
某企業の栃木工場への出向で、完膚なきまでにプライドを傷付けられた私でしたが、私の指導についた同業他社のSさんの会社は、常に孫請けにならざる得ない程の小規模の会社であり、某大企業の横浜本社の仕事も、私の会社を通しての仕事だった事を後から知ります。栃木の仕事から帰任する事を、横浜事業所のH所長に連絡すると、横浜事業所で大きな工事があるとの話で、そのまま横浜事業所にスライドする事になります。H所長とは旧知の間柄でした。
久し振りとなるH所長との再会でしたが、栃木工場での仕事の話題を振られたので、少し意味深な返答をしたところを巧みに誘導されて、生意気とも言えたSさんとの関係性を喋ってしまいました。すると、H所長は「あいつか!確かに問題がある奴やな。今回の仕事も俺からの紹介なのに、初対面から偉そうな印象やったな。うちから直の仕事なら上司になるかも知れん相手に、やってくれたな」と憤ってくれたのでした。それが嬉しかった私は、更に続けました。
「でも、横浜メンバーには媚び諂う感じで、仲良しみたいでしたよ」するとH所長は、「そうそう、あいつは相手によると言うか、特に歳下判定した相手には偉そうらしい!しかも、〇〇よりも歳下やで!」と追加情報を頂いたのでした。つまり、見るからに底の浅そうな輩は、歳下判定された様でした。「ところでHさん!これから何の仕事があるんですか?」と本気で振ると、「ああ、それな!今度、首都高の橋脚の工事が開始されるんよ!」と答えてくれたのでした。
「責任者はうちのAにして貰うけど、メンバーは、日本全国の事業所の出張者や、関東近郊の協力会社にお願いして、メンバー構成をする予定にしてるから、〇〇には、出張者の取り纏めを頼むな!」と、依頼して来たのでした。その仕事は、全国の事業所に出張している私には適任とも言えるものでした。その時点の計画では、先ずは外観目視チームが動き、復旧工事を担うチームが後追いする形になり、いずれは、昼夜2交替になるとの話でした。
それから、作業者全員、10m以上の高所作業車の資格を取得する事が、義務付けられている事も聞いたのでした。請負体制は、某大企業の下に直営の企業が入り、その下に、実働部隊として、私の会社が入る事になっていました。私の取り敢えずの宿舎としては、横浜事業所の独身寮になりましたが、「メンバーが増えたら、いずれは、ホテルに入って貰うが、初期のメンバーは〇〇と出張メンバー、それと近くの協力会社で行くよ!」と言われたのでした。
その後、各事業所からの出張メンバーが集まり始めました。出張者には、近くのホテルが充てがわれましたが、私は相変わらず独身寮住まいでした。その殆どの出張者とは面識がありましたが、逆に横浜所属のAさんとは、初めて会いました。Aさんは千葉県に住まいがあり、毎日、大型バイクで東京湾横断道路を通って出勤してると聞き、とても驚いたのでした。最終的に集まったメンバーは、全国各地の事業所から10名と、協力会社から4名の14人となりました。
全員が揃ったところで、神奈川県川崎市にある小松製作所に、高所作業車の資格を取得する為の講習会に向かいました。そこで、本来であれば、作業を指揮する監督として赴任する筈の、某大企業の直営企業の方も1人だけでしたが、何故か高所作業車の講習会に来ていたので驚いたのでした。その人が「 Yさん 」でした。後から、Yさんからお聞きした話ですが、元々は親子で某大企業の下請けとして、製品を卸していた様で、その頃は、結構年収も良かったそうです。
しかし、徐々に単価の締め付け酷くなり、遂には廃業する事に事になったそうです。そんな時、大企業の直営企業から「うちで働かないか?」と言って貰えたものの、「私で務まるものでしょうか?」と返答すると、「大丈夫!大丈夫!」と言われたので、心を決めて、お世話になる事になったと仰っていました。「そんな訳で、私も1作業員なんですよ!」と仰ったのでした。その後、協力会社の方も含めて、全員が高所作業車の資格を取得できました。
首都高の橋脚を、昼夜2交代体制で作業する為には、道路規制が必須でしたが、隅田川の花火大会前で許可が降りず、結局は花火大会以降に再スタートを切ると言う話になりました。具体的には9月の初めから開始すると言う事で、H所長から各事業所の責任者に対して、高所作業車の資格も取って貰ったし、この工事に優先的に携わって欲しいので、新たに出張を決めないで欲しい!とお願いしたのでした。
一方、協力会社の責任者さんからは、「極力、御社のご意向に沿うように努力しますが、かなり先の事ですから、確約は出来ないのがリアルなところですね。」と言われてしまったのでした。そして、9月の再会を祈りながら解散となり、私も含めて、所属する事業所に帰任したのでした。広島にある事業所に戻ってからは、上司や同僚から「栃木でSに遣られたらしいな!」と、既にH所長から話が行ってる雰囲気でした。私は曖昧に答えてやり過ごしたのでした。
広島に戻ってからは、秋の定修時期でもあり、H所長との約束で、私を出張させる事が出来ないので、近場の工事に、ヘルプで入る仕事しか回されませんでした。そして、9月前になり再赴任する事になりました。しかし、横浜事業所に到着してみると、様相が一変していました。高所作業車の資格を取得した10名の内、再赴任で集まったのは、僅かに4人と言う状況でした。しかも、体制も様変わりしていました。その最たるものは責任者の問題でした。
Posted at 2026/07/21 08:15:00 | |
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