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かながわのやまちゃんのブログ一覧

2021年10月31日 イイね!

鳥羽三女神から熊野三山へ 3日目

鳥羽三女神から熊野三山へ 3日目旅の最終日です

お付き合いいただき、ありがとうございます😊

世界遺産に登録された名勝を時間の許す限り巡ります

旅の2日目
https://minkara.carview.co.jp/userid/3211914/blog/45587782/


尾鷲から南下して



鬼ヶ城
隆起と風化、侵食によってできた洞窟と奇岩が約1.2kmにわたり連なる名勝で、天然記念物 です




桓武天皇の頃、熊野の海を荒らし廻り、鬼と恐れられた海賊多娥丸(たがまる)を、天皇の命を受けた坂上田村麻呂が征伐したという伝説が残っているそうです
(案内、他公開情報より)




洞門の上が顔に見える・・

案内板には15箇所もの見どころが表記されています
見落とさないように、と歩きはじめます




千畳敷




人物を入れて撮ってみました




釣り人多数




猿戻




犬戻もあります

猿も犬も戻るくらいの断崖絶壁につけられた道




鬼の風呂桶




下を覗くと確かに




潮吹




吹くぐらいの波だと危険かと





鬼の洗濯場




行者窟
道から外れた高台にあり、見落とします




波切不動

片道30分、往復1時間
なかなか歩きがいがあります




駐車場に戻り、次に向かいます




七里御浜

熊野市から新宮市まで20数kmにわたり続く海岸

砂浜ではなく、丸石が敷き詰められたような独特の景観です

写真は昨日撮れば良かった・・




途中
獅子岩に立ち寄ります




高さ25m
まさに獅子です




花の窟(はなのいわや)
道の駅が隣接しているので、そちらに停めて




花の窟は、神々の母である伊弉冊尊(イザナミノミコト)が火神・軻遇突智尊(カグツチノミコト)を産み、灼かれて亡くなった後に葬られた御陵です。平成16年7月に花の窟を含む「紀伊山地の霊場と参詣道」が世界遺産に登録されました。
花窟神社(花の窟神社)は日本書紀にも記されている日本最古の神社といわれています。
(花の窟活性化地域協議会ホームページより抜粋引用)




参道を進み




門をくぐります




窟が御神体です

年2回例大祭では神々に舞を奉納し、日本一長いともいわれる約170メートルの大綱を岩窟上45メートル程の高さの御神体から境内南隅の松の御神木にわたします。この「御綱掛け神事」は、太古の昔から行われており「三重県無形文化指定」されています。
(花の窟活性化地域協議会ホームページより抜粋、一部改変)




黄金竜神




お稲荷さん




御朱印をいただき

旅も終わりに近くなりました
北上して紀北町紀伊長島へ




また来ました
道の駅 紀伊長島マンボウ




新鮮な地魚が並べられています




他にも品揃えは豊富です

さて、お目当てのお店は
道の駅の斜向かいの




『おさしみ処ぷくぷく』さん
7月以来の再訪です




店頭には入店待ちのお客さんが多数

開店時間で予約を入れています

予約のない方は整理券を受け取り、予約客の後に入店という仕組みにした、とご主人がおっしゃっていました
ご夫婦だけで経営なさっていて、週末の混雑に対応できなくなってきたからだそうです




注文は決まっています




おさしみ定食

小鉢のひじき煮と味噌汁はアラで出汁をとっていて、これが美味いです




今回は
『ミニフライ単品』もつけます

期待通り、『ミニ』ではありません




美味い刺身を腹一杯食べられる幸せ
普通ならば3人前です




ご主人からは
『炙りは鰆』
食べ終わるころに
『魚の処理が良いから、血や水が一切出ていないでしょう?』
とお話しがありましたが、魚の細かい説明はなかったので、前回に続き店頭のメニューボードをご覧ください・・

『ヨコワ』はクロマグロの若い頃を指すそうです
道の駅でも品揃えがあり、おそらく刺身で出していただけるだろうなと思い見ていた次第です

次はいつ来られるだろうか




腹一杯ですが、こちらも外せないので




注文して、待つこと数分




マンボウ串焼き
塩胡椒味付け
淡白で歯応えのある食感です

昼過ぎ帰路につきます




伊勢市近くの川
木々が色付きはじめています

3日間の旅の記録
お付き合いいただき、ありがとうございました😊



おまけ
東名高速道路は足柄サービスエリアから渋滞だったので、新東名の清水パーキングエリアで時間調整してから帰宅したのですが、夕食時だったので



すた丼
久しぶりに食べました









Posted at 2021/11/04 06:33:16 | コメント(4) | トラックバック(0)
2021年10月30日 イイね!

