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2021年01月11日

『国鉄12系客車』 新製車

『国鉄12系客車』 新製車 国鉄12系客車
出典: フリー百科事典『ウィキペディア
(Wikipedia)』より抜粋

 国鉄12系客車(こくてつ12けいきゃくしゃ)とは、日本国有鉄道(国鉄)が1969年(昭和44年)から1978年(昭和53年)まで、合計603両を製造した急行形座席客車のグループである。
 当初から冷房装置を搭載し、さらに自動ドアの客車初採用などの改良で旅客サービスや安全面の向上に大きな成果を挙げた。その他にも客車初の分散ユニット型電源システムによる電源供給の効率化が図られ、2段式ユニット窓やFRP部材の採用などでコストダウンをも図るなど、多くの技術面でその後の国鉄客車の基本となった車両である。

[写真・画像] スハフ12 162(2003年12月14日/尾久車両センターにて)

基本情報
運用者 日本国有鉄道
東日本旅客鉄道
東海旅客鉄道
西日本旅客鉄道
四国旅客鉄道
九州旅客鉄道
製造所 新潟鐵工所・富士重工業・日本車輌製造
製造年 1969年 - 1978年
製造数 603両

主要諸元
軌間 1,067 mm
最高速度 110 km/h
車両定員 80人(スハフ12・オハフ13)
88人(オハ12)
全長 21,300 mm
全幅 2,944 mm
全高 3,985 mm
車体 普通鋼
台車 TR217
制動装置 自動空気ブレーキ

1 開発の経緯
 当初は、1970年(昭和45年)の日本万国博覧会(大阪万博)輸送を念頭に、臨時列車・団体列車を含めた波動輸送用車両として製造された[1]。
 当時は動力近代化計画の進展によって、電車・気動車が旅客輸送の主力となっていた時期であるが、あえて客車として製造されたのは以下の理由による。

・臨時列車や団体列車などは多客期のみの運転であり、閑散期には車両を車庫で留置しておかざるを得ない。このような用途に動力装置を持つ電車・気動車を増備することは、製造・保守のコストがかかる。
・当時、戦前に製造された客車(スハ32系・オハ35系など)が多数在籍していたが、その老朽化による車両自体の取り替え需要が生じた。急行列車向けのボックスシートの座席客車は、10系客車のナハ11形・ナハフ11形が1959年(昭和34年)に製造終了して以来、増備されていなかった[注 1]。
・1960年代中期以降、急行用電車・気動車は普通車の冷房化が始まっており、客車も時代の傾向に応じる必要があった。
・12系では、暖房は客車側の電源設備で対応することによって、牽引する機関車を選ばない車両として開発された[注 2][注 3]。一方で、多客時は貨物列車の運転が減少するため、貨物用の機関車を活用することを目的とした。

 なお、本形式のアコモデーションは他の急行型同様、私鉄の優等列車群に比べると陳腐化しており、長距離列車用としては居住性が悪く、結果として14系座席車が製造され、1980年代後半以降も定期列車として残った夜行急行列車では、居住性の改善を目的に、特急型の14系へ置き換えられる例が増えた[注 4]。この事もあって、厳密に「急行型」として製造された国鉄客車は本系列が最初で最後となっている。

2 概要
 本系列は冷暖房手段を機関車に依存せず、分散式のユニットクーラーと電気暖房装置を全車両に設置し、電源としてディーゼル発電機を緩急車スハフ12形の床下に設置した。暖房用ボイラーや電源供給装置を持たない貨物用機関車でも常時牽引できるようになったので、貨物列車の運転が少ない時期に機関車の有効活用が可能になった。ただし、照明や放送装置などのサービス電源は、旧型客車同様に車軸発電機からの電源で賄っている。
 車体は、在来客車の設計概念を脱却し、急行形電車の設計を基本的に踏襲して車体幅を約10 cm拡大、2.9 m級となった。また、車体長も20.8 m(全長21.3 m)に拡大して座席間隔を1,580 mmに広げ、腰掛自体も人間工学を考慮した形状改良を行っている。当初は設計コストを抑えるために165系の図面を流用して製造することも考えられた[2]。
 その他の改良点は以下のとおりである[1]。

