2014年01月15日
イクないね! この風潮どうにかならんのか?
FacebookやTwitterやYouTubeなどネットを徘徊してると、
個人的な恨みレベルの話を全世界に向け発信してる例を毎日どこかで必ず見掛けます。
勿論みんカラも例外ではなく、
「こんなDQNに煽られました!」とか「こんなDQNに幅寄せされました!」とか、
ご丁寧に動画付きでブログが上げられてたりなんかします。
ついでに、もっとご丁寧な人だと、わざわざ「拡散希望」とか書いてあったりします。
個人的な恨みをいちいち拡散するなよ…
中にはナンバーや顔など個人を特定できる要素を含んだ映像が付けられてる例も多々あります。
その本文の方を読んでみると、
ほぼ例外なく自分は一方的な被害者で相手は一方的な加害者という図式で書かれてます。
街中を走ってると実際にそのようなトラブルが起きてる現場に遭遇する事もある訳ですが、
100パーセント加害者が悪くて被害者は全く悪くないという例を見た事がありません。
煽ったり幅寄せするDQNだって自分とは全く関係のない人にいきなり仕掛けるほど暇じゃないでしょうから、被害者にもある程度の落ち度はあるんじゃないかと思います。
原因があるから結果がある訳で、
どちらかが100パーセント悪いという状況はまずないんじゃないかと思う訳です。
例えば「制限速度を守って高速を走ってたら煽られました」と被害者が言ってたとしても、
100キロ制限が掛ってるけどを実際には120キロ程度で流れてる高速で、
延々100キロで追越車線を走ってたらそりゃ煽られますって…
法的には100キロ制限なら100キロで走るのが正しい訳ですが、
実際問題120キロで流れてるならば自分も流れに合わせるか、
流れに合わせる気がないなら追越車線を開け渡してやらなけりゃ、
トラブルの一つや二つ遭遇するってもんです。
世の中には法的には違法だけど、実際問題大多数が違法な領域に踏み込んでる
グレーゾーンというものがあります。
グレーゾーンが合法なのか違法なのか?と問われれば違法なんですが、
そのグレーゾーンがあるが為に上手く回ってる事が多々あります。
例えば夜の首都高を制限速度をキッチリ守って走るとかなりリスキーで、
違法ですが周りの流れに合わせて走った方が快適かつ安全に走れます。
警察だってこれを充分理解してますから、
制限速度50キロの首都高でパトカーの目の前を100キロで走っても捕まえやしません。
しかし、これを文章にしてしまうと違法は違法でしかなく、
自分は制限速度を遵守していたと書くと絶対的な勝ちになります。
自分以外の全員がDQNであると書けば、それが通ってしまいます。
で、自分が絶対的な善人だという視点に立って書くと、
大抵の人をDQNにしてしまう事が可能です。
これを利用してブログとか書くと楽しいですよね。
自分は絶対的な善人で一切付け入る隙がない。
一方、相手は絶対的な悪人でしかない。
実際には周囲の流れを乱して迷惑掛けてようが、法的にはそれが正しいんですもん。
イイね!も一杯付いちゃいますし、同情的なコメントも一杯付いちゃいます。
一躍絶対的な悪人を糾弾するヒーローになれちゃいますね。
しかし、ここからが本題なんですが、
これって相手が悪いとか自分が良いとかいう以前に、
そもそも全世界に向けて発信する程の大事件なんでしょうか?
煽ってきたり幅寄せしてきた人は全世界に晒されちゃう程の大悪党なんでしょうか?
例えば日本のどこかで殺人事件が起きてTV等で報道されたとしても、
それは日本国内に向けたものです。
副次的に全世界に拡がる可能性はありますが、
あくまでもTV等が報道をしてるのは日本国内向けです。
しかも、そこには状況に応じて個人を特定できないような配慮もあります。
また、加害者本人の言い分も出されます。
殺人なんて重大犯罪を犯した人でも、
護られるべきものは護られるよう配慮がなされてる訳です。
が、煽られました、幅寄せされましたというブログはいきなり全世界向けに発信。
個人を特定できる要素を含んでる場合が多い。
加害者の言い分は掲載なし、或いは被害者側の脚色を含んでいる。
これって著しく客観性に欠け、極めてアンフェアじゃないですか?
しかし、このアンフェアが通じちゃう状況になってる訳です。
ネットというものを手にしてから、
個人レベルで全世界に情報を発信する能力を手にしてます。
ネットがない時代なら手近な人に愚痴を言うレベルの話を全世界に発信する能力を手にしてます。
これは自分の愚痴を全世界に発信できると同時に、
自分が全世界から攻撃対象にされる可能性がある事も含んでます。
生まれてから死ぬまでの間に一切法を犯すことなく過ごす事は極めて難しいと思います。
つまり、いつ自分が糾弾される側に立たされるか分からない訳ですね。
ちょっとムカついた事があったら全世界に向けて相手を糾弾するというのが当たり前になったら、
誰かをちょっとムカつかせたら自分が全世界から糾弾されるのも当たり前になる訳ですね。
誰かを簡単に攻撃できるようになったら、
誰かから簡単に攻撃されちゃうのも当然ですね。
こんな流れができたら、きっと過ごしづらい世の中になりますよ。
個人が簡単に情報を発信できるようになった今こそ、
個人レベルで留めておくべき問題、
仲間内に留めておくべき問題、
広く発信するべき問題、
と、切り分けていく能力が問われるようになったんじゃないかと思います。
そもそもYouTubeとかで動画を検索すると、
この手の個人的な恨み動画が一杯引っ掛かる訳で、
第三者にとっては検索の邪魔になるので迷惑でしかありません。
絶対的な善と思ってる自分自身が第三者にとっては迷惑極まりなかったりするんです。
迷惑と感じた人が攻撃に転じる事も充分可能な訳で、
絶対的な善と思ってる自分自身が、実は極めて危うい状況だったりなんかしますよ。
ブログ一覧 |
日常 | 日記
Posted at
2014/01/15 00:46:58
タグ
今、あなたにおすすめ