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ディーゼルオート店のブログ一覧

2025年04月11日 イイね!

「EVシフト」に対する解決策

「EVシフト」に対する解決策航続距離を伸長
「改良型アウトランダーPHEV」登場
曲がり角にきた「EVシフト」に対する解決策
三菱自動車 制作
:東洋経済ブランドスタジオ AD
2025/02/21
 世界の自動車市場における「EV(電気自動車)シフト」の波は、2020年代に入って激化。欧米や中国と同様、日本市場も近い将来にEVが主流になると予想していた人は多かったはずだ。しかしEVシフトを目指してきた欧州メーカーは、完全EV化計画を撤回※。数年前まで業界を席巻していた予想は、覆されることとなった。このような状況下で、悠々と、そして着実に進化を続ける国産PHEV(プラグインハイブリッドEV)とはどのような存在なのか──。
※経済産業省 製造産業局 商務情報政策局「自動車分野のカーボンニュートラルに向けた国内外の動向等について」
■EVシフトはいったん止まり、主役に躍り出たPHEV
 世界的な問題である「カーボンニュートラル」に対し、EVは世界中で瞬く間に車種数を増やし、多くのメーカーが販売増強を発表してきた。一方で、日本のメーカーはなかなか「EVシフト」の動きを示そうとはしなかったが、そこには、EVがまだ発展途上のものであるという読みがあった。
 実際にEVを取り巻く状況はここ数年でその流れを変化させ、EV市場へ意欲的に参入した欧州メーカーは課題に直面。充電ステーションの普及には時間がかかり、航続距離に対する懸念も払拭できず、結果的にEV化のピークはまだ先であることが浮き彫りとなったのである。
 このような現況に関して、三菱自動車の商品戦略本部チーフ・プロダクト・スペシャリストである五味淳史氏はこう述べている。
 「カーボンニュートラル時代に対応していくことは、世界の自動車メーカーにとって非常に重要な問題です。三菱自動車としても、環境問題とエネルギー問題を論点として受け止め、答えを出していこうとしています。車両性能でCO2を削減していくことはもちろん、サプライチェーン全体も含めて、製造から廃車まで全サイクルのトータルでCO2を削減していかなくてはなりません」
 そこで三菱自動車が打った手は、主力製品であるアウトランダーPHEVの性能や魅力をアップデートすることだった。アウトランダーといえば、2012年に発売された2代目モデルにPHEV仕様を追加して以降、日本のPHEVのパイオニアとして愛されてきた。
 五味氏は三菱自動車におけるアウトランダーPHEVの存在について、こう説明する。
 「これまで三菱自動車が培ってきた技術を惜しみなく投入し、優れた電動化技術と4WD技術を注ぎ込んだフラッグシップモデルです。24年10月にお披露目した新型は、上級車として恥ずかしくない品質にするべく、『洗練』と『上質』をテーマに開発しました。外観デザイン、内装の質感、EV航続距離などをさらに一歩踏み込んでブラッシュアップし、技術的な洗練という意味も含めて、歴代最高のアウトランダーにするのが狙いでした」
■プレミアムSUVオーナーがうらやむ美点
 実際の車両を目の当たりにすると、2022年版と比較して、質感の向上が強く感じられる。大胆なデザインの変更点こそないが、細かな改良により、フロントまわりを中心にひとクラス上の質感を手に入れた。さらに特筆すべきは内装の質感向上で、乗ればすぐにわかるほどのラグジュアリー感が車内に漂っている。
 内外装の質感向上は、アウトランダーPHEVのテーマである「洗練」と「上質」を実現させるための重要なファクターだ。ただ長い歴史を持つ自動車メーカーほど、「走りの質感」、そしてその走りにおける「他車との違い」にもこだわりを持っている。三菱自動車といえば、かつてのパジェロやランサーエボリューションで培ってきた4WDを用いた走行性能の高さが、現在における同社の高い評価にもつながっている。
 実際に走らせてみると、コーナリング中は路面へしっかり追従する動きを見せ、軽快に走り抜けることができた。改良前との挙動の違いを感じることができたし、何より軽快さは運転する楽しさにつながる。
 「高品質化する一方で、動力性能がついてこないと面白くありません。動力性能はバランスがいちばん重要ですから、ハンドリングやサスペンションなどすべてをやり直して、トータルで走行性能の改善を図りました。オーストラリアや米国など、世界中のさまざまな路面環境でテスト走行を繰り返しました」
 さらに、三菱らしさの象徴である4WDについても五味氏はこう強調している。
 「リアにモーターを付けて4WDにしたのが、弊社らしさですね。やはりEVというと4WDや走破性のイメージが薄いと思うのですが、リアにモーターを組み込んで4WD性能もフルに使えるようにしています。雪道や不整路で走破性能を出せるところも特徴です」
■三菱自動車が「世界をリードする」ためのモデル
 新型で進化したもう一つのポイントが、改良前の83kmから102kmへと伸長されたEV航続距離である。この約20km増えた航続距離がポイントだと、五味氏は言う。
 「正直、バッテリーを大量に載せれば同数値はいくらでも伸ばせます。しかし、バッテリーを大きく重くして、さらにコストをかけてそこをお客様にご負担いただくより、われわれとしては1日走って家に帰るとゼロになっているのが最適値だと考えています」
 EVであればバッテリーが大容量であるほどいいが、PHEVではそういう発想にはならず、適切なバランスを定めるのが難しい。現状の最適解と考えたのが「102km」という数値なのだという。
 「弊社の電動化技術は歴史が長く、1964年から電気自動車へアプローチを始めて、2009年には世界初の量産化EVとしてi-MiEVを発売しています。EVに対する知見はわれわれの優位点であり、今回のPHEVもEVをベースにしていることが特徴です。極力エンジンをかけずに、EVで走ることを基本としています」
 EV航続距離がバランスよく向上し、内外装は三菱自動車のフラッグシップにふさわしいレベルとなった。それらに加えて走りの質感も高まり、力強く滑らかになった。結果的に、ひとクラス上のプレミアムブランドに興味を示してきたユーザーが、アウトランダーPHEVを選んでくれるようになったという。これは商品力強化が成功していることを端的に示す証明となっている。
 新型アウトランダーPHEVは「洗練」と「上質」というテーマを掲げて、EVシフトを試みようとする国際市場へ踏み出した。技術力へのこだわりと新しい技術へのチャレンジは三菱自動車らしさであり、それは過去から連綿と続いてきた同社の特徴でもある。一方で、SUV中心の車種編成や他社との協力状況からは、世界市場で成功するための中長期的な視点も見て取れる。
 他社のプレミアムSUVの実力は高く、引き続きEVへのシフトを精力的に進めている海外メーカーもある。しかし三菱自動車は、2025年とその先の時代へ向け、改良型アウトランダーPHEVによって世界をリードするための布石を打った。自動車業界全体を見渡してみれば、アウトランダーPHEVがさらに好調な販売結果を得ると想像することは決して希望的観測ではない。
三菱自動車工業 商品戦略本部 CPSチーム 商品企画 チーフ・プロダクト・スペシャリスト
五味淳史氏
1978年生まれ。2003年入社。2010年より、先代アウトランダー開発の取りまとめを担当する