・全車に空気ばね台車を標準装備(新開発のTR217系台車)。乗り心地を改善した。
・新開発のCL形応荷重機構付自動ブレーキ装置の採用。ブレーキシュー材質は、従来の鋳鉄に代わり、高速域からの安定した制動力が得られるレジンシューに変更。併せて自動ブレーキ機構は、従来の滑り弁(A制御弁)をやめ、よりメンテナンスフリーで作動迅速なゴム膜板を使用した三圧式制御弁(KU1制御弁、C17ブレーキ制御装置)に変更。通常の自動ブレーキ配管・空気圧で、従来の客車より15 kmプラスの最高速度110 km/h運転が可能となった[注 5]。
・国鉄客車としては初めて自動ドアを採用。電車・気動車並みの安全性を確保した。
・2段式のユニット窓を初めとする合理化された構造を随所に取入れた。同時期の電車や気動車にならったもので、生産性や整備性を改善している。
・塗色は、車体全体を20系より明るい青20号に、クリーム10号の2本帯とした。なお、屋根は灰色1号だが、のちにねずみ色1号に変更。
・普通車のみの製造であるため、存在しない荷物車・グリーン車・寝台車など従来形式の客車と混結して運用することを想定し、蒸気暖房の引き通し管および電気暖房の引き通し線を装備している。このため、機関車と旧型客車の間に本系列が連結された場合でも、旧型客車への暖房供給が可能となっている[注 6]。

 これらの要素は、それ以前の旧型客車や10系、20系とは一線を画すもので、12系以降に登場した特急用の14系・24系客車にも、その多くが踏襲されている。また同時期に登場したキハ65形気動車にも、12系の基本設計が流用されている。

3 形式
 12系客車の新造形式は、スハフ12形・オハフ13形・オハ12形の3形式のみではあるが、製造時期によって仕様は異なる。さらに国鉄末期には、大量に発生した余剰車をベースに、普通列車仕様化やジョイフルトレインへの改造、また民営化以降はアコモデーション改善・改造などが行われ、形式・番台区分が一層細分化されている。

3.1 製造の状況
1968年(昭和43年)から1977年(昭和52年)までの予算は以下のとおりである[1]。

 客車製造の指定メーカーだった日立製作所が客車製造から撤退したため、気動車の指定メーカーである新潟鐵工所と富士重工業が客車製造も担当することになった。

予算区分 両数 形式 製造所(新潟鐵工所 富士重工業 日本車輌製造)
・昭和43年度第4次債務負担 28両
オハ12形 1 - 11 12 - 20 - 
スハフ12形 1 - 4 5 - 8 -

・昭和44年度民有車両 100両
オハ12形 21 - 60 61 - 86 -
スハフ12形 9 - 18 19 - 25 -
オハフ13形 1 - 10 11 - 17 -

・昭和44年度本予算 44両
オハ12形 87 - 94 142 - 154 185 - 192
スハフ12形 26・27 41 - 44 55・56
オハフ13形 18・19 33 - 35 41・42

・昭和44年度第2次債務負担 156両
オハ12形 95 - 141 155 - 184 193 - 214
スハフ12形 28 - 40 45 - 54 57 - 64
オハフ13形 20 - 32 36 - 40 43 - 50

・昭和45年度第1次債務負担 150両
オハ12形 215 - 251 252 - 271 272 - 312
スハフ12形 65 - 74 75 - 79 80 - 90
オハフ13形 51 - 60 61 - 65 66 - 76

