
[写真・画像] 野山北・六道山公園 より
・公園の概要-野山北・六道山公園は、首都圏に残された「緑の島」都立狭山自然公園の西端にあり、雑木林と谷戸(丘陵に切れ込んだ谷間)の組合せによって、豊かな自然が残された都立で最大の都市公園です。
カタクリの群生地やホタルの生息地、里山民家や岸たんぼといった、貴重な里山の風景が広がっており、里山の生活や文化を体験できるほか、ハイキングや野鳥観察、森遊びなど様々な楽しみ方ができる公園となっています。
以下、出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より
野山北・六道山公園
野山北・六道山公園(のやまきた・ろくどうやまこうえん)とは、東京都武蔵村山市から瑞穂町にかけての狭山丘陵にある都立公園である。面積1,323,900m2で都立公園としては最大級の広さを誇る。
1.周辺施設
瑞穂町
瑞穂町立文化の森六道山公園(当地に隣接・展望台)
石畑公園(当地に隣接・野球場)
東京都立瑞穂農芸高等学校
武蔵村山市
野山北公園プール(夏季限定)
武蔵村山市歴史民俗資料館
かたくりミニ牧場
かたくりの湯(温泉施設)
武蔵村山市役所
歴史-1988年(昭和63年)6月 - 開園。
外部リンク
野山北・六道山公園 〜都立公園最大の里山〜
野山北・六道山公園 (東京都公園協会)
空堀川
空堀川(からぼりがわ)は、東京都を流れる一級河川。荒川水系の柳瀬川支流(三次支流)。総延長は約15km[1]。
水系 一級水系 荒川
種別 一級河川
延長 15.0 km
平均流量 -- m³/s
流域面積 26.8 km²
水源 狭山丘陵(東京都武蔵村山市本町)
水源の標高 -- m
河口・合流先 柳瀬川(東京都清瀬市)
流域 東京都
1 地理
東京都武蔵村山市本町の市立野山北公園域内[2]、若しくは都立野山北・六道山公園域内の丘陵に源を発する[注釈 1]。概ね東へ流れ、東大和市高木で奈良橋川が合流する。そして清瀬市中里の小金井街道清瀬橋付近で柳瀬川に合流する。
2 歴史
・名称
天保11年(1840年)の麁絵図[3]では「薮川」と呼ばれていた。
1940年(昭和15年)の地図[4]では「砂川」と呼ばれていた。2021年現在においても、武蔵村山市・東大和市・東村山市の橋梁には名称に「砂」が入るものが存在する。
その後、かつては古多摩川が南下する際に取り残された小流で、雨が降った時のみ水が流れる「涸れ川」であったことから、「空堀川」の名がつけられた[5]。
「から『ぼ』りがわ」が正式だが、「から『ほ』りがわ」としばしば呼ばれる。しかしながら「から『ほ』りがわ」と書かれている看板も少なくない。
・昭和から平成にかけて
高度経済成長期には流域における急速な宅地開発によって生活排水や工業排水が流れ込み、下水道同然の酷く汚れた川であったが、1981年(昭和56年)に清瀬下宿に汚水処理施設が稼働するなど徐々に汚水は無くなっていった[6]。
生活雑排水が流れ込んでいた時代は水量が増え干上がることはなくなっていたが、生活雑排水が流れ込まなくなってからは水量が減り、現在一部流域では水が流れなくなることがある。そのため、柳瀬川・空堀川流域連絡会では川の将来像として「常時涸れることのない川」を挙げている[7]。