≪くだめぎ?≫
 とある当地の"ホームセンター"から
「EVスタンド」が撤去された、
維持するだけの利用度で無かったらしい。
「EVスタンド」設置が"ブランド"に成り得る数になります様に!
と祈る気持ちのようだ。
Posted at 2025/04/11 09:59:38 | コメント(0) | トラックバック(0) | 車全般 | クルマ
2025年04月11日 イイね!

看板車へ 三菱「パジェロ」

看板車へ 三菱「パジェロ」三菱「パジェロ」パリダカで名実ともに看板車へ
モータースポーツから三菱の技術発展を支えた
平塚 直樹 : ライター&エディター
2024/02/03 9:40
1982年4月22日発売の初代パジェロ(写真:三菱自動車)
 20~30年以上経った今でも語り継がれるクルマが、続々と自動車メーカーから投入された1990年代。その頃の熱気をつくったクルマたちがそれぞれ生まれた歴史や今に何を残したかの意味を「東洋経済オンライン自動車最前線」の書き手たちが連ねていく。
 名車と呼ばれる日本車には、モータースポーツとの関わりが深いモデルも多い。1990年代に一世を風靡した三菱自動車(以下、三菱)の2代目「パジェロ」もその1台だ。
 世界一過酷なオフロード競技「ダカールラリー」で数多くの栄冠を手にした本格的オフロード4WD(4輪駆動)車で、1990年代に巻き起こったRVブームを牽引した。比較的高級なモデルながら、当時の新車月間販売台数で1位を獲得したこともあるほどの人気を博し、軽乗用モデルの「パジェロ ミニ」などの派生機種まで誕生。パジェロ・シリーズは、当時、三菱を代表するブランドにまで成長した。
 ここでは、1990年代の三菱車を象徴する名車の1台、2代目パジェロを振り返ってみる。
■パジェロの歴史とダカールラリー
 パジェロは、1982年に初代モデルが登場した。日本をはじめ、海外でも個人ユーザーのレジャーユースとして、本格的な4WD車の需要が伸びていた時期だ。当時、三菱の4WD車には、アメリカ・ウイリス社との契約により、1952年からノックダウン生産を続けていた「ジープ」があったが、ライセンス契約により輸出はできなかった。
 また、より一般ユーザー向けに、乗用車的な快適性や都会的な雰囲気を持つモデルのニーズも高かった。そうした背景により、当時の三菱が、自社開発の4WD車として生み出したのが初代パジェロだった。
■ダカールラリーで一躍人気に、世界に三菱の名を広げた
 ちなみに、車名の由来は、チリ・アルゼンチン地方南部のパタゴニア地方に生息する野生の猫「パジェロキャット」。「野性味と美しさ」を調和させる願いを込めて名付けたという。
 卓越したオフロード性能と乗用車並みの扱いやすさを両立することで、高い人気を獲得した初代パジェロは、モータースポーツでも大きな活躍をみせる。それが前述したダカールラリーだ。1978年に始まったこの競技は、当初、「パリ・ダカールラリー」という名称だった。フランスのパリをスタートし、アフリカ大陸のサハラ砂漠を通過、セネガルの⾸都ダカールをゴールするといったルートだったからだ。
 砂漠や泥濘(でいねい)地、山岳地帯など、さまざまなタイプの悪路を走破して競うクロスカントリーラリーの一種で、猛暑のなかを一日800km以上走ることもあることで、世界一過酷なオフロード競技として知られていた。日本でも、1990年代などにテレビ放映されるほどの人気を博し、「パリダカ」の愛称で親しまれていたので、当時を知る世代であれば、懐かしさを覚える人も多いだろう。
■ダカールラリーでの栄光
 そんなパリダカに出場し、数々の栄光を手中にしたのがパジェロだ。1983年の初出場時には、いきなり市販車無改造クラスでデビュー・ウィンを達成。1985年には、全クラスの最上位となる総合優勝を初めて飾り、高いオフロード走行性能を世界に示した。当時は、モータースポーツでの活躍が、市販車のセールスにも大きな影響を及ぼしていた時代だ。パリダカで大きな成果を出したパジェロは、初代モデルからセールス的にも成功を収め、一躍4WD車の人気モデルとなった。
 ちなみに、パリダカは、その後、名称をダカールラリーに変更。開催地域の政情不安により、ルートがたびたび変更されたためだ。2020年からは、舞台を中東・サウジアラビアに移しており、当初のパリ・ダカールからは離れた場所での開催となっているが、ゴールとなるダカールの名は現在も使われており、伝統ある大会としていまだに世界中のファンを魅了している。
■1991年、より都会的になった2代目が登場する
 1991年に、9年ぶりのフルモデルチェンジを受けて登場したのが、2代目のパジェロだ。初代モデルから続くオフロードにおける高い悪路走破性をさらに向上させるとともに、より都会的雰囲気のフォルムを持つ本格オフロード4WD車として登場した。
 主な特徴は、まず、ボディのバリエーションが豊富なこと。ホイールベースにはショートとロングがあり、通常ボディとオーバーフェンダーを持つワイドボディを設定。また、「メタルトップ」と、幌(ほろ)を装備しオープンカーの気分が味わえる「Jトップ」、「ミッドルーフ」と屋根後半がハイルーフとなる「キックアップルーフ」といった4つのボディタイプをラインナップ。これらにより、多様なニーズに対応させた。
 一方、エンジンには、3.0L・V型6気筒ガソリン、2.5Lディーゼル・インタークーラーターボといった2タイプを用意。5MT(マニュアル・トランスミッション)のほか、4AT(オートマチック・トランスミッション)も設定し、ユーザーの快適性も追求した。
■世界初のスーパーセレクト4WD
