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ディーゼルオート店のブログ一覧

2026年04月30日 イイね!

地下路線「武蔵野南線」50年の歴史

地下路線「武蔵野南線」50年の歴史「え、そんな路線あったの?」路線図にない地下路線「武蔵野南線」50年の歴史
枝久保達也: 鉄道ジャーナリスト
運輸・物流News&Analysis
2026年3月9日 4:00
稲城市の武蔵野南線地上区間(筆者撮影)
 武蔵野南線は3月1日に開業50周年を迎えた。武蔵野線は知っているが、武蔵野南線なんて聞いたことがない、という人もいるだろう。同線は武蔵野線の一部として府中本町~鶴見間を結んでいるが、定期旅客列車は走行しない貨物専用線である。この「知られざる路線」の半世紀の歴史とは。(鉄道ジャーナリスト 枝久保達也)
■約200キロに及んだ「東京外環状線」計画
 武蔵野線は、計画・整備段階では4つの線区に分割して進められた。府中本町~南浦和間は武蔵野西線、南浦和~新松戸間は武蔵野東線、新松戸~西船橋は小金線、これらと武蔵野南線、京葉線をあわせて約200キロメートルに及ぶ「東京外環状線」を構成する計画だった。
 なおここで言う「京葉線」は、新木場から現在のりんかい線を経由して東京貨物ターミナルに乗り入れる貨物専用線である。鉄道貨物の縮小を受けて、都心線(東京~新木場間)を追加した上で、旅客線として開業したのが現在の京葉線だ。
 東京外環状線の構想は戦前から存在したが、高度成長が始まり、輸送需要が急増すると一気に具体化した。1957年に国鉄の「工事線」に指定され、本格調査に着手。1964年に鉄道建設公団が発足すると、武蔵野線は公団の担当とされた。
 1950年から10年間で、貨物輸送量(トンキロ)は73%、旅客輸送量(人キロ)は80%増加した。しかしながら、当時の鉄道網は貧弱のひと言だった。主要路線の複々線区間はわずかで、貨物専用線も山手線(田端~品川間)、東北線(田端~大宮間)、東海道線(品川~鶴見間)程度。旅客も貨物も増発の余地はなかった。
 特にネックだったのは、都心を通過する貨物列車の存在だ。主要各路線のジャンクションは山手貨物線しかなかったので、東京が目的地でない貨物列車も都心に乗り入れていた。これを迂回させれば、その分の旅客列車が増発可能であり、貨物専用線の貨客併用化も期待できる。
 1960年から1965年の5年間は、貨物は5%増だったが、旅客は40%増加し、旅客輸送の逼迫(ひっぱく)がより顕著になった。この頃、国鉄は主要路線の複々線化「通勤五方面作戦」に着手するが、これと表裏一体だったのが武蔵野線だった。
 もうひとつの背景は、政府が進める首都圏整備計画だ。これは過度の都心集中を排除するため、首都圏外縁に衛星都市を造成する構想であり、その育成・発展に都市相互間を連絡する鉄道新線が必要とされた。
 武蔵野線の開業時輸送計画は、貨物列車が最短4分間隔、旅客列車は朝ラッシュ15分間隔、夕ラッシュ20分間隔、その他時間帯40分間隔だった。これが武蔵野線に対する貨物と旅客の期待の比率だったのだろう。
■貨物専用線の建設に地元住民は激しく反発
 さて、そんな武蔵野線で唯一、貨物専用線として建設されたのが武蔵野南線だ。鉄道公団は当時、貨物の推定輸送量が片道1日7万トン、41両編成の貨物列車が片道156本に及び、旅客輸送の余力がないため、と説明している。
 鉄道空白地帯を結ぶ府中本町~南浦和~西船橋間とは異なり、武蔵野南線は南武線とほぼ並行し、大半が通過する川崎市は既に住宅化が進んだ地域だ。地上の用地買収は困難なので全区間の7割がトンネル、地下20~40メートルの深さを走っている。
 しかし、地元に利益をもたらさない貨物専用線に対する視線は厳しかった。川崎市には、品鶴貨物線(現・横須賀線品川~鶴見間)、東海道新幹線、駅がなく通過するばかりの路線が多かったことから、地元受益の少ない鉄道整備に対する拒否感が特に大きかった。
 鉄道公団は1967年にルートの選定作業を終え、同年10月に工事実施計画の認可を得ると市当局と地元住民に説明を行ったが、地盤沈下、振動・騒音公害を懸念する激しい反対に直面した。
 この交渉は鉄道公団にとって前例のないものとなった。住民側は問答無用の反対論を唱えたり、補償金のつり上げに走ったりはせず、徹底して科学的・技術的な裏付けとコミュニケーションを要求した。
 1971年に最も反対運動が強かった生田地区の反対協議会と締結した覚書は、トンネル工法(メッセル工法)の指定、周辺の地盤沈下モニタリングの実施、毎月の定例報告会の実施、地質調査や契約内容(設計書・仕様書など)の開示などを盛り込んだ異例の内容となった。
 対応の先頭に立った生田鉄道建設所所長は後に次のように語っている。現代にも通じる重要な観点なので、やや長いが引用したい。

