
(上)お召し専用機EF58 61が牽引する御料車1号編成(1984年)
(下)3代目1号御料車を組み込んだ「1号編成」先代の一号編成。写真は最終運用となった2002年の陸羽西線お召しの返却回送。原宿にて :2002年6月1日
皇室用客車(こうしつようきゃくしゃ)とは、日本の皇族が鉄道で旅行をする時に使用する皇室専用の鉄道車両(客車)のことである。皇室用客車には、皇族が乗車する御料車(ごりょうしゃ)、随伴員が乗車する供奉車(ぐぶしゃ)、天皇、皇后の霊柩を輸送する霊柩車(れいきゅうしゃ)およびご神体である賢所を輸送するための賢所乗御車(かしこどころじょうぎょしゃ)の4種がある。
かつては東日本旅客鉄道(JR東日本)の東京総合車両センター(旧・大井工場)内の御料車庫において厳重に保管されていた。 2023年、
御料車庫の解体が始まる前に保管車両は移動したが、保安上の理由から新たな保管場所は公表されていない[1]。
お召し列車を運行する際には、入念な事前整備を施した上で用いられる。
01.御料車
御料車は、歴代の皇族が乗る車両で、「御料」とは、高貴な人の所有物・利用物の意である。
御料車は、その時代における最高の車両製造技術と工芸美術の粋を結集して製造されており、工芸品としても貴重なものである。また、明治・大正期の一般用客車がほとんど残存していないため、当時の車両製造技術を今に伝えるものとして、鉄道技術史の面でも貴重な資料である。
御料車に番号が付与されたのは、1911年(明治44年)の鉄道院の車両称号規程制定時で、それまでは、単に玉車(ぎょくしゃ)、鳳車(ほうしゃ)と呼ばれていた。この規程により6両が御料車として番号を付与されたが、それ以後12両が製造あるいは入籍されており、計18両の御料車が存在したことになる。しかしそれ以前に、1872年(明治5年)の鉄道開業式で明治天皇の御乗用に供された客車など、番号を付与されなかった複数の御料車、あるいは貴賓車が存在していたのは確実であるが、その詳細はよくわかっていない。
かつては、天皇用とは別に皇后用など複数の御料車が使用されていたこともあったが、1号御料車(3代)の落成後は、同車がもっぱら使用された。しかし、2007年(平成19年)にE655系電車が代替車として落成したことにより、使用可能な御料客車は存在しない。1号の他にも、2号(2代)、3号(3代。旧1号(2代))、及び14号が、御料車として2010年現在もJR東日本に車籍を有するが、全く使用されておらず、検査が行われていないため、いずれも予備車としても使用できる状態にない。
この他に、電車であるクロ157-1や
E655-1も同様の用途に供される車両であるが、過去に私鉄に存在した同等の車両、もしくは外国の同種の車両と同様に、貴賓車(きひんしゃ)または特別車両という呼称が用いられる。
日本国有鉄道(国鉄)時代は全国で1号御料車の運転が見られたが、1987年(昭和62年)の国鉄分割民営化後は、皇室用客車がJR東日本に継承されたこともあって、ほぼJR東日本管内での運転に限られている。
●番号付与以前
1872年(明治5年)の京浜間鉄道開業式で明治天皇の御乗用となったのは、鉄道開業時にイギリスから輸入された上等車10両のうちのサロン車と称される「形式A」と推定されている。この客車は、全長25ft、車体長22ft5in、自重約5tで、車内は3室に分かれている。この車両は、新御料車(形式D)の製造にともなって御料車の任を解かれて皇后および皇太后用のお召し車としても使用できる御料車の予備車的存在となり、後に英照皇太后の霊柩車として改造されている。
1893年(明治26年)にまとめられた形式図集「明治26年略図」には、上記の形式Aの外に、形式Dおよび形式AJの2両の「サロン車」が掲載されている。形式Aおよび形式Dは新橋所属、形式AJは神戸の所属で、形式AJは後に1号御料車となった車両である。形式Dの正確な製造時期を知る資料は見当たらないが、1889年(明治22年)10月の文書に、形式Dの製作指示が推測される文言が残っている。この車両は1890年(明治23年)に完成して明治天皇の京都行幸用に使用されており、長距離の移動に備えて厠が設置された。構造的には形式AJとほぼ同一で、御座所を車体中央部に、その前後に侍従室、女官室が設けられており、形式AJのような大型の側面窓は設けられていない。
