
[写真・画像] アレン記念館(岩手県久慈市)
久慈市民に愛された女性宣教師の住宅
昭和16年に建設された米国出身の女性宣教師,タマシン・アレンの住宅。昭和51年に亡くなるまで使用された。ヴォーリズ建築事務所の設計で,暖炉のある客室を中心とした平面構成や,アイロン台など造り付けの家具が工夫された台所,2階にバルコニーを設ける点など,洋風生活を意図して建てられている。
“登録有形文化財(建造物)の登録について.文化庁 (平成28年7月15日).
アレン国際短期大学(あれんこくさいたんきだいがく、英語: Allen International Junior College)は、岩手県久慈市本町3-11に本部を置いていた日本の私立大学である。1970年に設置され、2007年に廃止された。大学の略称はアレン。学生募集は2003年度まで[1]
アレン国際短期大学
大学設置 1970年
創立 1938年
廃止 2007年
学校種別 私立
設置者 学校法人東北文化学園大学
本部所在地 岩手県久慈市本町3-11
学部 人間コミュニケーション学科
1.概要
1-1.大学全体
・米国人宣教師であり、学校法人頌美学園[2]の創立者であるタマシン・アレンにより、1970年にアレン短期大学として設置されたことにはじまる。キャンパスは岩手県久慈市内に設置されていた。
・2005年の短期大学閉校後も、キャンパス内にある付属の久慈幼稚園は、学校法人東北文化学園大学グループの一員として存続している。
1-2.教育および研究
・英語英文科は編入学・海外留学のコース、国際ビジネスや観光関連のコースがあった。人間コミュニケーション学科は、地域福祉コース、環境・人間コース、異文化コミュニケーションコースの3コース制となった。
1-3.学風および特色
・アレン国際短期大学は開学以来、全寮制で男子寮、女子寮ともに完備されていた。
・留学システムが導入されており、米国オレゴン州・ニューバーグ市にあるジョージ・フォックス大学や、ネバダ州リノ市にあるネバダ州立大学リノ校、テキサス州ベルトン市にあるメリー・ハーデン・ベイラー大学が留学提携姉妹校となっていた。
・編入指導が徹底しており、学生の出身校は全国にわたっていた。
2.アレン記念館
キャンパス内にある タマシン・アレンが居住したアレン記念館[3]は、日本で数多くの西洋建築を手掛けたウィリアム・メレル・ヴォーリズの設計によるもので、1941年建築。東北では数少ないヴォーリズによる近代化を示す洋風建造物で後世に残すべき貴重な文化遺産であるとして、2016年、国の登録有形文化財(建造物)に登録された[4]。
3.沿革
・1938年 米国人宣教師 タマシン・アレンによる久慈幼稚園が創設される。
・1952年 同じく、タマシン・アレンにより 学校法人頌美学園が創立される。
・1970年 アレン短期大学開学。英語英文科を置く[5]。
・1995年 アレン国際短期大学と改称[1]。目黒安子教授が理事長兼学長に就任、2005年の閉学まで学園存続に向けた諸改革を行った。
・2001年 地域文化研究センター設置。
・2001年 北リアス地域国際交流委員会設置。
・2002年 英語英文科から人間コミュニケーション学科に改変。
・2002年 東北文化学園大学に経営統合。
・2003年度をもって学生募集を終了とする[1]。付属幼稚園は久慈幼稚園(学校法人東北文化学園大学グループ)として存続している。
・2005年3月に最後の卒業式を行い閉校[6]。
4.基礎データ 所在地 岩手県久慈市本町3-11
5.教育および研究
5-1.組織
5-1-1.学科 人間コミュニケーション学科
5-1-2.取得資格について
教職課程として中学校教諭二種免許状(英語)が設置されていた[7]。
5-1-3.附属機関 地域文化研究センター
5-2.大学関係者一覧 大学関係者
・タマシン・アレン
・高橋克彦(直木賞作家)
5-3.他大学との協定
5-3-1.アメリカ合衆国
・ジョージ・フォックス大学
・ネバダ州立大学リノ校
・メリー・ハーデン・ベイラー大学
5-3-2.日本 放送大学
5-4.系列校
・頌美小学校(閉校)
・頌美中学校(閉校)
・久慈幼稚園(学校法人東北文化学園大学 グループ)
6.卒業後の進路について
6-1.就職について
就職実績として、日本コカ・コーラ・七十七銀行・みちのく銀行・新潟交通・宮城交通・井村屋製菓などがある。ほか、岩手県中学校教諭に就いた人もみられる[7]。
6-2.編入学・進学実績
山形大学・都留文科大学・酪農学園大学・東北学院大学・東北福祉大学・宮城学院女子大学・日本福祉大学・関西大学ほか海外の大学への編入学者も多かった[7]。