 今まで彼等が目にふれた土木工事の実態から考えて、果たして現場では、建設業者が、たとえばダンプの運転手にいたるまでが、住民の環境保全に対するやり場のないこの気持を理解して、実行に移すであろうかについては根底から不信感があった。そこで土木工事を理解し、監視しようとするムード、彼等の表現を借りれば、「住民参加の土木工事」を考えるまでにいたった。
 工事中における発言力を留保するためにも「覚書」が必要であった。「きっと現場はラフな神経で施工するに違いない」この不信感をまず取り除かなくてはならないと、何よりも実績をもって答えようと努力している。
 もう一つの不信感は、国は地域住民のこと、自然保護のことをすっかり忘れ、ただ、ただ経済ペースで、時期を変え、担当する部門を変えて公共土木工事として彼等にせまってくるという「公共事業」そのものに対する不信感である。このことについては「政策」に当たる人達の考えなくてはならない事項のように思う。
「ベッドタウンに鉄道トンネルを掘る」『土と基礎』1974年2月号(土質工学会)

■なぜ実現しなかったのか武蔵野南線「旅客化」構想
 武蔵野南線の開業で、東海道線と東北・高崎線の相互間列車が山手貨物線経由から武蔵野線経由に変更された。山手貨物線(池袋~田端間)の運行本数は上下計204本から93本に、武蔵野線(新座~西浦和間)の貨物列車は上下23本から152本となり、武蔵野線は名実ともにバイパス路線となった。
 南武線の貨物列車の多くは武蔵野南線に移行し、南武線の通勤輸送力増強が図られた。また、品鶴線は横須賀線に転用されることになり、1980年に旅客化した。武蔵野南線が貨物に専念したことで、周辺線区の輸送改善が進んだこともまた事実である。
 ところが武蔵野南線の開業時点で、国鉄の貨物輸送量はピークを超えて減少に転じていた。並行して国鉄の経営は加速度的に悪化し、1980年に国鉄再建法が制定されると、巨額の赤字を生む貨物部門の整理、縮小が進められた。1985年の貨物輸送量は1970年のおよそ3分の1まで減少した。
 こうした状況を背景に、1985年の運輸政策審議会答申「東京圏における高速鉄道を中心とする交通網の整備に関する基本計画について(答申第7号)」は「貨物線の旅客線化」を打ち出し、武蔵野南線を活用した府中本町~新川崎~川崎間及び、武蔵野南線から分岐して新百合ヶ丘に至る接続線の整備を提言した。
 答申を受けて川崎市は、新百合ヶ丘から地上駅である梶ヶ谷貨物ターミナルまで新線を建設して武蔵野南線に乗り入れ、梶ヶ谷から新鶴見信号場まで武蔵野南線を進み、新鶴見信号場付近から川崎方面の新線に乗り入れる方針を決定した。
 しかし、国鉄分割民営化を経て武蔵野南線の旅客化は暗礁に乗り上げる。貨物全廃もささやかれた国鉄末期とは異なり、民営化後のJR貨物は貨物列車の大幹線を手放すつもりはなく、旅客列車を運行する余地はないと拒否したのである。
 同線は大部分が地下20~40メートルにあり、地上駅は梶ヶ谷貨物ターミナルのみ。それ以外の区間に駅を新設すれば巨額の費用が必要だった。また、貨物線が終日運行している中での工事となり、工期の長期化とそれに伴う事業費の増大が予想されることから、コスト面でもメリットはなかった。
 武蔵野南線は今も貨物専用線として運行されているが、一般人でも乗車機会はある。筆者は高校時代、大宮~藤沢間の貸切列車に乗車した。当時は鉄道に興味がなかったが、盛り上がる友人がいた記憶がある。
 貸切列車はハードルが高いが、吉川美南~鎌倉間を結ぶ臨時特急「鎌倉」なら手軽に乗車できる。今春は3月20、21、28日、4月4、11、18、25日、5月2~5日、6月5~8、12~14、19~21、26~28日に設定があるので、興味があればJR東日本のウェブサイトを確認していただきたい。
ダイヤモンドオンライン

