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2021年08月18日

埼玉県新座郡 小榑"ムラ"(こぐれむら)

埼玉県新座郡 小榑"ムラ"(こぐれむら) 旧大泉村役場跡 (きゅうおおいずみむらやくばあと)
更新日:2019年4月22日

[写真・画像]
「大泉村役場建築記念」碑(大正11年建立)

 明治22年(1889年)町村制の施行で、埼玉県新座郡に属していた小榑村(現在の大泉学園町・西大泉・南大泉)と橋戸村(現在の大泉町)は合併して榑橋村となりました。同24年(1891年)榑橋村は、東京府北豊島郡に編入され、同時に石神井村大字土支田(現在の東大泉)と新倉村長久保を合併して大泉村が誕生しました。
 村役場は初め、ここから西、約200メートルの本照寺に隣接する村長宅に設けられましたが、大正11年(1922年)新しく木造2階建ての村役場がここに建設されました。翌12年(1923年)には武蔵野鉄道東大泉駅(現在の大泉学園駅)ができ、村発展のきざしが見えてきたときでした。昭和7年(1932年)の板橋区成立まで村政の中心になっていました。役場完成の際に建てられた記念碑には、村長をはじめ多数の村民の氏名が刻まれており、新たな期待がこめられていたことがうかがえます。
 それから板橋区時代、練馬区の独立を経て、建物は信用組合(現JA大泉)や福祉事務所などの公共施設としていろいろ利用されましたが、昭和54年(1979年)に老朽化のため取り壊されました。
 平成元年度区登録
■所在地
大泉中島公園(大泉学園町2丁目2番)
■交通機関
西武池袋線 大泉学園駅北口下車徒歩8分
 練馬区 > ねりまの歴史を知る より


更新日:2010年3月24日
西大泉(にしおおいずみ)
 旧新座郡小榑村の一部であった。江戸時代初めは幕府直轄領であったが、元禄16年(1703年)村高の半分730余石を武州久喜藩主米津(よねづ)出羽守に給せられ幕末まで及んだ。
 榑(くれ)は山出しの木材や薪(まき)のことで、地名はそうした作業を行った所と解する説が有力である。一方、クレは呉に通じ、帰化人に関係あるとする説もある。天平宝字2年(758年)新羅(しらぎ)の帰化僧らを武蔵国に移し新羅郡を置いた(続日本紀)。新羅郡はのちに新座郡となった。座はザともクラとも読み、今も隣接して新座市があり、和光市に新倉(にいくら)の地名がある。これに対して小榑は「ふるい(古)クレ」か、というのである。
 明治22年橋戸村と合併して榑橋村と称した。当時流行の合成地名である。今の杉並区でも井草と荻窪を合併して井荻村とした。両方とも地名はなくなったが、井荻は駅名に、榑橋は公園(大泉町5丁目)の名に生きている。
 榑橋村は明治24年東京府へ編入大泉村となり、昭和7年5町にわかれ、ここは西大泉町となった。56年住居表示が実施され(一部未施行)現町名となった。
ねりま区報 昭和59年9月21日号 掲載
練馬の地名 今むかし(西大泉) - 練馬区公式ホームページ


埼玉県にある約30m×60mの「東京都」...飛地の存在理由、区役所もわからず
Jタウンネット編集部 2017.01.04 11:00

 こちら、なんの変哲もない県境に見えるが、実は知る人ぞ知る珍スポットだ。今記者が立っているのは埼玉県新座市だが、それに囲まれるように、東京都練馬区の1部が存在している。全国に結構な数存在する「飛地」の1つがここだ。
 そんな小さな飛地、「東京都練馬区西大泉町@埼玉県新座市」について、その成立の経緯などを調査してみた。

■こちら埼玉県新座市練馬区
 東京都練馬区の飛地、「西大泉町」は、隣接している埼玉県新座市の中に存在している。
 練馬区には「西大泉」という地名はあるものの、そちらの住所表記は「西大泉1丁目」で、飛地である「西大泉町」とは少々異なっている。
 近くを散策してみると、飛地ならではと言えるものを発見した。それがこちらだ。
 埼玉県側に設置されている案内板には、「そこはうちの管轄じゃないので......」とでも言いたげに、飛地の部分だけは「東京都」とまとめて表記されていた。
 近くを通った若い配達員と思しき人も、この案内板の前でしばらく立ち止まっていた。東京なのか、埼玉なのか、慣れないうちは大変そうだ。
 また、案内板では「畑」となっている場所は2016年末現在、住宅になっていた。練馬区役所によると、2015年春ごろに新たな住宅が建設され、住民が増えたのだという。
 散策を続けると、周囲には東京都と埼玉県、2種類の消火器があることも確認した。こちらは飛地だから、というよりも自治体の境目だから、という理由が大きいだろう。
それぞれの住所に対応した自治体が設置していると思われる

■区役所もよく分からない
 実際に歩いてみるとすぐに分かるのだが、練馬区本体とは100メートル程度しか隔たれていない。1分もあれば往復も可能な距離だ。
 東京都か埼玉県がもう少し頑張れば解決してしまいそうでもある。
 練馬区役所に取材したところ、担当者は、編入の計画は存在すると語った。
"「新座市へと編入するという方針はあり、現在もそれは変わっていないのですが、住民の方々から飛地で不便しているということもなく、意見を無視して行うことも出来ないため、進んでおりません」

