私が最後にゴジラを観たのは、2019年、確かヴェネチアから帰る際にパリでトランジットで乗り換えたエールフランスの機内が最後だったと思います。私、特にSFって余り観ないんです。なぜかうちの嫁とは映画の趣味が合うので、歴史もののドキュメンタリーとかサスペンスは観ますけどね。さて、今回訪れたのは、茨城県の美浦村大山にある旧帝国海軍鹿島海軍航空隊の跡地です。私、旧軍に対しては必ず旧帝国と先に付けますことはご了承下さいませ。さて、航空隊と言ってもここは水上偵察機と言って脚の代わりにフロートを付けた飛行機の訓練基地だったのですけどね。ものの本によると、ここでの教育は海軍航空隊の中でも滅茶苦茶厳しかったとか。さて、水上偵察機ですが、通常の偵察の他にも、当時の砲撃の弾着地点の観測したりとか、結構危険な任務に就かされました。余談ですが、ここから30分も走らない阿見町には、零戦や艦爆、艦攻のパイロットを教育していた予科練の平和記念館があります。ところで艦攻ってなに?と思うかもしれませんが、艦爆は爆撃のみなのに対し、艦攻は魚雷攻撃も可能としたものです
。いまならさしずめ空対艦ミサイル攻撃を得意とするF-2みたいなものでしょうね。まあ、ここ、百里のF-2とかT-4が飛んできますが。あの時の英霊たちもさぞかし、志が同じ子孫たちを微笑ましく見守って下さっておられるだろう。さて、この場所には今はバスボートやジェットスキーを下ろしたりする広大なスロープがありますが、それはこの水上機が使っていたものです。そのスロープの端っこには、かつてのカタパルト、水上機の射出装置が付けられていたアンカーボルトが今でも残っていますね。戦艦大和のプラモを作った人なら、わかると思います。
でも、メインの見どころは司令部の建物でしょう。
この建物の中も1階部分の半分は見学できます。もうこの中に入っただけでタイムスリップしますね。どう考えたって80年以上は経過している貴重な建造物ですから。
この建物、三階まであるのですが、残念ですが入れるのは前述したところまでです。実は2階と3階の写真をネットで見たことありますが、息をのむような美しいノスタルジックな空間に、いちど見てみたいと思ったのですが。
他にもたくさん写真を撮りましたが、今回はここまでです。なぜかって写真で伝わることなんて、たかが知れていますからね。中の写真のみならず、他にも色々と写真を撮りましたが、それは実物を観てのお楽しみということで今回は無しです。
この場所にあるどこかの建物の柱部分です。
今ならH鋼や角型鋼管などの構造用の鋼材を使いますが、当時は柱もこのような構造、しかも部材はアングル材にリベット打ち。実に手が込んでいますね。いまこんな図面を書いたらコスト面で?ってなりますが、当時の日本ではH鋼みたいな構造用の鋼材って無かったのかな?なんて思ってしまいました。この、リベット打ち、高所の場合は上と下にいる職人同士の阿吽の呼吸が要求された、まさに職人芸だったのですよね。
いまゴジラ-1.0でこの建物が使われたことをアピールするPVが上映されていますが、嫁様に「なんでこの飛行機置いていないの?」と聞かれたので、「震電は本来ここには無かったから、おそらく故郷の九州へ帰ったんだろう。」と答えました。二人とも、せめて水上偵察機のレプリカでも良いから、置いておけば良いものをとは思いましたけどね。
この場所、今回のゴジラの前から既に何度か映画やTV番組のロケに使われており、私も「スパイの妻」を観ていて、あっ!と思ったことありましたので。戦跡巡りのみならず、ノスタルジックな雰囲気が好きな方にもお勧めです。
大人ひとり800円、開園日は土日の週末限定です。
この美浦村と阿見町、そして笠間市にある筑波海軍航空隊記念館に行けば、一日で旧帝国海軍航空隊ゆかりの地を回れます。そして、夕食でも昼食でも土浦市にある、あの山本五十六長官が好んで訪れていた料亭、霞月楼で召し上がればなお一層、当時の帝国海軍が残した歴史に触れることが出来るでしょうね。
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2023/12/11 10:09:32