鳥羽三女神から熊野三山へ 2日目

鳥羽三女神から熊野三山へ 2日目旅の2日目は熊野三山です
お付き合いいただき、ありがとうございます😊

1日目
https://minkara.carview.co.jp/userid/3211914/blog/45585375/

伊勢市を早朝に出発します




まだ、開いていない『道の駅パーク七里御浜』で一休み

世界遺産の構成要素となる美しい海岸が目の前です

明日、改めて訪れることにして

熊野那智大社
熊野速玉大社
熊野本宮大社
の順に参拝することにします
(週末混雑予想)


ここで
熊野三山とは?

熊野本宮大社のホームページに
『5分でわかる熊野本宮大社』
というページがあり、わかりやすかったので、以下そのまま引用します

「熊野」は、和歌山県南部~三重県南部の地域を指します。和歌山県南部に「熊野三山」と呼ばれる三つの大きな神社があり、熊野三山へお参りするための道を熊野古道といいます。

熊野三山はどんな神社なの?
熊野本宮大社、熊野速玉大社、熊野那智大社を合わせて熊野三山といいます。
熊野の神々は自然信仰に根ざしていましたが、奈良~平安時代にかけて熊野は仏教・密教・修験道の聖地ともなり、神=仏であるという考え方が広まりました。
その影響を受けた三山は結びつきを深め、同じ12柱の神々(=仏たち)をおまつりするようになります。熊野三山の神秘性はますます高まり、平安時代の末には「浄土への入り口」として多くの皇族や貴族がお参りするようになりました。浄土へお参りし、帰ってくるということは、死と再生を意味します。そのため熊野三山は「よみがえりの聖地」として、今なお多くの人々の信仰を集めています。

以上

さて、駐車場にクルマを停めて




ここからが参道です
473段の石段とのことです




息が上がりはじめたところで
鳥居が見えてきます




到着




と思ったら、先があります

ようやく




熊野那智大社 拝殿

主祭神は熊野夫須美大神(くまのふすみのおおかみ、イザナミノミコト)
夫須美(ふすみ)とは「むす」という生成発展を意味する言葉であり、同時に「結(むすび)」という意味を持っています。このため、かつては「結宮(むすびのみや)」という通称で呼ばれていました。
他の二山と違い、御滝の神様を併せ祀っているため一柱多く神様を奉斎しています。元々は御滝の近くで祀られていましたが、約1,700年前に現在の場所に遷りました。
(熊野那智大社ホームページ)


御本殿域は重要文化財
世界遺産です
この先の撮影は控えます

玉垣内には正面に五殿があります。
右から四つ目の御社殿が、熊野夫須美大神(イザナミノミコト)をまつるお宮でひときわ大きく建てられています。各社殿とも熊野造りです。
(熊野那智大社ホームページより抜粋)




八咫烏(やたがらす)・御縣彦社(みあがたひこしゃ)

八咫烏は熊野の神様のお使いである、三本足の烏です。より良い方向へ導く、お導きの神様とされ、御縣彦社でお祀りされています。

即位以前の初代天皇、神日本磐余彦命を奈良の橿原の地まで道案内をした八咫烏が、案内を終えてこの那智山で石に姿を変え休んでいると伝わる【烏石】(からすいし)があります。

(熊野那智大社ホームページ抜粋、一部変更)




樟霊社(しょうれいしゃ)
樹齢約850年の樟を御神木として祀っています。
平重盛の御手植えと伝わっています。
(熊野那智大社ホームページ)


すぐ隣に



那智山 青岸渡寺(せいがんとじ)

西国三十三所一番札所
重要文化財
世界遺産

創建は4世紀と伝わる天台宗の寺です

平安朝中期から鎌倉時代は、「蟻の熊野詣」といわれ、熊野三山の信仰が盛んになり、この時、65代花山法皇が三年間山中に参籠され那智山を一番にして近畿各地の三十三観音様を巡拝されましたので、西国第一番礼所となりました。
現在の本堂は、織田信長南征の兵火にかかり、天正18年(1590)豊臣秀吉によって再建され、桃山時代の建築をとどめ紀南で一番古い国指定の重要文化財建造物で、この堂の高さは18mで、大滝の落口の高さと同じであるといわれています。
(熊野三山協議会ホームページ 御由緒より抜粋)