 機能面の大きな特徴は、世界初の「スーパーセレクト4WD」を採用したことだ。つねに4輪駆動となるフルタイム4WDと、2輪駆動と4輪駆動を切り替えるパートタイム4WDの両方式の長所をあわせ持つのがこの機構だ。当時の4WD車は、2WDから4WDに切り換える際、車両を一旦停止する必要のあるモデルも多かった。
 一方、スーパーセレクト4WDを搭載する2代目パジェロでは、速度が100km/h以下であれば、走行中でも2WDと4WDを切り替えることを可能とした。当時としては画期的なこの機構により、舗装路から悪路まで、さまざまな路面状況に即座に対応でき、利便性などが向上したのだ。さらに2代目には、このシステムのあらゆる走行モードに対応する「マルチモードABS」も搭載し、4輪すべてを最適に制御することを可能とした。
 なお、1993年7月には新開発の3.5L・V型6気筒ガソリンエンジン搭載車と、2.8Lディーゼル・インタークーラーターボエンジン搭載車を追加。エンジンのタイプも4種類から選べるようになった。
■パリダカで栄華を極め、派生モデルを生み出す
 さらに1997年5月には、ワイドフェンダーを持つパジェロワイドシリーズに、ブリスターフェンダーを採用。ブリスターフェンダーとは、まるでボディから膨れあがったように出っ張った形状のフェンダーのこと。より幅広いタイヤを装着できるほか、存在感あるフォルムを演出できるなどのメリットがあり、当時のスポーツカーなどにも採用されたデザインだ。また、ガソリンエンジンには、新開発の3.5L・V型6気筒GDIを搭載し、高効率化も図っている。
 ちなみに三菱は、2代目パジェロも前述のダカールラリーへ投入し、やはり大きな戦績を残している。1992年、1993年、1997年、1998年に総合優勝を獲得、それ以外の年でも表彰台の常連として君臨する。とくに1997年には、篠塚建次郎氏が日本人ドライバーとして初の総合優勝を獲得し、国内でも大きな話題となった。
 なお、三菱は、この年9月に、ダカールラリーのレギュレーション変更に対応するため、「パジェロ エボリューション」というモデルを投入した。高性能エンジン3.5L・MIVECを搭載し、ボディは高剛性化と軽量化、オーバーフェンダーによる拡幅などを実施。加えて、4輪独立サスペンションを採用するなどで、オフロードでの走破性とオンロードでの快適性を両立したことが特徴だ。
■成功と派生モデル
 こうしたダカールラリーをはじめとする世界的なオフロード競技での活躍もあり、2代目パジェロは、歴代モデルのなかでも、最もセールス的に成功したモデルだったといえる。当時は、これも先述したとおり、RVブームの真っ直中。RVとは、「レクリエーショナル・ビークル」の略で、現在のSUV(スポーツ・ユーティリティ・ビークル)とほぼ同じような意味で使われていた。とくに当時は、オフロードを本格的に走ることができる4WD車の人気が高く、2代目パジェロはまさにそうしたブームの牽引役となった。
■39年の歴史に幕を閉じても、語り継がれる1台に
 そして、まさに三菱を代表するモデルとなったパジェロは、その後、シリーズ化された。1994年に軽乗用車版の「パジェロ ミニ」、1995年には1.1Lエンジンを搭載した「パジェロ ジュニア」が登場。1998年にはコンパクトカーの「パジェロ イオ」も投入するなどで、三菱は、パジェロのブランド力を活かした幅広い商品展開を行っていた。
■終焉の後継モデルへの期待
 パジェロは、その後、1999年に3代目、2006年には4代目が登場したが、国内仕様車は2019年の「パジェロ ファイナルエディション」を最後に生産終了(主な理由は販売不振といわれている)。また、世界170以上の国と地域に輸出されていた海外仕様車も、2021年に生産を終了した。これにより、1982年の初代モデル以来、生産台数で約300万台を誇ったパジェロは、39年の歴史に幕を下ろすこととなった。
 なお、ダカールラリーでも、歴代モデルは、7大会連続を含む通算12回の総合優勝を飾るなど、輝かしい戦績を残した。三菱は、パジェロで培った4WD技術やSUVづくりのノウハウについて、「今も当社の製品に活かされています」と言及する。つまり、市販車としてのセールスが成功したことで一時代を築いただけでなく、現在のクルマにも継承される数々のテクノロジーなどを生み出してきたのが、パジェロというクルマだといえる。
■国内でパジェロ復活の可能性は?
 ちなみに、現在、海外専用車には、「パジェロ スポーツ」というモデルも存在する。こちらはミッドサイズのSUVで、日本で1996年に登場した「チャレンジャー」が源流だ。3代目となる現行モデルは、洗練された力強いエクステリアデザインと上質さに快適性を兼ね備えたインテリアが特徴。高級SUVながら、耐久性に優れるラダーフレームを装備するなどで、オフロードでも高い走破性を持つモデルだ。
 そして、このパジェロ スポーツについては、「国内でも販売されるのでは?」といったウワサがたびたび聞こえる。その背景には、日本における「パジェロ」ブランドの求心力が、いまだに脈々と生き続けていることが考えられる。とくに1990年代のRVブームを知る多くの三菱ファンにとって、「パジェロ」の車名が付いたモデルはとても魅力的ではないだろうか。後継車を望むそうしたファン心理が、パジェロ スポーツ国内導入のウワサにつながっていることも考えられる。
 いずれにしろ、なくなった今でも色あせない輝きを持つのが、パジェロというモデルだ。とくに2代目は、現在のSUV人気の先駆け的モデルといっても過言ではない。当時のパリダカ人気やRVブームを知る筆者としても、ぜひ復活してほしいクルマの1台だ。
東洋経済オンライン「自動車最前線」