1880年(明治13年)11月に官営幌内鉄道の手宮 - 幌内間が全通、翌1881年(明治14年)8月に明治天皇が北海道へ行幸した際、8月30日にお召列車が運転された。このときに御料車となったのは、1880年にアメリカのハーラン・アンド・ホリングスワース社で製造された「開拓使号」で、同時に導入された8両中最上級の客車であった。同車は1961年(昭和36年)に鉄道記念物に指定され、交通博物館に保存された。交通博物館閉館後は、2007年(平成19年)10月14日にさいたま市大宮区に開館した鉄道博物館で展示されている。
ホヤ5015の形式図
1911年(明治44年)8月、皇太子(当時。後の大正天皇)が北海道へ行啓することとなり、同年3月、札幌工場で御乗用客車が製造された。この客車は後年ホトク5015となったものであるが、当時の写真によれば、同車には記号番号とも標記されておらず、実質的には御料車として扱われていたようである。全長は14,732mm、幅は2,737mm、高さは3,842mm、屋根は、全長にわたってモニター屋根、定員は21人であった。車体中央に御座所が設けられており、両側には供奉員室が設けられている。御座所の床は絨毯敷きで、大椅子1個、肘掛椅子2個、テーブル1脚が置かれていた。供奉員室は、長手椅子で肘掛が設けられていた。この「御料車」が皇族の御乗用とされたのはこの1度きりで、その後一般用の特別車に転用された際に、形式番号が与えられたものと推定される。同車は1917年(大正6年)に苗穂工場で職用車に改造されホヤ5015となったが、1928年(昭和3年)の形式称号規程改正ではコヤ6610とされ、1951年(昭和26年)12月まで在籍した。
●1号御料車(3代)
現在の1号御料車は、昭和天皇の御乗用として、1960年(昭和35年)に国鉄大井工場で製造されたもので、1876年(明治9年)に製造された2軸客車の初代、1932年(昭和7年)に製造された2代目(現・3号)に次ぐ、3代目の1号御料車である。
車体は、当時の最新鋭客車である20系客車をベースに、鋼体を厚くする、窓を防弾ガラスに換える等の保安対策を施した構造となっており、旧形客車とは違う平滑でシンプルな外観が特徴である。台車もこれまでの御料車に使用されていた三軸台車から空気バネ使用の二軸台車・TR65を使用している。
車内は、次室・御座所(皇族が乗る箇所)・御休憩室・御化粧室・御厠(トイレ)・配電室が配置され、出入台(デッキ)は観音開き式とし一個所に集約。御剣璽室・御剣璽奉安所は省略された。内装は出入台・御厠を除き総絹張りとし、御座所・御休憩室・御化粧室はそれぞれ異なる時代様式としている。御座所の天井は平天井とし、20Wの蛍光灯を80本使用した光源を白いアクリル板を透かして照明とする光天井としている。側窓は複層ガラスによる固定窓としているが、御座所については他より大きな窓が3枚ずつあり、このうち中央の1枚は電動で上下し、開閉することができる。御座所内には豪華なソファの他、テレビとラジオがあり、冷暖房も完備されている。
御座所の天井以外の内装には、和風調度品をふんだんに用いており、その時代における日本の最高級の車両製造技術と美術工芸の粋を駆使して製造されている[7]。
御料車の外装は、それまでの漆に代わり深紅色の合成樹脂ラッカー塗装で、さらにワックスで磨き上げている。また側面の上下には2本の金線が入っているが、これは本物の金箔を貼りつけている。窓枠は金メッキとしていたが後に金箔の貼りつけに改めた。
御座所の外側、開閉可能な窓の下には、紋章取付座がある。ここには、天皇が乗車する場合に限り金色の天皇家の御紋章(十六弁八重表菊紋)が取り付けられる。車両限界に対する御紋章の厚みを考慮し、20系客車同様の広幅車体は採用せず、車体下部の裾絞りのない垂直な側板形状となっている。
