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2022年05月22日

神奈川県橘樹郡稲田町(たちばなぐん・いなだまち)

神奈川県橘樹郡稲田町(たちばなぐん・いなだまち) [写真・画像] リニューアル後の南口(2019年5月5日撮影)
 向ヶ丘遊園駅(むこうがおかゆうえんえき)は、神奈川県川崎市多摩区登戸にある、小田急電鉄小田原線の駅である。駅番号はOH 19。
 周辺地域は「ゆうえん」の略称で呼ばれることもある。かつては向ヶ丘遊園モノレール線が接続していた。
むこうがおかゆうえん Mukogaoka-yuen
◄OH 18 登戸 (0.6 km) (2.1 km) 生田 OH 20►
所在地 川崎市多摩区登戸2098番地
北緯35度37分3.15秒 東経139度33分53.39秒
駅番号 OH19
所属事業者 小田急電鉄
所属路線 小田原線
キロ程 15.8 km(新宿起点)
駅構造 地上駅
ホーム 2面4線
乗降人員-統計年度- 41,442人/日-2020年-
開業年月日 1927年(昭和2年)4月1日
* 1955年(昭和30年)4月1日に「稲田登戸駅」より改称。

1 歴史
・1927年(昭和2年)
4月1日 - 稲田登戸駅(いなだのぼりとえき)として開業。各駅停車と「直通」の停車駅となる。なお、各駅停車は新宿駅 - 当駅間の運行であり、当駅から小田原駅までは「直通」のみが運行された。
6月14日 - 向ヶ丘遊園との間に豆汽車が開業。
10月15日 - 急行が設定され、停車駅となる。
・1938年(昭和13年)10月1日 - 橘樹郡稲田町が川崎市と合併し、稲田登戸駅は川崎市内の駅となる。
・1944年(昭和19年)11月 - 太平洋戦争の戦況悪化に伴い、急行の運行が中止される。
・1945年(昭和20年)6月 - 従来、新宿駅 - 稲田登戸駅間のみの運行の各駅停車が全線で運行されることとなり、「直通」が廃止される。
・1946年(昭和21年)10月1日 - 準急が設定され、停車駅となる。
・1948年(昭和23年)9月 - 桜準急が設定され、停車駅となる。
・1952年(昭和27年)12月 - 急行の停車駅となる。
・1955年(昭和30年)
3月25日 - 通勤急行が設定され、停車駅となる。
4月1日 - 向ヶ丘遊園駅に改称。
・1957年(昭和32年) - 夏季のみ運行の「快速急行」[注 1]が設定され、停車駅となる。
・1960年(昭和35年)3月25日 - 通勤準急が設定され、停車駅となる。
・1964年(昭和39年)11月5日 - 快速準急が設定され、停車駅となる。
・1965年(昭和40年) 向ヶ丘遊園との間の豆汽車が廃止。
・1966年(昭和41年)
4月23日 - 向ヶ丘遊園モノレールの全線(当駅 - 向ヶ丘遊園正門駅)が開業。
6月1日 - 小田急ロマンスカー使用の特急「さがみ」号が設定され、停車駅となる。
・1972年(昭和47年)4月1日 - 川崎市の政令指定都市移行により多摩区が設置され、当駅は区役所の最寄り駅となる。
2000年(平成12年)2月13日 - 向ヶ丘遊園モノレールの全線が休止。
2001年(平成13年)2月1日 - 向ヶ丘遊園モノレールの全線が廃止[1][2][3]。
2002年(平成14年)

3月23日 - 多摩急行が設定されるが通過駅となり、湘南急行が設定され、停車駅となる[4]。
3月31日 - 向ヶ丘遊園が閉園[5]。

2004年(平成16年)12月11日 - 「区間準急」が設定され、停車駅となる[6]。湘南急行は当駅を通過する快速急行の設定にともない廃止[6]。
2011年(平成23年)9月2日 - 接近メロディ使用開始[7]。
2014年(平成26年)10月30日 - 正午ころ、西側に南北自由通路が完成し、供用開始[8]。同時に向ヶ丘遊園1号踏切の供用終了。
2015年(平成27年)6月 - 当駅の駅名標・案内サイン類が新型のタイプ(日本語・ハングル・中国語表記)に更新される。
2016年(平成28年)3月26日 - 日中時間帯の多摩急行が急行として運転されるようになり、東京メトロ千代田線、JR常磐線への直通列車が日中も停車するようになる。また、平日の夕方から夜間にかけて、東京メトロ千代田線に直通する準急が1時間1本程度設定され、平日の夕方時間帯も東京メトロ千代田線との直通列車が停車するようになる。区間準急が廃止される[9]。
2018年(平成30年)3月17日 - ダイヤ改正により、特急列車は全列車が通過になる。また、新設される通勤急行の停車駅となる。下り準急は平日の夕方ラッシュ時間帯のみ運転となる[10]。
2019年(平成31年)4月1日 - 「ナチュラル・レトロモダン」をコンセプトとしてリニューアルされた南口駅舎が供用開始[11]。
2020年(令和2年)4月1日 - 北口駅舎がリニューアル[12]。

2 駅構造
 島式ホーム2面4線を有する地上駅で、待避が可能である。駅の小田原寄りに引き上げ線があり、折り返し列車が存在する。この引き上げ線から直進すると急行線の3番ホーム、引き上げ線から左に分岐すると緩行線の4番ホームである。上り本線からは直進すると引き上げ線から4番ホーム線に向かう線路に合流し、右に分岐すると引き上げ線から3番ホームに向かう線路に合流するという構造である。この構造により、上り列車が3番ホームに進入する際には、分岐器の速度制限を受けるため、当駅に停車しない特急ロマンスカー・快速急行は低速で通過する。
 2009年3月に、東北沢 - 和泉多摩川間複々線工事の関連として隣の登戸駅との間で、輸送力増強のため上り線を2線に線増する3線化を完了した[3]。この3線化は、「上り線においては複々線と同じ効果がある」と広報されている。完成後、上り列車は上述した当駅手前の分岐器で急行線(3番ホーム)と緩行線(4番ホーム)に振り分けられ、一部列車を除いて緩急接続は隣の登戸駅で実施するようになった[3]。
 これに先立って2007年9月8日から9月9日まで登戸駅 - 当駅間で線路切り替え工事が行われた[3]。これによって下り線ホームの一部位置が変更になり、ホームの形状も改変されたところがある[3]。
 駅舎は北口と南口の2つがある。北口駅舎は歴史的建造物に値するギャンブレル屋根の駅舎であり、開業当初の新原町田駅(現・町田駅)・本厚木駅・大秦野駅(現・秦野駅)・新松田駅と同一の型のものである。また、現駅舎の柱や梁には廃材となったレールが多用されている[13]。
 2001年に廃止された向ヶ丘遊園モノレール線の駅は、小田原線の駅とは独立した施設で、南口のロータリーを挟んだ道路中央部に位置していた。ホームは単式1面1線の高架駅で、地上のモノレール駅舎(改札・窓口)との間は屋根のない階段で連絡していた。廃止後の駅跡地は駐輪場(向ヶ丘遊園駅周辺自転車等駐車場第9施設)となっている。

