
佐伯区
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佐伯区(さえきく)は、広島市を構成する8つの行政区のひとつ。
(左)八幡川下流部、広島電鉄が渡る。八幡川を渡る広島電鉄宮島線。2006年8月23日
(右)佐伯区位置図
地方 中国地方、山陽地方、中国・四国地方
都道府県 広島県
市 広島市
市町村コード 34108-8
面積 225.43km2
総人口 140,064人 (推計人口、2022年12月1日)
人口密度 621人/km2
1.地理
1985年(昭和60年)3月20日に、旧佐伯郡五日市町を広島市に編入合併。五日市町全域をそのまま佐伯区として広島市8番目の行政区を設置した。その後、2005年(平成17年)4月25日に佐伯郡湯来町を合併し佐伯区に編入した。
広島市の西部に位置する。1980年代以降、都心に近く自然が豊かな特性を生かして北部の丘陵地域の宅地化が進み、広島市のベッドタウンとして発展した。単独町制時代は日本一の人口の町で、合併直後の国勢調査では100,026人であった。当初は旧佐伯郡廿日市町も区域に含める計画だったが、廿日市町の単独市制施行により断念した。2005年には旧佐伯郡湯来町を区域に編入して区の面積は約3.7倍となり、安佐北区に次ぐ2番目に広い行政区となった。
南部は瀬戸内海(広島湾)に面して八幡川下流域に平野が開け、北部は山地が占めている。
・川
太田川
水内川(太田川の支流)
八幡川
岡ノ下川
石内川
・山
大峯山(標高1040m)
湯来冠山(標高1004m)
東郷山(標高977m)
天上山(標高973m)
極楽寺山(標高693m)
町名
旧五日市町の編入で、五日市町の名前は多くが消滅し地番も変更された。一部、五日市町の名を残す表示も存在する。
また、2005年4月25日の湯来町編入に伴い、旧湯来町の地名は以下の通り変更された[1]。
・「佐伯郡」を「広島市佐伯区」に置き換え、「大字」表記は残す。
広島県佐伯郡湯来町大字○○ → 広島県広島市佐伯区湯来町大字○○
・住居表示実施済の杉並台については、「佐伯郡湯来町」を「広島市佐伯区」に置き換える。
広島県佐伯郡湯来町杉並台 → 広島県広島市佐伯区杉並台
・旧五日市町区域
旭園
石内上
石内北
石内南
五日市
五日市駅前
五日市港
五日市中央
五日市町石内
五日市町上小深川
五日市町下小深川
五日市町上河内
五日市町下河内
五日市町昭和台
五日市町寺田
五日市町中地
五日市町美鈴園
五日市町皆賀
海老園
海老山町
海老山南
観音台
倉重
河内南
五月が丘
城山
新宮苑
隅の浜
千同
坪井
坪井町
藤垂園
利松
藤の木
三筋
美鈴が丘
美鈴が丘西
美鈴が丘東
美鈴が丘緑
美鈴が丘南
皆賀
美の里
三宅
三宅町
薬師が丘
屋代
屋代町
八幡
八幡が丘
八幡東
吉見園
楽々園
・旧湯来町区域
杉並台
湯来町大字下
湯来町大字白砂
湯来町大字菅沢
湯来町大字多田
湯来町大字葛原
湯来町大字伏谷
湯来町大字麦谷
湯来町大字和田
上記のうちニュータウンの西風新都に含まれている地区
五日市町石内
石内上 1丁目(石内北流通地区) - インター流通パーク
石内南 1丁目~5丁目(石内学研地区) - 広島ライセンスパーク「杜の街」
五月が丘 1丁目~5丁目
藤の木 1丁目~4丁目
2.人口の変遷
1985年 100,026
1990年 116,221
1995年 124,618
2000年 126,818
2005年 134,022
2010年 135,280
2015年 136,699
3.公共施設
・文化施設
広島市立図書館
広島市立佐伯区図書館
湯来河野閲覧室(旧、湯来町河野図書館)
区民センター