≪くだめぎ?≫
 "地下路線・貨物専用線"で正解!だと思う。貨物列車は長大編成で「旅客緩行線」で運行するのに負担を掛ける。特に通勤電車が多い所は深刻だ。貨物専用線に特急列車を流さざろう得ないし、バイパス線として威力を発揮する。貨物列車全盛期ではないから、特に特急列車が発揮できるだろう。
Posted at 2026/04/30 20:21:26 | コメント(0) | トラックバック(0) | 鉄道貨物 | 旅行/地域
2026年04月25日 イイね!

ディーゼル急行『深浦』

ディーゼル急行『深浦』出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
深浦(ふかうら)とは、東日本旅客鉄道(JR東日本)が青森駅・弘前駅 - 深浦駅間を奥羽本線・五能線を経由して運転していた快速列車である。
[写真・画像] 快速 深浦(2007年8月)
 概要
種類 快速列車
現況 廃止
地域 青森県
前身 急行「深浦」
運行開始 1982年11月15日 運行終了 2014年3月14日
 運営者
日本国有鉄道(国鉄)→東日本旅客鉄道(JR東日本)
 路線
起点 弘前駅・青森駅 終点 深浦駅
使用路線 奥羽本線・五能線
車両 キハ40系気動車(秋田車両センター)
1.運行概況
 廃止時点では1往復で、下りは弘前行きと青森行きに川部駅で分割されていた。上りは青森発のみだった。
 五能線内は各駅停車のため快速区間は僅かであり、特に弘前行きは末期には一切通過駅がなくなっていた。
 1-1.停車駅
深浦駅 -(五能線内各駅停車)- 川部駅 - 北常盤駅 - 浪岡駅 - 津軽新城駅 - 新青森駅 - 青森駅
※弘前行きは全区間各駅停車
  1-2.使用車両
 廃止時点ではキハ40系気動車が運用されていた。下り列車は4両編成になっており、深浦駅発の2両は弘前行き編成で、鰺ケ沢駅で進行方向前側に2両を増結する。この2両が青森行き編成であった。上り列車は青森駅発の2両編成のみだった。
 かつてはキハ58系気動車が運用されていた。また、急行時代の深浦発着編成には使用時期により、キハ11形100番台気動車やキハ20形気動車やキハ22形気動車が、運行末期にはキハ40形500番台気動車も運用されていた。
2.五能線速達列車沿革(附・弘前駅 - 青森駅間の快速列車沿革)
・1965(昭和40)年10月1日:鰺ケ沢駅 - 青森駅・鮫駅を結ぶ準急列車として「岩木」の名称が与えられる。
※なお、「岩木」の名称は秋田駅 - 青森駅間を奥羽本線経由で運転する準急列車として1961年9月15日から使用されていた名称である、本件とは別系統。
また、この当時の停車駅は、鯵ケ沢駅 - 木造駅 - 五所川原駅 - 板柳駅 - 川部駅 - 浪岡駅 - 青森駅[1]。
[1]出典: 『広報あじがさわ』昭和40年9月第69号1頁「準急岩木鰺ヶ沢-青森間開通」
1968年(昭和43年)
・ 3月25日:準急行列車制度廃止に伴い「岩木」急行列車に昇格。また、上り列車の始発駅を鰺ケ沢駅から深浦駅に変更。
・10月1日:「岩木」を「深浦」に改称。
 当時の停車駅
