
守山宿
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[写真・画像] 守山宿の道標
「右 中山道 并 美濃路 左 錦織寺 四十五町 こ乃者満ミち」「江州大津西念寺 京大坂江戸大津 講中建之」「延享元甲子年霜月 願主 釈宗有 釈浄圓 釈祐寿」とある。 守山市の文化財
守山宿(もりやましゅく、もりやまじゅく)は近江国野洲郡にあった中山道67番目の宿場(→中山道六十九次)で、現在の滋賀県守山市旧市街に当たる。
1 概要
江戸時代初期の寛永19年(1642年)に「守山宿」として制札が与えられた。「守山」の地名は、比叡山延暦寺の東の関門として、東門院が創建されたことに由来する。すなわち、比叡山を守るという意味である。
京からの東下りにおいては最初の宿泊地で、「京立ち守山泊まり」と言われ繁栄した。後に、東の吉身、西の今宿が加宿となり、さらに発展した。
天保14年(1843年)の『中山道宿村大概帳』によれば、守山宿の宿内家数は415軒、うち本陣2軒、脇本陣1軒、旅籠30軒で宿内人口は1,700人であった。
2 最寄り駅 ・JR東海道本線(琵琶湖線) 守山駅
3 史跡・みどころ
・石造道標 - 「右 中山道 并 美濃路 左 錦織寺 四十五丁 こ乃者満ミち」とある道標。守山市指定文化財。
・宇野本家 - 宇野宗佑の生家。現在は「うの家」として旧守山宿活性化の拠点施設として整備されている。
・井戸跡
・土橋 - 歌川広重が当所から宿場風景を描いたとされる
・甲屋跡 - 謡曲「望月」の舞台
・天満宮
・東門院
・源内塚
・本像寺 - 木内石亭の墓がある
・勝部神社 - 「勝部の火祭り」で知られる旧物部郷の総社。本殿は国の重要文化財。
・最明寺 - 北条時頼が寄進した石造五重塔は国の重要文化財。
・馬路石邊神社 - 式内社
・安楽寺 - 黄壁宗、本尊の秘仏木造千手観音菩薩立像は国の重要文化財
3.1 草津宿までの史跡・みどころ
・今宿一里塚 - 日本橋から128番目の一里塚で、滋賀県では現存する唯一の一里塚。滋賀県指定史跡。
・伊砂砂神社(本殿は国の重要文化財)
4 隣の宿 中山道 武佐宿 - 守山宿 - 草津宿
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守山市
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国 日本 地方 近畿地方 都道府県 滋賀県
市町村コード 25207-7 法人番号 7000020252077
面積 55.74km2
総人口 83,995人 (推計人口、2022年3月1日)人口密度 1,507人/km2
隣接自治体 草津市、栗東市、野洲市
市の木 クスノキ
市の花 妙蓮
守山市役所
所在地 〒524-8585
滋賀県守山市吉身2丁目5番22号
北緯35度3分32.1秒 東経135度59分39.3秒
1 概要
1.1 地名の由来
「守山」とは、琵琶湖の対岸に位置する御山(比叡山)を守る寺であった東門院に由来するという説がある。 縄文時代から弥生時代の古代遺跡が多くあり、特に弥生期の巨大集落跡は、クニの初めを知る貴重な遺跡として注目されている。壬申の乱以降東西交通の要衝として、野洲川が度々戦場となった。
室町時代には一向宗門徒の近江国における拠点ともなり、また足利義昭の矢島御所(守山市矢島町)も設けられた。江戸時代は、中山道を代表する宿場町の一つとして栄え、近年京都・大阪のベッドタウンとして高い人口増加率を保持している。
2 地理
2.1 位置
鈴鹿山系から流れ出る野洲川が琵琶湖に注ぐ扇状地の南側に位置する。野洲川の流れに沿い川上から川下にかけ緩やかな斜面を形成するが標高差は20m程度でほぼ平坦地、かつては都賀山などの地名があるが、現在は山や丘と言った地形は認識されない。古来より益須の醴泉が紹介される通り、鈴鹿山系からの湧水と豊かな野洲川の流れにより、水に恵まれた土地であった。ただし、他の琵琶湖沿岸部同様に、過去においては度々起きた川の氾濫や琵琶湖水位の上昇で被害を被った。