佐伯区民文化センター
スポーツ施設
佐伯区スポーツセンター
主要な公園
広島市植物公園
佐伯運動公園
・メディア
ふれあいチャンネル西部支局(以前は「ケーブルシティ22」本社があった)
以前はコミュニティ放送の五日市コミュニティ放送があったが、閉局している。
・官公庁
広島市佐伯区役所
湯来出張所
砂谷連絡所
美鈴が丘窓口連絡所
五月が丘窓口連絡所
造幣局広島支局
広島県運転免許センター
・警察
区内には2013年9月2日までは広島西警察署の交番・駐在所しかなかったが、現在は佐伯警察署があり、佐伯区全域を管轄している。
旧湯来町の警察の管轄は、以前は廿日市警察署だったが、佐伯区編入後は広島西警察署へ変更され、現在は上記の佐伯警察署が管轄している。
・消防 広島市消防局 佐伯消防署
4.産業
主な産業は、旧五日市町区域は一般機械・窯業・土石、旧湯来町区域は農業・酪農が盛んである。特産品として、牛乳・山ふぐがある。
観光産業も盛んで、旧湯来町区域には湯来温泉、湯の山温泉があり、以前はひろしまドッグぱーくもあった。旧五日市町区域には楽々園遊園地が以前は存在していた。
・デパート・大規模商業施設
以下に記載する商業施設は大規模で広域集客力のある物に限定し、店舗の大まかな説明も記載している。百貨店はサテライト店舗でない物、ショッピングセンターは原則10,000m2以上[2]としている。ただし、施設が集積しているなどしている場合は、例外的に掲載している場合も有る。
広電ファミリータウン楽々園(マックスバリュ楽々園店・ナイスディ・ホームセンター DCMダイキ楽々園店・ヤマダ電機 テックランド佐伯店) - 楽々園遊園地跡地に出来た商業施設。スーパー・専門店街・ホームセンター・電気店がある。
THE OUTLETS HIROSHIMA - イオンモールが展開する新業態型店舗。西風新都に立地。専門店が約200店出店し、イオンシネマ広島西風新都や屋内スケートリンク、ボウリング場もある。2018年4月オープン。
5.教育
・大学 私立
広島工業大学 以前は広島工業短期大学だった
・高等学校 公立
広島県立五日市高等学校
広島県立湯来南高等学校
広島市立美鈴が丘高等学校
6.交通
・鉄道
山陽本線(西日本旅客鉄道)
五日市駅
広島電鉄宮島線
広電五日市駅 - 佐伯区役所前駅 - 楽々園駅
※ その他、山陽新幹線が広島駅 - 新岩国駅間で当区を通過しているが、殆どがトンネル区間である。
・道路
高速道路
山陽自動車道五日市インターチェンジ
一般国道
国道2号
国道191号
国道433号
国道488号
県道
広島県道41号五日市筒賀線
広島県道42号大竹湯来線
広島県道71号広島湯来線
広島県道77号久地伏谷線
広島県道177号下佐東線
広島県道199号五日市停車場線
広島県道265号伴広島線
広島県道290号原田五日市線
広島県道292号川角佐伯線
広島県道293号本多田佐伯線
広島県道304号中筒賀下線
広島県道461号白砂玖島線
・バス
広電バス
ささき観光
加計交通
さくらバス(コミュニティバス)
・港 広島港五日市地区
五日市漁港(五日市メープルマリーナ、五日市漁港フィッシャリーナ) - プレジャーボートおよび漁船の係留地。
9.市外局番・郵便番号
市外局番は以下の通り。
湯来町下の一部:0826(加計MA。市内局番は20〜39)
杉並台・湯来町(下の一部を除く):0829(廿日市MA。市内局番は20、30〜40、44〜59、70〜89)
上記以外の区域:082(広島MA。市内局番は200〜299、500〜599、800〜909、921〜929、941〜943、960〜969、990〜999)
郵便番号は以下の通り。
安芸五日市郵便局:731-51xx