・昭和51年度本予算 48両
オハ12形 313 - 324 325 - 336 -
スハフ12形 101 - 112 113 - 124 -

・昭和52年度本予算 26両
オハ12形 337 - 344 345 - 349 -
スハフ12形 125 - 131 132 - 137 -

・昭和52年度第1次債務負担 21両
オハ12形 350 - 354 355 - 359 -
スハフ12形 138 - 144 145 - 148 -

・昭和52年度第2次債務負担 30両
オハ12形 360 - 368 369 - 374 -
スハフ12形 149 - 157 158 - 163 -

●製造所別両数 (286両 204両 113両) 603両

3.2 新製車
 臨時列車での使用を考慮しており、グリーン車は設定せず、普通車のみとしている。そのため形式は、電源装置付き緩急車のスハフ12形、編成中間に連結するオハ12形、電源装置なし緩急車のオハフ13形のみである。
 製造時期によって仕様が異なり、細かく分別すると、実に9次車まで存在する。大まかに分別すると以下の4つのグループに分けられる。
 試作車では、ディーゼル発電機による電源供給容量は客車5両分の150 kVA であった。しかし、当時の国鉄では6両編成ないし12両編成を1単位とする運用が多く、組成の際にはスハフ12形が過剰に必要となり不経済であった。このため、量産車の電源容量は6両分の180 kVA に引き上げられ、さらに100番台以降は210 kVA にまで引き上げられた。あわせて燃料タンクの容量も長距離運用に対応させるため、860 L から1500 L に増強するなどの措置が行われている。

3.2.1 試作車
 1969年(昭和44年)に製造された最初のグループである。新潟鐵工所および富士重工業でスハフ12形8両とオハ12形20両が製造された。その後に量産された車両とは電源用機関などが異なっていたが、1972年(昭和47年)に、全車が高砂工場で量産車と同一仕様に改造された。1969年7月8日、大阪駅で展示された車両はスハフ12 2+オハ12 9の2両である
・スハフ12 1 - 8
 1969年に8両製造された試作車。
 電源装置(発電セット)はDMF15H-Gディーゼルエンジン (180 PS / 1500 rpm) とDM82発電機を組み合わせた出力150 kVA のもので、自車を含め5両に給電可能であったが、量産化改造により180 kVA、6両給電となった。
・オハ12 1 - 20
 1969年に20両が製造された試作車。

3.2.2 量産グループ I
 1970年(昭和45年)に製造されたグループである。12系は6両編成単位で運用することが多かったため[3]、スハフ12形の発電セットは自車を含む6両まで給電が可能なものとなり、この余力から新形式として発電セットなしの緩急車であるオハフ13形が登場した。また試作車では、側面行先表示器が28コマ表示であったが、量産車では70コマ表示に改良された。製造は、新潟、富士重のほか、日本車輌製造も加わっている。
・スハフ12 9 - 64
 1970年に56両が製造された。
 発電セットのエンジンを排気タービン過給器付きのDMF15HS-G (230 PS / 1800 rpm) に変更し、発電容量を150 kVA から180 kVA に引き上げ、燃料タンク容量も860 L から1500 L に増加した。
・オハフ13 1 - 50
 1970年に50両が製造された。
 後から発電セットを搭載してスハフ12に改造できるよう、準備工事が施されているが、車体側面の機関吸気口はない。
・オハ12 21 - 214
 1970年に194両が製造された。

3.2.3 量産グループ II
 1971年(昭和46年)に製造されたグループである。台車および暖房回路、便所と洗面所のユニットが改良(工数削減)されるとともに、屋根の塗色をねずみ色1号に変更した。メーカーは、引き続き新潟、富士重、日本車輌の3社である。
・スハフ12 65 - 90
 1971年に26両が製造された。
 台車をTR217C形に変更している。
・オハフ13 51 - 76
 1971年に26両製造された。
 台車をTR217B形に変更している。
・オハ12 215 - 312
 1971年に98両が製造された。
 台車をTR217B形に変更している。