一方で蛇行する部分が多く且つ川幅が狭かったこともあり、降雨のたびに洪水を引き起こしている。1974年(昭和49年)から2016年(平成28年)の間で41回の浸水・溢水を記録した[8]。そのため東京都は、1971年(昭和46年)11月5日に改修工事整備の都市計画を決定させ、流域で発生する水害を軽減・防止するために直線化及び川幅を拡大する改修工事を進めている[8]。流路と流路の間に直線の水路を整備し、改修工事完了までは暫定的に旧流路の調節池の機能を持たせる手法が使われている。最終的には調節池となっていた新流路同士をつなぎ合わせ、直線の流路に切り替わる予定である。柳瀬川合流点の流路も大きく変更が加えられている。[要出典]
汚水消失及び河川整備が進んだ結果、水遊びができる川になっている[5]。また整備に伴い、旧河川は一部暗渠化され、遊歩道となっている[9]。
3 流域自治体
東京都-武蔵村山市、東大和市、東村山市、清瀬市
4 支流
・久保の川
・奈良橋川 - 武蔵村山市の番太池を水源とする一級河川。志木街道に奈良橋が架かる。
5 橋梁
上流より
・以下、武蔵村山市
横田橋(東京都道55号 所沢武蔵村山立川線)、吉祥院橋、
新薬師橋(東京都道5号新宿青梅線(新青梅街道))、原山橋(旧河川)、
新原山橋、御伊勢橋、くわのみ橋、空堀橋、中砂橋(中砂新道)、
念仏塚橋、神明橋、下砂橋
・以下、東大和市
砂の橋(旧河川)、新上砂橋、上砂橋、
中砂橋(芋窪街道)、立野橋(芋窪街道バイパス)、
五中橋、中砂の川橋、山王橋、東芝中橋、
砂の台橋、砂の川橋(旧河川)、新砂の川橋、
庚申橋(旧河川)、新庚申橋、
丸山二の橋(旧河川)、新丸山二の橋、
丸山一の橋(旧河川)(2020年に撤去される)、新丸山一の橋、
宮前一の橋(旧河川)(2018年に撤去される)、新宮前一の橋、
高木ふれあい橋(歩行者専用)、下砂橋、
高木橋(付近で奈良橋川と合流)、狭山橋、
上砂一の橋、上砂二の橋、
清水大橋、清水橋
・以降、東村山市
上橋、中橋、空堀川橋梁(西武多摩湖線)、
狭山堀橋(歩行者専用)、馬頭橋、浄水橋(新青梅街道)、
第二砂川橋、前野橋、空堀川橋梁(西武国分寺線)、
野口橋(東京都道・埼玉県道16号立川所沢線)、
上堀橋、天王森橋、久米川橋、空堀川橋梁(西武新宿線)、
栄町陸橋(新青梅街道)、天王橋、第二天王橋、第三天王橋、
ふれあい橋(歩行者専用)、丸山橋、武蔵野線(橋架はなし。地下で交差)
石橋、土橋、なかよし橋(歩行者専用)、御成橋
達麻坂橋、下堀橋、野行前橋、野行橋、
新空堀橋(東京都道4号東京所沢線)、秋津南橋
栗木橋、曙橋、大沼田橋
・以下、清瀬市
野塩橋(東京都道40号さいたま東村山線)
前原橋、空堀川橋梁(西武池袋線)、
柳原橋、薬師橋、梅坂橋、三郷橋、石田橋、
くるまや橋(歩行者専用)、境橋
6 脚注
6.1 注釈
[注釈 1]^ 北緯35度45分33秒 東経139度23分12秒に上流端の標識がある。
6.2 出典
[1]^ “柳瀬川・空堀川流域連絡会”. 東京都建設局. 2022年4月10日閲覧。
[2]^ “歩こう!! 柳瀬川空堀川散策マップ”. 東村山市. 2019年10月12日閲覧。
[3]^ 『東大和市史資料編9 道と地名と人のくらし』東大和市史編さん委員会、1999年3月31日、16-17頁。
[4]^ 『明治前期・昭和前期 東京都市地図4(東京西部)』清水靖夫、貝塚爽平監修、柏書房、1996年3月1日、124頁。ISBN 476011226X。
[5]^ a b “東京の川に住む生きもの 空堀川”. 東京都建設局. 2019年10月12日閲覧。
[6]^ “柳瀬川 ~その魅力に迫る”. 川づくり・清瀬の会 (2018年1月28日). 2019年10月12日閲覧。
[7]^ “第7期 柳瀬川・空堀川流域連絡会の活動報告”. 柳瀬川・空堀川流域連絡会 (2015年10月). 2021年1月30日閲覧。
