の欠如した現代F1は刺激が足りないという考えを公言しており、これは女性にもいえることだという。「女性とは駆け引きが楽しいんだ。娼婦に金を払うよりずっと興奮する。なぜなら、片方は落とせるのが分かっているけど、片方は分からないだろう?」彼はタイトルを獲得したことがなく、今では現役時代より引退してからの期間の方がずっと長くなったが、彼の行くところにはどこでもサインを求める列ができる人気ぶりだ。
【イネス・アイルランド】
アイルランドは1960年代のドライバーで最もパーティー好きな1人だった。彼のドライビングと飲みっぷりの豪快さはどちらも有名だ。だが後者の方で評価を落としている感がある。彼のコース外での武勲の数々は、すでにモータースポーツ界の伝説の域に達している。あるレースでの勝利後、ベロベロに酔っぱらったアイルランドはホテルの屋根の上に上ったかと思うと、空に向かってピストルを発砲。また、とうに閉店したバーに押し入り、なだめようとやってきた支配人をぶん殴ってしまった。彼の行いにうんざりした次戦ドイツGPの主催者は、アイルランドの参戦を拒否。だが、最終的には問題は忘れ去られ、彼の出走が許可された。
この画像カッコイイでしょ (^-^)
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F1 2012 | 日記
Posted at
2012/09/04 21:21:25