≪くだめぎ?≫
 1982年に初代モデルが登場した、ノックダウン生産「ジープ」を元に民需向けに自主開発された車。トヨタ・ランドクルーザー70系に"ライトデューティー版"投入のきっかけとなった車種だ。後のランドクルーザーワゴン(1984年(昭和59年)11月)、ランドクルーザープラド(1990年(平成2年)4月)となった。
プラドがパジェロ顔と揶揄されたものだ。
 「パジェロ」の名はないが、"SUV"は依然として「三菱 MITSUBISI」の
基幹車種にはちがいない。
Posted at 2025/04/11 08:26:45 | コメント(0) | トラックバック(0) | 車全般 | クルマ
2025年04月10日 イイね!

R35型「GT-R」販売終了へ

R35型「GT-R」販売終了へ「18年の歴史に幕」
時速300kmで普通に会話できるグランドツーリングカーを目指し、
進化を続けた日産R35型「GT-R」販売終了へ
御堀 直嗣 : モータージャーナリスト
2025/04/07 6:00
GT-Rの原点といえるプリンス自動車時代の2代目スカイライン。1964年の第2回日本グランプリに出場したスカイラインGTは、ポルシェ904GTSを抜き去り、「羊の皮を着た狼」という称号が与えられた(写真:日産自動車)
 2024年3月14日に2025年モデルを発表。そして2025年に入り、公式ウェブサイトにて、「NISSAN GT-Rは、多くのお客さまからご注文を頂き、生産を予定している数量のご注文受付を終了いたしました。2007年の発売以来、長きにわたり多くのお客さまにご愛顧いただき、誠にありがとうございました」というコメントとともにGT-R新規注文受付終了がアナウンスされた。
 日産自動車(以下、日産)の超高性能グランドツーリングカーである「GT-R」が、今年8月をもって生産を終了する予定だ。これに先立ち、アメリカでの生産は昨年の段階ですでに終了している。
 GT-Rは、2007年に登場。それから18年間も基本部分は継続した状態で改良を重ね、近年はイヤーモデルというカタチで進化してきた。この間にモデルチェンジは行われず、現在に至っている。
 現行のGT-Rは、その型式から“R35”とも呼ばれ、親しまれている。それ以前には、R32~R34と呼ばれたGT-Rがあった。それは日産の上級車種である「スカイライン」をもとにした高性能仕様で、日本国内での販売に重点が置かれてきた。
 そしてR34が2002年に生産を終え、5年の空白期間を経て、2007年に現在のR35型ニッサンGT-Rが復活した。これに際し、国内に限らず世界で販売するGT-Rとして、“スカイラインGT-R”ではなく“ニッサンGT-R”という車名になった。競合は、世界に名高いドイツのポルシェといえる。
■R35型GT-Rが生まれた背景
 そもそもGT-Rという車種が誕生したのは、さらに遡ること1969年のことであった。源流となるのは、日産自動車が合併する前のプリンス自動車工業のスカイラインGTである。
 技術の独自性や高性能さを特徴としたプリンス自動車工業は、主力といえるスカイラインの性能をレースで実証しようと、スカイラインGTを特別に生産した。
■レースで勝つために生まれたGT-R
 一般に売られたスカイラインは直列4気筒エンジンを搭載した4ドアセダンだったが、プリンス自動車工業は三重県の鈴鹿サーキットで開催されたグランプリレースでの勝利を目指し、スカイラインGTには排気量を高めた直列6気筒エンジンを採用。4気筒から6気筒になり長くなったエンジンを収めるため、客室前のエンジンルームを前方へ延長し、6気筒エンジンを搭載することでレースに挑んだのだ。
 このとき、個人的な参加であったがポルシェ「904」も1台出走し、圧倒的速さをみせていた。そこにスカイラインGTは挑み、一時的ではあるが904をかわして首位に立つ展開をみせ、スカイラインGTは一躍高性能セダンの誉れを得たのであった。
 それから間もなく、プリンス自動車工業は日産自動車に吸収合併される。このとき、スカイラインはそのまま日産を代表する車種の1つとして継承された。
■スカイライン=高性能という方程式
 スカイラインの個性について、プリンス時代と同じ“高性能さ”と考えた日産は、一般向けに市販される車種にGTグレードを設定し、そのうえで、レースでの勝利を目指すGT-Rを開発した。これが1969年に誕生した初代スカイラインGT-Rである。当時、型式のGC10と呼ばれた。あるいは箱のような四角い外観から「ハコスカGT-R」との愛称もあった。
■1989年に第2世代GT-Rとして復活する
 特徴は、プリンス時代のレース専用車である「R380」に搭載された直列6気筒エンジンの設計思想や知見を採り入れたことで、その性能は圧倒的で、国内レース50連勝という金字塔を打ち立てる。
 レースを制するGT-Rという強い個性がここで確立した。
 ちなみに、同じエンジンを「フェアレディZ」の最上級車種にも搭載し、その車名はフェアレディZ432とした。数字の意味だが、「4」は1気筒に対して吸排気バルブが4つあること。「3」は、2気筒に1つのキャブレターを装着し、直列6気筒なので合計3つ並ぶこと。最後の「2」は、ダブル・オーバー・ヘッド・カムシャフト(DOHC)のエンジンなので、カムシャフトが2本あることに由来する。
 スカイラインは、その後のモデルチェンジで「ケンメリ」という愛称で親しまれるGC110型となる。そしてGT-Rも開発されたが、1970年からの排出ガス規制への対応があり、わずか197台のみ生産され終わった。
■16年を経て復活した第2世代GT-R
 そこから16年の空白を経て、R32型GT-Rが1989年に復活するのである。そして、当時の国内グループAレースで連戦連勝する。また、海外のレースでも活躍した。
 GT-Rの使命は、レースで勝つことにある。そのための諸元が定められ、技術の粋を尽くして高性能化され、勝利を重ねてきた。
 R32型スカイラインGT-Rとして復活する直前、日産は901運動と名づけた活動を社内で実施した。これは、1990年に技術で世界一になることを目指した取り組みである。その成果の1つが、スカイラインGT-Rの復活につながる。
■活躍の場を失い、姿を消したGT-R
 ただし、R32以後のR33型やR34型のスカイラインGT-Rの時代は、制覇すべきレースが国内にも世界にも見当たらない状況があった。一般に、レースに出場するための車両は、規則の中であるとはいえ改造が許され、より速く、かつ安全に競技を戦えるようにする。その規則の決め方によっては、量産市販車として売り出された際の素性のよさだけでなく、改造の度合いで勝敗が決まることもあり、GT-Rの素性のよさが活きるとは限らない時代になった。このため、スカイラインGT-Rは、いったん区切りをつけるに至り、R34型スカイラインGT-Rは2002年に生産を終了したのであった。
■なぜR35というGT-Rが生まれたのか?
 R34生産終了後の空白期間、世間から復活を期待される一方で、日産は、それまでのレースでの勝利という目標を失ったGT-Rの行き場を探ることになった。
 そして、2007年に復活を遂げたとき掲げられたのが「時速300kmで普通に会話のできるグランドツーリングカー」という姿である。また、世界で販売することを前提に、スカイラインではなくニッサンGT-Rという位置づけも新たに設定された。そこで競合になったのがポルシェだろう。
 改めてポルシェの価値を確認すると、速度無制限区間を持つドイツのアウトバーンを超高速で移動することはもちろん、サーキット走行をこなし、同時に、日常的に街を走る場面でもポルシェという手ごたえが感じられ、かつ安全に使える高性能車であることだ。
■グランドツーリングカーとして進化を続けたR35
 GT-Rもポルシェも、一般にスポーツカーと呼ばれるが、正式にはグランドツーリングカーである。フェラーリなどのいわゆる2人乗りスポーツカーと同様の高性能ではあっても、長距離を高速で安全に、それでいて快適に移動できるクルマを“グランドツーリングカー”と呼ぶ。ツーリングカーとは、日常の用途で使うクルマの全般を指し、その頂点といえるグランド(偉大)な存在が、グランドツーリングカーなのだ。
 そう定義すれば、「時速300kmで普通に会話ができる」としたR35型ニッサンGT-Rの概念は、まさに的を射た目標といえる。
 2007年に、出たてのニッサンGT-Rをサーキットで運転したとき、興奮はするが我を忘れさせることなく、冷静に操縦性を確認できる的確な手応えを伝えるクルマであることを知った。それはまさに、グランドツーリングカーの究極の姿である。
 また、ドイツのアウトバーンでは、日産の実験部ドライバーが実際に時速300kmで走ってみせた。速度無制限といっても、ほかの一般車が走るアウトバーンでは、時速200kmで走り続けることにも神経を使う。いつ、どのクルマが車線を変更してくるかわからないからだ。そうした不確実な交通状況で、テストドライバーといえども時速300kmで走った実績は、筆者がサーキットで味わった確かな手ごたえのなかにある高性能がもたらしたものだろう。
■18年の歴史に幕、R36の登場はあるのか
 以後、イヤーモデルなど含め、改良が続けられ今日を迎えた。より洗練された乗り味や、さらに上質を極めた内装などの選択肢ももたらしながら、GT-Rに多彩な価値を織り込んできた。
 そして再び、区切りを迎えた。過去、2度にわたり復活を果たしたGT-Rが、再び21世紀の価値を極めるカタチで再登場する可能性はあるだろう。とはいえ、いつ、どのような姿なのかは、知る由もない。それでも、日産自動車にとってGT-Rは欠くことのできない1つの指標を示してきた。
 日産がどこへ行くのか? その行く先を暗示させるのは、GT-R復活のときではないだろうか。
御堀 直嗣 モータージャーナリスト
みほり なおつぐ / Naotsugu Mihori
1955年、東京都生まれ。玉川大学工学部卒業。大学卒業後はレースでも活躍し、その後フリーのモータージャーナリストに。現在、日本カー・オブ・ザ・イヤー選考委員を務める。日本EVクラブ副代表としてEVや環境・エネルギー分野に詳しい。趣味は、読書と、週1回の乗馬。
東洋経済オンライン「自動車最前線」より