深浦駅 - 追良瀬駅 - 北金ケ沢駅 - 鯵ヶ沢駅 - 木造駅 - 五所川原駅 - 陸奥鶴田駅 - 板柳駅 - 川部駅 - 浪岡駅 - 青森駅 - 浅虫駅(現・浅虫温泉駅) - 小湊駅 - 野辺地駅 - 三沢駅 - 尻内駅(現・八戸駅) - 八戸駅(現・本八戸駅) - 小中野駅 - 鮫駅
・1971(昭和46)年10月1日:この日から観光シーズンに限り、陸奥岩崎駅までの延長運転を実施[2]。
[2] 出典:東奥日報1971年10月1日付け朝刊「奥羽本線全線電化」広告記事内の国鉄秋田鉄道管理局のお知らせ。
・1972(昭和47)年3月15日:「深浦」運転区間を陸中八木駅まで延長。同時に八戸駅(旧・尻内駅)- 陸中八木駅間(八戸線内)を普通列車化。
 急行「深浦」は運行区間により、最短1輌から最長4輌編成(全車普通車自由席)で運行した。上り列車は深浦駅 - 鯵ヶ沢駅間は1輌・鯵ヶ沢駅 - 川部駅間は4輌・川部駅 - 陸中八木駅間は3輌で運行した。なお、深浦駅発の1輌は黒石行き(川部駅 - 黒石駅間普通列車)であった。下り列車は陸中八木駅 - 青森駅間は3輌・青森駅 - 川部駅間は7輌(急行「むつ4号」秋田行き・3輌編成を併結[3])・川部駅 - 鯵ヶ沢駅間は4輌・鯵ヶ沢駅 - 深浦駅間は1輌で運行した。
[3]急行「むつ4号」は、大館駅- 秋田駅間では、盛岡駅始発・花輪線経由の急行「よねしろ4号」秋田行きを併結。
・1974年(昭和49年)7月:「深浦」陸奥岩崎駅まで臨時延長運転(深浦駅 - 陸奥岩崎駅間普通列車、以後、毎年実施)。
・1975(昭和50)年3月10日:「深浦」深浦駅 - 鯵ヶ沢駅間を普通列車化。
1978(昭和53)年
・ 7月:「深浦」陸奥岩崎駅までの臨時延長運転廃止(78年は延長区間を快速列車で運転)。
・10月2日:「深浦」鰺ケ沢駅 - 川部駅間を普通列車化(下り列車は五所川原駅 - 川部駅間快速列車)。
・1982(昭和57)年11月15日:「深浦」急行列車から快速列車へ格下げ。運転区間を深浦駅 - 青森駅間とする。
・2014(平成26)年3月15日:「深浦」廃止。
  2-1.列車名の由来
「岩木」…車窓から見える岩木山に由来する。
「深浦」…深浦町の地名に由来する。
最終更新 2023年11月27日 (月) 07:47 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。

≪くだめぎ?≫
 当地で急行「深浦」号は急行色のキハ58系である。「鰺ヶ沢」のプレートが掲げられ、"深浦"行き車両は青森駅などで連結される旨の車内アナウンスがあった。
 1982(昭和57)年11月・上越新幹線開業・東北新幹線本格稼動による国鉄ダイヤ改正である。「はつかり」号が東北新幹線連絡列車としてエル特急化している(1978年10月~エル特急に指定)。急行「深浦」の青森-八戸を代替している。
 ローカル・ディーゼル急行の転機でもある。
Posted at 2026/04/25 20:42:49 | コメント(0) | トラックバック(0) | 新系列旅客車 | 旅行/地域
2026年04月21日 イイね!

