GPは正気なのでしょうか?
窃盗罪を犯していながら「(告発のために宅配荷物を勝手に取り込んだ行為を)やむを得なかった」と正当化する…これが“環境保護団体”の姿勢ですか。
こんな愚かな連中のせいで商業捕鯨の再開ができず鯨肉がほとんど全く食べられないのかと思うと、腸
(はらわた、漢字で書くとこうなるとは知りませんでした^^;)が煮えくり返ります。
捕鯨に反対する“環境保護団体”は人間(大きく言ってしまえば生命)の本質を無視している“鯨愛好会”ではないでしょうか。
人間は自分以外の生命あるものを食べずには生きられません。動物の肉・魚・野菜や果物など、ほかの生命のおかげで初めて自らの命を保っているのです。そして、それらの生命はみな平等のはずです。牛も豚もマグロもトマトも、一生懸命に生きています。そう考えると、「鶏や鮭などは殺して食べてもいいが、鯨は殺して食べてはならない」という主張は滑稽なものではないでしょうか。しかも「鯨は賢い動物だから殺すのは残酷だ」などという“環境保護団体”の姿勢は、動植物の生命を知能によって差別するものにほかならないと思います。「賢い動物は殺してはならないが、そうでない動物は殺してもよい」なんて誰が決めたのですか?
また、「鯨は絶滅に瀕しているから殺してはならない」という主張もあるようですが、一体何十年前の話ですか。現在では鯨の数が増えすぎていて鰯などを食い散らかしているそうですが。かつてのように鯨を乱獲するのも問題ですが、増えた鯨が海洋資源を枯渇に追い込むのもまた問題だと思います。きちんと科学的に考えれば、食卓に普通に鯨肉が並ぶ程度に捕獲することは可能ではないかと考えます。
あるいは“宗教的な理由”で捕鯨に反対する意見もあるらしいですが、だとするとなぜ鯨だけがこんなに大騒ぎになるのですか。「牛は神聖な動物だから殺したり食べたりしてはいけない」という考えを持つ人々が、牛を食べる人々を批判したり中傷したりしているのは見たり聞いたりしたことがありません。
結論は「早く鯨を簡単に食べられるようにして欲しい」ということです。
某“環境保護団体”
(既にアルファベットは書きましたが)のメンバーが起こした窃盗事件のおかげで、捕鯨についてかねてから頭の中にあったことを書くことになりました。
なお、ディグセグのこういった考えは、一世を風靡したあるグルメマンガによるよころが大きいことを併記しておきます。
Posted at 2008/06/20 22:15:03 | |
トラックバック(0) |
食べ物・飲み物 | グルメ/料理