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2022年07月17日

『田無』と『ひばり』の関わり

『田無』と『ひばり』の関わり ひばりが丘団地における団地再生の取り組み
[写真・画像]
昭和30年代後半撮影(左)、平成27年9月撮影(右)
 デベロッパー4社とUR都市機構は、ひばりが丘団地再生事業の一環で、相互に連携しひばりが丘団地地域のエリアマネジメントに取組む組織「一般社団法人まちにわ ひばりが丘」を設立。
 2015年11月に、活動拠点「ひばりテラス118」がオープンし、団地再生において、UR都市機構と民間事業者が連携して住民と共に取り組む初のエリアマネジメントがスタートしました。
■エリアマネジメント実施の背景・経緯
 ひばりが丘団地は、東京都西東京市と東久留米市の両市にまたがり位置する、昭和34年に入居が開始された住宅戸数2714戸の大規模団地です。建設から40 年以上が経過し、建物の老朽化、生活スタイルの変化、居住者ニーズの多様化等を背景に、平成11 年3月に建替事業に着手し、自治体や団地にお住まいの方々との勉強会や協議を行いながら、UR賃貸住宅の建替えを順次進めてきました。
一方、建替えによって生み出された敷地には、従来からあった保育園、児童館等の公共施設や商業施設の建替え・再配置の他、民間事業者による高齢者福祉施設、分譲住宅等が建設され、多様な世代が安心して活き活きと住み続けられるまちづくりが進められています。
UR都市機構 より


西東京市
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 西東京市(にしとうきょうし)は、東京都の多摩地域東部に位置する市。
 2001年(平成13年)1月21日、田無市と保谷市が合併して発足した[1]。21世紀最初の新設合併により誕生した市である。
1.歴史
1-1.前史
 以下に西東京市成立までの歴史を記述する。(出典[2][3])なお、西原総合教育施設内の西東京市郷土資料室にて史料を展示している[4]。
1-1-2.古代
 西東京市の地域が属する武蔵国が設置されたのは飛鳥時代である。田無地域は多摩郡、保谷地域は新羅郡に属していた。なお、市内の西原遺跡から奈良時代の土器が、坂下遺跡からは平安時代の住居跡類や土器類が出土している。
1-1-3.中世
 市内北部を流れる白子川(大泉堀)の流域に下保谷、中部を流れる新川の流域に上保谷と田無の集落が形成された。保谷の地名は熊野那智大社文書(1504年〜1555年)に「ほゝや」の文字が、小田原衆所領役帳(後北条役帳)(1559年(永禄2年))には「保屋」「田無」の文字が見られ、この頃には保谷・田無の地に集落が成立していることがわかる。また、14世紀の後半には、宮山(谷戸町付近)に尉殿権現が、16世紀には下保谷村総鎮守の三十番神社(現天神社)が建立されている。(その後、尉殿権現は17世紀に上保谷の尉殿権現(現尉殿神社)と田無の尉殿権現(現田無神社)に分祀されている。)
1-1-4.近世
 1600年頃、江戸城造営のための石灰運搬のため青梅街道が開削され、田無にはこの街道の宿駅が置かれた。この際、谷戸などの住民が宿駅周辺に移住し、以後、田無は青梅街道の宿場町、交通の要所として栄えていく。一方、保谷では享保期(1716年〜1736年)以降に下保谷新田(現在のひばりが丘周辺)と上保谷新田(現在の新町周辺)が開墾された。特に玉川上水の分水である千川上水の整備により開墾された上保谷新田は順調に開発が進み、後に上保谷新田村として上保谷村から独立している。
1-1-5.近現代
 1889年(明治22年)4月1日、町村制の施行に伴い、当時の下保谷村、上保谷村、上保谷新田村が合併し保谷村が成立した。この際、旧村域はそれぞれ保谷村の大字「下保谷」「上保谷」「上保谷新田」となっている。一方、田無では、これに先立ち1879年(明治12年)に田無村が町制を施行し田無町となっている。
 1889年に開通した甲武鉄道(現在のJR中央線)は、当初、青梅街道沿いに敷設する計画だった。しかしながら、田無の農民・商人の反対により、そのルートは町内を大きく外れた。このことで、田無は次第にその優先的な地位を失う。(甲武鉄道は、青梅街道沿いのルートを断念した後に計画した甲州街道沿いのルートも調布の住民の反対で断念し、両街道の中間を通る現在のルートとなっている。)一方、保谷では地元の有力者が駅舎などの土地を寄付するなど積極的に武蔵野鉄道池袋線(現在の西武池袋線)を誘致し、池袋〜飯能が1915年(大正4年)に開通した際に保谷駅が開設された。(このためか、(西武池袋線開業当時の保谷駅隣駅の)石神井公園駅(開業当時は石神井駅)東久留米駅間のルートは、両駅間の直線ルートよりかなり南にずれて保谷駅を通っている。)また、1922年(大正11年)の池袋〜所沢間の電化の際には保谷車庫が開設されている。その後、1924年(大正13年)に池袋線にひばりヶ丘駅(開業当時は田無町駅)が設置、1927年には西武鉄道村山線(現在の西武新宿線)開通と同時に東伏見駅(開業当時は上保谷駅)、西武柳沢駅、田無駅が設置された。保谷市内の4駅、田無駅ともターミナル駅である池袋、新宿から15-25分程度と比較的近いこともあり、後に両市とも東京のベッドタウンとして発展した。
 戦時中は、旧田無市内の軍需工場が空襲を受け、旧保谷市南部も中島飛行機武蔵工場に近いため空襲を受けている。そのため南部で隣接する武蔵野市とともに不発弾が発見されることがある。また、1936年(昭和11年)にはシチズン時計が田無工場を開設(その後、2001年(平成13年)には本社も西東京市に移転)、1941年(昭和16年)には保谷町に東洋光学硝子製造所(現HOYA)が創業と、この時代に企業の市内への進出が続いている。この頃、保谷では1940年(昭和15年)に町制を施行している。
 戦後は、1959年(昭和34年)に日本住宅公団最大の公団住宅であるひばりが丘団地が保谷町・田無町(および久留米町)にまたがる地域に造成されるなど両市とも順調に人口が増加し、1967年(昭和42年)には保谷町、田無町とも市制を施行して、それぞれ保谷市、田無市となっている。