大浦字小川原湖191番地

大浦字小川原湖191番地[写真・画像] 小川原湖公園
道の駅おがわら湖から650m先ほどの小川原湖湖畔にあります。湖畔沿いに咲き誇る桜は「湖畔の千本桜」と呼ばれ、県内でも有数の桜の名所です。
東北町HP より

小川原湖 (おがわらこ)は、青森県上北郡東北町にある[1]湖。汽水湖である。日本の湖沼では11番目の面積規模を有する[2][3]。この湖には「青森県上北郡東北町大字大浦字小川原湖191番地」と住所が定められている[3]。
[1]国土地理院 (2016年12月14日). “平成28年全国都道府県市区町村別面積調 湖沼面積” (PDF). 2016年12月14日閲覧。
[2]国土地理院 (2015年3月6日). “平成26年全国都道府県市区町村別面積調 湖沼面積(20傑)” (PDF). 2015年3月8日閲覧。
[3]“伝説・地名”. 青森県. 2020年7月19日閲覧。
■名称
 湖の名前の由来は、アイヌ語で言われる「廻り回る」という意味の「オカラ」「オカリ」「オカルル」などから「オカラ」となり、その後「小川原」「小河原」の文字が当てられ小川原湖と呼ばれたと言われている[4]。
 かつては小川原沼(小河原沼、こがわらぬま)という名称だったが、1958年(昭和33年)1月1日に小川原湖に改称された[3]。なお、隣接する小川原駅は開業時の名称のまま「こがわらえき」である[3]。
[4] “日本の川 - 東北 - 高瀬川 - 国土交通省水管理・国土保全局”. www.mlit.go.jp. 2019年9月5日閲覧。
■地理
 青森県の東部に位置する。面積は青森県内最大。最深部は25メートルに達するが岸から200メートル程度までは水深2メートル前後の浅い部分にて形成される。海面水位が湖面水位より高くなる時期には海水が高瀬川を逆流し、湖に注ぎ込む。
 小川原湖周辺には尾駮沼、鷹架沼、市柳沼、田面木沼、内沼、姉沼などの湖沼群が分布しており、これらを総称して小川原湖湖沼群と呼ぶ。
流入河川:七戸川、花切川、砂土路川、姉沼川 他
流出河川:高瀬川
■自然
 小川原湖湖沼群および周辺には豊かな自然が残り、多種多様な生物体系を構成しており環境省より日本の重要湿地500、日本の音風景100選の指定を受けている。
 湖沼群の一部においてはマリモが生育しており、また小川原湖では近年汽水性のマリモの仲間である「ウィットロキエラ・サリナ」(Wittrockiella salina)の存在が確認された。これは日本では初めてのことである[5][6]。
 かつて小川原湖ではイトウが生息しており、約1トンの水揚げが記録されたこともあったが、1943年頃に絶滅した[7]。鳥類としては、オオハクチョウ、コハクチョウの渡来地となっている。
[5]高瀬川の自然環境 - 国土交通省
[6] 高瀬川の流域及び自然環境 - 国土交通省
[7]イトウ - 青森県産業技術センター
■利用