市南部を南西から北東に江戸時代当時の中山道が横切り、守山は「京立ち守山泊り」と言われる通り、江戸時代中山道の主要な宿場として栄え、今でも旧中山道には昔ながらの家並みが残っている。旧中山道の東南に東海道本線が走り、境を越え栗東市内に東海道新幹線・国道1号から分岐して国道8号・名神高速道路がほぼ並行して走っている。また、滋賀県道11号守山栗東線が栗東市より野洲川沿い、守山市南東より北に向けてレインボーロードとなり、琵琶湖大橋を通じ堅田へとつながる。
市中心部は東海道本線守山駅の北から西にかけて旧中山道沿いへと広がる。「市役所」等行政施設や「守山市民運動公園」は更に旧中山道を越した地域にあり、琵琶湖沿岸部には「みさき自然公園」や「佐川美術館」等と言ったレクリエーション施設や文化施設がある。
2.3 人口 83,786人(2020年1月31日現在)
昭和45年(1970年)7月の市政施行時は35,112人だったが、京阪神の通勤圏内であることや自然環境に恵まれたため人口増加が続き、43年経った2013年に人口が八万人を突破した。 これにより、滋賀県市町第8位となった。(大津市、草津市、長浜市、東近江市、彦根市、甲賀市、近江八幡市の次)
平成22年国勢調査より前回調査からの人口増減をみると、7.79%増の76,338人であり、増減率は滋賀県下19市町村中2位。
2.4 隣接自治体 野洲市、大津市(琵琶湖大橋)、栗東市、草津市
3 歴史
3.1 沿革
明治
・1889年(明治22年)4月1日 - 町村制の施行により、野洲郡守山村・吉身村・岡村・立入村の区域をもって守山村が発足。
・1904年(明治37年)2月1日 - 野洲郡守山村が町制施行して守山町となる。
・1912年(明治45年)4月16日 - 隣接する栗太郡物部村に東海道本線の守山駅が開業。
・1941年(昭和16年)7月10日 - 栗太郡物部村と合併し、改めて野洲郡守山町が発足。
昭和
・1955年(昭和30年)1月15日 - 野洲郡小津村・玉津村・河西村・速野村と合併し、改めて守山町が発足。
・1957年(昭和32年)3月1日 - 野洲郡中洲村の一部(大字新庄・服部・立田・幸津川・小浜)を編入。
・1970年(昭和45年)7月1日 - 野洲郡守山町が市制施行して守山市となる。
過去には
愛知県にも同名の守山市が存在したが、同市は1963年に名古屋市へ編入合併され守山区となったため、両市が同一名称を重複して名乗っていた時期は存在しない。
8 教育
滋賀県立守山中学校は滋賀県立守山高等学校との中高一貫校で、滋賀県内にある中高一貫校3校あるうちの1校である。
守山市が守山市立守山女子高校を学校法人立命館に無償譲渡し、2006年(平成18年)4月に立命館守山高校が開校。閉鎖された旧平安女学院大学びわ湖守山キャンパスの跡地へ移転し、2007年(平成19年)4月に立命館守山中学校が開校。なお、守山女子高校の譲渡に関しては、女子高校教職員らを中心とした一部の住民が反対運動を展開。守山市に監査請求を行ったが却下された。現在、反対運動は沈静化している。
9 交通
唯一の鉄道駅であるJR西日本東海道本線守山駅は市の南端に所在し、市内の移動には自動車が利用されることが多い。琵琶湖大橋取り付け道路(一部は国道477号)を主要な軸として発展している。この道路は、通称「取り付け道路」と呼ばれている。
1990年代以降の人口増加に伴って、取付道路以外の東西交通軸や、南北交通軸の整備が行われている。また、守山駅周辺から市役所にかけては、バリアフリーエリアとして整備されている。エリア内には、市民病院、滋賀県立成人病センター、公共施設、教育施設などが集中して存在する。
9.1 鉄道
守山駅は新快速が停車し、当市の中心駅となる。新快速を利用した場合、京都駅まで約24分、大阪駅まで約53分で到達する。
・JR西日本 琵琶湖線(東海道本線):(至栗東駅)← 守山駅 →(至野洲駅)
9.2 バス
9.2.1 路線バス ・近江鉄道バス ・江若交通
9.3 道路
9.3.1 国道 ・国道477号
9.3.2 県道
主要地方道
・滋賀県道2号大津能登川長浜線
・滋賀県道11号守山栗東線(レインボーロード)
・滋賀県道26号大津守山近江八幡線(浜街道)
・ 滋賀県道42号草津守山線(大津湖南幹線)