 トヨタ店やトヨペット店と異なり、トヨタディーゼル店は全国展開されず、大都市にのみ設置された。1957年(昭和32年)2月から1958年(昭和33年)4月にかけて、東京、大阪、愛知(名古屋市)、福岡、宮城(仙台市)、静岡、北海道(札幌市)、兵庫(神戸市)、神奈川(横浜市)の9都道府県にディーゼル店販売会社が設立された。
 後の1965年(昭和40年)9月には、埼玉(川口市)と千葉にもディーゼル店販売会社が設立された。この埼玉と千葉の2社は、元々はプリンス自動車工業の販売会社であったが、1966年(昭和41年)8月の日産自動車との合併を控え、トヨタディーゼル店に鞍替えしたものである。
トヨタディーゼル店
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
最終更新 2025年3月21日 (金) 10:30 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
より抜粋する。


≪くだめぎ?≫
 プリンス自動車「スカイラインGT」が
期間限定の特別仕様車に移行した、と想った方がいい。
「スポーツカー」販売は難しい・・。
 1961年6月に『パブリカ』が
トヨタパブリカ店・トヨタディーゼル店に新規投入された。
後の全てのトヨタディーゼル店が"カローラ店に転換"する理由である。
 1965年9月に埼玉と千葉の2社がトヨタディーゼル店に転換したが、
プリンス自動車店→カローラ店
と同じと言える。
Posted at 2025/04/10 06:35:39 | コメント(0) | トラックバック(0) | 車全般 | クルマ
2025年04月08日 イイね!

ギガがクオン7速マニュアル車になる!?

ギガがクオン7速マニュアル車になる!?2025年4月1日(火)14時30分
いすゞ、大型トラック『ギガ トラクタ』を改良…7%値上げ「やむを得ず」
 いすゞ自動車は、大型トラック『ギガ トラクタ』の改良モデルを全国の販売店を通じて発売した。2026年に施行予定の法規に対応し、サイバーセキュリティの強化などを図った。
 主な変更点では、車両のサイバーセキュリティを確保した。これは、自動運転やコネクテッド技術の進化に伴い高まるサイバー攻撃のリスクに備え、ハッキングや不正アクセスから車両を保護する対策を講じるものだ。
 また、ソフトウェアの安全なアップデートも実施する。危険または無効なソフトウェアのアップデートを防止する仕組みを導入した。
 さらに、タイヤ法規への対応も図られた。車外騒音や転がり抵抗の基準値を満たすタイヤの装着を義務化した。
 これらの改良に伴い、メーカー希望小売価格も改定される。いすゞは原材料価格の高騰や為替変動の上昇に対応すべく、これまで合理化などによる原価低減に努めてきた。しかし、昨今の経済状況に企業努力のみで対応することは困難と判断し、やむを得ず価格改定を行うことになった。商品改良分および経済変動分として、メーカー希望小売価格の約7%を値上げする。
 今後、他の国内向け大・中・小型トラック・バスについても、適切なタイミングで各車型の経済変動分をメーカー希望小売価格に反映していく予定だとしている。
《森脇稔・レスポンス》