2.3 接近メロディ
 2011年9月3日に多摩区内に藤子・F・不二雄ミュージアムが開館するのを記念して、同日からミュージアム最寄駅である当駅と登戸駅の駅自動放送に藤子・F・不二雄原作アニメ作品主題歌のオルゴール調接近メロディを採用した。上りホームは『ドラえもん』主題歌「ドラえもんのうた」、下りホームは『キテレツ大百科』主題歌「はじめてのチュウ」である[7]。これは小田急では『ウルトラマン』『ウルトラセブン』の楽曲を採用した祖師ヶ谷大蔵駅、いきものがかりの楽曲を採用した海老名駅・本厚木駅に次いで3例目となる。

3 利用状況
4 駅周辺
4.1 北口
 江戸時代に津久井街道の宿場として発展した登戸地域(旧稲田町)の中心地域であり、現在でも川崎市多摩区の行政中心地として各種公共機関が立地している。JR南武線を挟んで北側に多摩川が流れ、比較的平坦な地形で、かつては梨園(下記参照)などが広がる農村地域だったが、高度経済成長以降は人口が急増し、現在では駅から離れた場所でも住宅地の方が多くなっている。
 2021年まで駅の改札口を背にすると、西側(左斜め)に向かって登栄会商店街が延び、当駅を起点とする小田急バスはこの通りを行き来していた。2022年4月現在は後述の区画整理に伴い、商店街の店舗が徐々に取り壊されており、新たな道路の開通によって小田急バスの運行経路も変更されている。この通りの先、津久井道の旧道(現在は市道)を渡った所に多摩区総合庁舎(区役所)があり、県道世田谷町田線(津久井道)と直交する。世田谷町田線を南西方向に進むと登戸郵便局、多摩警察署、多摩消防署が立地する。世田谷町田線を渡った北側には神道系の新宗教である丸山教の本部がある。丸山教は当駅の設立の際に土地を提供するなどの貢献があったこともあり、当駅の北口にある売店が同教系列で運営されていた[18]。
 一方、北東側(右斜め)に向かって中央銀座商店街が延び、同商店街は津久井道の旧道と合流し、登戸駅の東通り商店街につながっていたが、こちらも後述の区画整理によって姿を消している。
 向ヶ丘遊園駅北口地区では登戸駅西口地域と一体となって1988年から「登戸土地区画整理事業」が行われており、出口右側(北側)に仮設バス乗り場が、左側はタクシー乗り場および、駐輪場と駅西側の踏切へ通じる細い道路がある。かつては出口左手にバス乗り場・タクシー乗り場があり、用地が狭くバスが転回できないため電動のターンテーブルで方向転換していたが、2006年7月に廃止されて出口右手の仮設バス乗り場に移転した。9月ごろには、ターンテーブルを撤去してタクシー専用乗り場として整備された。一方、右手にはマルシェがありコンビニエンスストア・飲食店などが入居していたが、同事業に基づいて撤去され、23階建て高層マンション「アトラスタワー」が建設された。同駅周辺ではこれが最も高い建築物で、仮設バス乗り場は周囲の緑地部分および駅前バス広場の予定地を流用している。同マンションの1階には東急ストアが進出し、北口地域では最大の商業施設となっている。
 ただし、計画決定が上記の通り1988年、懇談会で土地区画整理方式の採用を決定したのは1981年と既に30年以上が経過しているが、この区画整理事業は依然として難航し、完成の目処は立っておらず、これは同地域での大規模商業施設進出や交通環境の改善を阻み、集客力で新百合ヶ丘駅周辺地域に劣る悪循環を招いている。川崎市が公表した資料によると、2012年12月31日時点での整理後の土地使用開始率は49.1%で、特に登栄会・中央銀座の両商店街から登戸駅前方面にかけてはほとんど手つかずの状態だったが、2020年代から急速に立ち退き等が進み、駅周辺の建物の解体が進められている[19]。また、区画整理事業の完成を前提として計画されている和泉多摩川駅以南の小田急線複々線化事業にも影響を及ぼし[20]、小田急電鉄は2009年に和泉多摩川 - 向ヶ丘遊園間で3線化を実施し、特に朝の通勤時間帯における新宿方面への輸送力増強を先行して進められた。2018年3月には和泉多摩川 - 登戸間の4線化が完了したが、登戸 - 向ヶ丘遊園間については2022年時点でも4線化の目途は経っていない[21]。
川崎市多摩区総合庁舎(多摩区役所)
多摩警察署
川崎市多摩消防署
登戸郵便局(ゆうちょ銀行登戸店併設)
横浜銀行登戸支店
きらぼし銀行登戸支店・稲田堤支店
向ヶ丘遊園東急ストア
小田急OX向ヶ丘遊園店
オーケー登戸店
東京都道・神奈川県道3号世田谷町田線(津久井道)  