・滋賀県道48号近江八幡守山線
一般県道
・滋賀県道145号片岡栗東線
・滋賀県道146号欲賀守山甲線
・滋賀県道147号赤野井守山線
・滋賀県道151号守山中主線
・滋賀県道153号幸津川服部線
・滋賀県道156号守山停車場線
・滋賀県道157号高野守山線
・滋賀県道504号小島野洲線
・滋賀県道559号近江八幡大津線(湖岸道路=さざなみ街道)
10 観光
10.1 名所・旧跡
城郭・屋敷
・金森御坊(金森懸所):守山市金森
室町時代後期、野洲郡・栗太郡地域の一向宗門徒中心地、城塞化した。鎌倉時代の石造宝塔「懸所宝塔」(国の重要文化財に指定)がある。
・立入城:守山市立入町
・服部陣屋(服部城) - 上田重安(上田宗箇)上田重秀の城跡:守山市服部町
野洲川沿いに築かれ、水堀に囲まれた城郭風の大規模な陣屋であった。
・浮気城:守山市浮気町
・三宅城:守山市三宅町(蓮生寺(市史跡)周辺)
金森城を本拠とした一向宗門徒の支城。
・守山城:守山市守山1丁目(大光寺周辺)
・矢島御所 - 足利義昭の御所跡:守山市矢島町
かつて水堀で囲まれ二町四方の規模であったと伝わる。
・小島城(児島城):守山市小島町(小島天満宮一帯)。南北朝時代の児島高徳が築城したと伝わる。
寺院
・益須寺遺跡 飛鳥時代後期(白鳳期)の寺院跡、日本初の療養施設とされる:守山市吉身町
・赤野井別院 室町時代一向宗門徒の近江布教の中心、蓮如ゆかりの寺院:守山市赤野井町
・福林寺 寺伝によれば平安時代初期最澄の開基、本尊の木造十一面観音立像は国の重要文化財、石造宝塔2基は国の重要美術品:守山市木浜町
神社
・小津神社 日本武尊の孫小津君が祖神を祀ったのが起源とされ、室町時代建立の本殿は三間社流造、檜皮葺で、国の重要文化財に指定されている:守山市杉江町
・勝部神社 社伝によれば649年(大化5年)創祀、近江国守護佐々木氏が出陣時に勝部神社の竹を旗竿に用いた:守山市勝部一丁目
・己爾乃神社 式内社(延喜式神名帳記載の神社)で、社伝によれば829年(天長6年)創祀、開発己爾乃神社と中の前己爾乃神社の2社がある:守山市洲本町
・蜊江神社 「オツブさん(タニシ)」を神の使いとして祀る:守山市笠原町
・馬路石邊神社 式内社で、社伝によれば663年(白鳳3年)創祀
街道
・中山道守山宿、加宿吉身・今宿
・稲妻形屋敷割りの道
・東門院(788年(延暦7年)比叡山寺(現延暦寺)を建立時に設けられた東の門を基とする:守山市守山二丁目)
・大光寺(1349年(貞治5年)開基、守山城跡、宇野家・岡田家墓所、曲直瀬道三所縁の寺)
・甲屋跡(謡曲「望月」の舞台となった守山宿にあった旅籠:守山市守山一丁目)
・土橋(守山本宿と加宿今宿との境「吉川」に架かる橋:守山市今宿・守山)
・加宿今宿
・今宿一里塚跡(日本橋から 草津宿までの間129カ所の一里塚の中で128番目のもの:守山市今宿町)
・加宿吉身
・慈眼寺(本尊の十一面観音は最澄が帰国時に乗船した船の帆柱で作られたとの伝承から「帆柱観音」と通称される:守山市吉身一丁目)
遺跡
・服部遺跡(弥生前期から鎌倉時代に至る水田・墓跡:守山市服部町)
・下之郷遺跡(弥生中期の大規模な多重環濠集落跡:守山市下之郷)
・下之郷史跡公園:守山市下之郷
・伊勢遺跡(弥生から鎌倉時代の集落跡(弥生後期集落遺跡として国内最大級):守山市伊勢町・阿村町)
戦跡
・壬申の乱・672年(天武元年)「安川(安河)濱の戦い」近江朝軍と大海人皇子(後の天武天皇)軍との戦い
・応仁の乱・1487年(長享元年)「鈎の陣」における野洲川原での六角高頼と細川政元との戦い。
・織田信長近江侵攻
・1570年(元亀元年)「野洲河原の戦い」六角義賢・義治と柴田勝家・佐久間信盛との戦い、六角氏最期の組織的戦い:守山市笠原。
・1572年(元亀3年)「元亀の戦い」金森一向宗門徒と織田軍との戦い、門徒勢の金森御坊・三宅城落城:守山市金森・三宅町。
主な史跡
・大庄屋諏訪家屋敷 - 江戸時代に、代々大庄屋を務めた諏訪家屋敷建物・庭園(守山市赤野井町)
10.2 観光スポット