[8]^ a b “空堀川整備事業(武蔵村山市神明三丁目~同市中央二丁目) (PDF)”. 東京都建設局河川部 (2018年10月26日). 2021年1月30日閲覧。
[9]^ 空堀川整備工事(その203) 菊池建設 - ウェイバックマシン(2020年8月6日アーカイブ分)
7 外部リンク-空堀川上流域 - 東京の橋クラブ
最終更新 2022年4月10日 (日) 09:52 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
武蔵村山市
武蔵村山市(むさしむらやまし)は、東京都の多摩地域北部に位置する市。
武蔵野台地の西に位置し、狭山丘陵を挟んで埼玉県と接している。
国 日本
地方 関東地方
都道府県 東京都
市町村コード 13223-3
法人番号 3000020132233
面積 15.32km2
総人口 70,484人 [編集]
(推計人口、2022年3月1日)
人口密度 4,601人/km2
隣接自治体 東大和市、西多摩郡瑞穂町、福生市、立川市、埼玉県所沢市
市の木 エノキ
市の花 茶の花
市の鳥 メジロ
武蔵村山市役所
所在地 〒208-8501
東京都武蔵村山市本町一丁目1番地の1
北緯35度45分17.4秒 東経139度23分14.5秒
1 地理
1.1 地勢
市北部を狭山丘陵が西から東へ続いている。丘陵の南側は武蔵野台地の西の外れにあたり平坦な土地が広がっている。荒川水系と多摩川水系の境に当たる。
■河川
・空堀川 - 東流して東大和市に入り、東村山市内で北東に向きを変えて新河岸川に注ぎ、さらには荒川に流れ込む。
・残堀川 - 昭島市、立川市を経て立日橋下流で多摩川に合流する。
・久保の川 - 空堀川の支流[1]。野山北・六道山公園付近を源流として空堀川と残堀川の間を流れる[2]。本町1丁目で暗渠に、榎3丁目で開渠となるも、学園1丁目で再度暗渠となる。
・横丁川 - 残堀川の支流[1]。野山北・六道山公園付近を源流として三ツ藤3丁目と残堀5丁目の境で残堀川に合流する[2]。
・谷戸川・入谷川 - 谷戸川は中藤地区の狭山丘陵、入谷川は中藤地区の番太池および赤坂池を源流とし、両河川は中藤5丁目と東大和市芋窪4丁目の境で合流[2]、程なくして奈良橋川となる。
1.2 隣接する自治体
東 - 東大和市
北 - 埼玉県所沢市
西 - 西多摩郡瑞穂町、福生市
福生市とは横田基地の敷地内で隣接しているため横田基地の関係者以外は直接行き来できず、瑞穂町と羽村市または立川市を経由する必要がある。
南 - 立川市
2 歴史
・1868年、明治政府によって韮山県が設置され、中藤村・横田村・三ツ木村・岸村は韮山県に編入される。ただし三ツ木村の旗本領は武蔵知県事・古賀一平の管轄(のち品川県)となる。
・1869年8月、三ツ木村の旧旗本領が品川県から韮山県に移管される[3]。
・1871年11月、府県統合により入間県に編入されることとなるが、実際には神奈川県へ編入される。
・1878年11月、多摩郡を分割し、北多摩郡が発足。
・1889年4月1日 - 神奈川県北多摩郡中藤村・横田村・三ツ木村・岸村の4村で、中藤村外三ヶ村組合が設立される。この年に、野口村、廻田村、大岱村、久米川村、南秋津村が合併して東村山村が成立している。
・1893年4月1日 - 三多摩地域が東京府に移管される。
・1908年4月1日 - 中藤村と横田村が合併し、中藤村となる。これにより、中藤村外三ヶ村組合が中藤村外二ヶ村組合になる。
1917年4月1日 - 中藤村・三ツ木村・岸村が合併し、東京府北多摩郡村山村が成立する。