 また、成立の経緯については、
"「詳細は区役所の方にも伝わっておらず、昭和49年(1974年)に開発業者が練馬区の方に開発の相談に来た際に存在が発覚しました。恐らく登記簿などを見てこちらに来たのだと思われます」
 と語った。
 そうなると書類を作成した誰かが居るはずだが、74年まで存在すら把握されていなかったことからも、遡ることは難しそうだ。
 歴史的にどのような土地だったのか、という点も不明で、鷹狩の場所だった、住宅地の中にある畑だった、という推測がされているという。
"「ただ、行政の手続きの漏れから、このような形になったと考えられます」

 また、地理的には新座市、行政的には練馬区扱いということもあり、行政サービスでは両者が分担して行っていることも分かった。

"「行政サービスに関しましては、上下水道は新座市が、ゴミの処理は練馬区の管轄になっております。学校も基本的に練馬区の小中学校に通うことになっています。」
 練馬区と西大泉町の往復では、ゴミ収集車は当然新座市を通過することになるが、道中のゴミを拾うこともないという。中々シュールである。
 電柱の張り紙にも、ゴミ関係は練馬区の管轄であることが示されていた。
 日本全国には現在も多数の飛地が存在している。今回の西大泉町のような小さなものから、和歌山県北山村のように、村が丸ごと飛地になっている例まで様々だ。
 同様に飛地となった理由も多彩で、それぞれの土地の歴史と結びついたストーリーがある。
 今回は成立の過程を探ることは出来なかったが、かつての西大泉町と同様に、埋もれたままの飛地もどこかにあるのかもしれない。


2020.08.27 16:00 週刊ポスト
埼玉にある練馬区の飛び地

 行政上の境目や、その土地開発の本音から、その場所や近くを利用する人たちを戸惑わせる「境目」がある。埼玉県にある東京都練馬区の飛び地、境にまたがり名前が2つある公園、品川駅の謎について紹介する。

■埼玉県新座市で見つけた 練馬区の“謎の飛び地”
 練馬区西大泉から埼玉県の新座市に入り、100メートルほど歩くと「練馬区西大泉町1179番」の住居表示に目がとまる。
 練馬区のわずか60メートル×40メートルの飛び地だが、宅地開発の過程で1974年に発覚するまで練馬区だと知られておらず、経緯は自治体も把握していない。この“謎の飛び地”には12戸の住宅が建ち、上下水道は新座市、ゴミ処理や小中学生の学区は練馬区が管轄。
 「新座市への編入で行政は合意していますが、『不便はない』と住民の同意が得られず進んでいません」(練馬区)。
 「あそこは40年くらい前に宅地化されて、当時は6軒でしたが今は12軒に増えました。電話番号も最初は埼玉の局番でしたが、行政と交渉して東京の『03』になったそうです。新座市編入に反対なのは、不動産評価額の関係でしょう。あそこは東京だから周りの新座市よりも少し高いので、新座市になって評価額が下がるなんて誰だって嫌ですからね」(近隣の不動産業者)


小榑村 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 小榑村(こぐれむら)は、かつて埼玉県新座郡に存在した村。1889年(明治22年)、町村制施行に際して廃された。その後旧村域は東京府に編入されている。
 2013年現在の東京都練馬区北西部(大泉学園町、西大泉、南大泉)に相当する。
1 地理
 用水の便が悪く、水田は少なく、畑が多い。
 北豊島郡土支田村に2箇所、新座郡中沢村に1箇所、飛畑を持っていた。

2 歴史
「榑橋村」および「大泉村 (東京府)」も参照
2.1 略年表
・1884年(明治17年)4月1日 - 連合戸長制施行。
 ・上保谷村、下保谷村、上保谷新田村、小榑村、橋戸村の5箇村で保谷村連合となる。
・1889年(明治22年)4月1日 - 町村制施行に伴い、明治の大合併が起こる。
 ・小榑村と橋戸村の2箇村が合併し埼玉県新座郡榑橋村(くれはしむら)となり、小榑村は消滅する。
・1891年(明治24年)6月15日 - 榑橋村が新倉村字長久保、東京府北豊島郡石神井村大字上土支田と合併し、東京府北豊島郡大泉村が成立。
・1932年(昭和7年)10月1日 - 大泉村が板橋町, 上板橋村, 志村, 赤塚村, 練馬町, 上練馬村, 石神井村, 中新井村とともに東京市へ編入され板橋区の一部となる。
・1947年(昭和22年)8月1日 - 板橋区から旧1町4村練馬町,上練馬村,中新井村,石神井村,大泉村の区域が分離独立して練馬区となる。

3 寺院・神社
・諏訪神社 - 西大泉3-13-3
・本照寺 - 西大泉3-11
・妙福寺 - 南大泉5-6
4 名所・旧跡
・力持ち惣兵衛の馬頭観音(大泉学園町2-27-14)
・西大泉町飛地(西大泉町1179番地)
5 外部リンク
“力持ち惣兵衛の馬頭観音 (ちからもちそうべえのばとうかんのん)”. 練馬区公式ホームページ (2019年4月22日). 2020年10月11日閲覧。
最終更新 2020年10月11日 (日) 14:09 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。


≪くだめぎ?≫
 練馬区の大泉地区のある「西大泉町」は埼玉県にある東京都の"飛地"である。この"西大泉町"が旧来からの小榑ムラ(こぐれむら)改め練馬区の名所とは・・・。
 不動産評価額の関係で、無理に「東京都→埼玉県」にできないそうだ。
 逆に、100メートルほど歩く、「新座市」の部分は東京都編入の動きは無いのかな・・。
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Posted at 2021/08/18 18:27:40

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