
[写真・画像] 石神井川上流端 - 公園北側に石神井川上流端の標示がある[1]。石神井川はここから東京都北部を経て隅田川に合流する。
[1]google.mapより
小金井公園
小金井公園(こがねいこうえん)は、東京都小金井市と一部が小平市・西東京市・武蔵野市にまたがる東京都立の都市公園(広域公園)である。正式名称は東京都立小金井公園(とうきょうとりつこがねいこうえん)。
1 概要
面積約80haの広大な敷地は都立公園の中でも最大規模で、日比谷公園の4.8倍、上野公園の1.4倍に相当する。なお、東京都にはさらに広い国営昭和記念公園があり、その面積は小金井公園の2倍近い。
公園西側には南北に小金井街道(東京都道15号府中清瀬線)が、南側には東西に五日市街道(東京都道7号杉並あきる野線)が通っている。また、五日市街道に沿って玉川上水が流れている。公園の北側には隣接してゴルフ場小金井カントリー倶楽部(敷地はすべて小平市)が広がっている。
東京緑地計画を元に紀元二千六百年記念事業として計画された「小金井大緑地」が原形で、1954年(昭和29年)1月に「小金井公園」として開園した。基本テーマは「花と緑のひろびろ空間」。園内には雑木林と芝生が広がり、1,800本の桜が植えられた花見の名所としても人気があり、日本さくら名所100選に選定されている。正月時期には凧揚げの名所ともなる。また、公園内の「いこいの広場」では定期的にフリーマーケットも開催されている。
江戸東京たてもの園以外は、入園無料。
石神井川
石神井川(しゃくじいがわ)は、東京都を流れる一級河川である。荒川水系の支流の一つ。流路延長25.2 km、流域面積61.6 km2[1]。
水系 一級水系 荒川
種別 一級河川
延長 25.2 km
流域面積 61.6 km²
水源 小金井ゴルフ場(小平市花小金井南町)
河口・合流先 隅田川(北区堀船)
流域 東京都
1 地理
東京都小平市花小金井南町に源を発し、東京都北部を東へ流れて北区堀船三丁目で隅田川に合流する。東京都小平市、西東京市、練馬区、板橋区、北区を経る。
1.1 上流域
小平市花小金井南町にある小金井カントリー倶楽部敷地内の湧水を水源とし、一級河川起点は「左岸:小平市花小金井南町三丁目1218番地先、右岸:同市同町三丁目1217番地先」[2](住居表示では「小平市花小金井南町三丁目2番地先」[1])で、小金井公園北端の公園北橋に上流端標識がある。河川としての流路はさらに西に遡り、嘉悦大学敷地内に伸びている。また、小平市公共下水道の雨水管路が、後述するかつての水源地一帯からの雨水を上流端に排除している[3]。
同ゴルフ場から西東京市の南を流れる。小平市・西東京市を通る上流部は湧水のみによって涵養される小河川であり、梅雨時や大雨のときを除いて、全く水がないか水溜りになっていることが多く、練馬区に入るまで大部分は暗渠や柵渠となっている。西東京市では、1980年度に芝久保調整池および南町調整池、1983年度に向台調整池が設けられ、増水時に川の水を貯留する[4]。
東伏見稲荷神社に近い東伏見橋から武蔵関公園までは緩傾斜護岸化され、開放的な遊歩道になっている。東伏見橋と弥生橋(東伏見駅、早大東伏見キャンパス近く)の近くは川に入って遊べる「石神井川親水広場」(東伏見公園区域内)として整備されており、梅雨時などは水鳥が泳ぐのも確認できる。
1.2 中流域
練馬区に入ると、武蔵関公園辺りから同公園の富士見池、石神井公園の三宝寺池と石神井池、豊島園池などの湧水や河床からの湧水が合わさるため、涸れ川は見られなくなる。武蔵関公園では駅前の市街地のため、狭隘な流路が続く。富士見池では湧水が減少し、地下水の揚水などによって池の水が維持されており、わずかな溢水が石神井川に流入している。富士見池はまた調整池の役割も果たし[5]、水害防止のため、富士見池調整池(練馬区関町北三丁目)が1973年度に建設された[4]。また城北中央公園にも城北中央公園調節池が整備されている。