それぞれの季節に花の咲く公園が市内に点在し、市民に親しまれている。また、初夏には市街地でも蛍(ゲンジボタル)を観察できる。これは、蛍の生息できる環境を取り戻すため、市や市民が取り組んでいる蛍生育活動や環境保護活動の成果である。また、東京大学運動会自転車部出身の宮本市長のもと、ビワイチをはじめとする自転車施策にも力を入れている。
14 参考文献 “市政 (PDF)”. 守山市 (2016年4月1日). 2018年1月5日閲覧。
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八幡市
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この項目では、京都府にある市・地方自治体について説明しています。
・かつて福岡県にあった市・地方自治体については「八幡市 (福岡県)」をご覧ください。
・かつて「八幡市駅」と称した京阪本線・鋼索線(石清水八幡宮参道ケーブル)の駅については「石清水八幡宮駅」をご覧ください。
八幡市(やわたし)は、京都府の南部に位置する市。
人口は約7万人。市名は市内に鎮座する日本三大八幡宮の一社、石清水八幡宮に由来する。
国 日本、地方 近畿地方、都道府県 京都府、
市町村コード 26210-2、法人番号 6000020262102
面積 24.35km2
総人口 69,842人 (推計人口、2022年3月1日)
人口密度 2,868人/km2
隣接自治体
京都市、城陽市、京田辺市、乙訓郡大山崎町、久世郡久御山町
大阪府:枚方市、三島郡島本町
市の木 クスノキ
市の花 サツキ
市の花木・鳥 ツバキ・シジュウカラ
八幡市役所
所在地 〒614-8501
京都府八幡市八幡園内75
北緯34度52分32秒 東経135度42分27.4秒
1 概要
皇室や武家から庶民まで幅広い信仰を集めていた石清水八幡宮の鳥居前町として発達した[1]。
木津川と宇治川、桂川の3つの河川が合流する付近に立地しており、川を挟んだ向こう岸にある山崎との間に架けた山崎橋が何度も流されたことから、渡し船で往来する時代が長く続いた[1]。 そうした水害の生じやすい低湿地が広がっていたことから、旧市街地は自然堤防と呼ばれる周辺よりやや高くなった場所に立地していた[1]。
京都盆地の南山に位置する。鳩が峰、男山山系の竹林は美しく、平安時代の作品『竹取物語』のモデルは八幡市もしくは京都府長岡京市のどちらかであると言われている。
また、発明家トーマス・エジソンが世界で初めて白熱電球を発明した際、電球のフィラメントに八幡市の竹を使用したことでも有名。市内にはエジソン記念碑とエジソン通りが存在し、エジソンのアメリカ合衆国の故郷であるオハイオ州マイランとは姉妹都市である。
1970年代以降、京阪電気鉄道(京阪)樟葉駅(大阪府枚方市)に近い男山・橋本地区で、京阪や日本住宅公団(現・都市再生機構)などがくずはローズタウンや男山団地などの大規模な住宅を造成したことから、大阪市方面のベッドタウンとして人口が短期間で約2倍に増加した。この人口増により1977年(昭和52年)11月1日に市制を施行したが、その後は1990年代をピークとして人口がやや減少している。
また滋賀県近江八幡市は福岡県の八幡市(やはたし)と区別するために近江とつけたが、1977年当時福岡県八幡市は消滅していた(小倉市などの四市と合併し北九州市八幡区となり、現在は八幡東区及び八幡西区となっている)ため、同名回避の必要はなかったので近江八幡市よりも後の市制施行だが八幡市となった。
この間、1980年頃には一部の市民団体により、大阪府枚方市への越境合併あるいは八幡市単独での大阪府への編入による京都府から大阪府への移行が要望されていたこともあった。
現在は枚方市、京都市、大阪市など市外への通勤・通学者が多く、都市雇用圏としては大阪都市圏に含まれる[2]。美濃山・欽明台地区においてニュータウン、京阪東ローズタウンの宅地開発が進み、国道1号、第2京阪道路、京滋バイパス、新名神高速道路が通る府内屈指の交通の要所であることから商業地が増加している。
八幡市には幾つかの飛地があり、それらは京都市伏見区と久世郡久御山町との境や京田辺市と大阪府枚方市との境に置かれている。北東(伏見区・久御山町側)の飛び地は、1868年(慶応4年)に木津川の流路付け替え工事が行われた際、代替地として旧河道が提供されたことに起因する[3]。