4.2 南口
 北口と比較すると多摩丘陵の北端が駅の近くまで迫り、特に五反田川の南側では傾斜が急になる。旧稲田町時代から行政中心地だった北側より、比較的新しい時期に住宅開発がなされた地域でもある。駅の南側を県道川崎府中線(府中街道)が通り(小田急線を跨線橋で越え、多摩警察署の前で世田谷町田線と交差)、向ヶ丘遊園駅の南口からはこの川崎府中線へ片側2車線の道路が延び、五反田川を渡った地点で稲生橋交差点となっている。このため自動車でのアクセスは北口より容易である。駅から見て、同交差点を直進すると丘陵地に入り、岡本太郎美術館や日本民家園などがある生田緑地の入口へ向かい、その先は東名高速道路の東京料金所(向ヶ丘(むかいがおか)バスストップ併設)方面へとつながる。この道路を利用して、2010年から川崎市交通局が溝19系統の試験運行(向ヶ丘遊園駅への乗り入れ)をし、2014年3月より正式に運行を開始した。
 この道路は五反田川の手前で登戸駅方面からの市道(小田急線の東側を通る道路)と合流し、この道路を通る登戸駅発着のバスはその近く、元ダイエー向ヶ丘店前にある「向丘遊園駅入口」バス停からの乗車が可能となっている(下記参照)。駅前道路の中央分離帯上には2000年2月13日まで運転していた小田急向ヶ丘遊園モノレール線の高架線が建設されていたが、廃線後に撤去され現存しない。
 丘陵地帯には公園や教育・研究機関が設置され、1934年には日本女子大学、1951年には明治大学、1957年には専修大学が進出して向ヶ丘遊園駅周辺に学生街の要素を加えた。明治大学生田キャンパスの敷地の一部は、1939年に開設された大日本帝国陸軍の各種兵器開発・技術研究機関である登戸研究所の跡地を利用している。両大学への路線バスは北口から発着して世田谷町田線を経由しているが、徒歩で通学する場合は南口を利用した方が近い。傾斜地のため開発が比較的遅かったこと、自然が多く残るという環境への人気から、北口と比較すると大規模マンションの建設が目立つ。一方、駅東側の平坦地では北口同様に一戸建てなどの低層住宅が多く、かつては果樹園との混在も多く見られた。
 2002年3月31日まで、バラ苑で知られる向ヶ丘遊園も営業し、小田急の文化観光事業で重要な存在となっていた。遊園の閉鎖後は遊戯施設が撤去されたが、ばら苑は川崎市および地元有志の手により維持され、春と秋の年2回の一定期間内に限り一般公開されている。前述の藤子・F・不二雄ミュージアムは向ヶ丘遊園跡地の一部、府中街道沿いの区画に建設されたが、ミュージアムへのシャトルバスは東口の区画整理事業が完成してバスターミナルが整備された登戸駅からの発着となっている(向ヶ丘遊園駅からもバス(溝06,向01,02)で行くことはできる)。残る森林部分については生田緑地に組み入れられる方向で検討されている。五反田川を越えて徒歩5分の所には稲田登戸病院が開設されていたが、改築問題がまとまらずに2006年3月31日限りで閉院となり(跡地にはマンションが建設)、多摩区地域の総合医療業務は同年2月に開業した川崎市立多摩病院へと事実上継承された。
専修大学生田キャンパス
明治大学生田キャンパス
生田緑地
川崎市岡本太郎美術館
川崎市立日本民家園
川崎市立青少年科学館
藤子・F・不二雄ミュージアム
スーパーライフ
TSUTAYA向ヶ丘遊園店
みずほ銀行向ヶ丘支店
川崎緑地生田国際ゴルフ場
神奈川県道・東京都道9号川崎府中線(府中街道)

5 バス路線
5.1 北口
 北口の駅前ロータリーに神奈川中央交通東・小田急バスの路線が乗り入れる。2022年3月26日までは神奈中バス・川崎市バスが中央銀座商店街路上の乗り場を使用していたが、駅周辺の区画整理に伴って経路変更され、神奈中バスはロータリー内への乗り入れに変更し、川崎市バスは路線の乗り入れが廃止された。同年4月1日からは小田急バスも経路変更を実施し、ロータリーへの進入路が南側から北側に変更され、それに伴って乗り場変更が実施された。

5.2 南口
 南口の駅前ロータリーに川崎市交通局(川崎市バス)・東急バスの路線が乗り入れる。
 向丘遊園駅南口(市バス)・向ヶ丘遊園駅南口(東急)
 登14・溝06系統のうち登戸駅を発車する便には「向丘遊園駅入口」(元ダイエー前、当駅より徒歩3分)から乗車が可能となっている[24]。

6 その他
2018年3月17日改正以前のダイヤでは、当駅は特急ロマンスカーのうち新松田駅にも停車する一部の列車が停車していた一方、快速急行・多摩急行は通過しており、一種の逆転現象が生じていた。また、当駅はもともと交通至便な駅として川崎市多摩区の開発拠点とされ、駅近くに区役所が設けられた経緯があるとともに、路線バス発着の拠点になっている。
登戸寄りの踏切は複々線が終始点に当たることと、当駅に停車する各列車が度々踏切手前で信号待ちをすることから開かずの踏切となっており、朝夕の通勤ラッシュ時には長い時で30分近く締め切りが続き開放後も数十秒もしないうちに閉まることから、乗用車が踏切待ちをしている歩行者や自転車が渡れないという事態が起きている。
かつて生田側(西側)に向ヶ丘遊園1号踏切が存在したが、2014年10月30日正午に南北連絡通路の完成に伴う供用開始に伴い、同時に供用を終了した。この踏切は末期、前述の登戸寄りの踏切(登戸1号踏切)と同じく締め切り時間が長く、試験的にメロディを流していた。また、盛り土の上に設けられていたということもあって、坂を上って下りるという構造であり、更に道幅が狭かった。これにより、二輪車は降りてその車両を引いて歩く姿が多く見受けられた。南口側には、遮断棹が折れるケースが多い踏切である旨を記載した看板が立てられていた。なお、この踏切は歩行者二輪車専用となっており、自動車が渡れなくなるということは無かった[25][26][27]。

7 駅名の由来
 現行の駅名である「向ヶ丘遊園」は、最寄駅であった遊園地「向ヶ丘遊園」の知名度を上げるために、それまでの「稲田登戸」から改称された。なお、地元住民からは「向ヶ丘」や「遊園」という通称で呼ばれる。
 向ヶ丘遊園は2002年に閉園となり現存しないが、定着した駅名は変更されずに現在に至る[注 7]。また、旧駅名である「稲田登戸」(いなだのぼりと)は、この駅が開業当時、稲田村大字登戸に設置されたことによる。なお稲田村(後に稲田町)は1938年に川崎市に編入された。