おなじみのアングルで
三重の塔は青岸渡寺の一部です




ここから急坂を降り




熊野那智大社別宮
飛瀧神社




光ヶ峰(ひかりがみね)遥拝石

光ヶ峰は熊野の神様が降臨したと伝えられている御山で熊野信仰の原点、と案内板にあります




滝が御神体です




那智の滝
133mの落差は日本一


駐車場にもどります



熊野古道
大門坂の入口です




案内板から進むと石の鳥居




夫婦杉




昔からの石畳が今も残ります

本来ならば、ここから熊野那智大社を目指すべきでしょうが、雰囲気だけで・・

 
熊野速玉大社に向かいます



まずは
王子神社(浜王子)から参拝します

続いて



阿須賀神社(あすかじんじゃ)




朱塗が美しい立派な社殿です

後ほど参拝する『神倉神社』に降臨した熊野の神々が、次にこの地に祀られたと伝えられています




熊野速玉大社です





御神門




拝殿

奥には熊野夫須美大神を祀る結宮と熊野速玉大神を祀る速玉宮が並んでいます




(熊野速玉大社ホームページ)

順に参拝して




鳥居近くの
手力男神社 八咫烏神社

神倉神社に向かいます




目指す参拝者は多く、20台ほどの駐車場はほぼ満車です




鳥居から壁のような石段です
この場所で遥拝する参拝者も多いようです




石段は538段!
源頼朝の寄進によって造られたそうです

その石段を今歩いていることが感慨深いのですが、キツい



神倉神社

社殿の奥のゴトビキ岩が見る者を圧倒します
古代の人も畏怖の念を抱いて見上げたことでしょう

ゴトビキとはヒキガエルを指すそうです

以下引用です
「熊野権現御垂迹縁起」(1164年長寛勘文)はじめ諸書によると、熊野の神々は、神代の頃、まず初めに神倉山のゴトビキ岩に降臨され、その後、景行天皇五十八年、現在の社地に真新しい宮を造営してお遷りになり、「新宮」と号したことが記されています。
初めは、二つの神殿に熊野速玉大神、熊野夫須美大神、家津美御子大神を祀り、平安時代の初めには現在のように十二の神殿が完成しました。
日本書紀には、神武天皇が神倉に登拝されたことが記されています。悠久の古より人々から畏れ崇められてきた神倉山には、初め社殿はなく、自然を畏怖し崇める自然信仰、原始信仰の中心であったと思われます。
以上
(熊野速玉大社ホームページより)




登った甲斐のある景観です




今一度、振り返り




壁のような階段を降ります
伝わるでしょうか?

そして
いよいよ熊野本宮大社へ




鳥居
158段の石段の参道を上ります




祓戸大神
参道途中にあり、身を清めていきます

案内板がのぼり旗に隠れていて見逃す参拝者がほとんどです




御本殿のお参り順が記されています




神門
ここから先は撮影禁止です

『5分でわかる熊野本宮大社』から、また引用させていただきます

【熊野本宮大社の歴史まとめ】
当社の主祭神は、家津美御子大神(スサノオノミコト)です。
歴史を遡ると、古代本宮の地に神が降臨したと伝えられています。
三本の川の中州にあたる聖地、大斎原(おおゆのはら)に社殿が建てられたのは、崇神天皇65年(紀元前33年)のことでした。奈良時代には仏教を取り入れ、神=仏としておまつりするようになります。
平安時代になると、皇族・貴族の間に熊野信仰が広まり、京都から熊野古道を通って上皇や女院の一行が何度も参拝に訪れました。
室町時代には、武士や庶民の間にも熊野信仰が広まっていました。男女や身分を問わず、全ての人を受け入れる懐の深さから、大勢の人が絶え間なく参拝に訪れる様子は「蟻の熊野詣」と例えられるほどでした。
明治22年の大洪水により、大斎原は大きな被害を受けました。当時は能舞台などもあり、今の8倍の規模を誇っていましたが、明治24年に上四社が現在地へ移されました。
今、大斎原には中四社、下四社、境内摂末社の神々がおまつりされています。

以上




八咫烏ポスト




拝殿脇には『今年の漢字』が飾られています

大斎原に向かいます




伊弉冉尊(イザナミノミコト)の荒魂をお祀りする産田社にお参りをして




大斎原の大鳥居
熊野本宮大社の旧社地です

熊野三山参拝を終えて


宿は尾鷲です

夕食はこちらへ




『鬼瓦』さん

駅近く飲食店街にある尾鷲の方々の憩いの店といった雰囲気です
ご常連なのかご家族なのか私にはわからないぐらいの賑わいで、老若男女、思い思いにお酒や食事を楽しんでいます