市名の読みは「やわた」である。日本全国に「八幡」が付く市は4市あるが、本市と同じ読み方をする事例は他に愛媛県八幡浜市がある。
2 地理
木津川を挟んで久世郡久御山町、洞ヶ峠を越えて大阪府枚方市に接しており、市の中央を国道1号が南北に貫いている。国道1号と直交するような形で府道や市道が整備されており、京田辺市とつながっている。
市の西側には淀川が流れ、対岸に京都府乙訓郡大山崎町、大阪府三島郡島本町、大阪府高槻市を眺望できる。市の北端のかわきた自然運動公園内に、木津川、宇治川、桂川の三川合流地点があり、近くを通る国道478号で大山崎町とつながっている。
鉄道駅は3駅ある(京阪本線の石清水八幡宮駅・橋本駅および、鋼索線のケーブル八幡宮山上駅)。このうち、石清水八幡宮駅には急行が停車する。鋼索線は主に、市内随一の名所である石清水八幡宮への参詣客が利用する。
路線バス網は、京阪バスが京阪本線の樟葉駅と石清水八幡宮駅を軸に多数の系統を設けている。
男山を取り巻くように住宅地や田園が広がり、特に男山西側の地域は「男山団地」と呼ばれる人口集積地である。また、京阪東ローズタウンが美濃山・欽明台地区で開発されている。しかし、これら以外の箇所、特に国道1号の東側では人口の減少が目立っている[要出典]こともあり、1980年代より約20年間にわたり7万5千人台でほぼ横這いとなっていた人口は減少傾向にある。
2.1 地形
2.1.1 山地
主な山・・男山 - 三角点は鳩ヶ峰 (142.5m) 。愛称は八幡山(はちまんさん)。
主な峠・・洞ヶ峠
2.1.2 河川
主な川・・木津川、宇治川、桂川、淀川
2.2 人口
2010年(平成22年)国勢調査より前回調査からの人口増減をみると、0.01%減の74,246人であり、増減率は府下26市町村中6位、36行政区域中10位。
人口密度は高く、府下では向日市、長岡京市に次ぎ26市町村中3位。
2.3 隣接する自治体・行政区
京都府の旗京都府・・
京都市(伏見区)、京田辺市、城陽市、
乙訓郡大山崎町、久世郡久御山町
大阪府の旗大阪府・・枚方市、三島郡島本町
3 歴史
3.1 沿革
1889年(明治22年)4月1日 - 町村制施行に伴い、綴喜郡八幡町、都々城村、有智郷村が発足。
1954年(昭和29年)10月1日 - 上記3町村が合併して八幡町となる。
1964年(昭和39年)10月1日 - 現在の市章となる町章を制定する[4]。
1977年(昭和52年)11月1日 - 市制を施行し、京都府内で11番目の市となる。
4 行政
八幡市は、全国の自治体の99.5%が加盟する平和首長会議に加盟していない全国9自治体のうちの1つである。[7]
5 議会
5.1 市議会
八幡市議会・・定数:21[8][9]
6 施設
6.1 警察
警察署・・京都府八幡警察署
交番
橋本交番(八幡市橋本北ノ町)、男山交番(八幡市男山八望)
都々城交番(八幡市上津屋)、美濃山交番(八幡市欽明台西)
八幡市駅前交番(八幡市八幡高坊)、署所在地 (八幡警察署内)
6.2 消防
本部・・八幡市消防本部
消防署・・八幡市消防署(八幡市八幡植松19-1)
6.3 医療・・主な病院 男山病院
6.4 郵便局
集配を行う郵便局は、市内に山城八幡郵便局が所在しているほか、一部地域を久御山郵便局が担当している。 市内の郵便番号(上5桁)は以下のとおり。
山城八幡郵便局(614-00・-08・-09・-80・-81・-82・-83・-84)
久御山郵便局(613-09)
6.5 文化施設
図書館・・八幡市立図書館
8 経済・・産業の規模は人口に比して小さい。
8.1 第一次産業
8.1.1 農業
米や野菜などの生産が中心であるが、筍や梨などの生産も盛んである[1]。
ただし、大阪市や京都市に近いことから宅地開発が進んで農地が減少することも多い[1]。
8.2 第二次産業
8.2.1 工業
工業は主として国道1号線沿いに立地している。金属加工などが代表的である。また立地を活かし、倉庫・物流拠点としての利用もある。
8.3 第三次産業