なお、御料車としては初めて製造所銘板が取付けられている。前位端梁には青銅鋳物に金メッキされた通常より小型サイズのものが、配電室には黄銅板にエッチングを施し、さらに金メッキをしたものが取付けられた。
本車は、供奉車の460号・340号・330号・461号と固定編成を組んでおり、一般に「1号編成」と呼ばれている。これらの供奉車は、1931年(昭和6年)から翌年にかけて1号御料車(2代。現・3号)との編成用に製造されたものであるが、本車の落成とともに改装され、460号にディーゼル発電機を設置して20系客車に準じた交流600V/60Hzを供給する給電システムに改めている。
JR東日本は、2007年(平成19年)に1号編成に代わる貴賓用電車E655系と特別車両E655-1を新製し、現在はこれらの車両を用いている。それにともない、供奉車4両を含む1号編成は保留車となっており、東京総合車両センター内の専用車庫に厳重に保管されている。なお、検査も行われていないことから1号編成の出番は今後はないものと思われる[8]。
02.供奉車
供奉車(ぐぶしゃ)とは、お召列車が運転される際、随伴員(宮内庁関係者や警備関係者、鉄道職員など)が乗車する車両のことで、皇室用客車の一種である。
鉄道が開業した当初は、一般営業用客車の中から適宜選定して編成していたが、6号御料車が完成した1910年(明治43年)以降専用の客車が製造されるようになり、宮廷列車編成用車と呼ばれた。また形式称号は、一般用客車のものが付されていた。
供奉車が現在のような番号を付されるようになったのは、1928年(昭和3年)10月の鉄道省の車両形式称号規程改正の際で、11両が供奉車となっている。木造車のうち2軸ボギー車は100番台及び200番台、3軸ボギー車は700番台が付与されている。それ以降に製造された鋼製車は、300番台及び400番台が与えられている。
2018年4月現在、1号御料車と編成を組む4両が、いずれもJR東日本に車籍を有するが、保留車となっている。
●鋼製車
鋼製の1号御料車(2代)及び2号御料車(2代)製造の際に計画されたもので、1931年(昭和6年)から1933年(昭和8年)にかけて11両が鉄道省の工場で製作された。
車体は鋼製の丸屋根で、同時期に製造された一般用客車(スハ32系)と異なり、妻部の形状は御料車と同じ切妻状となっている。組み立てに皿鋲を使用して外板を平滑化した御料車に対し、通常の丸鋲を使用しており、印象は異なる。外板塗色は、本グループより御料車と同様の深紅色となっている。全長は20m、幅は2.900m、高さは3.83m、車体の両端に出入り台を有し、台車は3軸ボギーのTR73またはTR73Aである。
太平洋戦争後は、お召列車への軍人の乗車がなくなったこともあって所要数が減少し、一部が一般用あるいは事業用に転用された。現1号御料車落成後は2号御料車の使用がほとんどなくなったこともあり、2号編成用の供奉車も国鉄分割民営化直前に廃車され、344号車以外は大船工場で解体された。
2018年4月現在、以下の4両がJR東日本に在籍しており、460 - 340 - 1号御料車 - 330 - 461 の順で連結して使用された。
460号 - 電源車。2基のディーゼル発電機のほか、技術員室、荷物室、給仕室を持つ。3軸ボギー台車を装着している。
340号 - 供奉員の乗車用。1等回転座席16、2等固定座席30を持つ。
330号 - 主要な供奉員の乗車用。1等回転座席25と、供進所を持つ。
461号 - 鉄道関係者の乗車用。固定座席28(2等席12・3等席16)と、荷物室などを持つ。3軸ボギー台車を装着している。
●330形(330)
一等車で、1号編成用として1931年12月に大井工場で製造された。前位側に供進所(調理室)、後位側にトイレと洗面所を有する。定員は27人、1人掛の回転椅子を備えている。自重は38.7t。