・1954年11月3日 - 町制を施行し、村山町となる。
・1966年 - 都営村山団地竣工を皮切りに、人口が激増する。(1965年:14,069人→1970年:41,275人)
・1970年11月3日 - 市制施行。山形県村山市が既に存在するため、名称変更を行い、武蔵村山市となる。この結果、北多摩郡は消滅。
7 経済
古くからの機業地で江戸時代から昭和初期までは村山絣(かすり)という木綿の織物の一大産地だったが、他産地との競争に敗れ村山絣は衰退していった。その後伊勢崎などから新しい技術を導入し絹織物に活路を見出し村山大島紬のブランドを確立している。
7.1 農業
ミカン・ナシ・リンゴ農園、酪農、茶畑がある。また以前は多くの田んぼがあり稲作が行われていたが、現在では多くが宅地化され数は少ない。
農園は武蔵村山市中藤・神明・中央・三ツ木・榎・三ツ藤に点在し、毎年収穫の時期には家族連れでミカン狩り等を楽しむ風景が見られる。
7.2 工業
・株式会社天乃屋:米菓子「歌舞伎揚」で知られる本社・東京工場がある。
・株式会社新川:半導体製造用精密ロボット製造販売で世界トップシェアメーカー。本社および工場が市内にある。
・わらべや日洋株式会社 東京工場、村山第二工場:セブン-イレブンの弁当やおにぎり、調理パンの製造工場。
・有限会社紀の国屋 : 相国最中など菓子を製造、販売する企業
※かつて市内に存在した企業
日産自動車村山工場:地域経済に大きな役割を果していた。カルロス・ゴーン社長による経営改革の一環として閉鎖された。また、この工場はスカイラインやグロリアなど数々の名車を誕生させたプリンス自動車工業の主力工場だった事を記念し、工場跡地の一部が「プリンスの丘公園」として名前が残った。
7.3 商業
イオンモールむさし村山
ダイエー武蔵村山店
8 姉妹都市・提携都市
8.1 国内 提携都市
東京都西多摩郡瑞穂町 - 図書館相互利用協定
9 住宅団地
・国家公務員共済組合連合会むさしの第1団地 - 昭和44年 : 東京都武蔵村山市・立川都市計画事業(一団地の住宅施設)
・都営村山団地:緑が丘・立川都市計画事業(一団地の住宅施設)
・グリーンタウン武蔵村山
10 国の機関-国立感染症研究所 村山庁舎
11 公共機関
・警察-警視庁の東大和警察署が管轄しており、市内に村山、三ツ木、中藤の交番と残堀に駐在所がある。
・消防-東京消防庁第八消防方面本部の北多摩西部消防署(東大和市)が管轄しており、市内に武蔵村山出張所がある。
・都市ガス-福生市に本社を置く武陽ガスがサービスを行っている。
12 医療機関
国立病院機構村山医療センター(骨・運動器疾患を主としたリハビリ施設)
武蔵村山病院(市内初の総合病院)
13 公共施設
・村山温泉かたくりの湯:市営の公衆浴場。ふるさと創生事業で掘り当てた温泉。
・東京都立野山北・六道山公園(のやまきた・ろくどうやまこうえん):狭山丘陵の自然をそのまま公園にした自然園。
・湖南衛生組合菖蒲園:日当たり良く、こじんまりとした園。菖蒲だけでなく、蓮や桜、茶畑等の植物や、鯉、ザリガニが生息する小川や小池がある。元は下水処理施設と併設されていたが、現在施設は住宅地化し、本園のみ残る。
13.1 文化施設-武蔵村山市民会館(さくらホール)
13.2 教育・福祉施設
市民総合センター、緑が丘ふれあいセンター、
歴史民俗資料館、図書館(市内6か所)
13.3 運動施設
総合体育館、総合運動場、野山北公園運動場、大南公園野球場、
雷塚公園野球場、大南公園プール、野山北公園プール
15 交通
