
太平洋金属より
八戸製造所全景
大平洋金属事故から1年 悲しみ癒えぬ遺族(2008/11/05)
八戸市の大平洋金属八戸製造所で三人が死亡した作業事故から五日で一年。「あの日から時間が止まってしまった」。犠牲となった同社社員の小田義充さん=当時(57)=、蟹沢春男さん=同(53)=、松村智哉さん=同(20)=の遺族の悲しみは事故以来、一日たりとも癒えることはない。言葉に表せない苦しみの中、早期の原因解明を願う日々が続く。
「『おっかぁ』と呼ぶ智哉の優しい声が聞こえてきそうな気がして」。松村さんの母親は、朝起きるたびに、愛する息子がいない現実に引き戻される。
事故から一年がたっても、家族の間で松村さんの思い出話をすることはない。「あまりにもつらすぎるから」だという。
野球が大好きで、高校時代は四番打者として活躍した松村さん。母親は、いつか松村さんに子供が生まれたら「お父さんは野球部で活躍していたんだよ」と見せてあげるつもりで、新聞に掲載された写真を保管していた。「でも、それも夢で終わってしまった…」と力なくつぶやいた。
父親は「なぜ智哉が死ななければならなかったのか。一生懸命働いていただけなのに」と声を詰まらせる。今でも松村さんの部屋は当時のまま。朝野球チームのユニホームや買ったばかりの車も手放せない。「家の中は変わらないのに、智哉だけがいない。事故の日から、私たちの時間は止まってしまった」
小田さんは囲碁が趣味だった。知人の同市一番町、無職○○○夫さん(77)は「もう一年か…。定年を迎えたら、思う存分囲碁を楽しめただろうに」と、囲碁仲間の死を悔やむ。
四日に大平洋金属が同市で営んだ一周忌法要には、三人の遺族や親せきも参列した。法要後、取材に応じた蟹沢さんの妻○○子さん(52)は涙をこらえながら「悲しみは、これからもずっと変わることはない」と話し、「一日も早く真相を解明して二度とこんな事故が起こらないようにしてほしい」と強く訴えた。
大平洋金属八戸製造所第一溶練工場の電気炉で事故から1年。青森県警や科学警察研究所(千葉県)などの捜査当局は、事故現場の実況見分や関係者からの事情聴取を行い、これまで集められた情報を精査しているが、事故原因の解明に至らず、操作にはなお時間がかかりそう。
事故は、昨年十一月五日午後七時五十五分ごろ発生。ステンレスの原料となるフェロニッケルを製造する第七号炉内から高温の原料と熱風が噴き出し、同社社員三人が死亡した。
捜査当局は、操業を停止している第七号炉の実況見分を現在も進めており、これまで冷えて固まった金属の成分分析や、炉内の耐圧検査などを実施。
同社の関係者や関連業者からも詳しく事情を聞いているが、「現段階ではさまざまなケースが想定され、一つの結論に結びつけられる状況でない」(捜査関係者)という。
捜査当局は、同社や関係者の業務上過失致死の疑いも含め、引き続き捜査を継続する。
デーリー東北より
この電気炉は、建て替え設置され、試運転開始直後に起きた、一番事故が起こりやすい段階で起きた。連続運転中に起きたのでない。旧型とほぼ同じ型の電気炉だそうで、いくらかの油断があったかもしれない。
現在、二機の電気炉で操業していて、とりあえず生産は間に合わせているらしい。原因調査できる経済情勢だろう。
十年くらい前、電気炉の前にロータリーキルーンがあり、ここの手前までの工程を担当している下請け会社に勤め、現場で働いた。学生時代の工場見学とこの会社に入ってからの二回、電気炉の見学をしたことがある。コップ型の電気炉にふたが被さってあり、真ん中に作業棒を入れる1m半くらいの穴があり、「ずいぶん手作業なんだな」と思った。ある意味、職人技かもしれない。
上の写真中央右寄り、少し高い建物である。その前のまるい管がロータリーキルーンである。右隣は東北電力八戸火力発電所である。
早い原因究明と平常操業になることを、祈りたい。
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Posted at
2008/11/05 16:02:55