『クオン顔のギガ』誕生!? いすゞが大型トラックのマニュアル車モデルをUDに供給へ!
2024年9月23日 / フルロード
 いすゞ自動車は9月19日、大型トラック「ギガ」の7速マニュアルトランスミッション(M/T)搭載車を、2025年春から、グループ傘下のUDトラックスへ供給すると発表した。UDの大型トラック「クオン」現行モデルの7速M/T車を、ギガのUDブランド車へ置き換えて展開するという。
文・合成画像/トラックマガジン「フルロード」編集部
写真/いすゞ自動車、UDトラックス
■ギガがクオン7速マニュアル車になる!?
 いすゞとUDトラックスは、国内向けおよび海外向けのトラックにおける商品の相互補完を進めており、大型トラクタ(23年4月・UD車をベースに共同開発)、小型トラック(23年12月・いすゞがUDへ供給)、中型トラック(24年1月・同)、海外向け大型トラック/トラクタ(24年7月・UDがいすゞへ供給)で実施あるいは実施を計画している。
 2025年春からは、UDの大型トラック「クオン」の7速M/T搭載車として、「ギガ」のUDブランド車をいすゞから供給する。ただし、薬剤散布車用シャシー(6×4車型CWに設定)とセミトラクタ(4×2車型GKに設定)の7速M/T車は、UDオリジナルの現行モデルを継続する。
 現行型クオンでは、排気量10.8リッター・GH11型エンジン搭載の単車型を中心に、7速M/Tを幅広く設定しているが、これらがいわゆる「藤沢モデル」へ移行する。
 このクオン藤沢モデルでは、「UDのブランドイメージを継承するデザイン」を採用するとしており、トラクタとは逆に『クオン顔の現行型ギガ』が誕生するものとみられる。
■狙いはトランスミッション生産の合理化か
 トラックユーザーではいまもマニュアル車に根強い支持があるが、運転労力の軽減、自動運転を含むADAS(先進ドライバー支援システム)や燃費効率向上のための高度なパワートレーン統合制御では、トランスミッションの自動化が不可欠で、マニュアル車の設定は徐々に減少しつつある。
 いっぽう、大型トラック用7速MTは内需がメイン(海外向けM/T車はトランスミッション専業メーカーからも調達している)で生産量も限られていく方向にあることから、いすゞとUDの7速M/T車を共通化、それぞれが個別に開発してきたユニット生産も将来的には集約して、グループ資源の効率化を図るものと考えられる。
 前述のように、UDオリジナルのクオン7速M/T車は一部車型では存続するが、いずれもマイナー車型であり、少なくとも生産規模は縮小する。ちなみに、このほかのクオンのマニュアルトランスミッションとしては、高トルク車用の12速M/T、総輪駆動車用の副変速機付6速M/Tがある。
 なお、いすゞとUDは現在、次世代大型トラックの開発を共同で進めており、2028年度に投入する予定だ。この次世代モデルでは、いすゞと提携関係にあるボルボ・グループの技術を活用したプラットフォームを用いることになっている。
ベストカーWeb より

ニュースルーム 2023年03月29日
いすゞとUDトラックス、共同開発した新型トラクタヘッドを発表
‐両社協業の深化を象徴する初の共同開発商品‐
いすゞ自動車株式会社
UDトラックス株式会社
 いすゞ自動車株式会社(本社:神奈川県横浜市、代表取締役社長:片山正則、以下「いすゞ」) とUDトラックス株式会社(本社:埼玉県上尾市、代表取締役社長:丸山浩二、以下「UDトラックス」)は、共同開発した新型トラクタヘッド「ギガ」と「クオン」を本日発表しました。
 この新型トラクタヘッドは、2021年4月にUDトラックスがいすゞグループ入りしてから初めて共同開発した商品であり、各々の販売網で4月4日より発売いたします。
 この度の共同開発において、いすゞとUDトラックスは、両社の技術を持ち寄ることで、エンジンのダウンサイジングにより高い積載効率を追求したほか、運転操作性の向上や安全装備の拡充などにより、ドライバー不足や労働環境の改善といった社会課題の解決を目指しました。
 いすゞとUDトラックスは、現在両社合わせて国内400拠点を超える商用車サービス網を展開しており、今後もお客様の稼働をサポートしてまいります。
また、国内外部品倉庫の相互活用、補給部品の共同配送・購買、海外事業の強化を目的に共同オフィスをシンガポールに開所するなど、協業の深化を続けています。
 UDトラックス本社で開催された発表会で、いすゞ 取締役専務執行役員の南真介は「本日、共同開発した新型トラクタヘッドの発表ができたことを大変嬉しく思います。UDトラックスがいすゞグループ入りしてから、相互に理解を深め、新しい価値を創造しようとする風土が醸成され続けています。協業を深化させていくことで、物流課題の解決に貢献し、『運ぶ』の未来を加速させてまいります」と語りました。
 いすゞ 専務執行役員の大平隆は「いすゞには、小型・中型・大型、そしてバスまで幅広い商品ラインアップがあり、それらをご利用いただいているお客様の様々なニーズや使い方についての知見があります。今後も両社の強みを持ちより、効率的な開発を通じて、お客様にソリューションを提供してまいります」と語りました。
 UDトラックス 開発部門シニアバイスプレジデント兼最高技術責任者のダグラス・ナカノは「いすゞグループの一員となることで、13年ぶりに6×4をUDトラックスの商品ラインアップにカムバックさせることができました。今後も、いすゞグループの一員として、魅力的な大型車の開発を進めてまいります」と語りました。
 これからもいすゞとUDトラックスは、協業を深化させ、ともに「運ぶ」の未来を加速させてまいります。
以上


≪くだめぎ?≫
 "『クオン顔のギガ』誕生!?"
昨年2024年3月末『ギガ』フルモデルチェンジ、
="ギガがクオン7速マニュアル車になる!?"
トラック界でも「MT車」減少で"共同開発"で乗り切るようである。
Posted at 2025/04/08 10:25:33 | コメント(0) | トラックバック(0) | トヨタディーゼル店 | クルマ
2025年04月02日 イイね!

