あなたは愛車と涙の別れをしたことがありますか?
多くの方はやがてやって来る新車を心待ちしながら
小さなねぎらいの目を相棒に投げかけるだけでしょうか。
今回は、北海道と私、そしてGT-Rとの因縁を
10周年の今、記録しておきたい、そうおもいました。
くどくどと長い説明になります。
今から14年前、膝の故障で泣く泣く、初代GT-Rを手放してしまった。
長く続けた運動を突然ストップして
筋肉が急に落ちたのが原因。
当時はそれが分からなかった。
つれていかれるRを、足の痛みも忘れ
泣きながら追いかけた。
アリベデルチ・
その頃はもう少し若く、少しはきれいで、絵になったけれど
今だったら見苦しいだけだろうなぁ(笑)
階段の上り下りもレールが頼り
でも仕事は休めない。
「母さんは普通のATじゃダメだろうから・」
と息子がアコードSiRをみつけてくれ
19才で免許を取って以来はじめてAT車に乗り始めた。
失ってから改めて知ったRへの愛・
街角でGT-Rを見るたび涙が出て止まらなかった。
時にはUターンしてその姿を追うことも・
(それ・ストーカーやん)
それでも・心が少し癒された。
膝の腫れ痛みはトラウマになっていた。
好きなRにこの世ではもう乗れない
ならば
来世で乗ろう・
あの世とやらで再びステアリングを握るため
ジム通いやウォーキングをし、タップを習った。
少し無理をするとすぐ膝は腫れ
身体的、精神的な壁を打ち破ることが出来ないまま、年月が流れて行った。
2011年OO才になり、なにか記念になることをしたいと思った。
このまま無意味に年を重ねたくない。
北海道一周(首から上)を計画した。
何の興味もなかった北海道。
記念のための一周。
岬をぐるりと海岸沿いに回って終わり・
のはずだった。
動物園は嫌いだが、メンバーとの話のタネに
いっとき海岸線から逸れ、旭山動物園(旭川)へ寄った後
元の海岸線ルートに戻るべく、士別から海をめざした。
2013年のブログから
一昨年、北海道一周を計画した時は、その後再び訪ねる気持ちはなかった。
一周を果たす達成感、それ以外に興味はなかった。
その気持ちを一転させたのは、士別から苫前のおよそ65キロか70キロの樹海の中のワインディングな峠だ。
239号線。
時々小雨がぱらつく中、霧に覆われた山々から無言のパワーを感じながら走った。
すれ違う車とてなく、ただ心の中で山々と対峙しながら、70キロの音のない世界を一気に駆け抜けた。
不思議な感覚だった。
きっと来年も来る・
苫前に着いた時、心は変わっていた。
京都の片田舎、盆地に生まれ育った。
峠を越えなければ他の場所に行けない。
峠を走る楽しさは、体に染みついていた。
結婚後、名古屋、東京、そして茨城へ。
信号と渋滞だけの生活環境になり
走りの楽しさは日々の忙しさの中に封印され・風化していった。
何十年も・・・何十年もその楽しさを忘れていた。
士別から峠を駆けたその時、
山ふところに抱かれ駆け抜ける喜び
遠い昔の感動と陶酔が鮮明に蘇ったと思う。
以来ほぼ毎年フェリーに乗った。
ある時、旭岳にはカムイミンタラ(神々の遊ぶ庭)
があることを知った。
『神々の遊ぶ庭』
魅力的な響き。
行ってみたい・
ケーブルカーで五合目まで。
五合目ステーションから『姿見の池』まで登りが少しあり
膝が痛んだが、そこまでは何度か歩いた。
池からは登山道
ザレ場、ガレ場がつづき
私など足元にも寄せ付けない
険しくも神々しい山頂があった。
なんて雄々しく神々しいんだろう
生まれ変わったら登りたい・
そして「神々の遊ぶ庭」を見てみたい
来世の宿題が二つになった
そんな中、白樺荘で縁と言うか・・一期一会があった。
「姿見の池からもうほんの少し登ってごらんなさい
山は別の顔をみせますよ」
世界中のパワースポットを訪ね歩いている人だった。
翌年、少し上まで上がってみた。
なるほど草木一本ない険しい山肌が見えた。
そこから降りようと向きを変えたその時
二人の老人が (私のへっぴり腰を)見下ろし笑いながら


”われわれ二人の間に入りなさい、登りましょう“
と促し、なぜか(?)私は素直に合流した。
痛みに幾度ギブアップしようと座り込んだろう。
見知らぬ人に言葉をかけられ、 冗談を言い合い、
はるかに高齢のオバーさんが登っていく姿に励まされ・・。
8合目・もう引き返せない、
9合目・ひざは限界を超えていた(もうぐちゃぐちゃの感じ)
そして・・山頂まで登りつめた。
“ダメかと思ったが、よく登ってこれたなー。”
涙があふれた。
眼下に、涙でかすんだ カムイミンタラ (神々の遊ぶ庭)が
どこまでも広がっていた。
下山時はまるで地獄だぁ・
膝は壊れてしまったように痛み、 鉛版のようにおもく 動かず 曲がらない。
二本の鉄棒になった私のポール(足)と夫の形見のポールに覆いかぶさって下山した。
ようやく宿にたどり着くと、 痛みで動けず、 3時間程ベッドで横になった。
目覚めると、 不思議なことにあれほどの痛みが 引いてきている。
熱い温泉に身を沈めると、 痛みがほとんど気にならなくなった。
翌朝
膝のぐるりをぱんぱんに覆っていた水がなくなり
その日に小樽まで220kを運転し
終日見て歩いた。
10年間、立ちはだかっていたトラウマの壁が・崩れた瞬間だった。
もう痛みを恐れない。
治癒力はあるんだ。
あの世での宿題をひとつクリアーした。
ならばあとひとつ・
叶えられるだろうか?
帰宅後、休日を利用しアコードでR探しの旅をはじめた。
年齢の壁や10年のブランクなど頭から消し飛んだ。
関東一円はもとより、飛行機で広島まで飛び
ついに東京板橋で夢に見た同じ型
32GT-R後期最終型ノーマルを見つけたのだった。
10年ぶりのMT車
10年の間、片時も忘れえなかった32GT-R
買ってからは経年劣化、故障との戦い
でも・もう二度と手放さない
体力、知力がある限り
いや・体力知力を鍛えてでも・
Rとお礼に行く旭岳
カムイの山へ
そして10年前私を魅了し
R再会の原点になった
70kを再び走ります
Posted at 2021/10/27 17:42:21 | |
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