ご主人は現役の格闘家とのことです

料理は豪快、会計はとても良心的です




刺身




煮付
関東者の私にとっても甘く濃い味付けですが、好きな味です




フライ
大カマスは覚えているのですが・・




締めは焼魚を定食に
小鉢の一品も甘く濃い味付けでご飯が進みます


いただいた御朱印です



熊野那智大社
飛龍神社

青岸渡寺 
納経帳を持っていなかったので書き置きをいただきました




熊野速玉大社
神倉神社
阿須賀神社




熊野本宮大社

2日目も歩きました



明日に備えて早めに休むことにします

大変長くなりました
お付き合いいただき、ありがとうございました😊

旅の最終日
3日目に続きます

Posted at 2021/11/03 06:15:19 | コメント(4) | トラックバック(0)
2021年10月29日 イイね!

鳥羽三女神から熊野三山へ 1日目

鳥羽三女神から熊野三山へ 1日目志摩国の一宮は
内宮(皇大神宮)別宮の
『伊雑宮』(いざわのみや)
鳥羽市の加布良古(かぶらこ)崎に鎮座する
『伊射波神社』(いざわじんじゃ)
二社であるというのが定説のようです

7月に伊雑宮に参拝して以来、伊射波神社にも参拝したいと思っていましたが、ようやく機会を得ました

合わせて『鳥羽三女神』として親しまれいる
『神明神社』石神さん
『彦瀧大明神』
にも参拝します




夜明け
湾岸長島パーキングエリア




到着
遠かった・・




安楽島舞台




駐車場にクルマを移動します
料金箱が設置されています

参道で出会った氏子さんから
遷宮をするための経済的事情のことを少し伺いました




海岸に出て朝日を拝んでから




参道へ
ここから拝殿まで30分歩きます




要所に
『右一の宮』の道標があり、迷うことはありません



切り通し




山中を進み




海がみえます



海岸沿いの参道




海岸から再び鬱蒼とした森の中の参道へ




氏子さんから教えていただいた通り、
森の中をそのまま進まずに 
ここから海岸に降りて




海岸沿いの鳥居




石畳の参道




おそらく昔から変わらない石段を踏みしめ




厳粛な雰囲気です




拝殿




本殿

縁結び
かぶらこさん
鳥羽市安楽島町(あらしまちょう)の加布良古崎(かぶらこざき)にある神社。加布良古崎にあるため、地元では"かぶらこさん"とも言う。海に向かって鳥居が建っており、昭和初期までは海岸まで船で来て参拝したという。縁結びの御神威でも知られており、また一の宮巡拝で訪れる人も多い。
創建の時期は不詳だが、1500年以上の歴史を持つといわれ、『諸国一の宮』によれば、稚日女尊を海の道から加布良古崎へ祭祀したのが起源で、志摩国の海上守護神として古代から崇敬されたと言う。『延喜式神明帳』に「答志郡粟島坐伊射波神社」、また建久3年、皇太神宮年中行事に「加布良古の明神」とあるのがこの社
のことで、伊雑宮と共に志摩国一宮とされる。
御祭神は、稚日女尊(わかひめのみこと)、伊佐波登美尊(いざわとみのみこと)、玉柱屋姫命(たまはしらやひめのみこと)、狭依姫命(さよりひめのみこと)。

(いただいた由緒より、そのまま転載)




案内板に従い、先へ




岬への道




海上守護神
領有神




岬の先端は木々に覆われていますが




『奇跡の窓』
鬱蒼と茂る木々の間から奇跡的に開けた『窓』から見える海




本殿脇
『美保留神』
見落としていました




拝殿本殿脇に平らな場所があります
遷宮の地なのでしょうか?




参拝を終えて
鳥居まで戻ります




美しい海をしばらく眺めてから




駐車場に戻ります
氏子さんの他、参拝者は1組だけで静かな参拝でした

往復正味1時間歩きます
参拝される際には足元の備えをしっかりとすることをお勧めします




御朱印は宮司様に直接連絡を差し上げて
こちらでいただきます




ご不在とのことでしたが、丁寧に場所を教えていただいたおかげで迷うことはありませんでした




彦瀧大明神に向かいます




事前情報では駐車場なしでしたが、
訪問日時点ではありました




駐車場に置いて、案内に従い歩きます




沢沿いの参道を進み




鳥居




女性特有の病気の治癒や安産
ひこんたきさん
(彥瀧大明神)
鳥羽市河内町の丸山参道に沿って流れている彦瀧川の中腹にある神社が彦瀧大明神。別名"ひこんたきさん"とも言う。
女の神様と言われ、女性特有の病気の治癒や安産の信仰を集め、遠方から女性達が訪れ、清流で身を清めてから参拝する。
『諸国誌草稿』によれば、河内村創立の頃から祭祀が行われ、祭日は毎月4日で、氏子はいなかったという。元々は彦瀧神社であったが後に底筒神社に改称、祭神は底筒男命となった。1910年(明治43年)3月20日に加茂神社へ合祀されたが、1958年(昭和33年)4月7日に彦瀧神社として旧社地に分祀された。
御神体は白蛇
(伊射波神社でいただいた文書よりそのまま転載)