砂谷郵便局:738-05xx
水内郵便局:738-06xx、738-07xx[注釈 1]
10.脚注
・注釈
[注釈 1]^ 「738-07xx」地域は元・上水内郵便局管轄。2003年に上水内郵便局の無集配局化に伴って水内郵便局へ移管。
・出典
[1]^ 合併後の湯来町の住所の表し方について - 広島市
[2]^ 都道府県別・政令指定都市別・市町村別SC - 一般社団法人日本ショッピングセンター協会 2013年8月28日閲覧
11.関連項目
・五日市町・湯来町 - 佐伯区に編入された旧町
12.外部リンク 公式ウェブサイト
最終更新 2022年11月24日 (木) 21:37 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
五日市町 (広島県)
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五日市町(いつかいちちょう)は、かつて広島県佐伯郡に存在した町である。
五日市町 いつかいちちょう
廃止日 1985年3月20日
廃止理由 編入合併 五日市町 → 広島市
現在の自治体 広島市
廃止時点のデータ
国 日本
地方 中国地方、山陽地方 中国・四国地方
都道府県 広島県
郡 佐伯郡
市町村コード 34321-8
面積 59.85km2
総人口 96,441人(1984年10月1日)
隣接自治体 広島市、廿日市町、湯来町
1.概要
1911年(明治44年)、五海市村が町制施行して五日市町となった。広島市街から山口・九州方面に延びる国道2号に面し、1899年に開業していた山陽鉄道(のち国鉄を経て現JR西日本山陽本線)五日市駅や1924年開業の広電五日市駅を基点に商業集積および都市化が進んだ。広島市への原子爆弾投下の際には、郊外の主要な救援拠点の役割も担った。第二次世界大戦後の高度経済成長期には広島市のベッドタウンとして急激に人口が増加し、1980年の国勢調査において人口日本一の町となっている(87,325人)。
1985年3月20日、広島市に編入合併して町は消滅し、広島市佐伯区が発足した。佐伯区は旧五日市町と一致していたが、2005年に湯来町が佐伯区に編入されたため現在では区域が拡大している。合併にあわせて住居表示の変更が実施された。
廃止時点の人口96,441人は、地方自治法に基づく日本の町として史上第1位である(なお1985年国勢調査で佐伯区の人口は100,026人となっており、合併が半年遅ければ人口10万人を突破していたことになる)。地方自治法以前の町村制時代を含めると、東京府豊多摩郡渋谷町(1932年廃止、現東京都渋谷区)や同北豊島郡西巣鴨町(1932年廃止、現東京都豊島区)など、人口10万人を超えていた町が存在する。また、20世紀の中国地方で最後の合併例となった。
2.広島市への合併をめぐる混乱
町は第二次世界大戦以後、広島市のベッドタウンとして発展し、1970年代には市制移行要件の一つである人口5万人を超えた。一方の広島市は1970年(昭和45年)に「広島市基本構想」を制定し政令指定都市を目指すことを明記。当時、政令指定都市は人口100万人が目安とされていたため、広島市は周辺の市町村の編入合併を推進していた。1973年までに沼田・安佐・可部・祇園・安古市・佐東・高陽・瀬野川・白木の各町が続々と広島市に編入。さらに1974年に熊野跡村・安芸町・矢野町・船越町も編入し、1980年に広島市は全国10番目の政令指定都市となったが、人口は約90万人にとどまっていたため、広島市としては旧市域に隣接する五日市町や府中町との合併協議が重要課題となっていた。