1-2.年表
 合併以前の年表については、田無市および保谷市の項を参照

2001年(平成13年)1月21日 - 田無市・保谷市が新設合併して西東京市が発足。
2002年(平成14年)1月21日 - 市章を制定。
2002年(平成14年)3月23日 - はなバスを運行開始。
2003年(平成15年)4月1日 - 保谷駅北口駅前広場完成。
2005年(平成17年)2月18日 - 坂口光治市長就任。
2005年(平成17年)4月29日 - 西東京いこいの森公園開園。
2012年(平成24年)3月4日 - 保谷駅南口駅前広場完成。
2013年(平成25年)2月18日 - 丸山浩一市長就任。
2013年(平成25年)4月21日 - 東伏見公園一部開園。
2015年(平成27年)8月2日 - 伏見通りが全線開通。
2019年(平成31年)3月16日 - ひばりヶ丘駅北口駅前広場完成。
2021年 (令和3年) 2月18日 - 池沢隆史市長就任。

1-3.合併の経緯
 旧保谷市は旧田無市の北、東、南を囲むような形をしており、特に南部が細長い市形となっていたため、行政効率などの点で田無市との合併が古くから考えられてきていた。また、ひばりが丘団地が2市と東久留米市にまたがっており、1950年代から1960年代の市制施行前には田無・保谷・久留米(現・東久留米市)の3町での合併構想もあった[5]。