しめ縄の向こうには滝と巨岩
社殿はないようです

清流が白蛇なのか巨岩が御神体なのかは私にはわからないですが、厳かな気持ちになります




神明神社へ




伊射波神社、彦瀧大明神とは打って変わり、参拝者が多いようです
一番近い『海女の家』駐車場は満車で第2駐車場へ




参道の古民家カフェ




鳥居




茅の輪くぐり
くぐり方解説を見ながら、その通りにしてみます
なかなか順番を覚えられません




拝殿

神明神社御由緒
創立年代不詳。神明八幡宮として造営され明治4年に境内諸社及び千賀神社・堅子神社を合祀しました。また、畔蛸神社も合祀し神明神社となりました。「志陽略志」によると相差(おうさつ)には神明八幡宮(今の神明神社)、御霊宮、白髭明神(菅埼)、熊野権現、日吉社、牛頭天王社、弁財天女社、八大竜王社、寧産(こやす)社、山神、石神社が記されていて、明治初年官令にて神明神社に集社合祀され現在は二十六柱の神々が祀られています。
(いただいた御由緒より転載、一部追記)




石神さん
この祭神は神武天皇の母であり綿津見神の娘である玉依姫命です。
その昔、正月のある晩、島田髪に締った女神が石神さんの元に現れたという言い伝えを、相差海女が古くから信仰し、海に潜る際の安全大漁を祈願してきました。そのことから、女性の願いなら、一つだけ必ず叶えてくれると言われるようになりました。
(御由緒よりそのまま転載)

ピンク色の紙に願い事を書いて納めることができますが、お参りだけにしておきます




御朱印は石神さんもいただきました
『女願成就』と記されています




お稲荷さんは三方に鳥居が配された珍しい形式です




三社参拝を終えて、志摩をぐるりと巡ることにします




パールロード入口




途中展望台より
的矢湾

二輪で走りたい道です




的矢湾大橋




朱色が目を引きます
全長237m




伊雑ノ浦を望む

昼食は鵜方へ

前回の旅でうなぎを食べたので




『日本料理 鯛』さん




鯛茶漬けをいただきます




濃厚に味付けられた鯛の分厚い切身がたっぷりと載せられています 
適度に熱せられて味わいの変化を楽しめます




軽めの昼食にした理由は後ほど・・




安乗(あのり)崎

フグの本場ですね
いただいたことはないですが、名前だけは




灯台に登ります




風が強くて飛ばされそう




台風の影響でしょうか
波が高い




振り返りの風景




安乗崎園地休憩舎で一休み




灯台を望むカフェです

昼下がり誰もいません

志摩の郷土食・煮切り干し芋の「きんこ」を製造・販売する「きんこ芋工房 上田商店」(志摩市阿児町)が運営しています

直売所にもなっていて、いろいろ品揃えされていますが、お目当ては





きんこ芋プレミアムパフェ

いつも記事を拝見して参考にさせていただいている方が最近ご紹介されていて、ぜひ食べてみたいと思っていました

トッピングの芋モナカが秀逸

禁断のパフェです




海沿いを走り




大王崎へ




平日とはいえ、灯台への道は寂しげです




灯台に登ります







海は美しい




観光客(私もですが)はチラホラと

開いている干物屋さんも所在なさげです




海沿いをさらに進み、後座へ

国道260号で




ともやま展望台へ夕日を見に




間に合いました




英虞湾の島々




山と雲の向こうに




黄昏




暗くなる前に山を降ります

本日は伊勢市に泊まります

ホテルにチェックインしてから
夕食はこちらへ




居酒屋
『一月家』さん

カウンターに通され、
注文は紙に書いて大将に渡します










会計は皿を見て大将が算盤をはじきます

昭和レトロな雰囲気が良いなと思っていましたが、とんでもない、大正創業でゆうに100年以上の歴史ある老舗でした

失礼しました・・

神奈川を2時に出てからの長い1日も終わりです

明日は熊野三山を目指します

長くなりました
旅の続きはまた改めて

お付き合いいただき、ありがとうございました😊



Posted at 2021/11/02 06:02:11 | コメント(3) | トラックバック(0)
2021年10月24日 イイね!