3.2.4 量産グループ III
 12系の製造は1971年(昭和46年)[注 7]以降打ち切られていたが、この間の1972年(昭和47年)11月に発生した北陸トンネル火災事故を機に、火元となる可能性のあるエンジン(と燃料)を客室の直下に置く分散電源方式は、防火・安全対策の見直しを迫られることとなる。
 床下発電セットに液体燃料火災に有効なハロン自動消火装置を装備し、A-A基準に準拠することで、6年後の1977年(昭和52年)に製造が再開され[注 8]、翌1978年(昭和53年)まで製造された。スハフ12形は、循環式汚物処理装置の設置に伴う電源装置の変更により新区分番台の100番台となっている。また、発電セットを搭載しないオハフ13形は製造されなかった。
・スハフ12 101 - 163
 1977年 - 1978年に63両が製造された。
 電源機関を中間冷却器付きのDMF15HZ-G形 (270 PS/1800 rpm) に、発電機をDM93形に変更。これにより発電容量を210 kVA へ増強。車体側面の機関吸気口が拡大し、吸気系の取り回し変更により、位置も窓一つ分車体中央寄りとなった。また冷房装置をAU13AN形に、空気圧縮機をC400A形に、台車をTR217D形に変更、新たに前位妻側に尾灯を設置し、車内には冷水器を設置。前述のとおり火災対策が強化されており、床材を合板からアルミ板に、車内の布製品を難燃性に変更している。
 最終増備車である149 - 163は、後位側幌と緩急室窓を、当時量産が開始された50系と共通化し、幌は収納式から外吊の普通形へ、緩急室後方の監視窓は小形縦長に、それぞれ変更された。
・オハ12 313 - 374
 1977年 - 1978年に62両製造された。冷房装置をAU13AN形に、台車をTR217C形に変更。

4 沿革
 製造当初より、波動輸送用車両および臨時夜行急行列車に使用されたが、14系座席客車が製造されるまで、一時的に臨時特急「しおじ」「つばさ」などにも使用された。しかし設備が急行並のため、特急運用の際には特急料金が割り引かれた。
 登場以来、団体列車や臨時列車を中心に使用されてきた12系客車が定期列車に使用されるようになったのは、1973年(昭和48年)からである。急行「きたぐに」「音戸」に使用され、1970年代後半になると老朽化の著しい10系寝台車の代替として、20系客車との併結で寝台車付きの急行列車(「かいもん」「日南」など)にも進出するようになった。
 その後、夜行列車の本数減少や、1970年代後半から始まった旧型客車の廃車に伴い、50系客車とともに普通列車運用に比重を移した。そのため、一部の車両は車端部座席のロングシート化などを行なった。また1980年代には、多数が和式列車などのジョイフルトレインの改造ベースとなった。その他、電車列車の非電化路線乗り入れのサービス電源車として、特急「有明」の豊肥本線乗り入れの485系や、快速「葉っぴーきよさと」の小海線乗り入れの169系に連結されたこともあった。
 1990年代になると、客車急行列車の廃止とともに12系を使用した列車も減少し、普通列車についても、電車・気動車化、短編成化が進行したため大量の余剰車が発生し、大半の車輌が製造から20年ほどで廃車になった。さらにジョイフルトレインに改造された車両も、ジョイフルトレインの電車化・気動車化や車両の老朽化に加えて、バブル崩壊後の団体旅行需要そのものの減少もあり、次第に持て余し気味となって廃車されたものが多い。また一部のオハ12形は24系25形客車に改造編入されたほか、特異な例では、気動車用の付随車に改造されて気動車編成に組込まれたものもあったが、これらもすべて廃車になった。
 なお、耐寒耐雪構造ではないので北海道地区には国鉄時代も含めて1両も配属されていないが、冬季以外の季節に乗入れ運行実績はあり、快速海峡としても運行された。

5 国鉄分割民営化時の状況
 1987年(昭和62年)の国鉄分割民営化時には、北海道旅客鉄道(JR北海道)を除く旅客鉄道会社各社に、1986年度に廃車となった2両を除く601両が引き継がれた。その状況は次のとおりである。

形式 東日本 東海 西日本 四国 九州 両数
・オロ12形 34 13 16 - 12 75
・スロフ12形 16 6 8 - 6 36
・オハ12形 104 16 138 - 6 34 298
・スハフ12形 32 7 56 3 18 116
・オハフ13形 33 1 32 1 9 76
合計 219 43 250 10 79 601

6 廃車
●1986年(昭和61年)度 オハ12形 - 139(名ナコ) スハフ12形 - 12(名ナコ)