1-4.名称問題
 新市名の選考にあたっては、まず公募によって集まった名称から「西東京市」「けやき野市」「北多摩市」「ひばり市」「みどり野市」の5つが候補として絞り込まれた。これを受けて実施された市民意向調査によって最も多くの支持を集めた「西東京市」が、合併協議会によって新市名と決定された[6]。
 しかし、単に『東○○市』『西○○市』といった方角名称にすることに対しては、同時期に合併が行われた『さいたま市』(埼玉県)や『東かがわ市』(香川県)などと同様に、「安易過ぎる」との批判も多い。しかし、この『西東京市』以降、方角自治体が続々と誕生している。なお、それ以前にも東大阪市や東広島市のような例はあった。
 「西東京」という呼称は、「旧東京市の西」ではなく、「旧東京府の西部」を指すことが多かった。例えば西東京バスは青梅、日野、八王子地区に路線を持っている。そのため、旧東京府の中央部にある市にこの名称を付ける事に疑問を呈する意見もあった。合併協議会でも、東京という市は存在せず、位置的に正確な表現とは言えないのではないかという意見があった[7]。
 なお、本市発足に先立って、2市を主な対象とした「エフエム西東京」が開局している。ただしこの局と市名との関連はない模様である。
 歴史的には、「東京」という地名は、明治維新期に「東の京」という意味から名付けられた。「西東京」では「東の京の西」という意味になる。なお、現在の東京都全体から見てむしろ中央より東寄りに位置することは、その名称に対する疑問の一因である。さらに、西東京市の領域は元々東京府に属していたわけではなく、旧田無市は神奈川県、旧保谷市は埼玉県に属していた。
 北多摩市にした場合、北多摩郡の範囲(多摩郡からの分割時点で2町1駅36村)に比べて、西東京市の範囲が北東に寄りすぎており、かつ保谷市は1907年(明治40年)に東京府北多摩郡に編入されるまで埼玉県新座郡(新羅郡)(1896年(明治29年)に北足立郡に合併)に属しており、多摩郡の支配地域ではなかったという問題がある。合併協議会でも、多摩市と混乱を生じる可能性や、地域的に北多摩郡の一部に過ぎず適当ではないといった意見が出されている[7]。
 また、市内の地名にも方角が付くものが多く(例:南町、東町、北町)、「東京都西東京市南町」などと方角だらけの住所表記となってしまう地域も多い。なお、「西東京市」は名称の中に方角が2つ含まれる全国唯一の市である[注 1]。

2.人口
 東京都内では東京23区・八王子市・町田市・府中市・調布市に次ぎ6番目(市町村では5番目)に人口が多い。合併後人口は増加傾向にある。2015年に行われた国勢調査では人口が20万人を超えた。

3.町名
西東京市では、全域で住居表示に関する法律に基づく住居表示が実施されている。 西東京市役所管内(108町丁)
3-1.合併に伴う町名変更
田無市本町一〜七丁目→西東京市田無町一〜七丁目
保谷市本町一〜六丁目→西東京市保谷町一〜六丁目
田無市ひばりが丘団地→西東京市ひばりが丘三丁目2番(編入)

4.地域
4-1.住宅団地
都市再生機構(UR)※旧日本住宅公団
ひばりが丘団地(ひばりが丘三丁目および東久留米市ひばりが丘団地 1959年)→全面建替により現・ひばりが丘パークヒルズ
プロムナード東伏見(富士町)
グリーンプラザひばりが丘南(谷戸町)
グリーンハイツ武蔵境通り(新町)
新柳沢団地(柳沢) - 西東京都市計画事業(一団地の住宅施設、1994年)
東伏見団地(富士町) - 西東京都市計画事業(一団地の住宅施設、富士町、1958年)
西原グリーンハイツ(西原町)
パークサイド田無向台(向台町)
東京都住宅供給公社(JKK東京)
田無西原団地(西原町) - 西東京都市計画事業(一団地の住宅施設、1963年)
田無南芝久保団地(芝久保町) - 西東京都市計画事業(一団地の住宅施設、1964年)
田無アスタ住宅(田無町)
東京都都市整備局(都営住宅)
田無芝久保一丁目アパート
西原町四丁目アパート
田無本町七丁目アパート
田無谷戸町二丁目アパート
田無南町三丁目アパート
田無緑町三丁目アパート
ひばりが丘二丁目アパート
下保谷二丁目アパート
東伏見二丁目アパート
柳沢一丁目アパート
柳沢二丁目アパート
柳沢六丁目アパート 他多数

5.行政
5-2.市庁舎
田無庁舎 所在地 〒186-8666 西東京市南町五丁目6番13号
保谷庁舎 所在地 〒202-8555 西東京市中町一丁目5番1号
 合併時の経緯で旧保谷・田無両市役所を流用し2庁舎体制としている。
市長室は田無庁舎にあるため実質的な代表庁舎は田無庁舎であるが、部署により設置庁舎を分散させている。
5-3.出張所
柳橋出張所 所在地 〒202-0023 新町一丁目4番25号
谷戸出張所と中原出張所は統合し、移転。(2009年(平成21年)5月7日開設)
ひばりヶ丘駅前出張所 所在地 〒202-0005 住吉町三丁目10番25号(HIBARI TOWER1階)

