先日、大分県玖珠町にある、角牟礼城を攻城した。
豊後森の街並み。
近年、街並み保存という名の開発により電柱がなくなっているところが多い。美観上はよいのだが、、、。
電柱がある街並みは、幼い頃の記憶そのままなので、却ってエモい。自分だけだろうか?
一角にある「金太郎」というお店で昼食をとったら、店内にキャロル360が飾られていた。
恥ずかしながら、HNに「松田」とつけているのに、2代目660のオーナーだったのに、初代キャロルの実車を見たのは初めてである。(ちなみにマツダの三輪オートは見たことがある💦)
実際に豊後森近辺を走っていた車体という。今は玄関の土間に静態保存されている。
ボディやルーフにいろいろなものが載せられていたため全体像を写真に収めるのは難しかった。せめて運転席の写真を。
豊後森藩資料館入口。
なぜ、このような山間地に、瀬戸内海を席巻した村上水軍の旗が???(申し訳ないことに裏返しですが、、、)
それもそのはず、豊後森藩の殿様であった久留島氏の先祖は、瀬戸内海の三島村上氏(能島、来島、因島)の一翼を担う来島村上氏であり、来島氏と名乗っていた。
今治に領地を有していたが関ヶ原で西軍につき所領没収。のちに福島正則のとりなしにより赦され領地を回復したものの、水軍の出自にもかかわらず(いや、敗者ゆえか)不慣れな山間部の領主になった。そして二代藩主の時代に来島から久留島へと氏を改めた。
なお久留島氏の前の領主は、佐伯に移封された森→毛利氏である。
資料館で続100名城スタンプをいただき、角牟礼城と伐株山城の御城印を求めた。
資料館の方によれば、三の丸まで車で行けるとのこと。
ロド様ではいささか無謀な?雨上がりで湿った落ち葉がたくさん落ちていて落石もある林道を登り、三の丸まで。
傾斜は基肄城の時ほどではなかったので、運転自体は難しくなかった。
三の丸から歩いて登ると、竪堀がお出迎え。
域内は草刈りや案内標識の整備が行き届いている。
二の丸の石垣とご対面。
大手門はすぐそこだが、この写真で満足してしまった。
穴太積の石垣。
ここから本丸まではわずかな距離なのだが、近年脚が弱っているのと、頂上は眺望が効かないとの話を聞いたので、ここまでとした。
なお、伐株山の眺めはよいらしい。車でも頂上近くまで行けるようだ。
それにしても、事前にきちんと調べておくべきだった。
そうすれば、資料館が立地する三島公園(角牟礼城の麓一帯、久留島氏庭園もあり)の奥に鎮座する末廣神社まで足を延ばしただろう。
というのは、末廣神社は、村上氏ゆかりの瀬戸内海に浮かぶ大三島に鎮座する海の守り神・大山祇神社を勧請した三島宮と、地域の妙見神社を合祀しているのだ。
天守を建てることを許されなかった久留島の殿様が、のちに三島宮修理と称して建造した、城郭を思わせる石垣も見どころとのこと。
久しぶりに、大山祇神社に三度?四たび?参り、そして未到の城・能島城を攻城したくなった。
角牟礼城を後にして、豊後森駅構内にある、旧機関庫を訪ねた。
昔は小郡駅(現在の新山口駅)にもこのような機関庫があったと記憶している。
今はどうなっているだろうか。
なお、静態保存されている機関車はなんと大正8年製造らしい。
ちょうど、「ゆふいんの森」号が豊後森駅を出発したところも見ることができた。
ロド様、今回もお疲れ様。

Posted at 2025/05/16 23:43:12 | |
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