7.参考文献
『短期大学一覧』1971年度版~
『教員養成課程認定大学・短期大学等総覧』(全国高等学校長協会編。第一法規出版)
『日本の私立短期大学』(日本私立短期大学協会発行:1980年)
『アレン国際短期大学』2000年度受験用入学案内小冊子
『アレン事典ー北リアス・コミュニティーのカレッジで学ぶために』
『みちのくの道の先 ータマシン・アレンの生涯ー』目黒安子(教文館 2012)
8.脚注
[1]^ a b c 平成23年度『全国短期大学高等専門学校一覧』256頁
[2]^ 「ほまれがくえん」と読む
[3]^ 【周年記念事業】アレン記念館(国登録有形文化財)保存工事が完了しました。 - 東北文化学園大学
[4]^ 文化庁 (2016年7月15日). “登録有形文化財(建造物)の登録について”. 2020年5月9日閲覧。
[5]^ 昭和46年度版『全国学校総覧』31頁より
[6]^ “アレン国際短大が最後の卒業式 久慈”. 岩手日報 (2005年3月24日). 2005年9月8日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年5月9日閲覧。
[7]^ a b c 『アレン国際短期大学』2000年度受験用入学案内小冊子より
最終更新 2022年2月19日 (土) 08:34 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
タマシン・アレン
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
タマシン・アレン(Thomasine Allen, 1890年9月30日 - 1976年6月7日)は、アメリカ人の牧師・伝道師、教育者、学校法人頌美学園(アレン国際短期大学および久慈幼稚園)創立者。
1.人物
アメリカ合衆国インディアナ州フランクリン市出身。
1911年(明治44年)にフランクリン大学を卒業後、宣教と奉仕の業を実現すべく日本語を学び、1915年(大正4年)にバプテスト派の宣教師として来日した。東京ミッションスクール校長を経て仙台市、塩釜市、盛岡市で女子教育、幼児教育に従事した後、いったん帰国した。この間、塩竈教会塩竈幼稚園においては、園長として、宮城県における幼児教育の先駆者である江馬(旧姓阿部)ひで(常磐木学園 創立時教員)とともにキリスト教幼児教育を同地域に根付かせる。
1929年(昭和4年)に再来日し、1931年(昭和6年)8月久慈市に移り、1938年(昭和13年)に社会館久慈幼稚園を開園した。戦中一時帰国するも戦後すぐに久慈に戻り、社会館久慈診療所を開設し、近隣の医療救済のために奉仕活動を続けるかたわら、1952年(昭和27年)には教育事業を一層充実させるために、学校法人頌美学園としての認可を得て、頌美小学校を、さらに1958年(昭和33年)には頌美中学校を開設した(何れも現在は閉校)。これらの小・中学校は一学年の定員が10名で、徹底した少人数人格教育を行った。また、大野村に酪農センター「岩手酪農学校」を設立し、酪農技術者を育成した。現在は大野村産業デザインセンターとなっている。また、僻地を訪ね「農民福音学校」を行った。
1970年(昭和45年)4月には英語英文科からなるアレン短期大学(後のアレン国際短期大学)を開学した。1959年(昭和34年)11月3日、市制施行5周年記念にあたり久慈市名誉市民に推挙された。1968年(昭和43年)秋の叙勲で勲四等瑞宝章、フランクリン大学名誉文学博士号、厚生大臣表彰。1960年(昭和35年)に日米修好通商100年記念功労米国人顕章。1976年(昭和51年)6月7日に85歳で死去した。
久慈市とフランクリン市は1960年に姉妹都市となった他、アレン短大とフランクリン大学が姉妹校となった。
2.来歴
・1890年(明治23年)9月30日 出生(姉は中国の宣教師となる)
・1911年(明治44年)6月 フランクリン大学卒業(英文学(シェイクスピア)専攻)
・1915年(大正4年)6月 ニューヨーク聖書神学校卒業
・1915年9月 来日、東京、駿台英和女学校校長
・1917年(大正6年)4月 仙台尚絅女学校で英語と聖書を教える
・1918年(大正7年)塩竈教会塩竈幼稚園園長となる。
・1920年(大正9年)福島県いわき市に平信栄幼稚園を設立
・1928年(昭和3年)シカゴ大学神学部大学院修了、修士号取得。岩手県で伝道活動を始める。
・1929年(昭和4年)遠野幼稚園長、内丸教会盛岡幼稚園長となる
・1932年(昭和7年)盛岡商業高校英語教師となる。岩手県九戸郡下閉伊郡を巡回慰問