鉄道と国道が通っていない。多摩地域の市部の中で唯一、鉄道が通っていない自治体である。なお、市域に近い駅としては、東大和市の西武拝島線玉川上水駅と多摩都市モノレール線桜街道駅・上北台駅、立川市の西武拝島線武蔵砂川駅・西武立川駅がある。
かつて計画されていた武州鉄道が武蔵村山市内を経由する予定だった。また西武鉄道も同市内に経由する西武村山線を計画していたが、いずれも実現しなかった。
その後、1981年に多摩都市モノレールが構想路線として新青梅街道上を通ることが発表され、2000年の国土交通省交通政策審議会による運輸政策審議会答申第18号で、上北台 - 箱根ヶ崎間が「2015年度までに着工することが適当な路線」と位置づけられていたが着工には至らなかった。2016年の交通政策審議会答申第198号においても引き続き「地域の成長に応じた鉄道ネットワークの充実に資するプロジェクト」として同区間が位置付けられた。
そして2020年1月23日、東京都は鉄道空白地帯で需要の高い上北台 - 箱根ヶ崎間の延伸事業に着手することを正式に発表した。開業時期は未定だが2032年頃を目指しており、新たに7駅が設置される予定。建設費は約800億円と試算されている[9][10][11]。
15.1 路線バス
西武バス(立川営業所)
都営バス(青梅支所)
立川バス(上水営業所・福生営業所)
武蔵村山市内循環バス(MMシャトル。立川バス福生営業所に委託) - コミュニティバスとして、全国的にも先駆けとなる。
15.2 道路
東西方向には青梅街道・新青梅街道(東京都道5号新宿青梅線)が通り、南北には立川市から所沢市に至る主要地方道である東京都道55号所沢武蔵村山立川線が通るなど道路交通の要である。
15.2.1 都道
主要地方道
東京都道5号新宿青梅線(青梅街道・新青梅街道)
東京都道55号所沢武蔵村山立川線
東京都道59号八王子武蔵村山線
一般都道
東京都道162号三ツ木八王子線
東京都道253号保谷狭山自然公園自転車道線
15.2.2 その他
野山北公園自転車道:村山貯水池、山口貯水池建設の際、多摩川羽村堰から埋設した水道管の上に堤防用の砂利運搬のために敷設された軽便鉄道の廃線跡を利用したサイクリングロード。残堀川と交差する雑木林には、高架橋のコンクリート台座や狭山丘陵に横田、赤堀、御岳、赤坂といった鉄道用のトンネルをそのまま再利用している。多摩湖脇の立ち入り禁止区域には5号トンネルがある。
19 脚注
19.1 注釈
19.2 出典
[1]^ a b “武蔵村山市環境基本計画(平成18年度から平成27年度)第2章 環境の現状と課題 (PDF)”. トップページ > 市政情報 > 施策・計画 > 環境・産業. 武蔵村山市. p. 7 (2006年12月). 2022年2月27日閲覧。
[2]^ a b c “新青梅街道沿道地区の概況 (PDF)”. 武蔵村山市 都市計画マスタープラン(平成16年3月). 武蔵村山市. p. 4. 2022年2月27日閲覧。
[3]^ 安藤陽子「維新期多摩郡の管轄替えと行政区画-品川県を中心に-」『多摩川・秋川合流地域の歴史的研究』(pdf)多摩川流域史研究会編、1989年、132-147頁。
[9]^ “多摩モノレール、箱根ケ崎区間延伸へ “鉄道なし”解消か”. MX NEWS (2020年1月22日). 2020年1月27日閲覧。
[10]^ 多摩モノレール延伸に都が着手へ、7駅設置計画…さらに2方向への延伸構想 - 読売新聞(2020/1/23版 / 2020年1月24日閲覧)
[11]^ “多摩モノレール延伸着手へ 武蔵村山の悲願 市民「早期完成を」”. 東京新聞 (2020年1月25日). 2020年1月27日閲覧。