5-5.課題
5-5-1.商店街の活性化
市の中心地としては、西武柳沢駅、田無駅北側、ひばりヶ丘駅、保谷駅南側となる。池袋、新宿、吉祥寺、渋谷などの中心商業地区へのアクセスが容易なこともあり、市内の1店舗あたりの購買金額が東京の各市の平均を下まわっている、そのため市内を4地区にわけ、それぞれに核となる商業活性化を図ることが進められている。
5-5-2.道路事情
 西東京市内は旧田無、旧保谷ともに市街化が急激に進んだため、道路整備が追いつかず市内には隘路が多く残っている。また市内の歩道の整備率が都内各市の平均を下まわっており、整備がもとめられている。

5-6.広域行政
・多摩北部都市広域行政圏協議会
 多摩地域北東部の、西東京市、小平市、東村山市、清瀬市、東久留米市の5市で施設の相互利用、イベントの共同開催などを行っている。通称「多摩六都」。「六都」とは合併前の田無、保谷を含めたもので、名称は合併後も継承されている。本市内に多摩六都科学館を持つ。

・柳泉園組合
 西東京市と東久留米市、清瀬市の3市で組織。ごみ処理の事業を行う。ごみ処理工場は東久留米市下里の東村山市境近くに設置されている。

・昭和病院組合
 清瀬、小金井、小平、東久留米、東村山、東大和、武蔵村山および西東京市により組織され、小平市にある公立昭和病院を運営している。

・武蔵野、三鷹、小金井、および西東京市の4市間で、公共施設の共同利用を行っている。

7.公共機関
7-1.警察
 警視庁田無警察署が本市(東町4丁目15番の一部は石神井警察署が管轄)と東久留米市全域を管轄している。西東京市発足前後で変化はない。警察署名は主たる自治体名から取るように定められているが(警察法施行令)、2市を管轄しているため、西東京警察署への改称はされなかった。
7-2.消防
 消防は東京消防庁へ業務を委託している。 西東京消防署(旧保谷消防署)が市内全域を管轄している。
・西東京消防署(中町1-1-6)指揮隊、ポンプ隊2(特別消火中隊)はしご隊1、救急隊1
 ・保谷出張所(下保谷1-2-4)ポンプ隊2
 ・田無出張所(向台町2-3-6)ポンプ隊2、救急隊1
 ・西原出張所(西原町2-1-14)ポンプ隊1、救急隊1

7-3.日本郵政グループ
7-3-1.郵便局
市内に西東京郵便局、伏見通郵便局など19局が存在。元は集配郵便局の管轄について旧田無市が田無郵便局、旧保谷市が保谷郵便局となっていたが、両市合併後、田無郵便局に保谷郵便局が統合される形で西東京郵便局となった。この名残で、郵便番号は旧田無市域は上三桁が188、旧保谷市域は上三桁が202と異なる番号が与えられている。
7-3-2.ゆうちょ銀行
西東京店(西東京郵便局に併設)が直営店として取扱を実施。その他の郵便局は代理店として窓口業務を行う。
7-3-3.かんぽ生命
市内に直営店は存在しない。各郵便局が代理店として窓口業務を行う。法人営業は小金井支店が担当。
7-3-4.電話
市外局番は殆どが042で、新町の一部は武蔵野市・三鷹市の一部と同じ0422である。なお、2006年(平成18年)4月29日以前は東久留米市、清瀬市の全域、小平市、新座市、調布市と同じく0424だった。
単位料金区域(MA) は武蔵野三鷹MAで、本市のほかに武蔵野市・東久留米市・清瀬市の各全域、調布市中西部、三鷹市のほぼ全域、小平市・狛江市・府中市・小金井市・埼玉県新座市の各一部が同MA内である。このうち本市新町・武蔵野市、三鷹市のほぼ全域、調布市・小金井市の各一部を除いては同じ市外局番の042である。これらの地域は同じMA内であるため、この2つの市外局番相互間でも市内通話となる。
天気予報は東京地方のエリアで、以前は電話案内サービス177で東京23区の市外局番である03エリア(東京MA)とこのMAだけが東京都心の天気現況(風・気温・湿度)のアナウンスで残りの多摩地域は八王子のものをアナウンスしたが、2006年(平成18年)1月から東京地方全域(23区・多摩)同じアナウンスとなり天気現況も東京都心と八王子両方アナウンスするようになった。
2006年(平成18年)4月29日から市外局番が042となったが、同じ市外局番には以下のエリアが存在しており、これらのエリアに電話するには、同じ042でも市外局番からダイヤルしなければならない(天気予報は旧市外局番+177をダイヤル)。
立川市・日野市・昭島市など西多摩地域(青梅市・奥多摩町を除く)のエリア(1997年(平成9年)変更・変更前0425)
国分寺市・府中市・東村山市などの中多摩エリア(1998年(平成10年)4月変更・変更前0423)
町田市・神奈川県相模原市津久井地区などのエリア(1998年(平成10年)10月変更・変更前0427・ただし天気予報は町田市向けは04273-177、相模原市向けは04278-177)
埼玉県飯能市・日高市のエリア(2004年(平成16年)変更・変更前0429)
八王子市などのエリア(2006年(平成18年)3月5日変更・変更前0426・ただし天気予報は八王子市向けが0426-177、相模原市相模湖・藤野両地区向けは04268-177)
(以前は埼玉県所沢市・入間市・狭山市も042だったが、2004年(平成16年)に現在の04に変更された。なお天気予報は0429-177のまま)