足尾から日光へ 二輪ツーリング 2日目

足尾から日光へ 二輪ツーリング 2日目旅の2日目です

お付き合いいただき、ありがとうございます
😊

旅の1日目

https://minkara.carview.co.jp/userid/3211914/blog/45561733/




夜明け前

お隣は兄弟車のR1200RS
どこに向かうのでしょうか?

近くのコンビニで朝食を調達して
中禅寺湖を目指します

清滝インターから先は早くも渋滞気味

いろは坂は明智平付近でノロノロ以外は、ほぼ順調です
(ヘアピン急勾配の渋滞路は何としても避けたかった)





中禅寺湖畔
歌ヶ浜からの男体山




最初の目的地の半月山展望台に通じる中禅寺スカイラインは7時から通行可です

時間まで湖畔からの風景を眺めながら、朝食にします

中禅寺スカイラインゲート前から、7時開通待ちのクルマが列をなしています

後に続き、半月山展望台駐車場へ




駐車場からは富士山が遠望できます




半月山展望台に登ります
0.6km
約20分とありますが・・




登山道だと思います

道には霜柱が立っていて、踏まれて溶けたところはぬかるんでいます
スニーカーやスカートの方は相当苦労されていました

半月山展望台に到着




お馴染みの眺めですが・・素晴らしい
男体山 中禅寺湖 八丁出島




紅葉には少し早かった




中禅寺湖の向こうは戦場ヶ原
色付きはじめです




男体山
山頂は雪に覆われています




白根山方面




こちらも真っ白です




足尾ダム上流部の山々
荒涼とした山肌が痛々しい

展望台は狭く、写真撮影の順番待ち

一通り撮影して、降りることにします




駐車場から結構登ってきたんだ




日が高くなり、筑波山もはっきりと見えます




満車の駐車場を後に
次に向かいます




立木観音近くの中禅寺湖畔




二荒山神社中宮祠




こちらの浜鳥居にまわり




八脚門




唐門
重要文化財




拝殿
重要文化財




本殿
重要文化財


中門、掖門、透塀も重要文化財です




二荒山神社奥宮のある男体山への入口
登拝門

男体山を目指す登山者多数です
山頂は積雪あり
お気をつけて




御朱印をいただいて




中禅寺湖から戦場ヶ原に向かいます

が、ここから竜頭の滝までは大渋滞
竜頭の滝を過ぎると渋滞は解消しましたが、
混雑する戦場ヶ原はパスして

光徳牧場へ




ようやく色づいた木々に出会えました




山王峠を越えて奥鬼怒温泉に抜ける奥鬼怒林道

鬼怒川温泉〜湯西川温泉は昨年走りましたが、こちらは未訪です

峠から降りてくる二輪、四輪多いです
後から地図で見ると楽しそうな道

来年以降の楽しみにしておきます

湯の滝も大混雑しており、パス

沼田に向かいます




金精トンネル手前から湯ノ湖と男体山を望むお馴染みのポイントで一休み

手前のトンネル内でSUVがスリップ事故で大破していました・・大怪我をした方はいない模様でしたが、電子デバイス満載の高性能、高級車でも物理的限界を超えたらアウト

金精トンネルを超えてきたライダーの先輩から、北斜面は積雪あり、凍結箇所もあるので注意して走るようにと貴重なアドバイスをいただきます

気を引き締めていかないと




金精トンネルを抜けると

先輩のアドバイスの通りでした

金精トンネル手前の事故を皆さん見てきたこともあると思います
四輪も二輪も丸沼高原スキー場までは慎重に進みます




丸沼高原スキー場から道の駅尾瀬かたしなまでは快走路

吹割の滝は駐車場が埋まるくらい混雑していました
紅葉最盛期にはさらに人出多いのでしょうね

沼田まで走り

とんかつ街道で昼食と決めていました




昨年も伺いました
『とんかつゆき藤』さん

相変わらずに人気で2組待ちです




入店して
女将さんに相談します

私『カツ丼を食べたいのだけど、昨年頼んだ時の量を忘れてしまって・・』

『たぶん、沼田じゃないかな?つけ麺はつけてないよね?』

私『はい、沼田の上の群馬は値段がそんなに変わらないけど、ごはんの量はどのくらいですか?』

『3合ぐらいかな』

私『・・・無理です』

『前回少し足りなかったなら、沼田でごはんちょい足しぐらいにしておこうか?』

私『ちょい足しの【ちょい】はどのくらいですか?』

『茶碗一杯ぐらい』

私『・・(後には引けず)それでお願いします』




ほどなく配膳されます




上から