 水産資源が豊富なことから宝沼とも呼ばれる[8]。主要な水産資源は、ワカサギ、シラウオ、ハゼ、シジミ(ヤマトシジミ)、ウナギ。小川原湖漁業協同組合がこれらの管理・漁獲を行っている。シジミ漁獲量は年平均約1,200トンであり、また2016年度のワカサギ、シラウオの漁獲量は、全国1位となった。
 遠浅のため、夏季には湖水浴客で賑わうが、閉鎖性の高い水域であるため化学的酸素要求量は高く、比較的水は汚いと評価されている[11]。冬季には湖面が結氷し、ワカサギの穴釣りが楽しめる。七戸川の旧河川である花切川は、ヘラブナ釣りの名所のひとつである。
・小川原湖産大和しじみ
小川原湖の大和しじみは、漁協によって持続的な生産と品質管理がなされ、大粒で出汁がよく取れ、身も味わいがよいことから、2017年12月15日に農林水産省により「小川原湖産大和しじみ」として地理的表示保護制度(GI)に登録された[12][13][14][15][16]。
[11] “水が汚い海水浴場ランキング2025【全272カ所・完全版】”. ダイヤモンド (2025年7月25日). 2025年8月2日閲覧。
[12] 食料産業局 知的財産課 (2017年12月15日). “登録の公示(登録番号第52号)”. 地理的表示保護制度(GI) 登録産品一覧. 農林水産省. 2018年4月22日閲覧。
[13] 食料産業局知的財産課 (2018年4月20日). “登録産品紹介(登録番号第52号)”. 農林水産省. 2018年4月22日閲覧。
[14] 企画課 (2018年2月). “2018 2月号 広報とうほく No.154” (PDF). 東北町. pp. 2-3. 2018年4月22日閲覧。
[15] “<小川原湖>身が大きく味にこく 大和しじみGI認定”. 河北新報. (2018年2月3日) 2018年4月22日閲覧。
[16] 中野浩至 (2018年2月4日). “青森)小川原湖シジミがG1登録 漁協が表敬訪問”. 朝日新聞 2018年4月22日閲覧。
■歴史
 入り江の一部が海面低下と湾口に流入する砂丘の発達によりせき止められて形成された湖である。周辺には、縄文時代の遺跡・貝塚が多数存在する[6]。このことから古来より小川原湖と人々の営みには密接な関わりがあったことがわかる。
 1970年代のむつ小川原開発計画の一環として、小川原湖を淡水化し、水道事業を行おうとする計画があった(小川原湖広域水道用水供給事業)[17]。しかし当初予想していた水需要が大幅に下回るとの結論に達し、1996年12月、淡水化の撤回を発表した[17][18]。
[17]広域的水道計画の策定及び改定状況について - 厚生労働省
[18] 小川原湖の水理・水質特性 - 国土交通省(90ページなど)
最終更新 2026年2月9日 (月) 11:39 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