7 現況
 2018年4月1日現在、東海旅客鉄道(JR東海)・四国旅客鉄道(JR四国)・九州旅客鉄道(JR九州)においては全廃され、東日本旅客鉄道(JR東日本)に14両、西日本旅客鉄道(JR西日本)に8両の計22両が在籍する[14]。
 また、わたらせ渓谷鐵道で2両、秩父鉄道で4両の譲渡車が使用されている。いずれも臨時列車・団体列車に用いられる。2011年には2010年に廃車されたJR四国の4両(オロ12 6・9、スロフ12 3・6)が若桜鉄道に売却され、7月1日から7月3日にかけて甲種輸送が行われた[15]。2016年9月には廃車扱いされたJR四国の2両(オロ12 5・10)が東武鉄道へ譲渡された[16]。
 JR東日本には、高崎車両センター高崎支所にオハ12 366・367・368・369、スハフ12 161・162、オヤ12 1の7両と、新潟車両センターに「SLばんえつ物語」に専用化改造された7両(オハ12 313・314・315・316・1701、スハフ12 101、スロフ12 102)が配置されている[14][17]。
 JR西日本には、網干総合車両所宮原支所に原型車6両(一部車両を「SL北びわこ号」で運行[18]、オハ12 341・345・346・352、スハフ12 129・155)[19]、後藤総合車両所に「奥出雲おろち号」用の2両(スハフ12 801、スハフ13 801)が配置されている[14][17]。宮原支所の原型車は、DD51形の牽引で宮原支所 - 本所間の訓練列車にも使用されている[20][21]。2016年7月5 - 6日の2日間に掛けて、マロフ12 851・852の2両が吹田総合車両所に回送され[22]、2016年9月5日付で廃車された[12]。オロ12 851・852も2016年11月17日付で廃車されている[12]。残るオロ12 853・854も2018年3月31日に廃車され、和式客車「あすか」用も全廃となった[13]。
 過去には、下関総合車両所新山口支所に「SLやまぐち号」用の6両(オハ12 701・702・703、スハフ12 36・702、オハフ13 701)が配置されていたが、 オハ12 701・702・703、スハフ12 702、オハフ13 701が2017年9月7日に下関総合車両所本所へ廃車回送された[23]。同所に廃車回送された該当5両は、2018年2月26日付で大井川鐵道への譲渡が決定した[24][25]。スハフ12 36のみ保留となっていたが、他の5両とともに2017年10月27日付で車籍が抹消された[13]。

10 脚注
10.1 注釈
[注 1]^ 10系以前の客車は普通車についてはその多くがボックスシート製造。一方で定員重視で製造された鋼体化改造車である60系の普通車以外は長距離優等列車への使用を想定して製造され、優等列車への使用は程度の良い車両の使用が優先され、後継車の置換えにつれて捻出された中堅車や経年車は普通列車にも使用されるようになっていた。なお、国鉄の現場では「一般形客車」「在来型客車」と便宜的に呼称していたが、明確な意味で採用された区分ではない。
[注 2]^ 10系客車までの在来型客車は、暖房を使用する時期には、電気機関車やディーゼル機関車により牽引される場合に牽引機関車が限定される問題があった。暖房用蒸気を供給するボイラー(蒸気発生装置)付旅客用機関車で牽引するか、別にボイラーを搭載した暖房車を連結する必要があり、電気暖房の場合は暖房電源供給設備 (EG) のある機関車が必要だった。
[注 3]^ もっとも、後述するように後々12系のバラ転用にあたって機関車の電気暖房装置からサービス電源を受けることになったのは皮肉である。
[注 4]^ これは14系がシステム上寝台車と座席車が同一の系列に属していたため、運用面で有利だったこともある。
[注 5]^ 20系は既に110 km/h運転可能だったが、鋳鉄制輪子で可能としたことから、高速域で高いブレーキシリンダ圧力を必要とするため、機関車が編成増圧ブレーキ制御のできる電磁ブレーキ制御機構と、元空気だめ管引き通しを持つ必要があった。