8 隣の駅
小田急電鉄 OH 小田原線
■快速急行 通過
□通勤急行(平日朝上りのみ運転)
成城学園前駅 (OH 14) ← 向ヶ丘遊園駅 (OH 19) ← 新百合ヶ丘駅 (OH 23)
■急行
登戸駅 (OH 18) - 向ヶ丘遊園駅 (OH 19) - 新百合ヶ丘駅 (OH 23)
□通勤準急・■準急・■各駅停車(通勤準急は平日朝上り、準急は当駅以西は平日夜下りのみ運転)
登戸駅 (OH 18) - 向ヶ丘遊園駅 (OH 19) - 生田駅 (OH 20)

8.1 かつて存在した路線
小田急電鉄 向ヶ丘遊園モノレール線
向ヶ丘遊園駅 - 向ヶ丘遊園正門駅

9 脚注
9.1 記事本文
9.1.1 注釈
[注 1]^ 現行の快速急行とは一切関係なく、単なる海水浴客輸送用の臨時列車であった。
[注 2]^ a b 当駅の引き上げ線の構造上、当駅始発列車は、当駅 - 登戸駅間のみ急行線を使用。
[注 3]^ 当駅始発と接続する急行も使用する。そのため、日中は多摩線からの急行が使用する。
[注 4]^ 小田原線開業年。
[注 5]^ 当駅の乗降人員最高値年度。
[注 6]^ 小田急電鉄の回答原文「優等列車の停車駅については、駅間距離、乗降人員、他社線接続等を考慮し設定しています。急行列車が登戸、向ヶ丘遊園駅と連続停車していることから、多摩急行については向ヶ丘遊園駅を通過させて、速達性確保を図っております。」
[注 7]^ 同様の例では、JR外房線行川アイランド駅、東急東横線学芸大学駅、都立大学駅、西武新宿線都立家政駅、西武豊島線・都営大江戸線豊島園駅、JR呉線呉ポートピア駅、西鉄天神大牟田線試験場前駅、JR鹿児島本線スペースワールド駅、JR五能線ウェスパ椿山駅の例がある。東急電鉄の多摩川園駅と二子玉川園駅も同様であったが、2000年(平成12年)8月6日付でそれぞれ多摩川駅・二子玉川駅に改称されている。
9.1.2 出典
[1]^ “向ヶ丘遊園モノレール線の廃止について” (日本語). 小田急電鉄. 2001年2月24日時点のオリジナル[リンク切れ]よりアーカイブ。2022年3月21日閲覧。
[2]^ “向ヶ丘遊園モノレール線の廃止予定日繰り上げについて” (日本語). 小田急電鉄. 2001年4月22日時点のオリジナル[リンク切れ]よりアーカイブ。2022年3月21日閲覧。
[3]^ a b c d e 杉田弘志「小田急電鉄 列車運転の変遷とその興味」『鉄道ピクトリアル』第60巻第1号(通巻829号)、電気車研究会、2010年1月10日、 206・214・216頁、 ISSN 0040-4047。
[4]^ “平成14年3月23日(土)にダイヤ改正を実施します 江ノ島線沿線から新宿への「湘南急行」、多摩線沿線から千代田線直通の「多摩急行」が登場” (日本語) (プレスリリース), 小田急電鉄, (2002年2月14日), オリジナルの2004年12月5日時点におけるアーカイブ。 2021年5月9日閲覧。
[5]^ “「向ヶ丘遊園」閉園のお知らせ” (日本語) (プレスリリース), 小田急電鉄, (2001年9月28日), オリジナルの2003年2月12日時点におけるアーカイブ。 2021年5月9日閲覧。
[6]^ a b “12月11日(土)、小田急線のダイヤ改正を実施 -複々線化区間の延伸、新種別の導入で所要時間が短縮します-” (日本語) (プレスリリース), 小田急電鉄, (2004年10月6日), オリジナルの2005年3月8日時点におけるアーカイブ。 2021年5月5日閲覧。
[7]^ a b “ドラえもん、パーマン、キテレツ大百科など、藤子・F・不二雄さんの代表キャラクターが勢ぞろい!「川崎市藤子・F・不二雄ミュージアム」オープン記念、みんなの夢を乗せて走る特別ラッピング電車『小田急F-Train』8月3日(水)より運行開始” (日本語) (PDF) (プレスリリース), 小田急電鉄, (2011年8月2日), オリジナルの2020年12月29日時点におけるアーカイブ。 2021年2月24日閲覧。
[8]^ “向ヶ丘遊園駅 念願の地下通路開通 住民の請願から14年”. タウンニュース (タウンニュース社). (2014年11月7日). オリジナルの2021年5月9日時点におけるアーカイブ。 2021年5月9日閲覧。
[9]^ “2016年3月26日(土)小田急線ダイヤ改正を実施します” (日本語) (PDF) (プレスリリース), 小田急電鉄, (2015年12月8日), オリジナルの2020年11月27日時点におけるアーカイブ。 2021年2月24日閲覧。
[10]^ “代々木上原〜登戸間の「複々線化」により小田急の通勤が変わる! 2018年3月、新ダイヤでの運行開始” (日本語) (PDF) (プレスリリース), 小田急電鉄, (2017年11月1日), オリジナルの2020年6月11日時点におけるアーカイブ。 2021年2月24日閲覧。
[11]^ “4月1日(月)「ナチュラル・レトロモダン」をコンセプトに向ヶ丘遊園駅をリニューアルオープンします” (日本語) (PDF) (プレスリリース), 小田急電鉄, (2019年3月28日), オリジナルの2019年3月29日時点におけるアーカイブ。 2019年3月30日閲覧。
[12]^ “向ヶ丘遊園駅が全面リニューアルオープン” (日本語) (PDF) (プレスリリース), 小田急電鉄, (2020年4月1日), オリジナルの2020年4月5日時点におけるアーカイブ。 2020年5月4日閲覧。
[13]^ 大沼一英「小田急電鉄 ホームに残る古レール柱のバラエティ」『鉄道ピクトリアル』第70巻第8号(通巻976号)、電気車研究会、2020年8月10日、 208 - 216頁、 ISSN 0040-4047。
[14]^ 小田急電鉄「鉄道部門:1日平均駅別乗降人員」
[15]^ 川崎市統計書
[16]^ レポート - 関東交通広告協議会
[17]^ 神奈川県県勢要覧
[18]^ 加藤一雄 『小田急よもやま話(上)』多摩川新聞社、1993年、178頁。ISBN 4-924882-06-2。
[19]^ 川崎市ホームページ「登戸土地区画整理事業 進捗状況」内、「事業進捗図」より。
[20]^ 川崎市ホームページ「鉄道・道路ネットワーク形成事業カルテ」
[21]^ 登戸土地区画整理事業 まちづくりニュースNo.99
[22]^ “向ヶ丘遊園駅(むこうがおかゆうえんえき) 系統一覧/バス停時刻表検索 | 小田急バス”. web.archive.org (2021年1月24日). 2022年1月19日閲覧。
[23]^ “「向ヶ丘遊園駅」バス停の時刻表”. 2022年1月19日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年1月19日閲覧。
[24]^ “出発:向丘遊園駅入口”. 2022年1月19日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年1月19日閲覧
[25]^ 川崎市ホームページ「[1]」
[26]^ タウンニュース「[2]」車両通行止について、掲載の写真を参考。また、少し分かりにくいが、自転車を引いて歩いている姿も確認できる。
[27]^ 小田急電鉄ホームページ「[3]安全施設の強化」メロディー試験について、このページの中段から下段にかけて記載
[28]^ 「“アーカイブされたコピー”. 2014年12月22日時点のオリジナル[リンク切れ]よりアーカイブ。2013年10月10日閲覧。神奈川県鉄道輸送力増強促進会議 平成24年度の要望及び鉄道事業者の回答」
9.2 利用状況
神奈川県県勢要覧
最終更新 2022年4月25日 (月) 08:45 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。


