
検証・東日本大震災「混乱の中で」
東日本大震災の発生後、未曽有の事態に青森県南、岩手県北地方は大きな混乱に陥った。当時を検証し、今後の課題を探る。
(東日本大震災取材班)
(1)津波避難(2011/05/01)
写真・津波襲来に逃げる人。後ろは干上がった新井田川河口=11日午後4時34分
3月11日午後2時46分。突然、東日本の太平洋沿岸を激しく長い横揺れが襲った。間もなく、大津波が襲来。黒い波が八戸市の象徴であるハマを丸のみにした。想像を絶する光景に市民は大きなパニックを起こし、悲鳴を上げて逃げ惑った。
市は避難指示を発令。大勢の市民が一斉に高台や避難所へと逃げた。
沿岸部付近の道路は車で大混雑し、停電で信号機が消えたことが混乱に拍車を掛けた。高台に殺到した住民は、地を這(は)う津波に流される家屋や車、漁船を目の当たりにし、体を震わせ、ぼう然と立ち尽くした。
◆ ◆ 八戸市は1960年のチリ地震津波をはじめ、これまで幾度も津波被害に見舞われた。過去の教訓を生かし、早期に避難行動をとった人も多い。
半面、最近は津波が観測されても1㍍程度で、震災では油断から避難が遅れたケースが続出した。第1波が引いた後、状況を確認しようと海に近づく人もいた。実際、市内では第2波が最大波だったとみられる。
ある警察関係者は「市内の死者が1人にとどまったのは偶然かもしれない。避難が遅れた人はかなり多かった」と明かす。
種差地区で自宅ごと津波にのまれ、一命を取り留めた女性(76)は「今までの津波は、家の近くまで来たことはなかったので逃げなかった。まさか、ここまで来るなんて…」と青ざめた表情で話した。
震災直後の3月14日。ハマに再び緊張が走った。「岩手県沖で引き潮が確認された」との情報を受け、八戸市は沿岸部に避難指示を発令。市川町沿岸では住民が被災した自宅の片付けをやめ、一目散に高台へと避難した。
結果的に津波は確認されなかったが、避難誘導に当たった消防隊員は「3月11日よりも住民の避難は早かった。津波の恐怖を体験したためだろう」と振り返る。
◆ ◆
津波の威力と影響は住民のみならず、自治体の想定をも上回った。市によると、県が1996年度の調査で最大の被害が発生すると予想した「太平洋側海溝型地震」でも、市内の想定避難者数は1814人。市はこのデータを基に、指定避難所を25カ所と定めた。
だが今回、市内全域に及ぶ停電が追い打ちを掛けた。避難者は3月12日午前0時には9257人を超え、想定の約5倍に。指定避難所だけでは到底足りず、開放した避難所は69カ所に膨れ上がった。
さらに、指定避難所である市立多賀小学校は被災して1階が浸水した。市防災危機管理課は「今回の震災を受けて防災計画は見直さなければならない」と話す。指定避難所の拡充や新たな防災マニュアルの策定は急務だ。
◆ ◆
八戸工業大の佐々木幹夫教授(自然災害科学)は、下北半島の太平洋側で非常に強い海溝型地震が起きれば、八戸市には今回の岩手、宮城両県を襲ったような14~20㍍級の津波が来ると推測する。
この場合、国道45号沿いに新井田塩入地区から石堂地区周辺まで、広範囲に被害が及ぶ可能性がある。鮫地区ではJR八戸線の線路を越えて浸水し、市川町地区は多賀台などの高台以外が被災するという。
佐々木教授は「今回は高台に避難して助かった人がいるが、より大きな津波であれば被害に遭っていたかもしれない」と指摘。「震源が近いと到達時間は早くなる。避難の経路と場所を見直すべきだ」と提言する。
デーリー東北
津波が来る時、大きい引き潮になるそうだ。私自身はいきなり大津波襲来がありえると思っていたが・・・。
チリ地震津波のように遠方の地震ではこちらは平常時である。
しかし、地元での
「大地震」 = 「大津波」
であり、停電が必ず起こる。十勝沖や下北沖の大地震はまちがいなく、気仙沼や釜石のような状態に陥る。干上がった川を見ている場合でない。
停電で混乱した交差点を通過しなければならないから・・・。
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Posted at
2011/05/07 06:09:02