7-4.上水道
 東京都水道局に統合。東村山浄水場の配水地域であるが、市内には保谷町、西東京栄町、芝久保の3浄水所(地下水汲み上げ)もある。
7-5.下水道 市の下水道課が管理。
7-6.一般廃棄物
7-6-1.収集
 保谷庁舎のごみ減量推進課にて市内全域の家庭系一般廃棄物の収集を実施。
・2007年(平成19年)9月以降は可燃ごみ・不燃ごみを個別収集
・2007年(平成19年)10月以降はプラスチック容器包装類を分別収集
・2008年(平成20年)1月以降は可燃ごみ・不燃ごみ・プラスチック容器包装類の収集を有料化
・2010年(平成22年)10月から指定収集袋(ごみ袋)の金額を改定(減額)
7-6-2.中間処理
 柳泉園組合(東久留米市、清瀬市、西東京市が設置した一般廃棄物の処理施設)で可燃ごみの燃焼処理・不燃ごみ・資源ごみの中間処理を実施する。
7-6-3.最終処理
 東京たま広域資源循環組合の谷戸沢処分場(処分終了)、二ツ塚処分場(現用)にて埋立処分およびセメント化事業を実施する。

7-7.東京都管轄区域の行政機関 東京法務局田無出張所
7-8.国の行政機関
自衛隊東京地方協力本部三多摩地区隊本部西東京地域事務所 - 田無町4丁目28-13

8.経済
8-1.産業
8-1-1.就業人口
・一次産業 735人
 市内の約13%は耕地、水田も0.5%ほど存在する。
・二次産業 18,415人
 市内には約306か所の製造業、644か所の建設業の事業所が存在する。
・三次産業 65,722人
 市内には卸売商店が207店、小売業店舗が1516店存在する。

8-2.主な事業所
・シチズン時計 - 本社・田無工場
・住友重機械工業 - 田無製造所 機能縮小で、一部敷地がマンションとなった。
・損害保険ジャパン事務本部ビル - SOMPOビジネスサービス本社 損保ジャパンのコンピュータ・センター
・株式会社共同観光バス - 観光バス会社。
・株式会社大成観光バス - 観光バス会社。
・シンエイ動画 - アニメプロダクション。『ドラえもん』『クレヨンしんちゃん』などを製作している。
Triple A - アニメプロダクション。
デイヴィッドプロダクション - アニメプロダクション。
アニメフィルム - 東京アニメーションフィルムの業務を引き継いだアニメ会社と撮影スタジオ。
あにまる屋 - かつてシンエイ動画の下請けをしたアニメ会社。隣にはアニメフィルムがある。
東興通信社 - 西東京市周辺の地方情報通信社。無料のミニコミ紙を発行していたが2008年(平成20年)9月末で休刊。
タウン通信 - 西東京市(全域)、東久留米市(全域)、小平市(東部)、新座市(一部)のエリアに新聞折込と一緒にタウン誌を配る情報誌出版社。
旭製菓 - かりんとうを製造している製菓会社。
保谷納豆 - 納豆の製造メーカー。本社は当市、工場は東村山市にある。
柳内商店・やなぎうちカステラ本舗 - カステラ製造の製菓店。日本テレビのぶらり途中下車の旅でも取り上げられた。
藤和ハウス - 不動産業。田無駅前に本社本店。
東栄住宅 - 不動産業。芝久保町に本社。
アーネストワン - 不動産業。北原町に本社。
東京電力 - 武蔵野変電所
東京ガス - 保谷導管事業所