≪くだめぎ?≫
 アイヌ語で言われる「廻り回る」という意味の「オカラ」「オカリ」「オカルル」などから「オカラ」と発音。
 「小川原」「小河原」の文字が当てられ、
"こがわら"と文字から発音が引っ張られた。
 1958(昭和33)年1月1日に小川原湖に改称された、こ→オ。
「沼→湖」の機会にアイヌ語由来に戻された?
 この湖の住所が「大字」大浦字小川原湖である、
大浦村、上野村、新舘村 → 浦野舘村 → 上北町、
旧上北町から引き継いだモノ。
Posted at 2026/04/21 15:10:47 | コメント(0) | トラックバック(0) | 地域 | 旅行/地域
2026年04月21日 イイね!

「姉沼」「妹沼」

「姉沼」「妹沼」[写真・画像 小川原湖周辺の地名 小川原湖伝説(旧上北町より)
■玉代姫勝世姫像
・小川原湖伝説
 今から1300年ほど昔、都に橘中納言道忠公という貴人がおりました。道忠公には二人の美しい姉妹がおり、幸福に暮らしていました。
 ある日のこと屋敷を賊に襲われ、重臣を失った道忠公は、世の無常をはかなんで都から姿を消したのでした。姉妹はけなげにも父のゆくえを探す旅に出たのでした。
新堂織部と駒沢佐京之進を供に従え、諸国を巡り探し歩いたがゆくえは知れず、やがて北の果てにある湖のほとりに辿り着きます。
 しかし、その地で姉妹は父がすでに亡くなっていることを知り、やがて姉妹も後を追うように湖に身を投げるのです。
 それ以来、姉の玉代姫が身を沈めた湖を「姉沼」と呼び、妹の勝世姫が身を沈めた湖を「妹沼」(現在の小川原湖)と呼ぶようになりました。
 一方、「姉沼」に着いた左京之進は玉代姫の霊と沼を守るためこの地にとどまり、また、勝世姫を探していた織部は姫が身を沈めた沼にたどりつくと、勝世姫の仰を受けて、その沼の奉行となり、そこに住みつきました。
 その後、姉妹は父の居る沼崎へと通われ、三尊仏となられたという。そして、今でも、仲の良い姉妹を象徴するように2つの湖はひっそり寄り添っているように見え、それぞれの湖のほとりに玉代姫は「姉戸大明神」勝世姫は「廣沼大明神」その真ん中には橘中納言道忠公が「沼崎観音」として祭られることになったのです。
 現在、小川原湖畔には八甲田の恵みを仰ぐ玉代姫の姿と、湖の安全と幸せを祈る勝世姫の姿像が建立され、訪れる人々に姉妹の優しい思いを今に伝えています。
また、小川原湖伝説を舞う県無形民俗文化財に指定された沼崎本村の「念沸鶏舞」は、そんな悲しい物語りで綴られる小川原湖伝説の供養が起源と言われております。
■沼崎観音堂
 県道8号線を南下、沼崎本村集落の南側斜面中腹にある神社で、小川原湖伝説に伝わる姉玉代姫・妹勝世姫が探した行方不明の父橘中納言道忠公が祀られているとされる観音堂は、由来は不肖ですが、『御領分社堂』(成立宝暦の頃)に「沼崎村観音堂、六尺四面、萱ぶき、別当三右衛門」とあることから、創立は1750年代以前とされています。
 この観音堂は、七戸作田親山社の神社から始まる七戸南部三三番補陀楽の一つで、三二番の札所として巡拝され、広く名の知れた御堂です。
■広沼大明神
 小川原湖ふれあい村の奥に隣接し、小川原湖伝説に伝わる『妹勝世姫』を祀る神社で、小川原湖(妹沼)を北方に見下ろす明神岬にあります。
『御領分社堂』(成立宝暦の頃)の記録によると「広沼明神御宮 五尺、六尺五寸 板菱・・・・・別当三右衛門」と記録されていることから沼崎観音堂と同年代の創立とされています。
 平成10年1月1日の火事で現在の神社に再建されました。
■姉戸大明神
 小川原湖伝説に伝わる「姉玉代姫」を祀る神社で、青い森鉄道小川原駅から県道8号線を南下し、姉沼を南方に見下ろす小高い丘の上にあります。以前は米軍施設の中にありましたが、昭和45年に今の場所に再建されたもので、御神体は石身体です。
青森県 とうほくまち 東北町 より

≪くだめぎ?≫
 『姉玉代姫』(たまよひめ) の「姉沼」(あねぬま)
『妹勝世姫』(かつよひめ) の「妹沼」(いもうとぬま)、
小川原沼(小河原沼、こがわらぬま)
パパ橘中納言道忠公(みちただ)の「沼崎観音堂」(ぬまざき)
 米軍施設の中にあると面倒である・・。
Posted at 2026/04/21 09:16:11 | コメント(0) | トラックバック(0) | 地域 | 旅行/地域
2026年04月21日 イイね!

