
検証・東日本大震災「混乱の中で」
(7)医療現場(2011/05/08)
【写真説明】
東日本大震災の停電で酸素吸入器はストップ。停電が長引き、非常用の酸素ボンベも足りなくなった
「次々と余震が来るたびに、またかと体が震える」。八戸市内で在宅で酸素吸入している80代の夫の介護に当たる妻は、東日本大震災直後の動揺を忘れることができない。
地震直後、停電で酸素吸入器が停止。非常時のアラーム音が響く中、女性は慌てながら吸入器からチューブを外し、非常用の酸素ボンベにつないだ。
自宅の固定電話は停電で使えず、外に飛び出し、近所の人から携帯電話を借りた。回線の混乱で酸素業者には連絡が取れない。気付くと、酸素の残量は半分に。無我夢中で救急車を呼び、窮地を脱した。震災後、携帯電話を用意したが「気持ちに余裕がない」と不安を拭えずにいる。
震災による停電や物流のストップ、ガソリン不足―。想定外の影響は住民の命を守る医療や介護現場にも、大きな衝撃を与えた。
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患者の2割以上に当たる33人が人工呼吸器を付けている同市の国立病院機構八戸病院。地震後、節電しながら自家発電でしのぐものの、燃料の重油の残量は逼迫(ひっぱく)。ヘリコプターによる県内外の病院への患者の移送手配を済ませた3月12日夜、幸いにも停電は復旧した。
同市の生協訪問看護ステーション虹は停電で機器が動かず、たんの吸引ができなくなった利用者に手動の代用品を届けた。停電でエアマットがしぼみ、床擦れになりかけた利用者もいたという。
同市市川町の特別養護老人ホーム寿楽荘はデイケア利用者も含め94人が、施設職員や近隣住民の協力を得ながら近くの市川中学校に避難。
職員のガソリンをかき集め、発電機を動かし、学校側が用意したジェットヒーターで寒さをしのぎ、2泊3日を過ごした。
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八戸市民病院の医療連携室は震災直後から、酸素吸入や人工呼吸器に頼る在宅患者と連絡を取り、病棟のベッド確保などで患者の受け入れに当たった。ほかの医療機関から紹介された人工透析患者も多かった。
同院は八戸地域の災害拠点病院。停電時でも診療機能を停止せずに運営できるよう、普段から電力の7割を自家発電で賄う。だが、燃料の確保が見込めずに緊張状態が続き、診療も一部制限した。
ガソリン不足は医療スタッフの通勤にも影響し、3交代から2交代制に替えるなど対応に追われた。物流停止で給食メニューも変更を余儀なくされた。
同院管理課の松田哲郎課長は「物流が止まるなど、一病院では解決できない、通常の防災体制で考えている以上の災害だった」と指摘する。
デーリー東北 より
震災直後の停電中、日赤八戸病院・八戸西病院・八戸市民病院など総合病院の明かりが心強かった。どこも真っ暗で患者には特に有り難かったはず。
自家発電のありがたみ・必要性が改めて認識されたと思う。
そもそも、今回ほど病院の設置場所が問題になるほど、大震災であった。津波対策はほとんどなされなかった。高台に病院設置が基本になるだろう。それからの震災対策が進められないと、いざっと言う時の医療行為もできないのだから。
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2011/05/11 05:14:34