
こんにちは、らりっくまです。
夕方になり、風が大分冷たくなりました。
明日から、また寒くなるそうです。
皆さん、体調管理にはくれぐれもご注意ください。
あの日の夕方も寒かったのを思い出します。
去年の3月11日、日中は小春日和のような温かさでした。
自分は、お客さんとの約束があり、守谷市へ11時くらいに向かい
その後、12時過ぎに他のお客さんの所へ。
1時30分にお客さんの所を後にし、昼ご飯を食べようと帰り道から逸れたラーメン屋さんへ
行こうと思ったのですが、何となく気が向かずやめて実家へ行きました。
実家で所要を済ませ、銀行へ行きATMで入金し車へ戻る瞬間に揺れを感じ
車に戻って揺れを治まるのを待っていましたが、治まるどころか激しくなりました。
車の中が、アトラクションの乗り物のように揺れ、「これはヤバイ」と思い、
目の前に某スーパーの大きい看板がありましたが、看板の棒が折れるのでは?
と思うほど撓っていて、情報を聞こうと車のラジオを付けました。
ラジオの向こう側で、慌てている人の声が聞こえました。「大きく揺れています。火の確認をして下さい」
何分くらいか分りませんが、3,4分くらいは揺れていたような気がします。
その内に治まり、銀行の中からも自動ドアをこじ開け、行員やお客さんが出てきました。
ラジオでは「震源は宮城県沖で震度6強を観測しました。津波に注意してください」と言ってました。
私は、行員やお客さんに「震度6強だって」と伝えたら、皆、びっくりしていました。
その内にまた大きい余震が次から次へときて、何時治まるのか分らない状態でしたので、
ある程度の所で、銀行を後にし家に向かいました。
その日は、相方は丁度休みで家に居たのですが、当然携帯もつながらないので、心配でしたよ。
途中、信号機は煙が出ていたり、沢山の塀が崩れ道路に散乱したり、納屋が倒れたりしている光景を
見ながら、家は大丈夫か?って思いでしたね。
帰ってみると、家の入口にある灯篭は倒れていました。(画像)
入口を開けると、事務所の中は凄い事に。足の踏み場も無いほど、物で散乱していました。
部屋へ行くと相方は平然と片づけていました。(おいおい、そんな場合じゃないだろう)心の声。
まだまだ、大きい余震が続いてる中、なんて事のない顔で片づけてる相方を見て
(女性は強いな)と思ってしまいました。
とりあえず、落ち着くまで車の中のが安心だからと2人で車で待機していました。
聴いてるラジオの向こうで、被害状況がちょっとづつ聞こえ、大津波警報が発令されている事を
知り、この年齢まで、大津波警報なんて初めて聞き、大変な事になっていると初めて実感しました。
4時半くらいにある程度、余震も治まってきたので、家に入り片づけを軽くして、
相方が「病院が心配」と言ってきたので、家から15分くらい相方の勤め先へ。
この辺では、大きい病院だけあってライフラインが来ていたお蔭で、大事にはならなかったみたいで
相方も胸を撫で下ろしていました。それでも相方は2,3時間手伝ってきていました。
その後、実家へ。電気は止まってましたが、水道が出ていたのは助かりました。
自宅は、水も電気も復旧に4日掛かりましたね?お蔭で水をもらう事ができたのです。
その夜は、亡くなった母親が買ってくれていた丸ストーブが活躍しました。(母に感謝です)
眠れぬ夜でした。車に行ってナビのTVで情報を見ていたのを思い出します。
これが、去年3月11日、私の記憶です。
次の日から、仕事に追われる日々が始まりました。 ガソリンが無い中、西へ東へ、南へ北へ。
道路が駄目、橋が壊れたなどで通れない所が沢山ありましたね。
やっとの思いで辿り着いたのを今でも覚えています。 当然、コンビニも何もないから飲まず食わず。
行った先のお客さんから貰ったおにぎりの味は、一生忘れる事はないでしょう。
その後、原発が爆発し放射能が漏れたのを知った時に、北へ行くのを躊躇った事もありました。
しかし、それでは待っているお客さんに申し訳ないと云う思いで行ったのを覚えています。
今思えば、ガソリン無いのによく走ったなぁ~と今更ながら思います。
そんな事をしながら、あっという間の1年でした。
今日、午後2時46分、震災で亡くなられた多くの方に哀悼の意を表し、黙祷を捧げさせて頂きました。
ここ数日、今日も含め、東日本大震災関連の番組が各局でやっていましたね。
家を流された人、家族を失った人、故郷を追われた人、様々な場面を見せられました。
まだまだ、これから自分が出来る事をしなくてはならないと思わされ、
出来る事は限られているかも知れませんが、微力ながらやらねばと強く思いました。
日本で生まれ今、ここに自分がいる事を実感し、人との繋がりや感謝の気持ちで生きたいです。
何時か、日本が復興を遂げる時がくるまで。 規模は違いますが阪神、淡路や中越地震の時のように。
皆の絆を信じて、頑張っていこうと思います。
最後に、被災地の皆さん、どうか下を向かず頑張ってくださいね。 ずっとずっと応援していきます。
長文、失礼いたしました。<(_ _)>