久慈で津波80㌢、八戸40㌢

久慈で津波80㌢、八戸40㌢階上震度5強 八戸5弱
久慈で津波80㌢、八戸40㌢
2026.04.21 05:00
 20日午後4時52分ごろ、階上町で震度5強、八戸市で5弱を観測する地震があった。震源地は三陸沖で、震源の深さは19キロ、地震の規模はマグニチュード(M)7・7。気象庁は地震直後に青森県太平洋沿岸、岩手県、北海道太平洋沿岸中部に津波警報を発表し、青森県南、岩手県北地方では久慈港80センチ、八戸港40センチ、むつ小川原港とむつ市関根浜でそれぞれ20センチの津波が観測された。津波警報は注意報に切り替わり、同日午後11時45分に全て解除された。東北町と三沢市で計2人の人的被害が確認された。
 市立江陽中に子ども3人を連れて避難した同市江陽5丁目の(女性)は「以前の避難で感じたことを教訓に少しでも食べ物を持ってくるようにした。今後も経験を生かして災害に備えたい」と語った。
 ただ、今回は市民の避難行動が迅速だったためか「車の渋滞が始まるのも早かった」と舘野さん。巻き込まれるのを避けるため、徒歩で同校へ向かった。
 五戸町上市川のローソン五戸上市川店では地震発生後、八戸市内から避難してきたとみられる車で、駐車場が一時的にいっぱいになった。同市市川地区から来たという女性は「昨年12月の地震の時も、ここに避難した。知っている車が何台かあるから、同じ行動を取った人が結構いると思う」と推測する。
 久慈市内では津波警報の発表と共に沿岸部から避難所や高台へ向かう車が多く見られ、一部避難所の近くでは渋滞が発生した。
 またか―。青森県南地方で震度5強を観測した20日の地震では、八戸市中心街でビルの外壁が崩れたり、一部の店でグラスが割れたりするなどした。被害は限定的で多くの店が通常通りの営業をしたが、同市では昨年12月に震度6強の地震が発生したばかりで、飲食店関係者はうんざりした様子。「イメージ悪化で客足が遠のくのではないか」と懸念する声も聞かれた。
 青森県南地方で震度5強を観測した地震は20日夕方の発生で、交通機関を利用する帰宅途中の地域住民を直撃した。八戸市内では渋滞が発生し、交通が一時まひした。
 JR八戸線は上りで全線が運転を見合わせた。本八戸駅では駅舎内を閉鎖し、事情を知らずに駅を訪れた人は開かない扉に困惑していた。駅前で保護者の迎えを待っていた八戸学院光星高2年の男子生徒は「大きい地震だったので電車は止まっているだろうなとは思っていたけど、駅が閉まっているとは思わなかった」と苦笑いを浮かべた。
 八戸市内では渋滞も起きた。交通事故の影響で片側交互通行となっていた八戸工大一高近くの道路では車による避難が重なり、長い車列ができた。
 東北新幹線は東京―新青森間の上下線で約4時間にわたり運転を見合わせた。八戸駅の新幹線改札付近は運転再開を待つ多くの人で混雑。駅員がパイプ椅子を用意する姿も見られた。東京行きの便を待っていた都内在住の男性会社員(26)は「あす(21日は)長野県への出張があるので早く帰りたい」と疲れた表情を見せた。
 このほか、JR大湊線と青い森鉄道も一時、全線で運転を見合わせた。八戸市内を走る市営バス、岩手県北自動車南部支社(南部バス)が警報解除まで一部区間で運転を見合わせ、下北交通(むつ市)も沿岸部を走る便を運休した。
 津軽海峡フェリー、青函フェリー、苫小牧―八戸を結ぶシルバーフェリーで欠航が出た。
 岩手県内では、いわて銀河鉄道が全線運休し、三陸鉄道でも運転見合わせが発生した。
 青い森鉄道は21日早朝の上り1本の運休を決めた。

 青森県南地方で震度5強を観測した地震の影響で八戸、おいらせ、東通3市町村は21日、全小中学校を臨時休校する。むつ市や三沢市、階上町も小中学校の一部で休校措置とする。
 県教委によると20日午後8時現在、八戸工業高、六ヶ所高、大間高、八戸第二養護学校、八戸高等支援学校の県立5校も休校を決定した。
デーリー東北 より

≪くだめぎ?≫
 大中地震では「津波」避難を伴う事だ。今回でも
"八戸市市川町" → 「五戸町上市川」の避難は当然見られる。
午後11時45分に全て解除された。
 移動を伴えば、行き帰りと避難所滞在となり、休校を決定している所も多い。
 正月の地震被害の手つかず施設もあり、通行する人・車もウンザリだろう。
Posted at 2026/04/21 07:33:39 | コメント(0) | トラックバック(0) | 地域 | ニュース

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