稲田町 (神奈川県) いなだまち
廃止日 1938年10月1日
廃止理由 編入合併
稲田町、向丘村、宮前村、生田村 → 川崎市
現在の自治体 川崎市
廃止時点のデータ
国 日本、地方 関東地方、都道府県 神奈川県
郡 橘樹郡
市町村コード なし(導入前に廃止)
総人口 7,597人(国勢調査、1935年)
隣接自治体 神奈川県
川崎市、橘樹郡向丘村、生田村
東京府 世田谷区、北多摩郡調布町、狛江村
稲田町役場
所在地 神奈川県橘樹郡稲田町大字登戸
座標 北緯35度37分11秒 東経139度33分44秒

1 概要
 神奈川県橘樹郡北部の町。現在の神奈川県川崎市多摩区北部にあたる。
2 地理 ・川:多摩川、二ヶ領用水

3 歴史
3.1 町名の由来
 稲毛米を産出する肥沃な水田にちなむ。稲毛米の名は橘樹郡の別である稲毛郡、あるいは同郡北部の呼称である稲毛領に由来する[1]。
3.2 沿革
・南北朝時代 - 宿河原の地名が見られる。
・戦国時代 - 登戸の地名が見られる。
・江戸時代 - 以下の4村が成立。
登戸村(旗本河野氏知行→幕府領→幕府領、旗本朝倉氏知行)
菅村(幕府領)
宿河原村(幕府領→江戸増上寺領)
堰村(幕府領)
・1868年(明治元年)
旧暦6月17日 - 神奈川府の管轄となる。
旧暦9月21日 - 神奈川府が神奈川県に改称。
・1874年(明治7年) - 大区小区制の施行により、登戸村、宿河原村、堰村が第5大区第8小区に、菅村が第5大区第9小区になる。
・1875年(明治8年)10月29日 - 中野島村が多摩郡から橘樹郡に編入。
・1878年(明治11年) - 大区小区制廃止、郡区町村編制法施行。
・1889年(明治22年)4月1日 - 町村制の施行により、登戸村、菅村、中野島村、宿河原村、堰村が合併して稲田村が成立。
・1912年(明治45年) - 多摩川を挟んで両岸に蛇行していた東京府北多摩郡との境が多摩川上に設定され、北多摩郡調布町大字上布田、下布田、狛江村大字和泉の各一部を編入。大字宿河原の一部を狛江村に移管。
・1932年(昭和7年)6月1日 - 稲田村が町制施行して稲田町となる。
・1938年(昭和13年)10月1日 - 川崎市に編入。同日稲田町廃止。
・1972年(昭和47年)4月1日 - 川崎市が政令指定都市に指定され、旧町域が多摩区となる。

4 交通
4.1 鉄道路線
・南武鉄道(現JR東日本) 
本線(現南武線):宿河原駅 - 登戸駅 - 中野島駅 - 稲田堤駅
・小田原急行鉄道(現小田急電鉄)
小田原線:稲田多摩川駅(現登戸駅) - 稲田登戸駅(現向ヶ丘遊園駅) 
 京王相模原線の京王稲田堤駅は、当時は未開業。なお、向ヶ丘遊園(むこうがおかゆうえん)は旧向丘村(むかおかむら)大字長尾(現多摩区長尾)に所在した。
4.2 道路 府中街道(現国道409号)

5 現在の町名
 大字がそのまま引き継がれ、2012年現在もすべて旧村名が現存する。合併後に登戸の一部より登戸新町が、菅の一部より菅稲田堤、菅野戸呂、菅馬場、菅北浦、菅仙谷、菅城下が起立。

6 その他
 川崎市への編入後も町役場のあった登戸地区をはじめとした旧町域では「稲田」の名称が公共施設などで使用されていたが、1955年に小田急電鉄が稲田多摩川駅を登戸多摩川駅(1958年に南武線と同名の登戸駅へ再改称)、稲田登戸駅を向ヶ丘遊園駅に改称したのに続き、1972年の政令指定都市化に伴う多摩区設置で図書館や警察署などが「稲田」から「多摩」に変更された。2006年には稲田登戸病院も閉院し、現在の登戸地区で「稲田」の名称を関するのは不動産業の「稲田農業不動産」[1]などの少数例に留まる。これに対し、稲田堤駅のある菅地区では1971年に開業した京王相模原線の新駅も「京王稲田堤駅」となり、現在でも「稲田堤」という形で「稲田」の名前が多く残されている。