味噌汁の椀のサイズがおかしい




横から見ると
小山になっています




こちらの甘めの味付けが好みです

カツとごはんのバランスは良いのですが、後で聞いたら、ごはん量は1.5合とのこと・・さすがに多かった


食後に女将さんから『足りなくなかった?』とありがたいお気遣いをいただきましたので、お礼を申し上げて、帰路につきます





沼田から関越道
赤城高原サービスエリア

藤岡からは渋滞
早起き、満腹で眠くて仕方ないのを堪えて

鶴ヶ島から圏央道に入り
狭山パーキングエリアで一休みして

東名はいつもの渋滞かな、ぐらいで考えていたら、事故で通行止めと表示が出ています

相模原愛川インターで降りて、一般道で帰宅しました

2日目
R1200RT 298km走行



Google

今回のルートです

2日間の旅の記録
お付き合いいただき、ありがとうございました😊














Posted at 2021/10/27 06:00:08 | コメント(2) | トラックバック(0)
2021年10月23日 イイね!

足尾から日光へ 二輪ツーリング

足尾から日光へ 二輪ツーリング10月23日土曜日
日光へ

今回は関越道前橋インターから




赤城の大鳥居 夜明けです

赤城山に雲はかかっておらず、そのまま県道4号線で赤城山を目指します




登り勾配が急になってきたこの場所で




25,000kmに到達

標高上がるにつれて気温は下り、1.5℃を表示しています
なるべく乾いた路面を選んで走り




鳥居峠まできました




朝日と眼下の風景

ここまで来る途中、山から降りる車と随分すれ違いました
おそらく日の出の写真を撮っていたのでしょう




覚満淵と大沼




雲海の向こうには筑波山

と、ここで天候が急変 
時折降っていた霧雨が雪に変わり、強風に煽られて打ちつけてきます

周辺を散策しようと思っていましたが、二輪では身動きできなくなるおそれがあり、急ぎ撤収します




道の駅ぐりーんふらわー牧場・大胡まで来てほっと一息




国道353号と並行する『からっ風街道』
名前が良いですね
どちらも楽しい道です

大間々まで行かずに県道333号のクネクネ道でショートカットして




わたらせ渓谷鐡道 上神梅駅

『2008(平成20)年に、駅舎及びプラットホームがわたらせ渓谷鐵道の施設としては初めて登録有形文化財に登録されました。足尾鉄道の開業当初からの歴史を見守ってきた駅舎は1912(大正元)年の建造で、駅舎ファンの間では全国的にも「横綱級」と称えられています。珍しい木製の改札が残り、昔と変わらぬ姿の現役の駅舎』(わたらせ渓谷鐡道ホームページ)

簡素な造りの建物ですが、見守り続けて1世紀以上は確かに『横綱』です




ちょうど下りが来たのでホームに出て追いかけ撮影

ここから国道122号銅街道で足尾に向かいます




草木ダム




左岸展望台にいた先客
いつからいるの?




他には誰もいません




草木ダム堰堤上




草木橋




足尾駅まで来ました
旧足尾線で使用されていた車両が保存されています




キハ35
わたらせ渓谷鐡道になる前に乗りに来たことがあります

当時キハ30系は少数派でキハ20が主力でした




キハ30
だいぶ傷みが激しいです




かつての賑わいを彷彿とさせる広い構内
足尾駅を後にして




渡瀬橋




古河掛水倶楽部

『古河鉱業の貴紳客の接待と宿泊施設として、明治32年に建築された和洋折衷の迎賓館です。中には国産第1号といわれるビリヤード台や、資料館には民間電話導入第1号の電話機が展示されています。当時としては『ハイカラ』の先端をいくものだったようで、鉱都足尾の当時の栄華を残す施設です。』
(日光市ホームページ)

開館時間までまだあり、次に向かいます




新渡瀬橋から渡瀬橋




製錬所への貨物線の跡

事実上の操業停止となった1989年(平成元年)まで貨物輸送が行われていたそうです
後ほど訪れる足尾環境学習センターの方から伺いました




古河橋と足尾本山駅跡

大きい建物は倉庫として使われていたそうです
これも足尾環境学習センターの方から伺いました




古河橋は1890年ドイツの工場で製作された部材を輸入し、現場でボルト接合のみを行い、短期間で組み立てたもので、足尾で近代最初期に整備された施設の中で、ほぼ完存しており、この種では国内最古の遺構
(栃木県の土木遺産ホームページより抜粋)