人口が急増していた五日市町では、広島市と合併して都市化の進展を望む意見(合併推進派)と、大都市への編入によってごみ処理などの行政サービスの質が低下するなどの懸念から合併を拒否し、単独市制移行を望む意見(単独市制派)との間で対立が生じた。1970年頃から1984年12月の広島市編入議案の採決に至るまで長期間にわたり混乱が続いた。町議会はたびたび紛糾し、常に野次や怒号が飛び交っていた。傍聴席にいた反対派住民が議場内で発煙筒を焚いたり、混乱防止のため派遣されていた私服警官を取り囲んで議場の外に追い出したりする様子は全国ニュースでも報じられた。
1981年5月、広島市と合併を協議した町長に対する不信任決議が成立(1981年(昭和56年)5月9日)[1]。同18日に町長は議会を解散した。
1984年12月、編入議案を強行採決しようとした推進派町議および町長に対し、単独市制派の町議が議事進行を妨害。議長席付近でつかみあいとなり町議のスーツが破れたり蹴りあいになったりした。合併に反対する町民が議場内で発煙筒を焚き、さらに放水するなどして採決を妨害したが、議長は採決を強行。1票差で可決し、広島市への編入合併および町の消滅が決定した。
五日市町は1985年3月20日に消滅、同時に広島市に新しい行政区佐伯区が発足した。
3.沿革
・1889年4月1日 - 町村制施行に伴い、佐伯郡五日市村、海老塩浜、皆賀村が合併し、五海市(いつかいち)村が発足する。
・1911年10月1日 - 五海市村が村名改称・同時に町制を施行して五日市町になる。
・1955年4月1日 - 五日市町・石内村・観音村・河内村・八幡村が合併(新設合併)して五日市町になる。
・1957年6月10日 - 佐方の一部を佐伯郡廿日市町(現廿日市市)に割譲する。
・1970年 - 広島市が政令指定都市昇格に向けて周辺町村との合併を推進する方針を示したことを契機に、単独市制派と合併賛成派に町が二分される。以後15年間もめ続け、議場が騒然とした雰囲気になったことが度々あった。
・1985年3月20日 - 広島市に編入されて消滅する。同時に広島市内8番目の行政区・佐伯区が発足する。同日、広島市の人口が100万人を超える。
・五日市町役場庁舎はそのまま佐伯区役所庁舎として現在も利用されている。
5.人口の変遷
1920年 11,355
1925年 11,252
1930年 11,320
1935年 11,719
1940年 12,710
1947年 19,608
1950年 20,406
1955年 21,543
1960年 23,629
1965年 31,993
1970年 45,924
1975年 64,893
1980年 87,325
1984年 96,441
6.名所・旧跡
広島市植物公園 - 1976年開園。計画自体は1960年代半ばから存在した。
次郎五郎滝
魚切ダム・窓竜湖
7.大字・町名
旭園(あさひえん)
石内(いしうち)
石内上1丁目
石内北1丁目〜5丁目
石内東1丁目〜3丁目
石内南1丁目〜5丁目
五日市(いつかいち)
五日市港1丁目〜4丁目
五日市1 - 7丁目(いつかいち)
駅前1 - 3丁目(えきまえ)
折出(おりで)
海老園1 - 4丁目(かいろうえん)
海老山町(かいろうやまちょう)
上河内(かみごうち)
上小深川(かみこぶかわ)
観音台(かんのんだい)
口和田(くちわだ)
倉重(くらしげ)
佐方(さかた)→合併後大字佐方の地域は廿日市市に変更
五月が丘1 - 5丁目(さつきがおか)
下河内(しもごうち)
下小深川(しもこぶかわ)
昭和台(しょうわだい)
新宮苑(しんぐうえん)
隅の浜1 - 3丁目(すみのはま)
千同(せんどう)
高井(たかい)
中央1 - 7丁目(ちゅうおう)
坪井(つぼい)
寺田(てらだ)
藤垂園(とうすいえん)