8.3.1 商業
歴史的に、八幡宮の門前町のほか街道および河川交通の要衝として栄えたことから老舗の和菓子屋が多く、「やわた走井餅」「志ばん宗ういろ」「源氏巻」などの名物がある[10][11][12]。
ホームセンタームサシ、イズミヤ、コーナン、コストコ、しまむら、ヤマダ電機、ケーズデンキなど、チェーン展開を行う大・中規模店舗の出店が目立つ。このうち、ヤマダ電機は、同社の全国進出の足がかりとして関西第1号店(テックランド京都八幡店)を、コストコ(コストコ京都八幡倉庫店)は関西での2店舗目をそれぞれ当市内に開店している。
市内に立地する競艇場外発売場「ボートピア京都やわた」は2007年(平成19年)に開業したもので、京都府内では初の競艇場外発売場となった。設置者は、市域への進出理由として近隣の人口規模や道路交通の利便性を挙げている。[13]
8.4 八幡市に本社を置く主な企業
・日本ルナ - 乳飲料製造業。日本ハムグループ。
・人力引越社 - 引越業。正式社名は株式会社キョウトプラス。全国に支社を置いているが本社機能は八幡市に置く。
・中利缶詰 - 栗甘露煮缶詰などを製造している。
・京都京阪バス - 京阪バスグループ。
・カツシロマテックス
8.5 八幡市に拠点を置く主な企業
・恩地食品京都工場 - 隣の枚方市に本社を置く製麺業。
・カネ美食品京都工場
・武蔵野京都工場
・四国乳業関西支店・京都工場
・イトーキスチール棚製造課
・伊丹産業ガス事業部京都支店 - 充てん工場、オートガススタンド併設。
・読売新聞京都工場 - 関西図書印刷が運営。京都府・滋賀県・福井県向けの読売新聞を印刷。
9 情報・通信
9.1 マスメディア
9.1.1 中継局・・八幡テレビ中継局
10 教育
10.1 大学
市内に本拠を持つ大学(短期大学を含む)はないが、大阪工業大学の八幡工学実験場がある。また、摂南大学枚方キャンパス(大阪府枚方市)の敷地の一部が当市に跨がる。
10.2 高等学校
・京都府立京都八幡高等学校・・北キャンパス、南キャンパス
10.3 中学校
10.4 小学校
2005年(平成17年)に校区の見直しおよび、学校を統廃合することが決定した。
10.5 特別支援学校・・京都府立八幡支援学校 - 2010年開校。
10.6 その他の学校
京都府立消防学校 - 木津川対岸の飛地の八幡樋ノ口にある、
11 交通
11.1 鉄道
・阪電気鉄道(京阪)
■京阪本線 : - 石清水八幡宮駅 - 橋本駅 -
■鋼索線(石清水八幡宮参道ケーブル):ケーブル八幡宮口駅 - ケーブル八幡宮山上駅
中心となる駅は石清水八幡宮(旧:八幡市)駅。市内には京阪以外の鉄道路線は一切通っていない。かつては大阪府守口市や門真市も同様だったが、前者は1977年に大阪市営地下鉄(当時、現:大阪市高速電気軌道(Osaka Metro))谷町線が、後者は1997年に大阪市営地下鉄長堀鶴見緑地線と大阪高速鉄道(当時、現:大阪モノレール)本線がそれぞれ延長して乗り入れるようになったため、京阪以外の鉄道路線が一切通っていない自治体は八幡市と隣接の久世郡久御山町のみになったが、同町は駅は無いため、駅がある自治体に限れば八幡市が唯一の事例となった。
11.2 バス
11.2.1 路線バス
市域内はほとんどの路線を京阪バスが運行している。基本的に京田辺営業所と、本市に所在する男山営業所が担当している。
他にも京都京阪バスの本社と八幡営業所があるが、市内の路線は南東部の一部およびコミュニティバスの1路線「コミュニティバスやわた」のみである。
地域によっては、路線が市内に所在する駅へ向かわず、枚方市の樟葉駅、京田辺市の松井山手駅、京田辺駅、新田辺駅へしか向かわない。
11.3 道路
11.3.1 高速道路
・E1A新名神高速道路 八幡京田辺インターチェンジ
・E88京滋バイパス 久御山淀インターチェンジ(大山崎方面の出入口が飛地内にある)
・E89第二京阪道路 八幡東インターチェンジ
上記のほか、市境から1km程度の場所に名神高速道路 大山崎インターチェンジがある。
11.3.2 国道
・国道1号
・国道478号(京都第二外環状道路)
11.3.3 府道
主要地方道
