僕の白パンダは2018年式 納車が2019年の1月だから、もうすぐ5年になる・・・
そういう節目を迎えるんだけど、この度、
この白パンダを手放すことになってしまったのです
・ 僕がどういう経緯で白パンダと一緒に暮らすことになったのか
・ なぜ手放さなくちゃならなかったのか
なんてことを、正直言って気持ちが治まらないのでブログに記録することにします
お目汚し 申し訳ありません <m(_ _)m>
今回は その第1回目
『 スバリストからフィアッティスタへ 』
となります
お暇つぶしにでも ご覧いただければと思います (#^.^#)
1.高校3年生
僕は高校生時代、自転車で片道10km程度の山道等を通学していました
時は1985年頃、高3の冬に差し掛かった季節のある朝、僕の自転車の横を
『 ブォン! 』と追い越していったビアンキのA112アバルト・・・
「お?」と感じたその瞬間に、続けざまに
『 シュン!』 と追い越していった見慣れないクルマがありました
そう、パンダ1デス (#^.^#)
当時の僕はクルマよりバイクに興味があって、A112は当時時々見かけることが出来たクルマだったので知っていましたが、パンダ1はまったく知りませんでした
そのパンダ1はリアゲートにエンボス調で ”Panda” って書いてあって、それを見た僕は
「 なんであんなに角ばっているのにパンダなんだ? 」
といった感覚を覚えた程度だったのです
これが、僕にとって最初のパンダ1との接近遭遇でした (*´ω`*)
2.スバリストからフィアッティスタへ
ムスメ達が中学生から高校生へと成長してきたころに、僕はレガシィを乗り継いでいました
左側のBHのツーリングワゴンは、それまでの僕のクルマに対する考え方(?)を大きく変えるもので、凄く気に入っていました そして、10万kmを越えた頃、レガシィをセダンタイプに替えることにしたのでした
でもこのセダンB4・・・ CVTだったんですよね~
やや大味になったレガシィだったんだけど、素晴らしい性能であった記憶があります
ケドCVT!
このB4に乗り換えてすぐに転勤となり、毎日 110kmの通勤を共にしたのですが、やっぱりクラッチペダルがないとつまらないと感じるようになってしまいました
その時出会ったのが FIAT500のツインエアスポーツプラス!
この子は2012年式の限定車で、ツインエアを5MTで楽しむといった稀有な存在で、デザインもさることながらそのドライビングの楽しさは絶品でした (#^.^#) 確か3年ほどで10万kmを走ったハズです
ちっとも飽きないクルマだったのですが、Dラーでのコンピューター診断の都合上、
エンジンマッピングを
書き換える提案があったことから、
『 後期のマイルドなツインエアになってしまう!
これはマズイ‼ 』
と、買い替えを決意したのでした (>_<)
3.パンダ1のオーナーになる!
500に乗っていた頃、僕は自宅PCで仕事をする機会が増えて、苦手なネットにも触れるようになってきました
丁度、YOUTUBEも見るようになりFIAT車の動画を漁っていたりしていたある日、パンダポーリの動画に行きつきマス
そしたらなんと!
高校3年生の時に
僕を追い抜いて行ったクルマが
たくさん出演している
じゃぁありませんか!
僕はようやく、あの高校時代に見て本日現在も脳裏に焼き付いているあの四角いクルマが何であるかを知ることになったのです
どうやら一目惚れのようです (;^_^A
それからの僕は、『 500の代わりにパンダ1を! 』 ってなことで、中古車サイトを頻繁にチェックするようになったのです
そして遂に!
” よもぎパン ”を手に入れることになったのでした! (((o(*゚▽゚*)o)))
初めて僕以外のパンダ1と公道で触れ合った日・・・
初めて徒歩で参加したパンダリーノ2018・・・
しかし、そんな幸せな時期は終焉を迎えることになったのでした
エンジンが逝ってしまったのです (´;ω;`)ウゥゥ
この時すでにパンダリーノ2019に正式エントリーをし、名前も ”よもぎパン” としていた僕は、奈落の底に落ちていくような感覚を覚えたのでした・・・
そして僕は、Dラーのショールームに展示してあった 今回のブログの主人公、白パンダを購入することにしたのでした \(^o^)/
さてさて、このお話しは、この度白パンダを手放すこととなったことを書こうと思い立ったものですが、気持ちが高ぶっていて、なんだか長文になってしまいました・・・
続きは第二話にて書き残しておこうと思います ///▽///
Posted at 2023/06/20 00:50:27 | |
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