最後の『スープラ』は1500万円

最後の『スープラ』は1500万円2025年03月21日
スープラ RZグレードの一部改良モデルならびに
特別仕様車 スープラ“A90 Final Edition”を発売
・スープラ RZグレードを一部改良し、3月21日より発売。同日、特別仕様車 スープラ“A90 Final Edition”の抽選受付を開始し、日本では150台発売
・スープラ RZグレード一部改良モデルでは、市街地からワインディング、サーキットまで存分に走りをお楽しみいただけるよう、「さらなる一体感のある走り」を追求。安心・安全のためのブレーキ性能を向上させた上で、ボディ、サスペンション、シャシー剛性の向上およびチューニングの最適化、空力性能の改善を実施
・特別仕様車“A90 Final Edition”では、スープラをご愛顧いただいている世界中のお客様への感謝を込め、現行スープラの集大成として、エンジン出力・トルクを向上。また、ブレーキやボディ剛性を強化し、レーシングカーに多く採用されるKW社のサスペンションシステムやハイグリップタイヤを採用するなど、走りに関する様々な要素をアップグレード。進化に合わせた最適なチューニングを行い、究極・最高の性能・仕様を実現
 TOYOTA GAZOO Racing(以下、TGR)は、スープラ RZグレードを一部改良し、本日3月21日より全国のトヨタ車両販売店にて発売しました。加えて、本日から全国のGR Garage店頭にて特別仕様車 スープラ“A90 Final Edition”の抽選受付を開始し、日本では150台発売します。受付期間は3月21日から4月13日まで、当選発表は5月9日を予定しています。
 2019年、スープラはマスタードライバーのモリゾウこと会長の豊田の強い想いで17年ぶりの復活を果たしました。発表に際し、豊田は、「ニュルブルクリンクでの運転訓練で長い時間を一緒に過ごしたスープラは、自分にとって『特別な旧友』のような存在です。当時、ニュルブルクリンクで他のメーカーが発売前のプロトタイプカーを走らせている中、私たちは、既に生産を終了した古いスープラでしか走ることができず、とても悔しい想いをいたしました。スープラ復活を待ち望んでいたのは世界中の多くのファンだけでなく、私も『スープラを復活させたい』という想いを密かに持ち続けていました。新型GRスープラは、ニュルブルクリンクで鍛えられ、生まれたクルマです。走る楽しさ以上の経験を提供できるクルマになったと、自信を持ってお伝えします」と述べました。
 2019年の現行スープラ発売以降も進化を続け、2020年および2022年には一部改良モデルを発売。そして今回、「さらなる一体感のある走り」を追求したスープラ RZグレードの一部改良モデルと、スープラをご愛顧いただいている世界中のお客様への感謝を込め、現行スープラの集大成として究極・最高の性能・仕様を備えた特別仕様車のスープラ“A90 Final Edition”を発売します。
 車両の詳細は以下ニュースリリースをご覧ください。
 スープラ(3.0Lモデル)一部改良ならびに特別仕様車 スープラ“A90 Final Edition”を発表
https://global.toyota/jp/newsroom/toyota/41894612.html
 なお、2025年4月12、13日に岡山国際サーキットで開催される2025 AUTOBACS SUPER GT Round1にてスープラ RZグレードの一部改良モデルおよび特別仕様車 スープラ“A90 Final Edition”を展示予定です。
■車両概要(ワールドプレミア時点[2024年11月]から一部変更あり*1)
(中)スープラ RZグレード 一部改良モデル
 目的 改良点 詳細
1.安心・安全性能向上 ブレーキ性能
フロントブレーキを大径化し、brembo製18インチブレーキを採用
2.一体感のある走りの向上
 2-1.ボディ・シャシー剛性
・リヤ床下ブレースの構造を強化
・リヤサブフレームを強化ゴムマウントに変更
・フロントコントロールアームに強化ゴムブッシュを採用
・前後スタビライザーブラケットにアルミ強化品を採用
 2-2.サスペンションセッティング
・前後のキャンバー角を変更
・電子制御ダンパーの特性を変更
・フロントスタビライザーを強化
 2-3.空力性能
・フロントにホイールアーチフラップを追加
・フロントタイヤスパッツの高さを拡大
・ダックテールタイプのカーボンリヤスポイラーを追加
 2-4.アクティブディファレンシャル
・新しいシャシーセッティングに伴い、アクティブディファレンシャル制御を最適化
 2-5.EPS制御
・新しいシャシーセッティングに伴い、EPS*2制御を最適化
3.よりスポーティーな意匠
 3-1.内装
・ドライバーシートにGRロゴ刺繡を施したアルカンターラ®*3+本革シート表皮を採用
・シフトノブに赤リング、赤ステッチを採用(6速MTのみ)
・赤色シートベルトを採用
 3-2.ホイール
・ホイールカラーにマットブラックを採用
(下)特別仕様車 スープラ“A90 Final Edition”
 目的 改良点 詳細
1-安心・安全性能向上
 1-1.ブレーキ性能
・フロントブレーキを大径化し、brembo製19インチブレーキを採用
・フロントに高μブレーキパッドを採用
・フロント・リヤともにフローティング構造のドリルドディスクを採用
・ステンレスメッシュのブレーキホースを採用
2.野性味ある走りの追求
 2-1.加速性能・レスポンス・サウンド
・エンジン出力向上 : 285kW(387PS)から324kW(441PS)*1
・エンジントルク向上 : 500N・m(51.0kgf/m)から571N・m(58.2kgf/m)*1
・吸気系改善 : レゾネーター廃止、インテークパイプの経路を最適化
・排気系改善 : 低排圧触媒、アクラポヴィッチ製チタンマフラーを採用
 2-2.冷却性能
・ラジエーター冷却ファンを強化
・サブラジエーターを追加
・ディファレンシャルギアカバーの冷却フィンを大型化
・脱着式のインナーダクトを採用したカーボンボンネットダクトを追加
3.一体感のある走りの向上
 3-1.ボディ・シャシー剛性
・フロントカウルブレースを強化
・フロント床下ブレースを追加
・強化ラゲージクロスバーを追加
・リヤ床下ブレースの構造を強化
・リヤサブフレームをアルミリジッドマウント化
・フロントロアアームのゴムブッシュを強化
・フロントコントロールアームにピロボールジョイントを採用
・前後スタビライザーブラケットにアルミ強化品を採用
・リヤスタビライザーリンクを強化
 3-2.タイヤグリップ性能
・10mm拡幅したハイグリップタイヤMICHELIN PILOT SPORT CUP 2を採用
フロント : 265/35ZR19、リヤ : 285/30ZR20
・フロント19インチ、リヤ20インチの専用鍛造アルミホイールを採用
 3-3.サスペンションセッティング
・前後のキャンバー角を変更
・KW製減衰力調整式サスペンションを採用
・前後スタビライザーを強化
 3-4.空力性能
・カーボンフロントスポイラーを追加
・カーボンフロントカナードを追加
・フロントセンターフラップを追加
・スワンネック構造のカーボンリヤウイングを追加
 3-5.アクティブディファレンシャル
・新しいシャシーセッティングに伴い、アクティブディファレンシャル制御を最適化
 3-6.EPS制御
・新しいシャシーセッティングに伴い、EPS制御を最適化
 3-7.操作性
・シートパッドにアルカンターラ®素材を使用したレカロ製カーボンフルバケットシート「RECARO Podium CF」を採用
・ステアリングホイール、ドアトリム、センターコンソールニーパッド、センターアームレスト、シフトノブ・ブーツ、インストルメントパネル中央部の表皮にアルカンターラ®素材を使用
4.よりスポーティーな意匠
 4-1.内装
・赤色シートベルト、専用カーボンスカッフプレート、専用インストルメントパネルカーボンオーナメントを採用
■メーカー希望小売価格(消費税込み、単位 : 円)
・スープラ RZグレード一部改良モデル 6MT 8,000,000
・スープラ RZグレード一部改良モデル 8AT 8,000,000
・特別仕様車 スープラ“A90 Final Edition”6MT 15,000,000
■主要諸元
 モデル
スープラ RZグレード一部改良モデル
特別仕様車 スープラ“A90 Final Edition”*4
・全長(mm) 4,380 4,380
・全幅(mm) 1,865 1,865
・全高(mm) 1,295 1,275
・ホイールベース(mm) 2,470 2,470
・トレッド(フロント・リヤ)(mm)
1,595・1,590 1,595・1,585
・乗車定員 2 2
・車両重量(kg) 1,520(6MT)1,530(8AT) 1,530
・エンジン 直列6気筒 直列6気筒
・型式 B58B30O1 B58B30O1
・内径×行程(mm) 82.0×94.6 82.0×94.6
・総排気量(L) 2.997 2.997
・最高出力(kW[PS]/rpm)
285[387]/5,800 324[441]/6,000
・最大トルク(N・m[kgf・m]/rpm)
500[51.0]/1,800~5,000 571[58.2]/4,500
・燃料消費率(WLTCモード)(km/L) 11.1(6MT)12.2(8AT) -
・トランスミッション
6速マニュアル/8速スポーツオートマチック 6速マニュアル
・駆動方式  FR(後輪駆動方式) FR(後輪駆動方式)
・差動装置 フロント - -
リヤ アクティブディファレンシャル アクティブディファレンシャル
・サスペンション
フロント マクファーソンストラット マクファーソンストラット
リヤ マルチリンク マルチリンク
・ブレーキ
フロント
brembo製18インチアルミ4ポット対向キャリパー+374mm径ディスク
brembo製19インチアルミ4ポット対向キャリパー+395mm径フローティングドリルドディスク
リヤ
フローティングキャリパー+345mm径ディスク
フローティングキャリパー+345mm径フローティングドリルドディスク
・ホイール 19インチ鍛造アルミホイール 、
フロント 19インチ鍛造アルミホイール
リヤ 20インチ鍛造アルミホイール
・タイヤ(フロント・リヤ)
255/35ZR19・275/35ZR19 MICHELIN PILOT SUPER SPORT、
265/35Z1R19・285/30ZR20 MICHELIN PILOT SPORT CUP 2
・燃料タンク容量(L) 52 52
*1 特別仕様車 スープラ“A90 Final Edition”の最高出力および最大トルクをワールドプレミア時点より以下の通り変更しました。
最高出力 kW(PS)/rpm
320(435)/6,000→324(441)/6,000
最大トルク N・m(kgf・m)/rpm
570(58.1)/4,500→571(58.2)/4,500
*2 Electric Power Steering
*3 「ALCANTARA®」、「アルカンターラ®」はアルカンターラ社の登録商標
*4 特別仕様車 スープラ“A90 Final Edition”は持ち込み登録です。各諸元の数値はメーカー設計値であり参考数値です。登録の際は車両の実測数値が適用されます。 以上
GRスープラの情報はこちら