7 脚注
[1]^ 中世末から江戸時代にかけて武蔵国では領という地域区分が行われていた。郡と領は別の区分であり、両者の領域は一致しない。詳しくは領および武蔵国#領を参照されたい
9 外部リンク
神奈川県橘樹郡稲田村 (14B0040002) | 歴史的行政区域データセットβ版 - Geoshapeリポジトリ
最終更新 2021年7月12日 (月) 18:14 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。


多摩区(たまく)は、川崎市を構成する7行政区のうちの一つ。
都道府県 神奈川県
市 川崎市
市町村コード 14135-6
面積 20.50km2
総人口 223,464人(推計人口、2022年4月1日)
人口密度 10,901人/km2
隣接自治体
隣接行政区 川崎市(高津区、宮前区、麻生区)
東京都:世田谷区、調布市、狛江市、稲城市
区の木 ナシ、ハナミズキ
区の花 モモ、スミレ
多摩区役所
所在地 〒214-8570
神奈川県川崎市多摩区登戸1775番地1
北緯35度37分10.3秒 東経139度33分43.6秒

1 地理
 細長い川崎市の最北端に位置し、新宿、渋谷、岩本町(秋葉原)、大手町(丸の内)など都内との交通網が発達しているため、川崎駅付近などの川崎中心部との商業的なつながりは薄いが、稲田堤、中野島、登戸といった区中北西部は府中を始めとする多摩地域、宿河原などの東部は高津区とのつながりがやや強い。南武線がその例である。北は多摩川を境に東京都と接する。南には多摩丘陵が広がり、生田緑地は市民の憩いの場となっている。多摩川梨で有名である。特に登戸から矢野口にかけては生産地の中心である。
■一級河川
多摩川、平瀬川支川、三沢川、
二ヶ領本川(二ヶ領用水)、五反田川
■準用河川
二ヶ領本川上河原線(二ヶ領用水)
二ヶ領用水宿河原線(二ヶ領用水)
■普通河川
山下川、大丸用水

1.1 気候
 川崎区や幸区といった川崎市中心部の都市型、海洋性気候とは異なり多摩区は内陸性気候となる。夏は暑く猛暑日が多いが冬は寒くなり冬日も多い。冬の最低気温は最寄りの府中アメダスより2-3℃高い。1月の平均最低気温は0.2℃。
1.2 隣接している自治体・行政区
■神奈川県
川崎市の区 麻生区、宮前区、高津区
■東京都
世田谷区、調布市、狛江市、稲城市

2 歴史
「川崎市の歴史」も参照
2.1 先史時代
・縄文時代 - 多摩川の川岸に栃の実などを水に晒す作業場が作られる。丘陵上には集落が作られる。
・弥生時代 - 丘陵上に大集落が作られる。
2.2 古代
古墳時代 - 多摩川周辺に古墳が築造される。丘陵斜面には横穴墓が作られる。
飛鳥時代 - 律令制の下、武蔵国橘樹郡、多磨郡、都筑郡が設置される。
2.3 中世
・平安時代末期 - 稲毛三郎重成が、枡形城に拠点を構え治める。この頃より江戸時代まで稲毛領と呼ばれる。
・鎌倉時代初期 - 稲毛三郎重成の子、小沢小太郎重政が小沢城に拠点を構える。
・室町時代 - 寺尾若狭守が寺尾城を築城。
・1504年9月 - 立河原の戦い。伊勢盛時(北条早雲)が山内上杉氏を攻める為、枡形城に入る。
・1530年6月 - 小沢原の戦い。小沢城が後北条氏の拠点として利用される。北条氏康初陣。
・1558年5月11日 - 北条氏康より長尾村へ撰銭令が出される。
・1569年 - 武田信玄小田原乱入のおり、稲毛十六郷を放火。北条方御家人は枡形城に籠もり防戦。

2.4 近世
・1590年 - 多摩川大洪水、流路が大きく北へ変わる。
・1609年 - 小泉次太夫、六郷用水、稲毛・川崎二ヶ領用水上河原幹線を完成。
・1629年 - 筧助兵衛、二ヶ領用水宿河原幹線を完成。
・1690年 - 菅村が多摩郡より橘樹郡に編入。
・1725年 - 稲毛領52ヶ村が御鷹場となる。
・1782年 - 関東地方に大地震
・1786年 - 多摩川洪水、猪方村堤(現:狛江市)の堤防決壊。
・1787年 - 天明の大飢饉、登戸でも打ち壊しが起きる
・1790年 - 多摩川洪水、矢ノ口(現・稲城市)・菅村境の堤防決壊、中野島村では人家が流失、登戸下流では床上4尺の浸水
・1791年 - 多摩川流域で梨の栽培が始まる
・1809年 - 多摩川出水、堤防120間余大破
・1810年 - 宿河原村字船島の稲毛・川崎二ヶ領用塩樋床替、以前の場所より145丁上流になる。
・1825年 - 猪方村堤(現:狛江市)8箇所切断、新堤築立
・1831年 - 寺子屋が普及
・1855年11月 - 安政の大地震
・1859年 - 多摩川満水、周辺11ヶ村に被害
明治以前は武蔵国、橘樹郡であった。

