
[写真・画像] 旧田無市と旧保谷市
武蔵野台地のほぼ中央、東京都の西北部に位置する西東京市は、2001年(平成13年)1月21日、田無市と保谷市の合併により誕生しました。
旧田無市は、江戸時代から青梅街道の宿場町であり、北多摩地区の人々の生活を支える商業の拠点として栄え、旧保谷市は、江戸時代に幕府の開墾対策一環として新田開発された農村から、その後は住宅都市として発展してきました。
旧保谷市が旧田無市を包み込むという地形の特殊性もあり、合併前から一体的な生活圏を構成していました。
西東京市図書館/西東京市デジタルアーカイブ トップヘージより
新町 (西東京市)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
(上保谷新田村から転送)
新町(しんまち)は、東京都西東京市の町。現行行政地名では新町一丁目から新町六丁目までの6町が存在する。住居表示実施済み地区。郵便番号は202-0023[“郵便番号”. 日本郵便. 2018年1月15日閲覧]。
1 地理
西東京市の南端に位置し、町域は東西に細長い。西東京市発足前の旧保谷市時代には、武蔵野市と旧田無市の隙間に入り込むような区画になっており、保谷市役所よりも武蔵野市役所や田無市役所の方が近いという環境で、行政効率から田無市との合併が求められる要因のひとつだった。東から新町一丁目、東京都道12号調布田無線(境新道、武蔵境通り)を挟んで新町二丁目、市道を挟んで新町三丁目、東京都道253号保谷狭山自然公園自転車道線(多摩湖自転車道)を挟んで新町四丁目、市道を挟んで新町五丁目、市道を挟んで新町六丁目と並んでいる。新町一丁目に武蔵野大学、武蔵野女子学院中学校・高等学校があり、東京都道7号杉並あきる野線(五日市街道)沿いには商業施設が多く、残りは僅かに農地が残る他は住宅地となっている。
東は深大寺街道を挟んで柳沢、南は五日市街道を挟んで武蔵野市関前・境・桜堤、西も武蔵野市桜堤、北は鈴木街道・旧鈴木街道を挟んで向台町に隣接する。
1.1 河川
・玉川上水
・千川上水
2 歴史
享保7年(1722年)に江戸幕府が武蔵野新田82ヵ村の開発を命じ[9]、上保谷村の岩城平井伊左衛門によって開発された持添新田が当地の起源である[10][11]。元文元年(1736年)12月に検地が行われて成立した[11]。天保6年(1835年)に上保谷村から分村され上保谷新田村となり、新座郡野方領に属した[10]。
以下の沿革では、当町の設置以前は上保谷新田について述べる。
・1868年8月27日(慶応4年7月10日) - 武蔵県に所属する。
・1869年2月23日(明治2年1月13日) - 品川県に所属する。
・1871年12月25日(明治4年11月14日) - 品川県のうち上保谷新田を含む新座郡と入間郡が川越県に編入され、入間県が発足。
・1873年(明治6年)6月15日 - 入間県と群馬県(第1期)が合併して熊谷県が発足。
・1876年(明治9年)8月21日 - 熊谷県が分割され、旧入間県は埼玉県に編入される。
・1886年(明治19年) - 上保谷・下保谷・上保谷新田・小榑・橋戸の5村で保谷連合村となる。
・1889年(明治22年)4月1日 - 町村制施行に伴い、上保谷・下保谷・上保谷新田の3村が合併し、埼玉県新座郡保谷村を設置。旧3村はそれぞれ大字となる。
・1896年(明治29年)3月29日 - 新座郡の北足立郡への編入に伴い、埼玉県北足立郡保谷村上保谷新田となる。
・1907年(明治40年)4月1日 - 保谷村が東京府北多摩郡へ移管され、東京府北多摩郡保谷村上保谷新田となる。
・1940年(昭和15年)11月10日 - 保谷村が町制を施行し、東京府北多摩郡保谷町上保谷新田となる。
・1943年(昭和18年)7月1日 - 東京都制施行により東京都北多摩郡保谷町上保谷新田となる。
・1967年(昭和42年)1月1日 - 保谷町が市制を施行し保谷市となると同時に、町名整理を実施。
・上保谷新田の一部に上保谷の一部を合わせて東伏見が設置される(住居表示実施は同年5月1日)[12]。