・京都府道・大阪府道13号京都守口線
・京都府道22号八幡木津線
・京都府道81号八幡宇治線
一般府道
・京都府道251号富野荘八幡線
・京都府道281号八幡城陽線
・京都府道282号内里城陽線
・京都府道284号八幡京田辺インター線
・大阪府道・京都府道735号長尾八幡線
・大阪府道・京都府道736号交野久御山線
・京都府道801号京都八幡木津自転車道線
12 観光
12.1 名所・旧跡
「善法律寺」や「法園寺」など神職が創建した寺院が多い地区である[1]。
12.2 観光スポット
主な寺院
・神応寺
・正法寺
・松花堂泰勝寺
・単伝庵(通称らくがき寺)
・善法律寺 – 通称「もみじ寺」。律宗。本尊は八幡大菩薩(僧形八幡神)。足利家ゆかりの寺で、室町幕府の歴代将軍(足利義満・義教・義政)が参拝した。[14]
・薬薗寺
主な神社
・石清水八幡宮 – 日本三大八幡宮のひとつ。
・相槌神社
・内神社
・飛行神社 – 飛行機の神饒速日命と航空事故の犠牲者などを祀る。ギリシャ風の拝殿を持っている。日本で最初に飛行原理を研究した二宮忠八が創建した。
・狩尾神社
・高良神社 - 菟芸泥赴によると高良大社ともいう。
観光スポット
・エジソン記念碑 – 石清水八幡宮境内に設置[15]。1879年、トーマス・エジソンが灯火の革命ともいえる炭素白熱電球を発明した際、境内に生えている竹をフィラメントに採用し、量産にあたっては初期の十数年にわたって使用した。
・松花堂 – 松花堂弁当の名の由来はここから広まった。松花堂庭園は国の史跡・名勝。美術館併設。
・上津屋橋 – 木津川に架けられている日本最長級の木造橋梁。その構造から「流れ橋」と通称される。木造であり独特の風情があることから、時代劇など映画やテレビドラマなどの撮影にも使用される。食事処や宿泊施設などの複合施設として、流れ橋交流プラザ四季彩館が2002年に開業している。
・淀川河川公園 (背割堤地区) - 同公園の「景観保全地区」のひとつ。木津川と宇治川を分ける背割堤に1.4kmにわたり約250本の桜の大木が植えられている。見頃となる4月上旬には「背割堤さくらまつり」が開催される。2017年春に展望台総合施設さくらであい館が完成した。
・伊佐家住宅(主屋、蔵4棟、及び土地) – 国の重要文化財
・中村家住宅(大歌堂、上の蔵、表門) – 国の登録有形文化財[16]
・洞ヶ峠 – 天正10年(1582年)、本能寺の変の直後に主君織田信長を討った明智光秀の軍と信長の重臣羽柴秀吉の軍が山城国山崎において激突した(山崎の戦い)。この時、明智・羽柴の双方から加勢を依頼された大和の大名筒井順慶は、一度は明智側に従って山崎の南方にある洞ヶ峠まで兵を進めながらも、最終的にはどちらに付くか日和見をしたとの伝説があったため、日和見する事を洞ヶ峠あるいは洞ヶ峠を決め込むと表現することがある。
作品
徒然草 – 日本三大随筆のひとつ。第52段は八幡市が舞台となっている。仁和寺の法師が、歳をとるまで石清水に詣でたことがなかったので、あるとき思い立って参詣しに来たが、手前(麓)にある高良神社と極楽寺のみを参詣して、肝心の本社には参らずに帰ってしまった。法師は「神様へお参りすることが本意だと思い、山までは見に行かなかった」と周囲の者に言った。ちょっとしたことにも案内役は必要なものだ、という話である。
13 文化・名物
13.1 祭事・催事
・石清水祭
・太鼓祭り(高良社祭) – 7月中旬に高良神社で行われる祭事(7月18日宮入り)。太鼓を乗せた屋形みこしが威勢よく市内を練り歩く。
13.2 名産・特産・・八幡巻
15 脚注
15.1 注釈
15.2 出典
[1]^ a b c d e f 山口恵一郎 『日本地名辞典 市町村編』 東京堂出版、1980年10月。ISBN 978-4490101355
[2]^ 2015年の国勢調査によれば、就業者のうち13%が枚方市、12%が京都市、11%が大阪市へ通勤し、学生・児童のうち13%が京都市へ通学している。
[3]^ 宮地良典・楠 利夫・武蔵野實ほか (2005). 京都西南部地域の地質. 独立行政法人産業技術総合研究所 地質調査総合センター. p. 79 2017年1月20日閲覧。.