1960年(昭和35年)、1号御料車(3代)の落成にともなって固定編成方式に改造され、その際に床下に冷房装置を搭載し、風道を客室内に立ち上げたことから定員が2名減少し25人となるとともに、外観上も窓が1個埋められている。台車も1号御料車と同じ2軸ボギーのTR65に交換され、自重は38.4tに減少した。
●340形(340)
一・二等合造車で、1号編成用として1931年12月に大宮工場で製造された。前位寄りに一等室、後位寄りに二等室があり、その中間にトイレ・洗面所がある。定員は一等16人、二等30人で、一等席には1人掛の回転椅子、二等室には固定式のボックスシートを備えている。自重は39.0t。
1960年(昭和35年)、1号御料車(3代)の落成にともなって固定編成方式に改造され、その際に床下に冷房装置を搭載した。台車も1号御料車と同じ2軸ボギーのTR65に交換され、自重は38.1tに減少した。
●460形(460 - 463)
二・三等荷物合造車で、1号編成用として1932年3月に2両(460, 461)、2号編成用として1933年3月に2両(462, 463)が、いずれも小倉工場で製造された。前位から二等室、給仕室・湯沸所、荷物室、トイレ、三等室に区分されている。定員は二等12人、三等18人で、いずれも固定式のボックスシートを備えており、荷物室の荷重は3t、自重は38.8tである。
460と461は、1960年(昭和35年)、1号御料車(3代)の落成にともなって固定編成方式に改造され、461は二等室(旧三等室)の定員が16人に減少した程度で大きな改造はなかったが、460はディーゼル発電機を搭載して編成全体の電源をまかなう電源車に改造され、大きく外観が変わった。車内は、前位から給仕室・湯沸室、荷物室、技術員室・トイレ、機械室、車掌室となり、自重は51.6tとなっている。
2号編成用だった462, 463は、長らく大船工場に放置されていたが、国鉄分割民営化直前の1986年に除籍、解体された。
03.霊柩車
皇室用の霊柩車としては、英照皇太后(孝明天皇の皇后)、明治天皇及び大正天皇の大喪の礼の際にそれぞれ新製された3両が存在する。これらには、形式、記号、番号のいずれもが付与されておらず、「霊柩車」が名称であるが、ここでは便宜的に、それぞれ初代、2代、3代と称することとする。
これらの他に、葉山御用邸で崩御した大正天皇の遺体を東京の宮城(皇居の旧称)に還幸させるために、3号御料車(初代)が霊柩車に改造のうえ使用されたが、名称、番号等の変更はなかった。同車は、1951年(昭和26年)の貞明皇后の大葬の際にも13号御料車と改称のうえ、霊柩車として使用されている。
●3代
1926年(大正15年)12月25日に崩御した大正天皇の大葬の際に、製造中の客車を大井工場で改造して製作されたもので、形態的には大型客車(22000系)に属する。
3号御料車の改造計画とほぼ同時に計画されたもので、車両の性格上、車体中央部に大きな開口部を設ける必要があることから、床下にトラスロッドを有する旧設計の未成郵便荷物緩急車の台枠と台車を流用することとして製作期間の短縮を図っており、翌1927年(昭和2年)1月20日になり落成した。 あくまでも大喪の礼に合わせて製作されたもので、崩御直後の1926年(昭和元年)12月27日、逗子駅から原宿駅間で運行された「御霊柩列車」[10]には使用されていない。
車体は木製で、全長16.86m、大正14年式の2軸ボギー台車を装着し、車体の中央部の片側に幅3200mmの扉を設けた。 奉安室内はヒノキの白木造りで、床面には霊柩安置の際に使用するガイドレールを設置した。四方のカーテンは羽二重で金具類は全て銀製。釘隠しも菊の銀細工が用いられた。床は草色の絨毯が使用されている[11]。 外板塗色は、御料車と同様の深紫色の漆塗りで、羽目板は継ぎ目を見せない平滑な横張りとしている。
1927年2月7日に挙行された大正天皇の大葬後は、2月13日から4月4日までの48日間、東浅川駅に据え置いて一般の拝観に供した。その間の拝観者数は、63万9千人に達したという。