製錬所跡の煙突

上流に進み




7段で流れ落ちる足尾砂防堰堤(ダム)が見えてきます




銅(あかがね)親水公園




人道用斜張橋 銅橋
106mあるそうです




橋上から下流方向




足尾砂防堰堤(ダム)

製錬所の煙害(銅製錬で発生する亜硫酸ガス)により、足尾の山々は壊滅的被害を受け不毛の土地となり、雨で山から土砂が流れ出し下流に堆積する現象が多発、河川氾濫の危険に晒された。
足尾ダムは上流の山々から流出した土砂を堰き止めるために1954年(昭和29年)に建造された砂防ダムで、渡良瀬川・仁田元川・久蔵川の3つの河川が交わるこの場所に建設され、砂防ダムとしては国内第2位の規模である。
(ネット公開情報を編集)

迫力ある砂防堰堤ですが、煙害で山が荒廃して流出する土砂を堰き止めるために建設されたとなると見ていて複雑な思いです

銅橋を渡ると足尾環境学習センターがあり、足尾銅山と煙害により廃村となった松木村の歴史を学ぶことができます




ダムカードは集めていないのですが、パンフレットと一緒にいただきました




砂防堰堤には、日本最大規模2000枚の陶板による壁画が描かれています




松木渓谷への入口は車両通行止めです

『日本のグランドキャニオン』とも呼ばれる松木渓谷ですが、煙害で木々が失われて露出した岩石が作り出す景観となると考えさせられます




特徴的な駅舎が目を引くわたらせ渓谷鐡道終点間藤駅
 
足尾を後に
日足トンネルを超えて日光市街地へ




市営駐車場から見た女峰山は雪に覆われています

さて、
今回の旅の目的の一つは日光三社参りです

東照宮が創建される以前は
本宮(本宮神社)
新宮(二荒山神社)
瀧尾(たきのお)神社
三社を日光三社権現と呼び、日光の信仰の中心的存在であったそうです




二荒山神社ホームページ掲載の案内を見ながら歩きます




まずはお馴染みの神橋から

紅葉にはまだ早いようです

『二荒山神社』神橋
重要文化財・世界遺産


本宮神社(ほんぐうじんじゃ)へ



入口の案内板には

二荒山神社発祥の地
日光の原点

とあります




重要文化財・世界遺産




こぶ杉




開運笹

瀧尾神社に向かいます




喧騒を離れた静かな道




昔からの参道でしょうか?
石畳の道を歩きます




摂社北野神社




手掛石




本宮神社から20分ほどで




白糸滝

瀧尾神社を創建したと伝わる空海が修行したと言われています




瀧尾神社です

本殿・唐門・拝殿・楼門・鳥居・石畳は国の重要文化財に指定されています




運試しの鳥居

額束に開けられた穴に石を投げて通すことができれば、願いが叶うそうです




楼門




拝殿 本殿

本殿の裏側には扉があり、神体山である女峰山を遥拝できるようになっています。

他にも



瀧尾稲荷神社




三本杉




酒の泉




安産子種石




二荒山神社に向かいます
静かな道を20分ほど進むと





東照宮、二荒山神社の表参道に出ます




東照宮の華麗な建築物を右手に眺めながら




二荒山神社

重要文化財・世界遺産です




銅鳥居 
重要文化財




境内案内図
(二荒山神社ホームページ)
神苑入場券にも掲載されていますので、見ながら参拝します




拝殿
東照宮ほどではないですが、すごい人出です

神苑に入場します




本殿を間近に見ることができます




日枝神社
重要文化財




朋友神社
重要文化財




大國殿
重要文化財




化け灯籠
重要文化財

江戸時代に警護の武士が灯籠の炎を亡霊と見誤り、度々斬りつけた刀傷と案内板にあります




三社の御朱印をいただいて




二荒山神社を後に




二荒山神社からほど近い東武日光駅へ




買い物と給油をして




駅近くのホテルに泊まります

朝少し食べただけで何も食べていなかったので、駅弁を2つ購入して夕食にします











半熟たまご






R1200RT走行317キロ
歩行9.7km

翌日に備えて早めに休みます

旅の2日目に続きます
お付き合いいただき、ありがとうございました😊








Posted at 2021/10/25 08:29:42 | コメント(4) | トラックバック(0)

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日中は暑いくらいでしたね🥵
どちらを巡られたのか記事楽しみにしています!」
何シテル?   04/09 18:50
かながわのやまちゃんです。よろしくお願いします
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