利松(としまつ)
中地(なかじ)
保井田(ほいだ)
三筋1 - 3丁目(みすじ)
美鈴園(みすずえん)
美鈴が丘西1 - 5丁目(みすずがおかにし)
美鈴が丘東1 - 5丁目(みすずがおかひがし)
美鈴が丘緑1 - 3丁目(みすずがおかみどり)
美鈴が丘南1 - 4丁目(みすずがおかみなみ)
皆賀(みなが)
皆賀1 - 4丁目(みなが)
美の里1 - 2丁目(みのり)
三宅(みやけ)
薬師ヶ丘(やくしがおか)
屋代(やしろ)
屋代1 - 2丁目(やしろ)
八幡ヶ丘(やはたがおか)
八幡ヶ丘2 - 3丁目(やはたがおか)
吉見園(よしみえん)
楽々園1 - 6丁目(らくらくえん)
8.交通(1985年3月19日当時のデータ)
・鉄道
日本国有鉄道(国鉄)山陽本線
五日市駅
広島電鉄宮島線
広電五日市駅 - 開業当時は「五日市町駅」、1931年から1961年までは「電車五日市駅」と称した。元々は現在の駅の西200mのところにあり、広島市に合併後の1987年3月に現在地へ移設した。なお移設の同日佐伯区役所前駅が新設された。
楽々園駅
・道路
国道
国道2号 - 町内には旧道(宮島街道)と西広島バイパスの二つがあった。
国道433号
主要地方道
広島県道41号五日市筒賀線
広島県道71号広島湯来線
一般県道
広島県道173号久地廿日市線 - 現:広島県道77号久地伏谷線
広島県道199号五日市停車場線
広島県道265号伴広島線
広島県道290号原田五日市線
9.教育(1985年3月19日当時のデータ)
高等学校
広島県立五日市高等学校
学校法人鶴学園広島工業大学附属中学校・広島高等学校
大学
学校法人鶴学園広島工業大学
10.脚注
[1]^ “広島県史年表(昭和戦後) 1946 年(昭和 21)~1982 年(昭和 57) (PDF)”. 広島県庁. 2022年5月14日閲覧。
11.関連項目
広島県の廃止市町村一覧
五日市町 (東京都)(いつかいちまち) - かつて東京都西多摩郡に存在した町。1995年9月1日に秋川市と合併(新設合併)してあきる野市となったことに伴い消滅した。
佐伯郡 - 2005年11月3日に消滅した広島県西部の郡。
佐伯区 - 1985年3月20日に設置された広島市8番目の行政区。当初は旧五日市町域だけだったが、2005年4月25日からは佐伯郡湯来町の広島市合併により旧湯来町域も含まれている。
原爆下の対局
最終更新 2023年1月26日 (木) 03:41 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
佐伯郡
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佐伯郡(さえきぐん)は、広島県(安芸国)にあった郡。
1.郡域
2.歴史
古代の安芸国にあった佐伯郡はもっと広く、現在の広島市安佐南区の大半と安佐北区の一部をも含んでいた。平安時代末期ごろに佐東郡(後の沼田郡)と佐西郡に分割され、江戸時代の1664年(寛文4年)に西側の佐西郡が再度佐伯郡に改称された。郡名の由来は厳島神社の神主家の名前とされている。
2-1.近世以降の沿革
近世以降の沿革
明治初年時点では全域が安芸広島藩領であった。「旧高旧領取調帳」に記載されている明治初年時点での村は以下の通り。(86村)