1933年(昭和8年)、一等病客車オイヘ26900に改造された。定員16人、自重34.86t。同車は、1949年(昭和24年)10月に鋼体化改造され、オハ60 5となった。
04.賢所乗御車
1915年(大正4年)に行われた大正天皇の御大礼(即位式)の際に、賢所(御神体)の輸送用に製作された車両である。この車両には霊柩車同様、形式、記号、番号のいずれもが付与されていない。1928年(昭和3年)の昭和天皇の御大礼の際にも使用された。
「賢所乗御車」を参照
05.旧外地皇室用客車
詳細は「台鉄花車」を参照
●台湾鉄路管理局SA4101
1912年に台湾総督府鉄道トク2として製造された木造ボギー車である。元々皇太子嘉仁親王の台湾視察に供するため製作されたものだが、明治天皇の崩御により、10年後の皇太子裕仁親王の台湾視察の際に、ようやくお召し列車として運用された。皇太子専用車両であり、朝鮮皇太子李垠も乗車したことがある。戦後は内装の一部改装が行われ、蔣介石専用の「花車」SA4101となり、蔣介石の福隆への行楽などに何度か使用された。1968年、新しい空調付き特別車が完成したことにより、この車両は予備車となるが、今までも特殊車両として大切に保管されている。
●台湾鉄路管理局SA4102
1904年にトク1として製造された。皇族用車両ではなく、台湾総督など要人用の特別車両である。戦後はトク2同様に一部改装が行われ、宋美齢専用の「花車」SA4102となった。
06.記念切符
・1976年、国鉄は天皇ご在位五十年を記念した記念切符を発売。1号御料車(初代)、12号御料車、3号御料車(3代)、1号御料車(3代)を印刷した急行券4枚で、全国主要46駅で約30万枚が用意された[12]。
・1986年、近畿日本鉄道は天皇在位六十年を記念した記念切符を発売。1932年(昭和7年)に、お召し電車として使用された300形電車の外観と車内の写真が配されたデザインであった[13]。
07.脚注
[1]^ “
大正時代のれんが造り「御料車庫」の解体が始まる 失われる東京・品川の鉄道遺構 JR東日本が再開発”. 東京新聞 (2023年4月2日). 2023年5月11日閲覧。
[7]^ 星晃『回想の旅客車 特ロ・ハネ・こだまの時代』上(学習研究社、2008年) 御料車と貴賓電車 p143~p146
[8]^ 東日本旅客鉄道鉄道事業本部運輸車両部車両運用計画グループ 白土裕之「3月15日ダイヤ改正 JR東日本 客車・機関車の動き さようならEF58 61、夢空間、ゆとり…」『Rail Magazine』2008年4月号(通巻295号)、ネコ・パブリッシング。
[10]^ 弔砲四十八発、葉山から東京に還御『東京日日新聞』昭和元年12月28日(『昭和ニュース事典第1巻 昭和元年-昭和3年』本編p363 昭和ニュース事典編纂委員会 毎日コミュニケーションズ刊 1994年)
[12]^ 記念切符を発売『朝日新聞』1976年(昭和51年)10月13日朝刊、13版、22面
[13]^ 原武史『昭和天皇御召列車全記録』新潮社、2016年9月30日、71頁。ISBN 978-4-10-320523-4。
08.参考文献
・星山一男「お召列車百年」1973年 鉄道図書刊行会刊
・「皇室用客車図面集」1986年 鉄道史資料保存会刊 ISBN 4-88540-049-X
・鉄道院「客車形式図 下」
09.関連項目
お召し列車
国鉄32系電車#クロ49形
国鉄157系電車#貴賓車クロ157形
JR東日本E655系電車
樺太鉄道局#中型木製二軸ボギー車
木曽森林鉄道#客車
10.外部リンク
御召列車博物館(鉄道車両)
最終更新 2024年5月6日 (月) 13:12 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
≪くだめぎ?≫
「460号にディーゼル発電機を設置して20系客車に準じた交流600V/60Hzを供給する給電システムに改めている。」
そのため、『1号編成』2002年6月1日の最終運用となった陸羽西線お召しの返却回送以降、
使われなくなった様である。