10.2 出典
[1]^ 鉄道ファン2017年12月号,解説・12系客車 〜その略歴と現況〜、p.47。
[2]^ JTBパブリッシング『幻の国鉄車両』p132
[3]^ 『鉄道ピクトリアル』2005年2月号、1990年7月号
[11]^ ジェー・アール・アル編 (2016) (日本語). JR気動車客車編成表2016. 交通新聞社. pp. 159-161. ISBN 978-4330690162(JR車両 番号順別配置表)
[14]^ 「JR旅客会社の車両配置表」、『鉄道ファン』58巻(通巻687号(2018年7月号))、交友社 pp. 16, 27(別冊付録
[15]^ 鉄道ファン (雑誌) (2011年7月3日). “JR四国の12系客車4両が若桜鉄道へ”. railf.jp(鉄道ニュース) (交友社) 2016年5月6日閲覧。
[16]^ “蒸気機関車(SL)復活運転の車両・施設計画概要について” (日本語) (PDF) (プレスリリース), 東武鉄道, (2016年4月21日) 2016年5月6日閲覧。
[17]^ 鉄道ファン2017年12月号,解説・12系客車 〜その略歴と現況〜、pp.54 - 55。
[18]^ “SL北びわこ号”,2019年夏季の運転が開始される 鉄道ニュース(railf.jp)、2019年9月9日。
[19]^ “SL北びわこ号 平成28年度 春季運転のお知らせ” (日本語) (プレスリリース), 西日本旅客鉄道, (2016年4月27日), オリジナルの2016年4月27日時点におけるアーカイブ。 2016年5月6日閲覧。
[20]^ DD51と12系による訓練列車運転 鉄道ニュース(railf.jp)、2019年11月1日。
[21]^ 【JR西】網干訓練列車、運転実施 RM News(鉄道ホビダス)、2019年11月29日。
[22]^ “「あすか」展望車2両と「トワイライトエクスプレス」用24系1両が吹田へ”. railf.jp(鉄道ニュース). 交友社 (2016年7月7日). 2016年7月8日閲覧。
[23]^ “12系レトロ客車が幡生へ”. railf.jp(鉄道ニュース). 交友社 (2017年9月8日). 2018年1月7日閲覧。
[24]^ “12系客車の入線が決定しました!!” (プレスリリース), 大井川鐵道, (2018年2月26日) 2018年2月26日閲覧。
[25]^ “大井川鐵道,JR西日本から12系客車5両(もと“SLやまぐち”号用)を譲受”. railf.jp(鉄道ニュース). 交友社 (2018年2月26日). 2018年2月28日閲覧。

11 参考文献
・電気車研究会『鉄道ピクトリアル』1990年7月号 No.530 特集 12・14系座席客車
・電気車研究会『鉄道ピクトリアル』2005年2月号 No.757 特集 12・14系座席客車
・交友社『鉄道ファン』1988年8月号 No.328 特集 JR車両のうごき特集号
・交友社『鉄道ファン』1989年7月号 No.339 特集 88/89JR車両のうごき
・四国旅客鉄道『JR四国ニュース』昭和63年11月1日 No.13
・藤田吾郎、2017、「解説・12系客車 〜その略歴と現況〜」、『鉄道ファン』57巻(通巻680号(2017年12月号))、交友社 pp. 47 - 55
最終更新 2021年1月9日 (土) 23:03 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。


≪くだめぎ?≫
 完全電化して冷暖房を自前で運転できるようになり、貨物機関車もつかえるようになる。もちろん、自動ドアも使えるようになった。だから、グリーン車・食堂車・寝台車なども、たとえ在来車から調達出来たなら、もっと長寿だっただろう。
 「大量の余剰車が発生し、大半の車輌が製造から20年ほどで廃車になった。」
国鉄清算事業団(現・鉄道建設・運輸施設整備支援機構)が差し押さえなかったのがおかしい。これは極端だとしても、国鉄製車両などもっと使用できるだろう。

 マイブログのトップ写真は南部縦貫鉄道を今も使い続けている。鉄道事業を辞めたのは、野辺地-西千曳の旧東北線線路路盤の買い取りを求められたこと。切り換えた新線(太平トンネル)を近郊形の電気暖房用2000番台が走行していた区間である。鉄道建設・運輸施設整備支援機構は、例えば野辺地駅構内引き込み線に12系余剰車を留置していた方が。臨時列車用のレンタル品にした方が、余剰車(同様に廃車された)機関車ももっと有効使用されたはずである。
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Posted at 2021/01/11 18:31:29

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