[4]^ 図典 日本の市町村章 p151
[7]^ 平和首長会議、未加盟自治体は佐世保市など9市町村に 加盟率100%目指す - 毎日新聞 (2019年8月5日閲覧)
[8]^ “八幡市議会議員一般選挙立候補届出一覧表”. 八幡市. 2019年5月6日閲覧。
[9]^ “市議会とは?”. 八幡市. 2019年5月6日閲覧。
[10]^ 歴史と由来 - やわた走井餅(2011年4月21日閲覧)
[11]^ 志ばん宗ういろ(じばんそうういろ) - 八幡市観光協会(2011年4月21日閲覧)
[12]^ 八幡銘菓 源氏巻 - 御菓子司亀屋芳邦(2011年4月21日閲覧)
[13]^ 京滋初の競艇場外発売場「ボートピア京都やわた」が4月12日オープン!(予定)(トピックスニュース) - BOAT RACE official web (2007年3月16日付、2011年4月21日閲覧)
[14]^ 公式
[15]^ はちまんさんとエジソン - 石清水八幡宮(2013年10月17日閲覧)
[16]^ 中村家住宅/京都府(検索結果一覧) - 国指定文化財等データベース(文化庁、2013年10月17日検索)
最終更新 2021年11月26日 (金) 17:34 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
■同名の市がほかの地域に現れた例
同時に複数の市名が存在することは認められませんが、かつてあった市名との同名は認められています。
滋賀県蒲生郡(がもう)八幡町は現在の北九州市が小倉市・門司市・八幡市・戸畑 市・若松市の5市だった1954(昭和29)年に合併によって市制施行しましたが、近江八幡市(おうみはちまん)とせざるをえませんでした。
京都府綴喜郡八幡町(つづきぐん・やわた)は1977(昭和52)年に市制施行しましたが、福岡県八幡市が1963(昭和38)年に消えていたため、「山城八幡市(やましろやわた)」「東八幡市」とならず、八幡市が誕生しました。それでも八幡市といえば製鉄所がある北九州の町というイメージが長いあいだ強かったようです。
◆「なぜ、市町村名は『2文字』が多いのか」
■ルーツは奈良時代の「好字令」にさかのぼる
令制国名が必ず2文字なのは、奈良時代に「好字令」が出され、地名は2文字でめでたい漢字を使うように決められた。万葉漢字の当て字で、とくに意味があったわけでないため、問題なかったわけです。
郡や郷、山川湖沼もそれに準じましたが、郡の場合は分割されたり統合されたりしたために東西南北がついたりして崩れました。明治から大正にかけて郡が正式な行政単位になったためにサイズをそろえ、武蔵国多摩郡を東西南北に分けたり、俗謡の「まわれば四国は讃州那珂の郡 象頭山 金比羅大権現 一度まわれば」という歌詞で知られる香川県那珂郡が郡制施行で多度郡と統合して仲多度郡になったりしました。
戦前は市名も2文字が原則で、私の故郷である滋賀県大津市が周辺を合併したときに「滋賀大津市」でいつたん話がまとまりましたが、内務省が承知しませんでした。戦後は霞が関の意向だけで決められなくなったことと、市の数が増えたことで、福島県会津若松市やや東京都東大和市といったものが多くなり、4文字の市町村名は当たり前になりました。
以上2つとも 「消えた市町村名の謎」八幡和郎 イーストプレス 2017年7月20日発行
≪くだめぎ?≫
"愛知県守山市(もりやまし)"(1954年6月~1963年2月)、
現・滋賀県守山市(1970(昭和45)年~)
とあり、少なくとも平成の一桁までは、
しばらく混同されることがあったようだ。1970(昭和45)年の自治事務次官通知はこの「守山市」を念頭にあるのは確実だ。
「近江守山市」「西守山市」であれば、以後の混乱は回避されていたはず。
今回はじめて『八幡市(やわたし)』を知った。かえって、京都市内である「伏見」が世界的に知られているかも。
仮に「大阪府京八幡市」となっても、揺るぎない歴史・アピールポイントがある町であることが、分かった。
『八幡(やわた・はちまん)』の聖地である。
「京八幡市」「京都」「滋賀大津」「近江草津」「近江守山」「近江八幡」
、と並んだら観光ラインだ。