
[写真・画像]
(上左)クモハ157+モハ156-1・2との編成組成
東海道本線根府川-真鶴間を走行中の、国鉄157系電車によるお召し列車。: 1980年3月12日
(上右1段目)当日の準急「日光」
東京方3両は増号車扱い。またクモハ157形と向かい合わせのために通り抜け不可。
(上右2段目)お召列車運転の後品川駅に回送された、特急色時代の国鉄クロ157形貴賓用電車。: 1977年6月24日
(下左)183系との編成組成: 1980年8月19日
貴賓車クロ157-1を牽引して原宿皇室専用ホームに進入する国鉄183系回送列車。
基本情報
運用者 日本国有鉄道
東日本旅客鉄道
製造所 川崎車輛
製造年 1960年
製造数 1両
主要諸元
軌間 1,067 mm
電気方式 直流 1,500 V
車両定員 16人
自重 38.2 t
全長 20,000 mm
台車 TR59形
制動装置 発電ブレーキ併用電磁直通ブレーキ
クロ157形は、従来の貴賓車クロ49形[注 34]に代わる御用邸への移動の際など皇室の小旅行用ならびに外国賓客用貴賓車で、お召し列車の簡素化を目的として1960年(昭和35年)7月に川崎車輛で1両のみが製造され、2020年(令和2年)現在もJR東日本に車籍を有する。
本系列一般車と同じく配置は新製時から一貫して田町電車区(→田町車両センター→東京総合車両センター田町センター)であったが、2012年12月に東京総合車両センターへ回送[3]を実施し、同センター内
御料車庫へ収容。2013年3月15日付で田町車両センターの東京総合車両センター田町センターへ改組および車両配置終了に伴い翌16日付で東京総合車両センターへ転属した。
●構造
車体は、中間車としての使用も考慮して前面貫通構造とし、クハ153形0番台車に酷似する前面形状・低運転台構造[注 35]を採用。ただし、運転室は編成中間に組成される場合などにはシャッターを降ろし入室できない半室構造である。
153系との併結運転も可能であり初期の試運転で実施された。
新製時から空調装置を完備しており、屋根上にAU12形分散式冷房装置を搭載。電源は80系サロ85020での冷房試験で使用した自車給電用18 kVAの電動発電機 (MG) [注 36]を再整備して搭載する。客用扉は戸袋を廃した4枚折戸を採用。コンパートメント形式の貴賓室を車体中央部に有し、その前後を控室で挟み込む構造とした。貴賓室の窓は大型合わせガラス[注 37]を片側3枚とし、そのうち中央の1枚は賓客の答礼の便を図るために電動で開閉できるほか、貴賓室は光天井方式で冷房は隣の控室からダクトで導く構造である。さらにテーブルを挟んだ2つの主賓用の椅子は安楽椅子を採用したほか、絨毯の床・ソファ・飾り棚・ラジオなども装備する。定員は6名。
製造当初の車体塗装は他の157系と同様クリーム4号と赤11号の塗り分けで、赤11号から赤2号への塗り替えも他車と同時期に実施された。車体側面の車号表記は他の157系が車体中央下部への赤色ペイントに対し、本形式ではステンレス製切り抜き文字を後位側出入り台脇への貼り付けとした。
●運用
当初はクモハ157・モハ156-1が牽引にあたり、クロ157-1を後部に連結した3両編成で運転されたが、1962年6月に牽引車が電気系統の故障により運転不能な状態に陥ったために、次の変更措置が取られた。
・牽引車にクモハ157-2・モハ156-2を追加指定し、両ユニットで挟み込む5両編成を基本[注 38]とした。
・その後1966年11月の運転より一旦は運用開始当時の3両編成での運転(ただし牽引する2両は冷房化)となったが、1970年頃より再度5両編成の運転に戻され、以後1980年11月までの間は5両全車が157系の編成で運用されていた。
・二重の安全対策として、冷房化に先立ちモハ156-1・2に第2パンタグラフを設置する工事が緊急に行われた。
牽引用電動車ユニットは特急用他車の廃車後も残ったが、1980年(昭和55年)2月15日の牽引を最後に同年11月28日付けで廃車[注 39]。1982年(昭和57年)11月までに解体された。 157系廃車後の牽引車は183系1000番台が充当されたが、1985年(昭和60年)3月に183系が長野運転所(現・長野総合車両センター)へと転出したため同時期に新前橋電車区(現・高崎車両センター)から転入した
185系200番台が充当された[注 40]。このため外板塗色も当時の185系に準じたアイボリー地に緑帯に変更された。
1987年(昭和62年)の国鉄分割民営化時には東日本旅客鉄道(JR東日本)へ承継。民営化後も何度か運転されたが、平成時代に入ってからは、特別扱いを嫌っていた天皇の意向やその他の諸事情などにより列車による行幸は一般向けの車両を使用した「団体列車」形式で行われるケースがほとんどとなり、専用列車を仕立てたお召し列車そのものの運転回数が減少したことや補修部品の確保も難しくなったことから、1993年(平成5年)9月8日の運用を最後に全く運転実績のない状態が続いた[注 41]。
またクロ157-1による列車運用は原則的に通常の定期列車とは別に設定されるが、1962年10月13日に準急「日光」に併結されて運転されたケースがある[注 42]。
・東京方3両は増号車扱い。またクモハ157形と向かい合わせのために通り抜け不可
●脚注-注釈
[注 35]^ 同様の前面構造を持つ車両では唯一車籍が残存する
[注 36]^ 1969年に40 kVAのものに交換
[注 37]^ 防犯上防弾ガラスである。
[注 38]^ 一部の文献では「安全上等の理由から、通常クロ157形が編成端につくことはない」と間違った記述のある文献も見受けられる。
[注 39]^ 廃車前日の11月27日に両McM'ユニットの間にサロ165-50・12を挟み大船工場(後の鎌倉総合車両センター)に自力回送された。
[注 40]^ クロ157形牽引のみならず運用面でも同様に東京都内と伊豆・草津を結ぶ特急のほか、かつては首都圏と日光を結ぶ臨時特急「日光」にも充当された。このほか大宮総合車両センター所属のOM08編成は2012年(平成24年)2月からストライプ塗装にされる2015年(平成27年)まで本系列を模した塗装を施工。
[注 41]^ その後のお召し列車は1号編成が使用されたほか、2007年(平成19年)にはお召し列車用車両の置換えを目的としたハイグレード車両E655系電車を製造しており、以降はE655系が主に使用されている。
[注 42]^ 多数の文献でクロ157形は営業列車として運転したことがないと記述されているが、本事例により厳密には間違いである。
●脚注-出典
[3]^ クロ157-1とクモヤ145-114が東京総合車両センターへ - 交友社 『鉄道ファン』 railf.jp 鉄道ニュース 2012年12月3日
≪くだめぎ?≫
実質
"特別車両"「E655-1」の先代車種である。「クロ157形」が補修部品の確保も難しくなったことから、1993年(平成5年)9月8日の運用を最後に全く運転実績のない状態であり、
御料車庫へ収容された"保存車"てある。
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新系列旅客車 | 旅行/地域
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2024/10/18 14:54:32