己斐村、古江村、草津村、井口村、皆賀村、中須賀村、口和田村、高井村、山田村、石内村、上小深川村、上河内村、下河内村、下小深川村、利松村、寺地村、原村、上平良村、下平良村、廿日市町[2]、佐方村、屋代村、三宅村、坪井村、千同村、倉重村、保井田村、寺田村、五日市村、海老塩浜、宮内村、玖島村、永原村、友田村、河津原村、津田村、飯山村、虫所山村、吉和村、白砂村、峠村、渡瀬村、小栗林村、大栗林村、奥谷尻村、後原村、浅原村、栗栖村、中道村、葛原村、上伏谷村、下伏谷村、菅沢村、和田村[3]、多田村、麦谷村、下村、地御前村、大野村、口谷尻村、玖波村、黒川村、小方村、油見村、小島新開、大竹村、木野村、谷和村、松ヶ原村、中村[4]、高田村、津久茂村、三吉村、高祖村、是長村、畑村、岡村、大王村、大原村、大君村、柿浦村、飛渡瀬村、鹿川村、小古江村、深江村、厳島[5]
明治3年 - 太田川三角州の西端に庚午新開が起立。(87村)
明治4年7月14日(1871年8月29日) - 廃藩置県により広島県の管轄となる。
明治11年(1878年)11月1日 - 郡区町村編制法の広島県での施行により、行政区画としての佐伯郡が発足。郡役所が廿日市町に設置。
明治15年(1882年)(84村)
中須賀村・寺地村が合併して中地村となる。
上伏谷村・下伏谷村が合併して伏谷村となる。
口谷尻村が大野村に合併。
明治16年(1883年) - 岡村・大王村が合併して岡大王村となる。(83村)
明治22年(1889年)4月1日 - 町村制の施行により、以下の町村が発足。(2町39村)
己斐村(単独村制。現・広島市)
古田村 ← 古江村、山田村(現・広島市)
草津村 ← 草津村、庚午新開(現・広島市)
井口村(単独村制。現・広島市)
五海市村 ← 五日市村、海老塩浜、皆賀村(現・広島市)
石内村(単独村制。現・広島市)
河内村 ← 上河内村、下河内村、上小深川村、下小深川村(現・広島市)
八幡村 ← 保井田村、利松村、寺田村、高井村、口和田村、中地村(現・広島市)
観音村 ← 千同村、倉重村、三宅村、坪井村、佐方村、屋代村(現・広島市)
廿日市町(単独町制。現・廿日市市)
平良村 ← 上平良村、下平良村(現・廿日市市)
原村、宮内村、地御前村、大野村(それぞれ単独村制。現・廿日市市)
玖波村(単独村制。現・大竹市)
小方村 ← 小方村、黒川村(現・大竹市)
油見村(単独村制。現・大竹市)
大竹村 ← 大竹村、小島新開(現・大竹市)
木野村(単独村制。現・大竹市)
栗谷村 ← 大栗林村、小栗林村、後原村、奥谷尻村、谷和村(現・大竹市)
砂谷村 ← 白砂村、伏谷村、葛原村(現・広島市)
水内村 ← 和田村、下村、麦谷村(現・広島市)
上水内村 ← 多田村、菅沢村(現・広島市)
玖島村(単独村制。現・廿日市市)
友原村 ← 友田村、河津原村、永原村(現・廿日市市)
三和村 ← 峠村、渡瀬村(現・廿日市市)、松ヶ原村(現・大竹市)
浅原村、津田村(それぞれ単独村制。現・廿日市市)
四和村 ← 虫所山村、中道村、飯山村、栗栖村(現・廿日市市)
吉和村、厳島町(それぞれ単独町村制。現・廿日市市)
高田村、中村、鹿川村、津久茂村(それぞれ単独村制。現・江田島市)
三高村 ← 三吉村、高祖村(現・江田島市)
沖村 ← 是長村、畑村、岡大王村(現・江田島市)
深江村(単独村制。現・江田島市)
大柿村 ← 大原村、小古江村、大君村、柿浦村(現・江田島市)
飛渡瀬村(単独村制。現・江田島市)
明治32年(1899年)7月1日 - 郡制を施行。
明治42年(1909年)2月11日 - 草津村が町制施行して草津町となる。(3町38村)
明治44年(1911年)1月1日 - 大竹村が町制施行して大竹町となる。(4町37村)
明治44年(1911年)10月1日(6町35村)
五海市村が町制施行・改称して五日市町となる。
己斐村が町制施行して己斐町となる。
大正12年(1923年)4月1日 - 郡会が廃止。郡役所は存続。
大正13年(1924年)6月1日 - 玖波村が町制施行して玖波町となる。(7町34村)
