
花崎村(近世)
角川地名大辞典(旧地名)青森県八戸市
江戸期~明治22年の村名。三戸郡のうち。はじめ盛岡藩領,寛文5年からは八戸藩領。長苗代【ながなわしろ】通に属す。村高は,「正保郷村帳」123石余(田116石余・畑6石余),「貞享高辻帳」123石余,「元禄10年高帳」では花咲村と見え258石余(田251石余・畑6石余),「天保郷帳」196石余,「旧高旧領」168石余。「八戸藩日記」寛文8月2月の条に
「大仏・花崎・根市・矢沢・此四ケ村,巳年(寛文5年)より当年迄段々荒候処,高弐百五拾石当年より開申度由望候」
とあり,当村を含む4か村の荒地開墾が許された。
当村には毘沙門堂がみられ,「雑書」正保元年10月の条に「花崎村之毘沙門ニて御湯立」,寛文5年の無量院の御立願状(常泉院文書)に「花崎毘沙門鐘緒納事」とある。
所在地は不明だが,櫛引城の北方鎮護に当たったものであろうか。明治4年八戸県,弘前県を経て,青森県に所属。
明治初年の「国誌」は,
「当村旧大仏村に隣て田園広く,若干の民居ありて一村落を為せし所なるか,何の頃よりか民庶漸減し,田園荒蕪せんとせしかは大仏村の支村矢沢より耕作し,
花崎は家居もなけれは矢沢と云る名を廃して花崎村と改呼しか,明治六年癸酉再ひ旧に復して大仏村の支村となす,然とも花崎村民居なけれとも田畑は依然として存し,花崎の名公私の際に周けれは」
と記しており,耕地のみで人家がなかったため,実質は大仏村の管轄となっていたものの,公的には花崎村として独立した村とされていた。
明治22年上長苗代村の大字となる。
花崎村 (020000048700) | 『日本歴史地名大系』地名項目データセット
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基本情報
ID 020000048700
地名項目 花崎村
地名項目(よみ) はなさきむら
上位地名 八戸市 尻内町
出典住所 八戸市尻内町 館ノ後・館ノ前・与助往名添・高田・赤坂
出典 青森県の地名, 1982-07-10, ISBN 4582490026
GeoLOD ID KAnQeB
ジャパンナレッジ版『日本歴史地名大系』
花崎村
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上長苗代村
[写真・画像] 1955年までの上長苗代村の行政区
上長苗代村(かみながなわしろむら)は、かつて青森県にあった村。
かみながなわしろむら 上長苗代村
廃止日 1955年4月1日
廃止理由 編入合併 館村、上長苗代村、市川村 → 八戸市
現在の自治体 八戸市
廃止時点のデータ
地方 東北地方
都道府県 青森県
郡 三戸郡
市町村コード なし(導入前に廃止)
面積 16.50 km2.
総人口 6,688人(国勢調査、1950年)
隣接自治体 市川村、川内村、豊崎村、館村、八戸市
上長苗代村役場
所在地 青森県三戸郡上長苗代村大字尻内字法霊7番地
座標 北緯40度30分46秒 東経141度25分48秒
1.沿革
・1889年(明治22年)4月1日 - 町村制施行により三戸郡尻内村、根岸村、大仏村、花崎村、根市村が合併し、上長苗代村が発足。
・1891年(明治24年)9月1日 - 村内に日本鉄道青森線(後の国鉄→JR東北本線、現在の青い森鉄道青い森鉄道線)の尻内駅(現:八戸駅)が開業。
・1955年(昭和30年)4月1日 - 八戸市に編入され消滅。
2.施設
八戸市との合併時点
国鉄・南部鉄道尻内駅
尻内郵便局
三条小学校
三条中学校
3.参考文献
『市町村名変遷辞典』東京堂出版、1990年。
『東奥年鑑』(東奥日報社)1953年版。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
最終更新 2023年4月3日 (月) 07:01 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
≪くだめぎ?≫
最近、『三戸郡花崎村』を発見した。西高校のグランドから西にある"小字"群である。現状でも、ほとんど田畑である。明治の町村制施行時には誰も住んでいなかったらしい。大仏村から続く小丘の端であり、東進してきた"浅水川"がこの辺りから南下する。この浅水川の南西岸が"根市村"である様で、『花崎村』を包み込むカタチである様だ。
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Posted at
2025/02/26 20:21:52