msn 2025年3月22日(土)08時00分
最後のトヨタ『スープラ』は1500万円、
「A90 Final Edition」150台限定で発売
 トヨタの高性能車部門のトヨタGAZOOレーシング(TGR)は、スポーツカー『スープラ』の最終モデル「A90 Final Edition」を150台限定で発売すると発表した。同時に、スープラ「RZ」グレードの一部改良モデルも3月21日より全国のトヨタ車両販売店で発売を開始した。
 A90 Final Editionは、現行スープラの集大成として位置付けられる特別モデルだ。エンジン出力を従来の387psから441psへと大幅に向上させ、トルクも500N・mから571Nmへと引き上げている。さらに、レーシングカーにも採用されるKW社のサスペンションシステムやハイグリップタイヤを装備し、ブレーキやボディ剛性も強化。究極の走行性能を追求した仕様となっている。
 6速マニュアルトランスミッション搭載モデルのみの設定で、価格は1500万円。3月21日から4月13日まで全国のGR Garage店頭で抽選受付を行い、当選発表は5月9日を予定している。
 一方、スープラRZグレードの一部改良モデルでは、「さらなる一体感のある走り」を追求。ブレーキ性能の向上に加え、ボディ、サスペンション、シャシー剛性の向上、空力性能の改善などをおこなった。価格は、6速MT、8速ATともに800万円となっている。
 TGRは、市街地からワインディング、サーキットまで存分に走りを楽しめるよう、安心・安全性と高性能を両立させたモデルに仕上げたとしている。
 スープラは1978年に初代モデルが登場して以来、トヨタを代表するスポーツカーとして多くのファンに愛されてきた。今回のA90 Final Editionは、現行スープラの歴史に幕を下ろす記念碑的なモデルとなる。
《レスポンス・森脇稔》


≪くだめぎ?≫
 トヨタのスポーツモデル専用ブランド「GR」初の専売車種
『GR SUPRA』として2019年5月に17年ぶりに復活した「スープラ」だったが、
今月13日までの受付で生産終了する。
 初代「スープラ(日本名・セリカXX)」(1978年4月 ~)こそ、ラグジュアリー志向・雰囲気を持った高級スペシャルティカーであったが、
2代目「スープラ(日本名・セリカXX)」からは一転してスポーティ路線へと変更した(1981年7月~)。
 1981年(昭和56年)2月~、に先行して"クーペ型の高級乗用車"として
『ソアラ』が投入され高級パーソナルクーペとして「ハイソカー」ブームの切っ掛けとなった。以後、~1991年(平成3年)4月の2代目『ソアラ』までバブル景気と相まって販売は好調で大ヒット作となった。
 バブル崩壊に伴う高級車・クーペ需要の減退期の1991年(平成3年)5月~、
3代目『ソアラ』(海外名・初代レクサスSC)が投入されたが低調。
 対するスポーティクーペ「スープラ」も同様、2002年7月に生産終了。
 結果、2001年(平成13年)4月~「レクサス・スポーツクーペ」として
4代目『ソアラ』がモデルチェンジ、
2005年(平成17年)7月にマイナーチェンジに合わせて
レクサス『SC』に移行・引っ越しした。後に、
2014年10月レクサス「RC」、2017年3月レクサス「LC」と
事実上の後継車2ドアクーペを発売。
 "クーペ型の高級乗用車"を選んだ様である。
Posted at 2025/04/02 17:10:20 | コメント(0) | トラックバック(0) | 車全般 | クルマ

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「「Yamato」体重計 ♫〜」
何シテル?   04/02 16:02
 「昔々、有ったとさ、 『トヨタディーゼル店』、『トヨタパブリカ店』、『トヨタオート店』、『トヨタビスタ店』・・・」。      身長165cm・体重6...
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