三宝寺池は井の頭池や善福寺池とならぶ武蔵野台地の3大湧水池として知られ、かつては石神井川の主水源で、現在の和田前歩道橋(南田中団地前)の近くで合流していた。三宝寺池は湧水が減少したため、1971年に190mの深井戸が掘られ地下水をポンプで揚水して補給している[要出典]。
石神井池は元は三宝寺池からの流れが石神井川に合流する、三宝寺川の途中の低地で水田などになっていたが、流量の減少で1933年に途中で堰き止め池とした。1959年、二つの池を中心に石神井公園として整備した。三宝寺池からの湧水がほとんど期待できなくなった1958年には石神井池も深井戸を掘り揚水している。下流の水路も湧水の枯渇で消失していたが、1982年に地上を和田堀緑地として公園化して、川だった記憶を留めるためにミニ橋なども整備されている。夏季のみ石神井池の水をろ過して流し、最後は下水道に流入している[要出典]。
玉川上水からの分水である千川上水は水量が常に不足していたため、この対策として、石神井川の西早宮橋付近で揚水し、豊島園通りの下を通り、練馬駅大踏切(当時)西側を経て、千川上水に揚水弁を設け流入させていた(千川上水への揚水)。水路は、1942年-1943年ころに暗渠となった。
2 変遷
2.1 上流域(小平市・小金井市・西東京市)
戦後間もない時期の空中写真では、現在の小平市鈴木町一丁目[4]の鈴木小学校体育館付近の谷頭部(周囲標高はおよそ73 m)の湧水を水源とする流路が東へ延びていた[6]。現在でも正門前からゴルフ場へ至る周囲との高低差が3 - 4 mほど、距離が400 mほどの小さな谷地形が東へ延び、これは国土地理院などの地形図でも確認できる。途中でゴルフ場「小金井カントリークラブ」の中を通るが、ゴルフ場の一部で川が地上に露出していた。しかし2000年代初頭頃に埋め立てられた。
2.2 中流域(練馬区)
練馬区内での石神井川は、区の中央部やや南寄りを東西へ貫くよう流れている。現在は河川改修により、練馬区内をほぼ一直線に流れているが、元々は大きく蛇行して流れており、そのためこの流域は幅広の氾濫原となっていた[7]。
かつて中流域には関の溜井と呼ばれる池があった。この池は現在残っていないが、武蔵関公園内にある富士見池がほぼ同じ位置に存在する。
3 古石神井川とかつての河道
最終氷期の海退期にも石神井川は存在し、これを「古石神井川」と呼んでいる。ボーリング調査によって、かつての河道は不忍池からほぼまっすぐ南下し、日本橋台(江戸前島)の東側をなおも南下し、西側を並走していた丸の内谷(日比谷入江)を刻んだ平川(現・神田川)と芝浦沖あたりで合流している[17]。これは昭和通り谷と呼ばれている[18]。縄文海進期、海岸線は現在のJR王子駅付近まで迫っていたと考えられ、このときまでに昭和通り谷は海底谷となって隅田川などからの砂礫が埋め、再び海退していくとともに一帯は三角州が形成されたと考えられる。
武蔵野台地を流れる河川は概ね縄文海進後の埋没谷上の沖積低地をゆったり流れることが多い。しかし石神井川は例外的に音無渓谷のような峡谷を形成して周囲からいくつもの滝を落としていた。武蔵野台地上では近世の人為的な掘削による神田川 (お茶の水渓谷)を除き、峡谷を形成しているのは谷沢川(等々力渓谷)のみしか知られていない。その成因と時期については議論があり、谷沢川と同様にいくつかの仮説が出されている(前述)。
峡谷を形成するとともに、石神井川は王子から東へ流れたため、飛鳥山の西側を南下するかつての河道は無能谷となった。
4 主な支流
三宝寺川 - 現在は廃止され、和田堀緑道となっている。
貫井川 - 全区間暗渠化。一部緑道となっている。
田柄川 - 全区間暗渠化。秋の陽公園より下流は田柄川緑道となっている。