・1937年(昭和12年)盛岡に頌美幼稚園設立
・1938年(昭和13年)久慈に居を構える。久慈幼稚園設立
・1941年(昭和16年)強制収容により盛岡刑務所・東京拘置所に留置の後米国に強制送還
・1942年(昭和17年)全米遊説。日系収容所で通訳を務める
・1947年(昭和22年)再来日。久慈高校英語教師となる
・1948年(昭和23年)農民福音学校を始める(17回年)。「社会館診療所」開設
・1952年(昭和27年)学校法人頌美学園設置、理事長に就任。頌美小学校開校
・1958年(昭和33年)頌美中学校開設。酪農センターを大野村に開設し、「岩手酪農学校」設立。酪農技術者を養成
・1959年(昭和34年)フランクリン大学より名誉文学博士称号授与。久慈市名誉市民となる
・1970年(昭和45年)アレン短期大学開学、学長に就任
・1976年(昭和51年)6月7日 召天。葬儀は久慈市民葬によって行われた
3.参考図書(伝記)
・『みちのくの道の先 - タマシン・アレンの生涯』 教文館 目黒安子、2012年。ISBN 978-4764299498
・Meguro, Yasuko. Build up, Build up, Prepare the Road! - The Life of Miss Thomasine Allen. Kyobunkan. 2015. ISBN 978-4764299641 - 上記書籍の目黒自身による英訳本
4.関連項目
アレン記念館 - 登録有形文化財
アレン記念教会(バプテスト久慈教会)
最終更新 2022年2月16日 (水) 09:12 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
アレン記念教会
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アレン記念教会(アレンきねんきょうかい)は、岩手県久慈市に所在するキリスト教の教会。教派はバプテスト教会 (日本バプテスト同盟)。宣教師であるタマシン・アレンによって設立された。正式名称は「バプテスト久慈教会」。
1.歴史・概要
1915年 (大正4年)、アメリカ合衆国インディアナ州フランクリンからアレンは来日した。昭和初期、三陸津波によって甚大な被害を受けた三陸沿岸部を慰問し、日本赤十字社の協力を得て保健活動を行った。1938年 (昭和13年) には久慈幼稚園を開設。日中戦争や太平洋戦争の激化する中で1944年に教会を設立するものの、本国に強制送還させられた。1947年の再来日後には岩手県立久慈高等学校で英語教師となり、1952年には、ほまれ学園を設立。幼・小・中の一貫した体制がとられ、1970年にはアレン国際短期大学を設立。初代学長となったものの、現在は廃校となっている。1996年には現在の教会堂が設立された[1]。アレンの教え子である矢幅クニ・武司夫妻や弟・光三らは当教会の牧師となった。
2.ホール・鐘
当教会の鐘は1924年にセントルイスで鋳造され、カンザス州の教会で使用されていたが、1999年に久慈・フランクリン両市の友好を記念して送られた[2]。鐘は塔に配置され、ホール内は2階が図書室、1階が教会堂でステンドグラスが見られる。
3.現地情報
3-1.所在地 岩手県久慈市長内町9-80-2
3-2.交通アクセス
・三陸鉄道リアス線久慈駅より徒歩20分
・八戸久慈自動車道久慈インターチェンジより車8分
3-3.周辺施設
・アレン記念館
・久慈琥珀博物館
・道の駅くじ
・アンバーホール
4.脚注
[1]^ “特集》岩手キリスト教の旅① 名誉市民になった宣教師~タマシン・アレン”. WORDofLIFE. 2020年5月26日閲覧。
[2]^ 現地記念碑/久慈市国際交流協議会
5.外部リンク
・アレン記念教会 – きてきて久慈市
最終更新 2022年7月16日 (土) 07:32 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
≪くだめぎ?≫
実は
新山根温泉『べっぴんの湯』の帰りに通ったが、そのときは意外と印象が薄いく、アレン短大・久慈幼稚園は国鉄久慈駅に近かった印象である。この文章を書く切っ掛けは、1980年代に国鉄八戸駅に「アレン短大」の広告が掲げられていたことである。その時は既に「タマシン・アレン」さんは他界されていたことになる。「久慈幼稚園」は知らなくても「アレン短大」は見覚えがある年代はいるはずだ。
私自身は短大は既に無いのは知っていたが、「久慈幼稚園」が始めに設立されて、現在も存続していることを、今回初めて知った次第である。