2012年10月31日
友人の誘いでロータス・ヨーロッパSに乗ってきた。
(特徴的な仕様の為写真はなし)
元々あまり私の興味を惹く車ではなかったが、
実際に乗ってみてもあまり印象の強い車ではなかった。
初代ヨーロッパもそうだったが、私とこの車は縁がないのかもしれない。
私がロータス・ヨーロッパという車を知ったのはスーパーカーブームの頃、
サーキットの狼という漫画の主人公、吹雪裕矢が駆っていた車だったからだ。
今にして思うとちょっと可笑しいが、当時ヨーロッパもスーパーカーの範疇に含まれていた。
当時のスーパーカーは今のそれよりずっとスーパーで、
高嶺の花などというものを遥かに超越した存在だった。
当時のポルシェ930ターボは今で言うとエンツォ・フェラーリ、
フェラーリ512BBはブガッティ・ヴェイロンくらいの感覚だっただろうか。
頑張って買おうなどという気も起こさせないくらい圧倒的な存在だった。
私の家から鮫洲の陸事がチャリ圏内だったので、
たまに仲間達と学校が終わってから、登録する為に運び込まれるバケモノ達を眺めにいっていた。
その当時の子供達の人気は二分していて、
なにからなにまで、ドアの開き方からしてスーパーなランボルギーニ・カウンタックと、
そのスーパーなカウンタックの最高速を2キロ上回る302キロを誇るフェラーリ512BBの2台だった。
どちらも300キロなんて逆立ちしても出ないと知るのは15年後の事である。
そんな折に、私の家の前にある会社に勤める兄ちゃんから衝撃の事実を知らされた。
「ロータス・ヨーロッパを買ったんだよ。」
更に衝撃的すぎる一言を付け加える。
「今度の土曜日に乗ってくるから助手席に乗せてやろうか?」
当時カウンタック派だった私的にはずっと格下のヨーロッパだが、
それでもスーパーカーはスーパーカー。
手を触れる事も叶わぬスーパーカーに乗せてくれるというのである。
それはそれまでの人生で最大の出来事。
月曜日にはもう土曜日が恋しい。
今の一週間と小学生の一週間とでは物理的な時間の長さは一緒だが、
感覚的な長さでは小学生の一週間の方が桁違いに長い。
待っても待っても土曜日はまだまだ先だ。
待って待って待ちわびて、いいかげん待ちくたびれちゃいそうだが、
待ちくたびれるよりもヨーロッパへの想いの方が遥かに強い、
不思議な感覚の一週間が過ぎ、とうとう土曜日がやってきた。
学校が終わったら、仲間達の誘いを振り切って全力疾走して家に帰る。
兄ちゃんの乗ったヨーロッパが現れるまで飯も食わずに家の前で待つ。
待たせすぎるにも程があるんじゃね?と思い始めた頃、
夕暮れの街にブォ~ンという音と共に兄ちゃんの乗ったヨーロッパがやってきた。
もう圧倒的に低い。
人なんか乗れる隙間がないくらい低い。
本当にこんなバケモノに乗れるのか。
まずは周りから見回す。
穴が開くくらい見つめる。
実際には多少は穴が開いちゃったかもしれない。
そしてひとつの事実に気がつく。
え? 左ハンドルじゃないの?
スーパーカーっていったら外車で、
外車っていったら左ハンドルで、
吹雪裕矢だって左側で運転してたじゃん…
「ヨーロッパが作られたイギリスも日本と同じ右ハンドルなんだよ」
という兄ちゃんの説明も全く心に響かない。
自分の中でなにかが崩れていくというか、急速に冷めていくのを感じた。
「乗ってみるかい?」という兄ちゃんの言葉も虚しく、
「友達の所に遊びに行くからいい…」と断る。
子供とは純真で、純真とは時に残酷でもある。
今にして思えば、兄ちゃんは相当無理してヨーロッパを買った筈である。
なにしろ当時のクラウンが今のレクサスLSくらいの高級車だった時代だ。
ヨーロッパだってポルシェよりは全然安いとはいってもかなりの高額車だったから、
若造のサラリーマンだった兄ちゃんが買うにはかなりの覚悟が必要だ。
清水の舞台から飛び降りるどころじゃない決断だっただろう。
こんなスーパーカーに乗ってたら姉ちゃんにモテるかななどとも考えただろうが、
子供達を乗せたらさぞ大喜びするだろうなとも思っただろう。
そんな兄ちゃんの想いを私の反応が凍らせたに違いない。
兄ちゃんは今でも車好きでいるのだろうか…
Posted at 2012/10/31 02:23:04 | |
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