エンガ堀
稲付川 - 廃止。
5 名称
ごく最近まで石神井川の本流は三宝寺池[注 5]から流れ出す川とされ、小金井からの流れは大川と呼ばれる支流であった[要出典]。しかし、徐々に流域の都市化が進行し三宝寺池の湧水が減ると、池から合流点(山下橋)までの流れは三宝寺川と呼ばれるようになり、大川が石神井川本流となる[要出典]。
石神井川の名称は、石神井村を貫流する川だったために村の名前にちなんで呼ばれたと言われている。石神井村の名前は、東日本に多いミシャクジ信仰に類する「石神」[注 6]に由来し、村内に昔からあったこの「石神」は三宝寺池から出たとも、井を掘っていたら土中から出たとも伝えられる[1]。
石神井川は、小平市・西東京市では「悪水」、西東京市・練馬区の一部では「大川」、練馬区・板橋区では「石神井川」、北区で「音無川」「王子川」「滝野川」と呼ばれていた[1]。「滝野川」という別称は北区滝野川の地名にも残っており、近藤勇の墓所がある。かつて、この地域の石神井川が「滝のように勢いよく川の流れが激しかった」ことに由来する。
9 註釈
9.1 注
[注 5]^ 古称は弁天池といった。三宝寺池にある現・厳島神社はもともと、近くにある三宝寺の擁する弁天社だったことに由来する。池から流れる川も弁天川といった。明治期の神仏分離令で厳島神社となり、池の名も変わった
[注 6]^ イシガミではなくシャクジと読む、石棒を神体として祭ったもの
9.2 出典
[1]^ a b c d e 石神井川流域環境協議会 (編) (1999). ふれあい石神井川―うるおいとやすらぎの水辺を求めて―. 石神井川流域環境協議会. pp. 36p
[2]^ 1965年(昭和40年)政令第43号「河川法第四条第一項の水系及び一級河川を指定する政令」(1971年(昭和46年)3月20日政令第29号にて一部改正)
[3]^ 公共下水道台帳施設平面図について 小金井カントリー倶楽部内を蛇行する雨水管が判る
[4]^ a b c d 菅原健二『川の地図辞典』之潮、2007年、ISBN 9784902695045
[5]^ 石神井川流域環境協議会 (2006). 平成17年度 事業報告書. 石神井川流域環境協議会. pp. 24p
[6]^ 1947/11/14撮影 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービス
[7]^ 八巻孝夫「豊島氏の城郭についての覚書」『中世城郭研究』第23号、中世城郭研究会、2009年、 78頁、 ISSN 0914-3203。
[17]^ 関東地質調査業協会. “大地の解体新書”. 2017年10月3日閲覧。
[18]^ 中央区立 京橋図書館「郷土室だより」第70号、平成2年12月27日発行。
10 関連項目
・石神井用水 ・北区飛鳥山博物館
11 参考文献
杉本苑子『東京の中の江戸名所図会』北洋社刊の復刻版、文藝春秋、1991年(原著1975年)、73頁。ISBN 4-16-722422-4。
12 外部リンク
・石神井川流域連絡会 - 東京都建設局
・王子七滝考(北区教育委員会) - ウェイバックマシン(2010年1月1日アーカイブ分)
・鎌田橋付近の様子(1960年) - 練馬区役所
最終更新 2022年3月10日 (木) 16:20 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
以上 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より
≪くだめぎ?≫
練馬区
大泉地区が白子川流域、練馬区石神井地区が石神井川流域である。
そもそも、石神井川上流端の小金井公園は玉川上水の北側に広がる森である。
対して、南側には仙川(多摩川水系)が流れている。
新町6丁目のすぐ横を流れているのだ・・。