大正14年(1925年)2月1日 - 津久茂村が安芸郡江田島村に編入。(7町33村)
大正15年(1926年)7月1日 - 郡役所が廃止。以降は地域区分名称となる。
昭和2年(1927年)8月1日 - 大柿村が町制施行して大柿町となる。(8町32村)
昭和4年(1929年)
1月1日 - 津田村が町制施行して津田町となる。(9町31村)
4月1日(7町28村)
己斐町・草津町・古田村が広島市に編入。
油見村が大竹町に編入。
友原村・三和村が合併して友和村が発足。
昭和25年(1950年)
4月1日 - 大野村が町制施行して大野町となる。(8町27村)
11月3日 - 厳島町が改称して宮島町となる。
昭和26年(1951年)
1月1日 - 鹿川村が町制施行して鹿川町となる。(9町26村)
2月11日 - 小方村が町制施行して小方町となる。(10町25村)
4月1日 - 木野村が大竹町に編入。(10町24村)
昭和29年(1954年)
9月1日 - 玖波町・小方町・大竹町・栗谷村および友和村の一部(松ケ原)が合併して大竹市が発足し、郡より離脱。(7町23村)
11月3日 - 深江村・大柿町・飛渡瀬村が合併し、改めて大柿町が発足。(7町21村)
昭和30年(1955年)4月1日(7町11村)
高田村・中村・鹿川町が合併して能美町が発足。
玖島村・友和村・浅原村・津田町・四和村が合併して佐伯町が発足。
五日市町・石内村・河内村・八幡村・観音村が合併し、改めて五日市町が発足。
昭和31年(1956年)
9月30日(9町2村)
廿日市町・平良村・原村・宮内村・地御前村が合併し、改めて廿日市町が発足。
砂谷村・水内村・上水内村が合併して湯来町が発足。
三高村・沖村が合併して沖美町が発足。
11月1日 - 井口村が広島市に編入。(9町1村)
昭和57年(1982年)4月1日 - 佐伯町(さえきちょう)が改称して佐伯町(さいきちょう)となる。
昭和60年(1985年)3月20日 - 五日市町が広島市に編入。同区域をもって佐伯区が発足。(8町1村)
昭和63年(1988年)4月1日 - 廿日市町が市制施行して廿日市市となり、郡より離脱。(7町1村)
平成15年(2003年)3月1日 - 佐伯町・吉和村が廿日市市に編入。(6町)
平成16年(2004年)11月1日 - 能美町・沖美町・大柿町が安芸郡江田島町と合併して江田島市が発足し、郡より離脱。(3町)
平成17年(2005年)
4月25日 - 湯来町が広島市に編入。(2町)
11月3日 - 大野町・宮島町が廿日市市に編入。同日佐伯郡消滅。
4.脚注
[1]^ 住居表示実施地区の境界は未詳。
[2]^ 記載は廿日市村。
[3]^ 記載は奥和田村。
[4]^ 記載は能見島中村。
[5]^ 無高のため記載なし。
5.参考文献
・「角川日本地名大辞典」編纂委員会 編 『角川日本地名大辞典』 34 広島県、角川書店、1987年2月1日。ISBN 4040013409。
・ 旧高旧領取調帳データベース
最終更新 2023年1月11日 (水) 09:04 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
≪くだめぎ?≫
5万5千人の
『滝沢村(たきざわむら)』が「滝沢市(たきざわし)」に2014年(平成26年)1月1日付で市制施行して話題になったが、この広島県佐伯郡五日市町(さえきぐん)(いつかいちちょう)の混乱ぶりは当時TVでも取り上げられていたから覚えている方も多いだろう。
結局、1985年(昭和60年)3月に五日市町が広島市に編入され、同時に旧域が広島の行政区・『佐伯区』に指定・発足となった。合併直後の国勢調査で10万人を超えたから、いかに当時の五日市町や広島市が勢いがあったか分かるだろう。