
[写真・画像] JR貨物EH200形電気機関車
22号機(2010年10月26日)
中央線を走行するEH200-22号機牽引のコンテナ貨物
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フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
信越本線
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1 概要
元々は近世の中山道・善光寺街道・北陸道に沿って高崎駅から長野駅・直江津駅を経て新潟駅に至る路線であったが、1997年(平成9年)10月1日の北陸新幹線高崎駅 - 長野駅間先行開業に伴い、新幹線の並行在来線区間のうち、碓氷峠を越える横川駅 - 軽井沢駅間が廃止、軽井沢駅 - 篠ノ井駅間が第三セクターのしなの鉄道に経営が移管され、当路線は2区間に分断された。さらに2015年(平成27年)3月14日の北陸新幹線長野駅 - 金沢駅間延伸開業に伴い、長野駅 - 直江津駅間も経営分離され、長野駅 - 妙高高原駅間がしなの鉄道に、妙高高原駅 - 直江津駅間がえちごトキめき鉄道に移管され、当路線は3区間に分断された。
4 歴史
高崎駅 - 直江津駅間は国(官設鉄道)によって開業した区間である。このうち高崎駅 - 軽井沢駅間は東京と大阪とを結ぶ「中山道幹線」の一部として建設されたものであり、軽井沢駅 - 直江津駅間はその資材運搬のために建設されたものであった。
碓氷峠を挟む横川駅 - 軽井沢駅間は、難所のため工事が遅れた。この区間が開業する前の5年間は、先行して開業していた碓氷馬車鉄道という馬鉄でこの区間を連絡していたこともあった。
日本海沿いの直江津駅 - 新潟駅(旧駅)間は私鉄の北越鉄道によって開業した。北越鉄道は1907年(明治40年)に国有化された。
貨物支線の上沼垂信号場 - 東新潟港駅 - 大形駅(廃止)間は新潟臨港開発(現在のリンコーコーポレーション)によって開業した。新潟臨港開発線は1941年(昭和16年)に国有化された。
5 廃止区間の現状
廃止された横川駅 - 軽井沢駅間は、ジェイアールバス関東によるバス輸送が行われている。信越本線の同区間が廃止されたため、群馬県と長野県の鉄道での県境越えは普通列車がなく、特急料金が必要な北陸新幹線(高崎駅 - 安中榛名駅 - 軽井沢駅)のみとなっている。
横川駅 - 軽井沢駅間は一部の区間が遊歩道「アプトの道」として整備されている。また、安中市松井田町の財団法人・碓氷峠交流記念財団により、同駅間の廃線跡で、同財団の運営する「碓氷峠鉄道文化むら」の園内遊具として、「ぶんかむら駅 - まるやま駅 - とうげのゆ駅」においてトロッコ列車を運転している。現在、同財団と安中市は国土交通省と協議を行い、同財団を鉄道事業法における特定目的鉄道の正規鉄道事業者に昇格させ、同駅間の廃線を復活させる計画がある。2006年(平成18年)10月に鉄道事業法の認可を目指し、早ければ2007年(平成19年)10月の開業とJR横川駅への乗り入れを目標としていたが、計画は凍結状態にあり、認可・開業時期とも未定となっている。
群馬・長野県境をつないでいた廃トンネルは安中市が所有している。2017年(平成29年)、北朝鮮が弾道ミサイル発射実験を繰り返していることを受けて、軽井沢町は安中市と覚書を結び、有事の際にはこの廃トンネルを町民・観光客の避難シェルターとする方針を決めた。
最終更新 2020年6月22日 (月) 19:54 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
≪くだめぎ?≫
東京と大阪とを結ぶ鉄道として、「東海道幹線」・「中山道幹線」と構想があったが、結果的にそれぞれの山岳路線を後回しにした"折半"した東海道本線が1889年(明治22年)に新橋駅 - 神戸駅の全通した。
1872年(明治5年)に初の実用鉄道路線として新橋 - 横浜間を開業、1884年(明治17年)に高崎駅まで"日本鉄道"によって延長。殖産興業政策として、生糸や絹織物等の製品の輸出に利用されたことは、路線として重要である。
"高崎線"+信越本線(高崎-長野または篠ノ井) = 『中山道本線』
として名称にしても問題ない。しかし、
線路敷設・増強が困難な所が多数であることで、敢えて名称変更を行わなかった、と思わざろうえない。
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Posted at
2020/07/05 10:18:12