20 外部リンク
武蔵村山市公式サイト
武蔵村山市 (@m_murayamacity) - Twitter
武蔵村山市 (@musashimurayamacity) - Facebook
最終更新 2022年4月16日 (土) 09:35 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
玉川上水
玉川上水(たまがわじょうすい)は、かつて江戸市中へ飲料水を供給していた上水(上水道として利用される溝渠)であり、江戸の六上水の一つである。1653年(承応2年)に多摩川の羽村から四谷までの高低差92.3メートルの間に全長42.74キロメートルが築かれた[1]。また、一部区間は、現在でも東京都水道局の現役の水道施設として活用されている。
羽村取水堰で多摩川から取水し、武蔵野台地を東流し、現在の四谷四丁目交差点付近の四谷大木戸に付設された「水番所」(水番屋)を経て市中へと分配されていた。羽村市から大木戸までの約43キロメートルはすべて露天掘りで、水番所以下は木樋や石樋を用いた地下水道である。羽村から四谷大木戸までの本線は武蔵野台地の尾根筋を選んで引かれているほか、大規模な分水路もおおむね武蔵野台地内の河川の分水嶺を選んで引かれている[2]。
1722年(享保7年)以降の新田開発によって、野火止用水や千川上水など多くの分水(用水路)が開削されて武蔵野の農地へも水を供給し、農業生産にも大いに貢献した。
4 流域の自治体
東京都-羽村市、福生市、昭島市、立川市、小平市、小金井市、武蔵野市、西東京市、三鷹市、杉並区、世田谷区、渋谷区、新宿区
9 脚注
9.1 注釈
9.2 出典
[1]^ “玉川上水を"玉川上水起元並野火留分水口之訳書"で調べる(一) (PDF)”. 福生市立図書館. 2021年2月9日閲覧。
[2]^ 渡部一二『図解武蔵野の水路:玉川上水とその分水路の造形を明かす』東海大学出版会、2004年、14頁。
10 参考文献
三田村鳶魚『安松金右衛門―玉川上水建設者』(1942年、電通出版部)
児玉幸多『日本の歴史 (16) 元禄時代』(1974年、中央公論社)ISBN 412200103X
多摩川誌編集委員会『多摩川誌』(1986年、河川環境管理財団)→ #外部リンクあり
「御府内備考巻之6御曲輪内之4玉川上水」『大日本地誌大系』第1巻、蘆田伊人、雄山閣、1929年8月。NDLJP:1214847/66。
11 関連項目
羽村取水堰 - 小平監視所
野火止用水 - 千川上水 - 三田用水 - 青山上水
多摩川 - 北沢川 - 渋谷川
桜上水駅 - 桜上水
玉川上水駅
むらさき橋
12 外部リンク
玉川上水 (東京都水道局)
玉川上水(史跡名勝天然記念物) - 国指定文化財等データベース(文化庁)
玉川上水散策地図
玉川上水事典 (小平玉川上水を守る会)
玉川上水を世界遺産に
最終更新 2022年3月11日 (金) 02:08 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
≪くだめぎ?≫
残堀川(多摩川水系の一級河川)が狭山池(東京都西多摩郡瑞穂町箱根ヶ崎)から発して、武蔵村山市に入り武蔵村山病院西を通る。実はその北方を空堀川・久保の川(からぼりがわ 荒川水系の柳瀬川支流(三次支流))が流れる、荒川水系と多摩川水系の境に当たる分水嶺である。
立川市一番町・上砂町の上水橋・上宿橋で玉川上水と交差する。以後は玉川上水が武蔵野台地内の河川の分水嶺を選んで引かれている。