2.5 近代
1868年 - 東京府、神奈川県が設置
1871年 - 廃藩置県。
1875年 - 中野島村が多摩郡より橘樹郡に編入。生田村が成立。
1878年 - 郡区町村編制法により行政区画としての橘樹郡が編成される。
1881年 -この頃より長尾で天然氷の製造が始まる。
1889年4月 - 町村制により橘樹郡に向丘村[1]、稲田村[2]が成立。橘樹郡生田村に高石村、金程村、細山村が編入[3]
1889年4月 - 都筑郡に柿生村・岡上村が成立。[4]
1893年9月 - 大師河原(現川崎市川崎区日の出町)で当麻辰次郎が他の梨とは違う品種を発見し「長十郎」と名付ける。
1894年 - 川崎街道が県道となる。
1898年9月 - 多摩川出水、宿河原取入口大破損
1910年 - 多摩川氾濫。稲田村など5ヶ村民が村区域変動で争う。宿河原の一部が切れて、狛江と地続きになる。
1912年4月 - 府県境界変更により多摩川を東京府と神奈川県の境とし、上布田の飛び地、下布田の飛び地、和泉の飛び地が稲田村に編入、宿河原の飛び地が狛江村に転出。
1912年 - この頃より稲田村、生田村で梨・桃の栽培が盛んになる。
1917年5月 - 喜津根坂道路改修竣工。
1920年 - 多摩川砂利鉄道が南武鉄道となる。
1923年9月 - 関東大震災
1924年7月 - 川崎市が成立。(現在の多摩区にあたる地区は橘樹郡のまま)
1926年 - 向ヶ丘遊園開園
1927年 - 小田急線、新宿-小田原間の運転開始、豆汽車開業
1927年 - 神奈川県が「二ヶ領用水改良事業」を計画
1928年 - 登戸郵便局で電話業始まる
1929年12月 - 南武鉄道(現:JR南武線)全通
1932年6月 - 稲田村が町制施行して稲田町となる。
1935年 - 多摩川原橋が開通により、「上布田の渡し」が廃止、「下菅の渡し」と「矢野口の渡し」が結合し「菅の渡し」となる。
1936年 - 「二ヶ領用水改良事業」に基づく用水路工事開始
1938年10月 - 橘樹郡の稲田町、向丘村、生田村が川崎市に編入される。
1939年4月 - 都筑郡柿生村、岡上村を川崎市へ編入。
1940年 - 「堰の渡し」廃止
1941年3月 - 二ヶ領上河原堰の改造工事に着手
1944年 - 南武鉄道が国鉄になる。
1945年6月 - 二ヶ領上河原堰完成

2.6 現代(多摩区発足以前)
1949年5月 - 二ヶ領宿河原堰完成(コンクリートの固定堰)
1950年3月 - 豆電車開業
1951年 - 川崎市稲田公民館(後の多摩区民館)完成
1952年5月 - 川崎市稲田公民館に図書室を開設。
1953年 - 「多摩水道橋」完成、「登戸の渡し」廃止
1959年3月 - 東京都水道局長沢浄水場通水
1960年 - 宿河原堤の桜植樹開始
1960年 - 多摩川梨もぎとり連合会発足
1961年 - 登戸電報電話局開設
1962年4月 - 神奈川県警稲田警察署開設。
1963年10月 - 稲田図書館開館
1964年 - 稲田保健所ができる。
1964年9月 - 読売ランド開園
1966年4月 - 小田急向ヶ丘遊園モノレール線開通
1966年 - 二ヶ領用水、矢上川、平瀬川などで水があふれ、または決壊、床上浸水の被害。
1966年 - 南武線複線化
1966年 - 多摩川、一級河川に
1967年 - 日本民家園開園
1969年 - 東名高速道路開通
1970年 - 多摩川サイクリングコース開設
1971年4月 - 京王相模原線、京王多摩川駅〜京王よみうりランド駅間(2.7km)開業
1971年8月 - 生田緑地内に川崎市青少年科学館開館

2.7 現代(多摩区発足後)
1972年4月 - 川崎市の政令指定都市移行に伴い、多摩区発足。政令都市化に伴い稲田公民館、稲田図書館、稲田保健所、稲田警察署がそれぞれ多摩区役所・多摩区民館、多摩図書館、多摩保健所、多摩警察署に名称変更。
1973年 - 菅の渡しが廃止
1974年9月 - 多摩川水害で対岸の狛江市側住宅流失。被害拡大を防止するため、二ヶ領宿河原堰を爆破。
1975年 - 住居表示施行に伴い高津区より長尾が編入。
1977年11月 - 多摩図書館新築開館し, 対面朗読室を設置。
1978年 - 多摩自然遊歩道完成
1979年 - 長尾の里めぐり遊歩道完成
1982年7月 - 麻生区を分区
1988年6月 - 川崎都市計画事業登戸土地区画整理事業施行条例施行
1989年2月 - 川崎都市計画事業登戸土地区画整理審議会会議要綱制定
1995年 - 多摩川梨もぎとり連合会解散
1997年 - 多摩区総合庁舎開庁
1999年3月 - 可動式のゲートを備えた二ヶ領宿河原堰完成。二ヶ領せせらぎ館開館。
1999年 - 生田緑地内に川崎市岡本太郎美術館開館
2001年2月 - 小田急向ヶ丘遊園モノレール線廃止
2002年3月 - 向ヶ丘遊園閉園(ばら苑は市に移管され生田緑地の一部となる)
2006年6月 - 登戸駅リニューアル、ペデストリアンデッキ完成
2011年9月 - 藤子・F・不二雄ミュージアム開館

3 人口
1975年 202,647
1980年 233,790
1985年 152,255
1990年 175,570
1995年 187,042
2000年 196,637
2005年 205,389
2010年 213,894
2015年 214,158

4 町名
■多摩川の両岸に残る地名
 かつての上布田村、下布田村、和泉村、宿河原村は多摩川の氾濫によって分断され、多摩川の両側に地名を残している(現在、東京都側の宿河原の地名は消滅している)。
川崎市多摩区布田 - 東京都調布市布田
川崎市多摩区和泉 - 東京都狛江市和泉
川崎市多摩区宿河原 - 東京都狛江市駒井町の一部(旧:狛江町宿河原)

