
今日はステッカーをカトウボディサービスと先日のオープンカーステッカーに貼り換え。
天気が悪いと分かっていたけど花粉コーティングがひどいのと、内窓、手に触れるパーツ、幌の洗浄と紫外線カット施工をしばらくしていなかったので幌スプレー、内装の掃除を主に2時間くらい洗車した。
来週ディーラーさんに入庫で下回り洗浄、コーティング、マフラー交換なのでワックスは無し。
小さなパーツ、というかシールなんだけど。
思い入れのある物を取り付けると愛着が湧く。
物に魂は宿るのか?
例えば長年使い込んだ財布。
時計。
カメラ。
念という概念があるなら手紙や年賀状も想いが籠っている。
そもそも魂とはなんなのか調べてみると所説あるようですが
云う と 鬼
という合語らしいのですが
云うは雲 という概念
鬼は霊的な守護という概念
大まかにはこんなイメージでした。
霊とか守護とか信じないタチなのでなんともビミョー。
個人的には車という大きな鉄の塊ですが確実に魂は宿ると思います。
「死ぬまで乗る」
とか
「納豆ご飯でフェラーリやポルシェに乗る」
なんてのは今の若い子には理解不能でしょうけど。
車がすべての時代があった。
いつかは乗りたい、維持したい、がモチベーションになった時代があった。
元はといえば自分が幼少期に遡る。
私はじいちゃん子だった。
じいちゃんの運転するシーマ現象真っ只中のバブル日本で、ベンべと揶揄されたまだ1シリーズとかなくて手軽に庶民が手が出せない頃の本当の高級車だったBMWの助手席でワインディングを飛ばすじいちゃんの運転が好きだった。
親父は今では老人プリウスだが鉄仮面スカイラインでなぜか蛇行運転でやめてくれ~と叫んだ記憶だけがある。
自分は小さい頃、主に高校生くらいまではまるで車に興味がなかったのだが当時プレイステーションで流行っていたグランツーリスモというゲームにドハマリして最初に買った車がたまたまストイックな本物のスポーツカー FC-3S であった事から今に至るが。
魂=思い出や思い入れであり。
人によってはお菓子で汚れたファミリーカーに思い出が詰まっている事もあるだろうし。
私のように生きる意味となっている人もいると思う。
この寒空で悪天候になるとわかっているのに洗車機に入れないで手洗いすることがそもそも少数派である。
ガソリン入れに行ったら洗車機に渋滞が起きていた。まあ
車=道具
であればそうなるし自分もEG-8の最初の頃は洗車機にぶっこんでいた。
愛着なんてなかったから、魂も宿っていなかった。
愛着、魂の宿りは壊れないとか高級とか乗る頻度とかにはあまり関係ないと思う。
自分のストーリーやご褒美やモチベーション。
私の場合
「これが自分ですよ。」
とわかりやすく具現化したもの、それが車である。
ですのでなんだか違う、と魂が入らなかった車は早々に手放す傾向にある。
ロードスターとは面白いもので、純正で乗っていても味になるし。
自分色に個性を格安に楽しめる車でもある点が面白い。
一台として同じ車はない気がする。
これはあるようでない現象なのだ。
物が乗らず
燃費が悪く
決して速くもなく
エンジンが気持ちよいというわけでもない
高級感は無い
これを完全に満足のいく状態までもっていくとそこそこの中古ポルシェくらい買えるくらいの予算が必要なわけで
いくらいじってもロードスターは大衆車なわけなんですが
今の自分を具現化してくれるには年季といいパーツの豊富さといい仲間との交流といい
どこかワクワクさせてくれる車なのです。
何十台も乗ったけど今までと決定的に違うのは。
ふつう、だんだんとモチベーションは下がってくるのに
この車は
上がってくるんだよなー。
Posted at 2019/03/23 17:53:37 | |
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