9-3.かつて存在した事業所
 隣接する武蔵野市に中島飛行機武蔵製作所があり、当市内にはその関連工場・施設(中島航空金属田無製作所。跡地はひばりが丘団地となった)があったため、数次の空襲を受ける。戦後、当市内のそれら関連工場・施設は民需に転換して存続したが、旧保谷市の革新市政の政策や近年の産業構造の改革等により、その多くが閉鎖された。跡地は大規模マンションなどになっており、人口増につながっている。
最終更新 2022年6月30日 (木) 13:01 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。


「田無とひばりの関わり」
・ひばりの野原
 かつて野原が田無、保谷に渡って広がっていた。田無の北原、西原と保谷の古地名である中原、南原に渡る地域である。
 この野原はヒバリが多かった。
 明治以降、青梅街道と所沢街道が分岐する田無の追分から西に、青梅街道と所沢街道に挟まれ帯状に広がる地域には竹林が多くなった。この竹林にもヒバリがおり、いい声で鳴くヒバリが多かった。
 それを捕まえ、鳥籠にいれて鳴き競べをして楽しんだ。それを「トリサシ」と呼んだ。旧家には、今もその鳥籠が、蔵や軒下に残されている。

・「ひばりの名所」として宣伝される
 昭和5年「東京近郊・日がえり行楽地」という本に、竹林のヒバリのことが「竹の花ひばり」として紹介された。
 都会からの日帰り旅行者が増えたという。

・地名に見るひばり
 明治初期、ヒバリに関連した字(あざ)名はなかった。

・新地名「ひばりヶ丘団地」
 公団・ひばりヶ丘団地が造成され、団地の地区は「ひばりヶ丘団地」という地名になった。
 ひばりヶ丘団地の命名は、かつてヒバリが多かったことや「竹の花ひばり」の話に由来しているようだ。
 久留米も田無同様、団地の地区は「ひばりヶ丘団地」という地名になった。
 保谷のみ「ひばりヶ丘」という町名を団地とその周辺に採用している。

・駅名「ひばりヶ丘」
 ひばりヶ丘の駅は「田無町」という名前だった。
 現駅名に変更されたのは昭和34年。ひばりヶ丘団地の造成と同時である。

参考文献
「多摩の歴史Ⅰ」武蔵野郷土史刊行会、S50、明文社
「田無市史」 第二巻、第四巻
「多摩近現代史年表 [多摩歴史叢書1]」松岡喬一編著、H5.12.1、たましん地域文化財団
H11.12.15 作成 北多摩地区の歴史 より


≪くだめぎ?≫
 明治以降、青梅街道と所沢街道に挟まれ帯状に広がる竹林にいい声で鳴くヒバリが多かった。
 昭和5年「東京近郊・日がえり行楽地」という本に、竹林のヒバリのことが「竹の花ひばり」として紹介された。このことが人々の記憶にあるらしい。
 「中島飛行機」が以前にあったから、ではないらしい。

 "中島航空金属 田無製作所"を戦後引き継いだ「住友重機械工業 田無製造所」はガイドブック2021年度版[PDF:2.1MB]では"1938(昭和13)年開設"のままである。ここまで広大な土地は住友重機械としては必要なかったらしい。「"ひばり"ヶ丘団地」として日本住宅公団の「マンモス団地」には最適な場所だった。
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Posted at 2022/07/17 08:16:08

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トヨタ マークIIバン トヨタ マークIIバン
事故廃車したため、購入。コロナバンがなかった・・。
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