5 経済
登戸・向ヶ丘遊園・生田・稲田堤周辺は学生街と歓楽街の色彩が強く、多くの飲食店が存在している。雑誌等で紹介される飲食店が多いため「B級グルメ激戦区」と称されることもある
6 産業
スリオンテック(現・マクセルスリオンテック)、日本エー・エム・ピー、高和電気工業などの工場や情報センターなどが多摩川沿いにあり、かつては昭和エーテル、日本板硝子、キトー、三菱レイヨンなどの工場もあったが現在は移転・閉鎖した。
松下電器産業の研究所・東京体育館が東三田に有ったが2003年に移転・閉鎖し、跡地は大規模マンション街となっている。
日本テレビの生田スタジオが菅仙谷にあり、同局のテレビドラマの撮影などで使われる。
7 農業
7.1 果物
■多摩川梨(稲城梨)
かつては「稲城梨」として東京市場の名産品として評判であり、1932年に「稲城梨」から「多摩川梨」に名称を変更した。1952年に「多摩川果物協同組合連合会」が設立され「多摩川梨」の生産が拡大された。1960年に「多摩川梨もぎとり連合会」が発足し1980年代までは「梨もぎとり園」も多く存在し観光客も来ていた。現在は生産農家が減り路上販売が主である。
品種の変遷 - 多摩川流域で見つかった品種「長十郎」が多摩川梨の代名詞であったが、後に「二十世紀」と勢力を二分するようになり、1980年代以降は「幸水」「豊水」「新高」「多摩」などが主流品種となっていった。
長十郎、二十世紀、幸水、豊水、菊水、新水、旭、新世紀、新高、新星、稲城、多摩、あきづき
■宿河原桃
かつて「宿河原桃」は東京市場の名産品として評判であったが、1961年をピークに生産は減り、1970年代まではまだ主要な農産物であったが、現在は激減した。
■その他
かつては栗、柿、ブドウ、ミカン、ビワ等を生産する農家もあったが、現在では農家の庭木などに名残を残すのみとなっている。
7.2 野菜
■のらぼう菜(野良坊菜)
川崎市多摩区菅地区で自家消費用で栽培されていた洋種ナタネに分類されるアブラナ科の野菜。近年はテレビ、新聞等で取り上げられ、多摩区の新たな名産品となりつつある。
多摩区以外では東京都あきる野市などでも栽培が盛んである。
■その他
ナス、キュウリ、ゴーヤ、モロヘイヤ、インゲン、枝豆、エンドウ豆、大根、カブ、サトイモ、ジャガイモ、ニンジン、カボチャ、ネギ、タマネギ、カリフラワー、ブロッコリー、ほうれん草、コマツナ、ミョウガ、キャベツ、白菜、トマトなどが作られており、路上販売をしている農家が多い。
かわさき農産物ブランド「かわさきそだち」
7.3 米
 江戸時代には、良質な稲毛米を産出していた。稲毛の田から「稲田」と言う地名が出来たと言われる。1970年代までは田圃も多く見られたが、現在は数軒の農家を残すのみとなっている。

8 教育
8.1 大学
川崎市のなかでも教育機関が多く、文教都市としての側面がある。
明治大学 生田キャンパス
専修大学 生田キャンパス
8.2 中高一貫校
私立
日本女子大学附属中学校・高等学校
カリタス女子中学高等学校
8.3 高等学校
公立
神奈川県立生田高等学校
神奈川県立生田東高等学校
神奈川県立菅高等学校
神奈川県立多摩高等学校
神奈川県立向の岡工業高等学校
神奈川県立百合丘高等学校

9 交通
9.1 鉄道
東日本旅客鉄道 南武線
- 宿河原駅 - 登戸駅 - 中野島駅 - 稲田堤駅 -
京王電鉄 相模原線
- 京王稲田堤駅 -
小田急電鉄 小田原線
- 登戸駅 - 向ヶ丘遊園駅 - 生田駅 - 読売ランド前駅 -
東日本旅客鉄道 武蔵野線
府中本町駅 - 梶ヶ谷貨物ターミナル駅間の生田トンネル区間
廃止路線
小田急電鉄 向ヶ丘遊園モノレール
向ヶ丘遊園駅 - 向ヶ丘遊園正門駅

9.2 路線バス
小田急バス
生田折返場
登戸営業所
川崎市バス
神奈川中央交通
東急バス
コミュニティバス「 あじさい号」
コミュニティバス「 山ゆり号」

9.3 索道
よみうりランドスカイシャトル - 山頂ステイション

9.4 道路
主要地方道
東京都道・神奈川県道3号世田谷町田線(津久井道)
神奈川県道・東京都道9号川崎府中線(府中街道)
神奈川県道13号横浜生田線(浄水場通り)
川崎市主要地方道幸多摩線(多摩沿線道路)
一般市道
川崎市道小杉菅線(南武沿線道路)

9.5 多摩川の渡し
現在は廃止されてしまっているが、多摩川を渡る交通手段として渡し船が存在していた。
菅の渡し - 1935年に矢野口の渡しと下菅の渡しが統合、1973年廃止
下菅の渡し - 1935年廃止
上布田の渡し - 1935年廃止
中野島の渡し - 1935年ころ廃止
登戸の渡し - 1953年廃止
堰の渡し - 1940年廃止

16 脚注
[1]^ 長尾村、上作延村、平村、菅生村、下作延村の一部が合併して成立、長尾以外は現在は高津区である
[2]^ 宿河原村、堰村、登戸村、中野島村、菅村の5ヶ村が合併して成立
[3]^ この時、編入された村は現在は麻生区
[4]^ 現在は麻生区
^ 公式プロフィールでは藤沢市出身となっているが、多摩区の生まれである。
^ 県議時代の選挙区は麻生区であったが、多摩区生田の生まれである。

17 関連項目
向ヶ丘 (川崎市)
稲毛氏
窪之内英策 - 登戸・向ヶ丘遊園を舞台とした作品が多い漫画家。
鈴木藤助日記 - 幕末から明治にかけて、長尾村周辺の事件や暮らしを農民の視点で記録した歴史資料。
18 外部リンク
多摩区公式サイト
多摩区に関連する地理データ - オープンストリートマップ
最終更新 2022年4月29日 (金) 07:06 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
以上 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より


≪くだめぎ?≫
 神奈川県橘樹郡稲田町は現在、多摩区の中核を成す。麻生区(あさおく)は'82年7月に分区された所。「稲田公民館」が多摩区役所・多摩区民館にモデルチェンジした、など「稲田登戸駅」(現・向ヶ丘遊園駅)付近が中心街であるのは変わらないのではないか。
ブログ一覧 | 都道府県区市町村 | 旅行/地域
Posted at 2022/05/22 08:56:33

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