・上保谷新田の一部に上保谷の一部を合わせて柳沢が設置される(住居表示実施は同年5月1日)[13]。
・上保谷新田の残存部をもって新町が設置され、同時に住居表示実施[12]。
・2001年(平成13年)1月21日 - 保谷市と田無市が合併し西東京市が発足。西東京市新町となる。
3 交通
3.1 鉄道
町内に駅・鉄道路線は無い。最寄り駅は田無町四丁目の西武新宿線田無駅または柳沢六丁目の西武柳沢駅、若しくは武蔵野市境一丁目・境南町二丁目のJR中央本線・西武多摩川線武蔵境駅。
3.3 道路
東京都道7号杉並あきる野線(五日市街道)
深大寺街道
東京都道12号調布田無線(境新道、武蔵境通り)
東京都道253号保谷狭山自然公園自転車道線(多摩湖自転車道)
鈴木街道
4 施設
4.1 新町一丁目
・西東京市役所柳橋出張所
・武蔵野大学、武蔵野女子学院中学校・高等学校(向台町一丁目に跨る)
・至誠学舎東京
・柳橋保育園
・東京電力武蔵野支社武蔵野制御所境変電所
4.2 新町二丁目
・阿波洲神社
・日産プリンス西東京
・AOKI
・タックメイト旭屋酒店
・ひらたあや
4.3 新町三丁目
・おおぞら公園
4.4 新町四丁目
・田無警察署保谷新町交番
・TSUTAYA境橋店
4.5 新町五丁目
・新町福祉会館 - 西東京市図書館の図書サービス(貸出・予約窓口)を併設(旧・新町分室)
・ドイトプロ小金井公園店(旧・ドン.キホーテ小金井公園店)
4.6 新町六丁目
・損害保険ジャパン事務本部
5 参考文献・・「角川日本地名大辞典 13 東京都」角川書店、1978年
7 脚注
[9]^ 西東京市Web 年表(保谷版)。
[10]^ a b 「角川日本地名大辞典 13 東京都」221頁。
[11]^ a b 「角川日本地名大辞典 13 東京都」1131頁。
[12]^ a b 「角川日本地名大辞典 13 東京都」1133頁。
[13]^ 「角川日本地名大辞典 13 東京都」1134頁。
8 外部リンク 西東京市Webトップページ
最終更新 2021年6月2日 (水) 00:57 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
≪くだめぎ?≫
いつもの様に、テキストは既に出ている
「消えた市町村名の謎」 八幡和郎著 2017年7月20日 イースト新書
である。
埼玉県新座郡の旧保谷村(ほうやむら・旧保谷市)と
旧小榑村(こぐれむら)の地区連合体である。明治17年から22年の5年間存在した、今となっては瞬間タッチの様である。 明治22年町村制の施行まで、上保谷・下保谷・上保谷新田・小榑・橋戸の江戸時代からの「ムラ」のままだった。
旧小榑村が白子川(しらこがわ)流域、旧保谷村が支流の新川流域である。1888年(M21)市制町村制制定、翌年に二手に分かれた様である。
1878年(M11)郡区町村制法により、大区・小区を廃止、府県の下に郡区町村を設置。町村の役場は戸長役場と呼ばれ、小規模な町村は一カ所の戸長役場の例があり、保谷連合村の連合戸長役場を置いた。後の保谷市役所の基礎となったのだろう。
「ムラ」→"村"、になる前段階が『連合村・連合戸長役場』だ。
今回の上保谷新田・改め旧保谷市新町(しんまち)地区は旧田無市と武蔵野市(ともに
1893年(M26)神奈川県→東京府・現東京都)の隙間に入り込むような区画になっており、明治時代から田無市との合併が求められる所だったのだろう。結果、
・1907年(M40)4月1日 - 保谷村が東京府北多摩郡へ移管され、東京府北多摩郡保谷村となる。
・2001年(平成13年)1月21日 - 保谷市と田無市が合併し西東京市が発足。西東京市となる。
・上保谷新田(新町、東伏見、柳沢)
・上保谷(住吉町、泉町、中町、富士町、保谷町、東伏見、柳沢、およびひばりが丘北、栄町の一部)
・下保谷(ひばりが丘、ひばりが丘北、北町、下保谷、栄町、東町および住吉町の一部)
保谷町、下保谷の地名があるのが救いである、と言えよう。